城丸君事件の真相は!工藤加寿子の裁判とその後

札幌で誘拐され、長い間行方不明になっていた城丸秀徳君の遺骨が火災跡から見つかった城丸君事件をご存知ですか。時効成立直前に逮捕された工藤加寿子は驚くことに裁判で無罪判決を受けたため、城丸君事件は未解決事件のままとなっています。多くの疑惑や裁判について紹介します。

城丸君事件の真相は!工藤加寿子の裁判とその後のイメージ

目次

  1. 1城丸君事件とは
  2. 2城丸君事件の概要
  3. 3工藤加寿子に隠された事実【城丸君事件】
  4. 4工藤加寿子につきまとう疑惑【城丸君事件】
  5. 5城丸君事件の裁判とその後
  6. 6黙秘権によって限りなく犯人に近い人物は世に放たれた

城丸君事件とは

とても印象的な「城丸君事件」という名前ですが、この事件について詳細なことを覚えている人は少ないかもしれません。事件発生から終結までに時間がかかっていることも一因ではないでしょうか。まずは、城丸君事件について大まかな点を紹介します。

札幌で発生した誘拐殺人の未解決事件

城丸君事件が起きたのは1984年1月、北海道札幌市です。当時9歳の城丸秀徳君が行方不明になりました。城丸秀徳君の行方は2年以上も分からないままでしたが、1988年6月、農家の納屋から城丸秀徳君のものとみられる遺骨が発見されました。しかし、当時の技術では身元の照合ができませんでした。

その納屋の所有者の妻であった工藤加寿子の関与が疑われましたが、証拠不十分のためその時点では逮捕されませんでした。その後1998年、DNA鑑定の結果からその遺骨は城丸秀徳君のものと判明し、工藤加寿子は逮捕されます。時効直前のことでした。

ところが、裁判の末に工藤加寿子は無罪判決を受けています。この事件によって有罪判決を受けた犯人がいないため、今でも未解決事件となってしまっています。

黙秘権の是非が問われた事件

この城丸君事件で大きな話題となったのは、「黙秘権」です。黙秘権とは、刑事事件の際に警察から受ける取り調べ時や裁判の時に一切喋らずに沈黙を続ける権利であり、憲法や刑事訴訟法で認められています。

城丸君事件の容疑者であった工藤加寿子は裁判でも最後まで黙秘を続けました。検察側は黙秘を続ける工藤加寿子へ対し400近くの質問をしていましたが、それに対し裁判所側は、「黙秘を続ける被告人に対し質問を続けることは、被告人の黙秘権を危うくするもので疑問」と表明しています。

自己に不利益な供述を強要されることを防ぐための大切な権利なのですが、容疑者がこの黙秘権を行使することで事件の真実が明らかにならないままになってしまうという事例もあります。この城丸君事件もその1つなのです。

城丸君事件の概要

1984年に札幌で起きた誘拐殺人事件である城丸君事件について、時効直前の1998年に工藤加寿子が逮捕されるまでの概要を時系列で紹介します。

呼び出された城丸秀徳君

事件は1984年1月10日の午前中、城丸家に1本の電話がかかってきたことから始まります。その電話を受けたのは城丸秀徳君でした。電話を終えた城丸秀徳君は、「ワタナベさんという人が、僕の物を借りた。それを返したいと言っている」と言って家を出ました。

家族も「ワタナベ」という人物に心当たりはなく、不審に思った母親は当時小学6年生だった兄を付き添わせようとしますが、兄は弟を見失ってしまいます。城丸秀徳君はそのまま行方不明になってしまたのです。

公開捜査するも行方不明のまま

城丸秀徳君が帰宅しないことから、警察の捜査が始まります。身代金目的の誘拐の可能性も考えられていました。しかし、犯人からの身代金などの要求がないことから、城丸秀徳君が行方不明になってから4日後に公開捜査に切り替えられます。

この時、当時29歳の工藤加寿子の住むアパートの階段を城丸秀徳君が上がっていったという目撃証言があったため、工藤加寿子は重要参考人として事情聴取を受けています。工藤加寿子は「隣の家と間違っていたようだからそう教えた」と供述していまいた。

城丸秀徳君は隣の家を訪ねていないことから、工藤加寿子の話は辻褄が合わないと疑問視されていました。しかしこの時点では有力な手掛かりは得られず、城丸秀徳君の行方は依然として不明のままでした。

