おせんころがし殺人事件とは!栗田源蔵の生い立ちから死刑執行まで

栗田源蔵が起こしたおせんころがし殺人事件の内容は、あまりにも自分勝手な犯行でした。おせんころがし殺人事件以外にも検見川事件、小山事件を起こしました。犯人の生い立ちが関係しており、それは結果として異例の死刑判決に繋がったようです。そんな事件についてご紹介します。

おせんころがし殺人事件とは!栗田源蔵の生い立ちから死刑執行までのイメージ

目次

  1. 1おせんころがし殺人事件の概要
  2. 2栗田源蔵の生い立ち【おせんころがし殺人事件】
  3. 3おせんころがし殺人事件以外の栗田源蔵による殺人事件
  4. 4おせんころがし殺人事件のその後
  5. 5おせんころがし殺人事件は日本凶悪事件史のひとつ

おせんころがし殺人事件の概要

昭和に起きたおせんころがし殺人事件と呼ばれる事件をご存知でしょうか。この事件は1952年10月11日に起こった事件で、8人もの犠牲者が出たことで大きく話題になりました。おせんころがし殺人事件とは、おせんころがしと呼ばれる崖から母子が突き落とされた事件のことを言います。

それ以外にも犯人は、交際相手を殺害するなどの事件を起こしていたことで、その一連の事件をおせんころがし殺人事件と呼ぶようです。また、おせんころがし殺人事件は栗田源蔵事件とも呼ばれています。

栗田源蔵が母子3人を殺害した事件

おせんころがし殺人事件は上記でも述べたように、栗田源蔵事件とも呼ばれることがあります。これは、栗田源蔵と呼ばれる男が一連の事件を引き起こした犯人だからです。おせんころがしの崖から突き落とされて殺害されたのは母子が3人で、その犯行はあまりにも自分勝手なものでした。

レイプ目的の犯行だった

栗田源蔵が母子を襲った理由は、レイプ目的だったと供述が取れています。母親をレイプをするために邪魔だった子供を崖から突き落としたようです。挙句の果てには幼い子供を背負った母親をレイプし、母親と幼い子供も崖から突き落としています。

しかし、幸いにも母子は崖の途中で留まっていました。それを見つけた栗田源蔵の行動については後に詳しくご紹介していきます。

1人の子供は奇跡的に助かる

崖から突き落とされ途中で助かった母子ですが、その後もおせんころがし殺人事件の犯人である栗田源蔵の魔の手が忍び寄ります。そして母親、長男、次女がおせんころがし殺人事件の犠牲者となってしまいました。

初めに突き落とされていた長女は岩の陰に隠れており、怪我を負ったものの軽傷で済んだようです。事件現場がおせんころがしとは別の場所だった場合、長女も犠牲者となっていたかもしれません。そのことを考えると、軽傷で済んだということは奇跡と言ってもいいのではないでしょうか。

栗田源蔵の生い立ち【おせんころがし殺人事件】

上記ではおせんころがし殺人事件で殺害された母子や、栗田源蔵の行った犯行をご紹介しました。あまりにも自分勝手で残酷な犯行ですが、栗田源蔵が事件を起こすきっかけは幼い頃の生い立ちが関係しているのではないかと言われてるようです。

その生い立ちは、逮捕された後も栗田源蔵のことを苦しめたと言われています。もしも、これからご紹介する生い立ちがなければ、おせんころがし殺人事件は起きていなかったのかもしれません。

12人兄弟の貧しい家庭で育つ

栗田源蔵が生まれた頃、世間では貧しい家庭が多かったようです。栗田源蔵一家は12人家族という大家族で、世間からみても特に貧困層でした。そのため、常にお金で困ってしまっていたのではないでしょうか。そんな中で、栗田源蔵は12人兄弟の3男として生まれました。貧乏なうえに父親は体が強くはなかったため、母親が家族を支えていたようです。

夜尿症によりいじめに遭っていた

幼い子供がかかる病気に夜尿症と呼ばれるものがあります。寝ている間に尿を漏らしてしまうという病気ですが、10代の頃にほとんどの人が治ると言われているようです。また、特に男性は大人になるにつれて完治することが多いです。

しかし、小学生になった栗田源蔵は未だ夜尿症が治っておらず、それが原因でいじめに遭っていました。そのため小学3年生の頃には、いじめに耐えきれなくなって学校を中退しているようです。

盗みを繰り返し仕事を転々とする

小学校を中退した栗田源蔵は職に就くことになります。しかし、そこでも夜尿症は一切治ることはありませんでした。奉公することになるのですが、夜尿症が原因となって何度も職を転々をすることになります。1年の間に10回ほど仕事先が変わったようです。

