2019年11月13日更新
小暮洋史の生い立ちから現在!家族や目撃情報は【群馬一家3人殺害事件】
群馬一家3人殺害事件事件の容疑者である小暮洋史は今現在も目撃情報を求めて指名手配中です。群馬一家3人殺害事件を起こした容疑者小暮洋史の生い立ちや目撃情報死亡説、被害者などについて調べました。小暮洋史の家族が死亡した被害者の家族の現在についてもまとめました。

小暮洋史とは
1969年7月生まれの小暮洋史は身長約170㎝のやせ型の体型をしており、現在49歳のようです。群馬一家3人殺害事件の容疑者であり、現在も指名手配中の小暮洋史容疑者とはどんな人物なのでしょうか。小暮洋史容疑者の起こした群馬一家3人殺害事件や生い立ちなどまとめました。
群馬一家3人殺害事件の容疑者
小暮洋史容疑者は群馬一家3人殺害事件の犯人です。群馬一家3人殺害事件とは1998年1月14日に群馬県群馬町、現在の高崎市で、ある家族3人が何者かによって殺害された殺人事件です。当時、電気工事業を経営していた男性(48歳)とその妻(48歳)、そして男性の母親(84歳)の3人が小暮洋史容疑者に殺害され死亡しました。
群馬一家3人殺害事件当日、小暮洋史容疑者は被害者宅を訪れ夫婦の胸や背中を刺殺しその後、男性の母親の首を絞めて殺害しました。小暮洋史容疑者は殺害した後、男性とその妻の遺体を浴室、男性の母親の遺体を階段下に隠しました。そして長女が帰宅するまで小暮洋史容疑者は居座り続けたと言われています。
小暮洋史容疑者が犯行した約2時間後の午後9時頃、長女が自宅に帰宅してきました。小暮洋史容疑者は男性の母親が殺害された部屋に監禁されました。その後長女はなんとか小暮洋史容疑者を説得することができ、殺害を免れることができました。この時の小暮洋史容疑者と長女のやり取りは公にされていません。
その後の午後10時40分頃、小暮洋史容疑者は長女を残し家を出て、愛車で現場から逃走しました。
現在も指名手配中
容疑者である小暮洋史は今現在も逮捕されておらず、逃走中です。この小暮洋史容疑者が起こした群馬一家3人殺害事件は、2007年11月1日に捜査特別報奨金制度の対象事件として告示されました。当時、100万円の懸賞金がつけられましたがその後、2010年には報奨金額が300万円へと増額され情報提供を呼びかけました。
群馬県警は今現在も小暮洋史容疑者を重要指名手配犯として、全国に情報提供を呼びかけています。また群馬県警は、群馬一家3人殺害事件から21年が経過した2019年1月14日に再度、情報提供を全国に求めました。そのため群馬県警は、JR高崎駅で小暮洋史容疑者についての目撃情報を求めるティッシュやチラシを配布しました。
群馬一家3人殺害事件の発生後、群馬県警には2018年12月末現在で1817件の目撃情報が寄せられたことを公表しました。しかし未だに有力な手掛かりには繋がらず、21年以上たった今でも小暮洋史容疑者の行方は掴めていません。
小暮洋史の生い立ち
群馬一家3人殺害事件で家族3人を殺害した小暮洋史容疑者の生い立ちはどんなものだったのでしょうか。残虐な事件を起こした指名手配犯、小暮洋史容疑者の生い立ちと事件前の生活ぶりを調べました。
内気だった学生時代
群馬一家3人殺害事件を起こした小暮洋史容疑者の生い立ちですが、学校で友達ができないなど内向的な内気な性格だったと言われています。また、小暮洋史容疑者は手のにおいを嗅ぐ癖や爪を噛むなどの特徴的な癖があったとの証言も上がりました。
小暮洋史容疑者の生い立ちや小暮洋史容疑者の家族について調べましたが、あまり情報が出てきませんでした。分かったことは小暮洋史容疑者の両親の年齢は、70代~80代だろうと言われていることだけでした。
事件前はトラック運転手
小暮洋史容疑者は群馬一家3人殺害事件を起こす前、トラック運転手として運送会社に務めていたことが判明しました。しかし、事件を起こす直前に突然辞表を突き付け会社を辞めていたことが明らかになっています。小暮洋史容疑者の勤務態度に問題はなく、社内でのトラブルなどはなかったと言われています。
トラブルなどはなかった小暮洋史容疑者ですが、人付き合いが苦手だったようで同僚の証言では自己中心的な一面があったなど評判はあまり良くなかったようです。
2年に及ぶストーカー行為も
小暮洋史容疑者はストーカー行為を行っていたことも判明しました。小暮洋史容疑者がストーカー行為を行っていたのは被害者の長女でした。群馬県警が捜査したところによると、小暮洋史容疑者は以前から被害者男性の長女に一方的な好意を持っていたことが明らかになっています。
小暮洋史容疑者は女性に頻繁に電話をかけたり車でつけまわしたりするなど、2年以上にも渡りストーカー行為を繰り返していたそうです。また、小暮洋史容疑者は被害者の自宅に何度も訪れるなど執拗に接触を試みていたようで、被害者の男性と揉めていたことも判明しました。
このストーカー行為が小暮洋史容疑者であると断定されたため、群馬県警は群馬一家3人殺害事件の指名手配犯として全国に目撃情報を求めるなど捜査協力を求めました。
群馬一家3人殺害事件の被害者の家族は?