工藤加寿子宅より遺骨発見

事件解決の足掛かりをつかんだのは、城丸秀徳君が行方不明になってから2年以上経過した1988年のことです。工藤加寿子が1987年まで住んでいた民家の納屋から遺骨が発見されたのです。これにより工藤加寿子は再度事情聴取を受けます。

ポリグラフ(うそ発見器)は大きな反応を示し、犯行をほのめかすような供述があったにも関わらず、この時も証拠不十分でそれ以上の追及はできない状況でした。この当時の技術では遺骨からのDNA鑑定が難しく、見つかった骨が城丸秀徳君のものであると断定できなかったのです。

時効寸前に工藤加寿子が逮捕

事件が大きく動いたのは、遺骨が発見されてから10年経った1998年のことです。DNA鑑定の結果、発見された遺骨は城丸秀徳君のものであると判明したのです。工藤加寿子は殺人容疑で逮捕されました。時効成立の1カ月前のことであり、警察による執念の逮捕でした。しかし、すでに傷害致死、死体遺棄、死体損壊については時効が成立していました。

工藤加寿子に隠された事実【城丸君事件】

当時9歳の城丸秀徳君を殺害したとみられている工藤加寿子ですが、一体どういう人物なのでしょうか。実は彼女が起こした事件は城丸君事件だけではなかったようなのです。工藤加寿子について紹介します。

①工藤加寿子の借金

工藤加寿子は東京で結婚して一児をもうけますが、その結婚生活は1年という短いものでした。離婚後は北海道札幌市へ移り、城丸秀徳君が行方不明になる3カ月前までは当時2歳の娘を育てながら高級クラブのホステスとして働いていました。この時住んでいたアパートは、城丸家からわずか100mの距離でした。

城丸秀徳君の父親は会社社長をしており、城丸家は地元では有名は資産家でした。反対に、この当時工藤加寿子は1000万円近くの借金を抱えていました。即刻の返済を迫られている金額も多かったようです。工藤加寿子は城丸秀徳君が行方不明になってすぐに別のアパートに引っ越し、さらに生活保護の申請もしています。

②火災による保険金殺人?

城丸秀徳君が行方不明になってから2年後、工藤加寿子はお見合いによって再婚します。相手は札幌から90㎞ほど離れた新十津川町で農業を営む和歌寿美雄さんでした。しかし。結婚した翌年末に、工藤加寿子と娘、そして夫の和歌寿美雄さんが暮らしていた自宅が火災に遭い、夫が焼死します。

真夜中の火災だったにもかかわらず、工藤加寿子は娘を連れて、預金通帳や保険証書を全て持ち出して隣家へ逃げていました。夫には1億9000万円もの生命保険が掛けられていたため、保険金殺人の疑いがかけられました。

農業を全く手伝わず家事もせずにパチンコ生活を送る工藤加寿子に対しての周囲の評判は悪く、和歌寿美雄さん自身も殺されるかもしれないという不安を漏らしていたそうです。保険会社も保険金の支払いを拒否しました。

しかし、出火原因が特定できないといった理由から、工藤加寿子は立件されていません。城丸秀徳君が行方不明になった時と同様、証拠が揃わないために警察は何もできなかったのです。そして、この2年後に焼け残った納屋から遺骨が発見されたのです。

工藤加寿子につきまとう疑惑【城丸君事件】

工藤加寿子は城丸秀徳君が行方不明になった直後から、城丸君事件に関係があるのではないかと疑われていました。明確な証拠がないにも関わらず、工藤加寿子が疑われたにはどういった理由があるからなのでしょうか。工藤加寿子につきまとう疑惑について紹介します。

①城丸君との接点

不審な人物から電話を受けて家を出た城丸秀徳君を追いかけた兄が弟の姿を見失ったのは、工藤加寿子が住んでいたアパートのすぐ近くでした。このアパートは城丸家からわずか100mしか離れていませんでした。そして城丸秀徳君と工藤加寿子にはそれ以前から面識があったようです。

また、近くに住む小学生が、城丸秀徳君がそのアパートの階段を上っていくところを目撃していました。さらにその夜、工藤加寿子が大きな段ボール箱を持って家を出る姿も目撃されていました。

