八甲田山雪中行軍遭難事件とは!遭難事故の原因や生存者は【写真】

映画にもなったことで有名な、八甲田山雪中行軍遭難事件とはどのような遭難事故だったのでしょうか。今回は、美しい八甲田山で起きた痛ましい事故について、遭難に至った原因や、生存者が助かったことにはルートの違いや凍傷への知識があったという背景などについてまとめました。

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目次

  1. 1八甲田山とは
  2. 2八甲田山雪中行軍遭難事件とは
  3. 3八甲田山雪中行軍遭難事件が起きた原因
  4. 4八甲田山雪中行軍遭難事件の生存者
  5. 5八甲田山雪中行軍遭難事件を題材にした映画
  6. 6遭難事故の生死を分けるのは十分な知識

八甲田山とは

かつて八甲田山雪中行軍遭難事件が起きた舞台、八甲田山とはどのような場所なのでしょうか。まずは八甲田山の地理的な情報について見ていきます。

青森にある火山群の総称

八甲田山は青森県のほぼ中央に位置する、複数の山から成る火山群の総称です。日本百名山のひとつともなっています。約20㎞南には十和田湖があり、周辺は世界でも有数の豪雪地帯です。八甲田山を構成する山々は、北八甲田火山群と南八甲田火山群に分かれています。標高は1,584と全国的に見てもさほど高くありません。

八甲田山はカルデアを有する火山群で、調査されているだけでも過去に2回巨大噴火が起きたと言われています。現在は火山活動はおだやかになっていますが、近年でも時々火山性ガスの発生が起きています。八甲田山付近では火山に由来した温泉も数多く存在しています。酸ヶ湯温泉や谷地温泉、猿倉温泉などが有名なレジャースポットともなっています。

八甲田山という山はない

八甲田山という名称はいくつもの山から成る火山群の総称であって、実は「八甲田山」という名前の山は存在しません。八甲田山を構成する山の中には、大岳、赤倉岳、櫛ヶ峯、猿倉岳などがあります。スキー場を有する山もあれば、登山やハイキングのために整備された山もあります。

また八甲田山にはたくさんの高地湿原が存在しており、美しい景観を作り出しています。湿原地帯には数々の高山植物が生息しており、散策しながら珍しい花々や緑を観察できます。このように八甲田山は、様々な特徴や顔を持つたくさんの山々の集合体なのです。

八甲田山雪中行軍遭難事件とは

そのような四季折々の美しい自然が見られる八甲田山で、過去に世界最大規模と言われる遭難事故が起きてしまいました。いったいどのような事故だったのでしょうか。これから八甲田山雪中行軍遭難事件の概要についてご紹介していきます。

日本陸軍の遭難事件

八甲田山雪中行軍遭難事件とは、1902年(明治35年)1月に日本陸軍が冬季訓練で青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で起きた遭難事故です。参加部隊は青森歩兵第5連隊と弘前歩兵第31連隊の2グループでした。青森歩兵第5連隊は1月23日から、弘前歩兵第31連隊は1月20日から出発しており、それぞれ違う経路を行軍しています。

青森隊と弘前隊は一緒に訓練を行っていたわけではなく、お互い知らずに行軍予定を立てていたようです。偶然同じ時期に同じ八甲田山で冬季訓練が行われていただけだったのです。

世界最大級の山岳遭難事故

八甲田山雪中行軍遭難事件は、近代の登山史でも世界最大規模の山岳遭難事故と言われています。日本陸軍の冬季軍事訓練においても、過去最も多くの死傷者を出した痛ましい遭難事故です。その死亡人数は、訓練への参加者210名中199名という悲惨な数でした。そのうち6名は悲しいことに救出後に亡くなっています。

 

耐え難い極寒状態での訓練

そもそもなぜ日本陸軍はこのような悲惨な遭難事故に至るような、厳しい環境での訓練を実施したのでしょうか。それには1894年(明治27年)の日清戦争が関係しているようです。日清戦争では当時まだ冬季装備と極寒地での防寒方法を身に着けていなかった日本陸軍は、冬季決戦でかなりの苦戦を強いられました。

そのため多くの兵士が凍傷を患い、結果的にかなりの戦力低下を招いてしまったのです。そうした教訓を踏まえ、さらなる厳寒地での戦闘となる対ロシア戦に向けた準備として、この八甲田山雪中行軍訓練が実施されることになりました。ちなみに青森隊の行軍は片道20㎞を1泊2日、弘前隊は総延長224㎞を11泊12日の演習を予定していたようです。

八甲田山雪中行軍遭難事件が起きた原因

世界最大級の遭難事故として知られる八甲田山雪中行軍遭難事件は、いったいなぜ起きてしまったのでしょうか。大勢の犠牲者を出すことになってしまった原因について見ていきます。

原因①想像し得なかった気象条件

八甲田山で悲惨な遭難事故が起きた原因にはまず、想定外の気象条件が関係しています。急な天候悪化は隊が出発して間もなく、昼食を摂るために休憩していた時に起きました。天候が急変し、暴風雪の兆しがあらわれたのです。この際に駐屯地へ帰営することについて協議もなされましたが、一部の士官や伍長の反対により行軍を続行することになります。

実は出発の際に地元住民はすでに天候悪化の兆しに気づき、行軍を中止するよう助言していたようです。さらにどうしても行くなら案内役をするとの申し出もあったようですが、将校たちはこれを断り行軍を強行したのです。そうした経緯もあり隊の進退を拒んだのかもしれませんが、自然の力の偉大さを深く考えていなかったようです。

