【西口彰連続殺人事件】西口彰の生い立ちや結婚・家族に犯行動機とは

1963年福岡県で殺人を犯した西口彰は逃走をしながら弁護士に扮して詐欺や殺人を繰り返し、死刑判決を受けます。また西口彰は結婚しており子供が3人いることが分かっています。西口彰の生い立ちから家族との関係など、西口彰連続殺人事件の全貌を詳しく解説します。

【西口彰連続殺人事件】西口彰の生い立ちや結婚・家族に犯行動機とはのイメージ

目次

  1. 1西口彰とは
  2. 2西口彰連続殺人事件とは
  3. 3西口彰の生い立ちや家族とは
  4. 4西口彰の裁判とその後
  5. 5西口彰は逃走しながら殺人を繰り返す凶悪犯だった

西口彰とは

連続殺人事件を起こす前から前科のあった西口彰は、1963年10月に最初の殺人事件を起こしました。その後、1964年1月に逮捕されるまで、大学教授や弁護士の身分をかたりながら全国各地に逃走します。逃走中にも窃盗と殺人を繰り返し、最後は11歳の少女の発見により逮捕に至りました。

しかし西口彰は事件前に結婚しており、3人の子供がいます。子供には正しい道を歩んでほしいと言う思いがあり、獄中から息子宛に多くの手紙を書いたそうなので、家族のことは想っていたのかもしれません。判決文では「悪魔の申し子」と形容された西口彰とはどういう人物像なのか、また西口連続殺人事件の全容について詳しくご紹介します。

西口彰のプロフィール

西口彰は1925年12月14日に大阪で生まれ、漁船を持つ父親がおり比較的に裕福な家庭で育っているそうですが、結婚前の家族構成については不明です。結婚してからの家族構成は妻、長男、長女、3人目の子供がいます。

西口彰連続殺人事件の犯人

西口彰は1963年10月から1964年1月にかけて起きた「西口彰連続殺人事件」の犯人です。1964年1月3日に逮捕されるまで全国各地に逃走を続け、この間に計5人を殺害し、計80万円を奪いました。逮捕される切っ掛けとなった、熊本の教戒師・古川泰龍に弁護士と称して近づきます。

しかし当時11歳の古川の娘が全国指名手配されている西口彰だと見抜き、事件に終止符が打たれるので、これが運の尽きだったのでしょう。

西口彰連続殺人事件とは

西口彰連続殺人事件は西口彰という男が起こした殺人事件で、全国各地を逃走しながら大学教授や弁護士に装い、殺人、詐欺、窃盗を繰り返した事件です。当時の担当刑事は「これは、人間じゃないな」と言葉を漏らしており、裁判の判決文では「悪魔の申し子」と形容されるほどの非道な事件だったと言えます。

それでは西口彰連続殺人事件の詳細について解説していきます。

他殺体が複数見つかる

最初の殺人は1963年10月18日に発生しました。福岡県の当時は国鉄だった日豊本線苅田駅西側にある山道で、専売公社の職員が何者かに殺害されているのが発見されます。同日、1件目の事件現場から約2キロ離れた仲哀峠で、福岡県内のタクシー運転手の男性が殺害されているのが発見されました。ここから西口彰連続殺人事件が始まります。

目撃証言から西口彰を指名手配

被害者の2人は朝から集金に回っており、タクシー車内からは集金した現金がなくなっていました。目撃証言などから詐欺や窃盗で前科4犯だった西口彰が浮上し、全国指名手配されます。

自殺を偽造して逃走

西口彰は佐賀で自分が指名手配されていることを知り、瀬戸内海の連絡船で靴と置手紙を残して投身自殺を偽装します。その後も西口彰は神戸、大阪、京都、名古屋と場所を転々と移しながら逃走を続けているので、この間一般市民は不安だったのではないでしょうか。

旅館の女将を騙して潜り込む

11月19日、西口彰は静岡県浜松市に逃げてくると、浜松市の旅館に投宿します。そこでは大学教授に成りすまし、意気投合した女将・藤田ゆき(当時41歳)と関係を持ち潜り込みます。その後西口彰は藤田ゆきと、外出から帰ってきた母親のはる江(当時61歳)を手に掛け、逃げるための貴金属や衣類を奪い逃走します。

弁護士に成りすます

12月、千葉弁護士会館で弁護士名簿を詐取し、この頃から弁護士を名乗るようになります。また千葉刑務所の待合室に入り込み、女性(当時50歳)から息子の保釈金を詐取し、福島県へ逃走します。そして福島県のとある弁護士事務所で弁護士バッジを奪い、北海道の用品店で弁護士を装い弁護料を詐取、さらに東京でも弁護料として現金を騙し取ります。

12月29日、豊島区のアパートで検事出身の弁護士だった男性(当時81歳)を殺害し、腕時計や弁護士バッジを奪います。その後、東京を離れ豊橋、名古屋、九州へと逃走の足は止まりません。

少女の目が西口彰を追いつめた

1964年1月3日、熊本県で「福岡事件」の支援をしていた、教戒師・古川泰龍の元に、弁護士と名乗る西口彰が訪れます。西口彰は福岡刑務所で服役していた際、出入りしていた古川泰龍の顔を覚えていました。西口彰は古川泰龍に協力を申し出ると、古川泰龍は西口彰を自宅に招きます。

2人は意気投合しましたが、古川泰龍の娘・古川るり子(当時11歳)が指名手配されている西口彰の顔とよく似ていることに気づき、父親・泰龍に西口彰だと訴えます。半信半疑だった古川泰龍ですが、西口彰と話しながら次第に弁護士としての基礎知識に欠けていることや、殺人犯の特徴と一致していることから西口彰だと確信し警察へ通報します。