②「ワタナベ」という誘い文句

城丸秀徳君は「ワタナベ」と名乗る人物から電話で呼び出され、その「ワタナベ」を訪ねていったまま行方不明になりました。この「ワタナベ」という人物が城丸君事件に関わっていることを知っているのは、城丸秀徳君の家族と犯人だけとみられています。

しかし、城丸秀徳君が行方不明になった直後に捜査に現れた警察官に対して工藤加寿子は「ワタナベさんの家を訪ねてきたようだから、隣の家がワタナベさんだと教えてあげた」と説明していたのです。

つまり工藤加寿子は、まだ城丸君事件について何も報道されていない段階で、犯人が城丸秀徳君を呼び出すときに使った「ワタナベ」という名前を知っていたのです。この点は、後の裁判の際にも重要な争点となりました。

③城丸君の供養をしていた?

工藤加寿子には娘が1人いますが、城丸君事件後には男児用の学習机やベッドカバーを購入していた形跡があります。また、毎日仏壇に手を合わせていたという証言もあり、城丸秀徳君の供養をしていたのではないかとみられていました。

城丸君事件の裁判とその後

DNA鑑定の結果、発見された人骨が城丸秀徳君のものと判明しました。工藤加寿子は逮捕され裁判が始まりますが、その裁判では工藤加寿子の行動が問題視されました。さらに、世間の想像を超えるような判決が下されたのです。工藤加寿子の裁判について解説します。

黙秘権を濫用する

城丸君事件の容疑者であった工藤加寿子は、公判の場で起訴事実を否認した後は「お答えすることはありません」の一点張りで、黙秘権の行使を続けました。取り調べの段階では、事件についての関与をほのめかすような供述をしていたようですが、裁判では検察側から繰り出される質問に一度も答えることがありませんでした。

黙秘権は容疑者にとって大事な権利ですが、犯人の黙秘が原因で事件の真相を解明できなくなってしまうという難点もあります。工藤加寿子には黙秘権を濫用して真実を隠そうとしたのではないかという疑惑は消えませんでした。

殺人認定ができず無罪判決

2001年5月、札幌地裁は驚くような判決を下しました。城丸君事件で無期懲役を求刑されていた工藤加寿子を無罪としたのです。この理由は、城丸秀徳君の死因や工藤加寿子の殺意を特定できなかったことが大きな理由でした。

城丸君事件に工藤加寿子が関与している可能性は非常に高いものの、死因が特定できないと殺人と断定することができないと裁判所が判断したのです。過失致死の可能性もあり、その場合はすでに時効が成立しているから罪に問えないという判決でした。

工藤加寿子が黙秘をせずに、殺意をほのめかすような証言を少しでもしていたら、このような判決にはならなったでしょう。さらに驚くことに、この無罪判決のあと、工藤加寿子は拘束されていたことや弁護士費用などへ対する刑事賠償請求をします。これにより工藤加寿子は930万円の補償金を受け取っているのです。

遺族の悲痛なコメント

工藤加寿子の無罪判決を受けて、城丸秀徳君の遺族は「黙秘権を悪用せずに、事実を話して欲しかった。被害者として納得がいかない」と悲痛なコメントを残しています。また、殺意の有無が裁判の争点になったことに対して「法曹家同士の言葉遊びのようだ。人の命の重みが重視されていない」と、司法に対しても批判を表明していました。

黙秘権によって限りなく犯人に近い人物は世に放たれた

城丸君事件について、犯人として最も疑わしい人物として逮捕、検挙された工藤加寿子に関する疑惑を中心に紹介してきました。限りなく犯人に近い人物であることは間違いないと推定されていたにも関わらず、決定的な証拠は見つからないままでした。

また、この城丸君事件でなによりも問題視されたのは、被告人であった工藤加寿子が沈黙を貫いたことです。疑わしきは罰せず、という言葉が実際に行使された事件でした。しかし一方では、黙秘権を行使すれば誰でも無罪になってしまうのではないのかという懸念も残すこととなりました。

現在の技術はこの当時より大幅に発展しているため、同様の事件が起きた場合も早い段階で犯人を特定できると言われています。そして、子供の命が奪われるのはとても嘆かわしいことです。今後、城丸君事件のような事件が起きないことが望まれます。

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この記事のライター
annacocoa
未経験ですが頑張ります。

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