ちなみに遭難時の気象条件は、未曽有のシベリア寒気団が日本列島を覆っており、各地で日本の観測史上最低気温が記録されたという最悪の状況でした。

原因②八甲田山の事前調査不足

さらに、八甲田山雪中行軍遭難事故の原因として考えられるのは、八甲田山の事前調査不足とも言われています。そもそも青森隊の指揮を任されることになった神成大尉は、行軍実施直前の約3週間前に任命を受けたと言います。そのため何の予備知識もないまま準備作業に入ったようです。

参加した将校の半分は雪国出身ではなく、凍傷や雪山の天候についての知識も乏しかったと思われます。そして、そんな状態で行われた予行演習は晴天下で行われたこともあり、極寒での登山におけるリスクの予測も十分にされていなかったようです。前日には壮行会として深夜まで宴会していたとのことですから、過酷な行軍という認識が薄かったと言えます。

原因③無謀すぎる装備

そのように、指揮官の事前調査が不足していたこと凍傷への知識も足りなかったため、厳寒地に対応するにはあまりにも無防備な装備で行軍に臨んだようです。下士兵の装備に至っては、毛糸の外套2着に、フェルト地の軍帽、小倉生地の普通軍服、軍手、短脚型軍靴という、とても冬山の登山に行くような防寒着ではありませんでした。

生還者の証言によれば、誰も予備の手袋や靴下を用意しておらず、濡れてもそのままなので凍結が発生して凍傷になってしまいました。結果体力や体温も奪われ命を落とした人が多く出たのです。

原因④青森隊の指揮系統麻痺

大規模な遭難事故に至った原因には、青森隊の指揮系統の混乱があったことも指摘されています。青森隊の指揮官は神成大尉ですが、加えて山口少佐と数名の大尉や士官、伍長が同行していたようです。参加者の証言によると、山口少佐が神成大尉に断りなく勝手に指示を出していたとのことです。

山口少佐は最終的な責任者として指揮をとろうとしたのかもしれませんが、神成大尉との間で意思疎通がうまく図れておらず、結果的に指揮系統は麻痺状態に陥ってしまったようです。生死にかかわる状況下では、明確な指揮がないことは命取りになることがよくわかります。

八甲田山雪中行軍遭難事件の生存者

大勢の死傷者を出した八甲田山雪中行軍遭難事故ですが、世界最悪の遭難事故と言われる中、無事に生還を果たした生存者もいました。過酷な状況の中で何が生存者を助けたのか、また生還後の生存者の様子について見ていきます。

ルートが異なる弘前隊の生存者

実は八甲田山雪中行軍遭難事故が起きた際に行軍演習を行っていたもうひとつのグループ、弘前隊は参加者38名が全員無事に生還を果たしています。弘前隊は青森隊とは違うルートを行軍しましたが、同じように激しい風雪に見舞われました。全員生還を果たせたのにはいくつか理由があるようです。

まず、ほぼ全行程で地元の案内人を立てたこと、部隊を率いていた福島大尉が寒冷地での行軍経験があり、雪中行軍のための様々な準備がなされていたこと、参加者には地元青森出身者が多く八甲田山の気象についての認識もあったこと、部隊が少人数で最後まで統率が保たれたことが挙げられます。

生存者は英雄扱い

八甲田山雪中行軍遭難事故において生存者として生還を果たした人たちは、世間から注目を浴びたちまちヒーローであるかのように扱われました。しかし、本人たちは想像を絶する過酷な経験から心に傷を負い、犠牲になった仲間を助けられなったことで自分を責める気持ちにその後何年も間苦悩しました。

凍傷で手足を失った生存者たち

八甲田山雪中行軍遭難事故の生存者の多くは、無事に生還を果たしたものの、凍傷のために手足の切断を余儀なくされました。その後も不自由な生活や凍傷の後遺症に悩まされることにもなりました。

八甲田山雪中行軍遭難事件を題材にした映画

過去最悪の遭難事故として世界からも注目された八甲田山雪中行軍遭難事故は、その後映画にもなったことで知られています。

映画『八甲田山』

映画『八甲田山』は、高倉健、北大路欣也をはじめ豪華キャストが出演して、実際に真冬の八甲田山で過酷なロケを行ったことで話題になりました。俳優たちもあまりの極寒に実際凍傷になっていたようです。

映画『ドキュメンタリー八甲田山』

映画『ドキュメンタリー八甲田山』は2014年に公開された、日本とイタリアの合作映画です。こちらも実際に八甲田山で、しかも当時の遭難現場で遭難の同日同時刻で撮影されました。

遭難事故の生死を分けるのは十分な知識

八甲田山雪中行軍遭難事故について調べると、生死の明暗を分けるのは十分な知識があるかどうかであることがわかります。多くの犠牲者を出した青森隊と全員生還を果たした弘前隊は、この点でまさに対照的でした。自然の力は自分たちではどうにもできませんが、事前にあらゆる状況に備えて知識を身に着け準備しておくことはできます。

実際同じ時に同じ状況に置かれた二つのグループの明暗を分けたのはルートだけでなく、そうした認識と心構えだったことでしょう。犠牲になったたくさんの人のためにも、この事故から教訓を得て、二度とこのような事故が起きないことを願います。

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この記事のライター
Shibata Ayuko

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