結果的に11歳の少女の目が西口彰を追い詰め、1月3日に逮捕されることになりました。ここでもし少女が気づいていなかった場合、最悪の結末になっていたかもしれません。

犯行動機は借金返済

西口彰の犯行動機は「借金の返済と、愛人の関心を買うため」という身勝手な理由でした。金のためなら平気で人を殺害する西口彰は5人もの命を奪っておきながら、手にした金は計80万円ほどだったそうです。

西口彰の生い立ちや家族とは

非道な殺人を繰り返し、大学教授や弁護士を名乗りながら金を詐取するほど弁が立った西口彰は、事件前には妻子を持ち、尚且つ何人もの愛人を作っていたことも知られています。そんな西口彰の生い立ちや家族との関係性などについて今度はスポットを当てていきます。

家族は代々カトリック信徒

前述したとおり西口彰は1925年12月14日に大阪で生まれで、家は代々カトリック信徒で西口彰は5歳で洗礼を受けます。父親は長崎県の五島列島で漁船を持つ綱元として有名で、経済的にはそこそこ裕福な家庭で育ったそうです。

中学2年で少年院に入る

戦前に大分県別府市に移り住み旧制中学校に入学します。しかし中学2年生の時に家出をして、窃盗と詐欺で少年院に入ります。西口彰は少年時代から既に道を踏み外していきます。

詐欺や恐喝で前科あり

少年院から出ても、幾度となく窃盗や詐欺、恐喝を行い、犯罪を起こしては服役を繰り返していたそうで、連続殺人事件を起こす前から前科4犯の犯罪者でした。出所しても真っ当な道を歩むことはできなかったようです。

結婚して3人の子供がいる

前科持ちの西口彰ですが終戦直後、1歳年下の女性と結婚し3人の子供に恵まれます。妻子を大分県別府市にいる両親に預け、1人で行橋市に出て運転手をしていた頃は、父親として真っ当に生きようとしていたのかもしれません。

西口彰の裁判とその後

11歳の少女の気付きによって逮捕された西口彰の裁判に掛けられることになりますが、いつ判決が出たのか、またその後獄中にて西口彰は何をしていたのかについて、今度はスポットを当てていきます。

求刑通りの死刑判決

1964年11月、検察は西口彰に死刑を求刑します。1965年1月2日、求刑通り福岡地裁小倉支部で「神も許さず、人もまた許すことのできない凶悪犯罪人である」として死刑判決となります。1965年8月28日、福岡高裁で控訴は棄却され、翌年の66年8月15日、上告は取り下げられ死刑が確定します。

自分の息子には人の道を正す?

西口彰の長男は、自分の父親が殺人犯だと知り、グレて不登校になったそうです。そのこと知った西口彰は息子に対して「自分のようにはなるな」と書いた手紙を20通送ったというエピソードがあります。親の気持ちが届いたのか長男は更生したそうです。

自分は残虐な行為をしておきながらも、息子には人の道を正すような、人の親らしい一面もあったのかもしれません。

1970年死刑執行

死刑の判決が確定から4年後の1970年12月11日、福岡拘置所で西口彰の死刑が執行されました。死刑執行となった時、西口彰は44歳でした。判決が下ってから、獄中にいた西口彰は点字翻訳のボランティアに励んでいたそうです。ペンフレンドになった明治大学院大学の女子大生から依頼を受け、卒論に使用する哲学書の点字翻訳を真摯に行なっていたそうです。

西口彰はこの時の心境を、「他人のためにここまで真剣に取り組んだのは、これが初めてだった」と手記に書き残しています。最後ぐらいは人のために何かをしたいという想いがあったのかもしれません。

事件が小説化や映画化される

全国を逃げ回りながら計5人の命と金品を奪った連続殺人事件は1975年、ノンフィクション作家の佐木隆三により、西口彰事件を題材に小説『復讐するは我にあり』が執筆されました。第74回直木賞を受賞します。また1979年には、今村昌平監督によって映画化もされます。

2014年には、フジテレビの特別ドラマ『東京オリンピックと世紀の大犯罪』で陣内智則が西口彰を演じました。事件が後に小説や映画になるほどの大事件だったかを物語っています。

広域重要事件特別捜査要綱の契機になる

昭和30年代より自動車が急速に普及し、道路整備がされたことで西口彰のような凶悪犯が広範囲にまたがって逃走するケースが増え、逃走スピードが速くなり捜査が追いつかなくなりました。またこの当時は各都道府県同士の連携が進んでいなかったため、事件解決が難しくなっていました。

西口彰事件を切っ掛けに1964年、警視庁は「広域重要事件特別捜査要網」が策定されました。これは警視庁が「広域重要指定事件」として調整を行うもので、各都道府県警が連携して捜査を行う体制が整えられました。

西口彰は逃走しながら殺人を繰り返す凶悪犯だった

子供時代から犯罪に手を染め、服役と出所を繰り返していた西口彰は、結婚をして妻子を持ちますが、その後も殺人、窃盗、詐欺を繰り返す凶悪犯であることは間違いありません。しかし息子に手紙を送り更生させたり、服役中は女子大生の依頼のために点字翻訳を行うなどの真っ当な姿も見せています。

11歳の少女が西口彰の顔に気づかなかったら恐らく古川家も犠牲になっていたでしょう。そういった点でも本当に恐ろしい事件です。

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