肉体労働をするようになった栗田源蔵は、徐々に盗みを行うようになります。仕事場には粗い性格の人が多かったため、それに影響されたのかもしれません。

ヤミ米ブローカーの中心メンバーに

ネガティブな性格だった栗田源蔵は、乱暴な性格へと変わっていきました。そして、ヤミ米ブローカーとしてお金を稼ぐことになります。ヤミ米ブローカーとは不法と呼ばれている商売をすることであり、主にコメを扱っていました。また、栗田源蔵はヤミ米ブローカーの中心メンバーにまで上り詰めたと言います。

おせんころがし殺人事件以外の栗田源蔵による殺人事件

上記のような生い立ちがあったため、栗田源蔵は心に闇を抱えていたのではないでしょうか。また、肉体労働をしたあたりから盗みを行うようになったことも、周囲の影響がかなり大きかったと言えます。しかし、だからといって残酷な殺人事件を起こしていいわけではありません。

栗田源蔵は初めにご紹介した母子殺害事件以外にも、3件の事件を起こしたと言われています。その事件の概要とは、一体どのようなものだったのでしょうか。

小山事件

小山事件と呼ばれる事件は、小山駅で事件が起きたことで名付けられました。1952年に起きた事件で、おせんころがし殺人事件よりも前に起こっています。この頃は既に盗みを繰り返しており、泥棒ができるような家を探していました。そして、母親と赤ちゃんのいる家を発見し、母親に対して襲い掛かります。

レイプをしながら母親を殺害した栗田源蔵ですが、それでは飽き足らず死んだ後もレイプし続けました。赤ちゃんには危害を加えられておらず、その後は金目の物を盗んでいったようです。

検見川事件

検見川事件は栗田源蔵が初めて起こした事件です。検見川事件は1952年1月に起こっており、主婦と姪が殺害されました。体を縛られレイプされた形跡があり、遺体は刃物で刺されていたといいます。検見川事件ははやぶさの源とも呼ばれており、その理由は栗田源蔵の別名からきているようです。

初めは窃盗をしていたことで家宅捜索されたのですが、そこで凶器の包丁が発見されたために逮捕に至りました。

2女性殺害事件

2女性殺害事件は小山事件の数日後に起こった事件で、交際していた女性2人を殺害したことを犯人は認めました。片方の女性からは結婚をしつこく迫られてしまったため、首を絞めて殺害しています。

そしてもう1人の女性には、浮気がばれてしまったことで「付き合っているのはあなただけ、もう1人は殺した」と話しました。しかし、その女性は警察に通報することを伝えられたため、栗田源蔵は殺害したようです。

おせんころがし殺人事件のその後

おせんころがし殺人事件はその後、どのような展開をみせたのでしょうか。上記でもご紹介したように、栗田源蔵は8人も殺害しています。そのため、裁判では重い判決が下されることが予測できるでしょう。実際には、栗田源蔵に重い判決が下されました。しかし、判決が下される前にひと悶着起こったようです。それについてもご紹介しましょう。

栗田源蔵は拘禁ノイローゼに

おせんころがし殺人事件が発覚した後、栗田源蔵は逮捕されました。初めは看守を困らせるようなことばかりをしていたのですが、徐々に拘禁ノイローゼになっていったようです。拘禁ノイローゼになると、自傷行為をするようになってしまいます。栗田源蔵もガラスなどで自殺したいと考えるようになり、体調不良などを常に訴えていました。

栗田源蔵に死刑判決

栗田源蔵には2つの死刑判決が下されたようです。1つはおせんころがし殺人事件で、もう1つの死刑判決は2女性殺害事件に下りました。このように複数の事件において死刑判決が下されたことは、過去をみてもまれなことで、栗田源蔵の死刑判決は異例とも言えるものだったようです。

死刑判決が下されてからも再審を行っていたのですが、ノイローゼが原因なのか体調が悪くなる一方で難しかったようです。

栗田源蔵の死刑執行

1952年1月13日に死刑執行が下された栗田源蔵は、1959年10月14日に死刑が執行されています。死刑が執行される前に、栗田源蔵は自身の書いた手記を販売したいと話していましたが、それについては断られてしまったようです。もしかすると、栗田源蔵は自分にしかわからない心の闇と死刑執行までの期間、戦っていたのかもしれません。

おせんころがし殺人事件は日本凶悪事件史のひとつ

おせんころがし殺人事件は、日本で起きた事件の中でも凶悪な事件と言われています。死刑判決が2度も言い渡されたことから、その悪質さがひしひしと伝わってくるはずです。今後、おせんころがし殺人事件のような自分勝手で残忍な事件が起こらないように、防衛のための対策ができれば安心して女性は外を出歩けるようになるのかもしれません。

また、栗田源蔵は自身の夜尿症に長年苦しめられていました。もしも、この病気にかかっていなければおせんころがし殺人事件は起こっていなかったのかもしれません。

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