事件発生から20年以上の時が過ぎました。群馬一家3人殺害事件で死亡した被害者の家族は今現在何をしているでしょうか。未だ犯人逮捕を願う被害者家族の現在について調べました。
時効撤廃を求める団体「宙の会」での活動
現在、群馬一家3人殺害事件の被害者家族は通称「宙の会」と呼ばれる「殺人事件被害者遺族の会」で活動を行っています。通称「宙の会」は、事件発生から一定期間経つと容疑者が現れても起訴できないなどの公訴時効制度の撤廃そして停止を求めています。
2018年に小暮洋史を相手に民事提訴
被害者家族は2018年に小暮洋史容疑者を相手に民事提訴をしました。被害者家族は今現在も、指名手配犯として逃走している小暮洋史容疑者に約1億370万円の損害賠償を求めています。群馬県の前橋地裁高崎支部にて、10月4日に第1回口頭弁論が開かれました。
小暮洋史の目撃情報や現在とは
指名手配犯として今なお逃走中の小暮洋史容疑者の目撃情報や、今現在の状況はどうなっているのでしょうか。小暮洋史容疑者の目撃情報や死亡説について調べました。
有力な目撃情報はない
小暮洋史容疑者を1月21日深夜に目撃したとの情報がありました。群馬一家3人殺害事件の犯行後、小暮洋史容疑者の愛車、日産シルビア(群馬33も8670)が目撃されています。愛車のカラーはブラックでした。
小暮洋史容疑者の愛車は群馬県太田市や埼玉県熊谷市周辺で目撃されましたが、それ以降小暮洋史容疑者の足取りは残念ながら掴めていません。小暮洋史容疑者名義の銀行口座などには一切手を付けた様子がなく、小暮洋史容疑者の身柄だけでなく逃走に使われた愛車さえも未だに見つかっていません。
死亡説もささやかれている
小暮洋史容疑者が犯行に及ぶ前に会社の同僚に「警察に見つからずに死ぬ方法がある」などと話していたとの証言がありました。その他にも小暮洋史容疑者の銀行口座に動きが無く、生活している様子がないことも明らかになっています。
そのことから小暮洋史容疑者は犯行後自殺したのではないか、既に死亡しているのではないかとも言われています。群馬県警は当時、小暮洋史容疑者が逃走した車両ごと自殺を図ったのではという可能性も視野に入れ、群馬県内外の湖や沼など約20個所を捜索しました。しかし、小暮洋史容疑者や逃走に使用した車両は見つかりませんでした。
小暮洋史に1億円の賠償命令
2018年11月7日に被害者家族は小暮洋史容疑者に対して裁判を起こしていることが分りました。被害者家族は指名手配犯である小暮洋史容疑者に対し、約1億370万円の損害賠償を求めて裁判を起こしました。遺族自身への慰謝料の他に、相続した損害賠償請求権などの分を加え、約1億370万円の支払いを小暮洋史容疑者に求めました。
通常、事件発生から20年で損害賠償請求権は時効になります。しかし、群馬一家3人殺害事件の損害賠償請求権が時効となる直前の昨年1月に、被害者家族が賠償請求の通知を出していました。被害者家族の出した賠償請求の通知は、小暮洋史容疑者に届くことはありませんでした。
しかし被害者家族は小暮洋史容疑者の記録上、最後の住所宛てに賠償請求の通知を出しており、岩坪朗彦裁判長(脇由紀裁判長代読)は請求権は消滅していないと判断しました。
小暮洋史容疑者の判決が確定したとしても、被害者家族が小暮洋史容疑者から約1億370万円の支払いを受けるのは難しいとみられています。しかし被害者家族の弁護士は被害者家族の方は、小暮洋史容疑者に何らかの法的責任を取らせたいと思っており、その思いで提訴したと説明しました。
被害者遺族の無念が晴れる日がくるのか
被害者家族は小暮洋史容疑者が正当な裁きを受ける日が来るまで被害者である両親や祖母の安らかな永眠を信じることはできないと語っています。一刻も早い小暮洋史容疑者の逮捕が望まれます。
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