ライブドア事件の真相とは!概要やホリエモン逮捕・野口英昭の死因は

記憶に新しいライブドア事件。ライブドア社を中心とする粉飾事件の真相に迫ります。ホリエモンこと堀江貴文社長や幹部たちは逮捕され、元幹部の野口英昭の死因には様々な噂もあります。ライブドア事件とは何だったのでしょうか。判決の内容や問題点など、わかりやすく解説します。

ライブドア事件の真相とは!概要やホリエモン逮捕・野口英昭の死因はのイメージ

目次

  1. 1ライブドア事件の概要
  2. 2ライブドア事件を起こしたライブドア社とは
  3. 3堀江貴文(ホリエモン)について
  4. 4堀江貴文(ホリエモン)の逮捕歴
  5. 5ライブドア事件のキーマン野口英昭の死因は
  6. 6ライブドア事件の真相をわかりやすく解説
  7. 7ライブドア事件の問題点
  8. 8ライブドア事件の黒幕は未だにわかっていない

ライブドア事件の概要

ライブドア社は、2004年9月期の連結決算(2003年10月1日から2004年9月30日までの会計年度)において、有価証券報告書に虚偽の記載をしたことが問題視されました。法人としてのライブドアおよびライブドアマーケティングの2社に加え、同社の経営陣5名、公認会計士2人の合計7人が起訴されたのです。

この一連の事件をライブドア事件と呼んでいます。家宅捜索の直後に元幹部が不審死したこともあり、メディアでも大きな注目を集めました。ライブドア事件は全ての問題が解明されたとは言えません。元幹部・野口英昭の死因はいまだ多くの謎に包まれています。

ホリエモンが他の関係者と証券取引に違反した

ライブドア社といえば、創業経営者であるホリエモンこと堀江貴文が有名です。

今回のライブドア事件でクローズアップされた問題点は、多くの企業買収を進める過程で不透明な処理が行われていたことでした。罪状は証券取引法違反の容疑ですが、具体的には「偽計と風説の流布」「有価証券報告書虚偽記載」という2つの罪で起訴されています。この罪については、後ほどわかりやすく説明します。

逮捕・起訴され有罪に

東京地検の強制捜査が入ったのは2006年1月16日のことでした。1月23日には1つ目の罪である「風説の流布、偽計取引」の容疑で逮捕され、2月22日には2つ目の罪である「有価証券報告書の虚偽記載」の容疑で再逮捕されています。

ライブドア事件は裁判の結果、ホリエモンを始めとする合計7人と2つの法人すべてに有罪が確定しています。全ての判決が終結してはいるものの、元幹部でライブドア事件のキーマンとされる野口英昭は家宅捜索直後に謎の死を遂げています。その死因は明らかになっておらず、ライブドア事件のひとつの問題点として残されています。

法人としてライブドアも証券取引違反で有罪に

ライブドア事件では関連した役員5人だけにとどまらず、グループ本体であるライブドア社、およびグループの中核マーケティング戦略会社であるライブドアマーケティング(旧バリュークリックジャパン)も有罪とされました。

企業買収に関する不適切な処理が問題とされましたが、判決ではライブドア社には罰金として2億8千万円が、また子会社であるライブドアマーケティングには4000万円の罰金が課される結果となりました。

他の6人は罪を認めたがホリエモンは認めなかった

ライブドア事件で逮捕された7人のうち、最後まで罪を認めなかったのがホリエモンです。収監されましたが、2013年に仮釈放され同11月には刑期満了を迎えます。ホリエモンの右腕とされた取締役で最高財務責任者だった宮内亮治は、実刑判決に対して上告をしたものの2009年1月には取り下げることになり、懲役1年2か月の実刑が確定しました。

その他の経営陣である岡本文人は懲役1年6ヶ月執行猶予3年、熊谷史人は懲役1年執行猶予3年、中村長也は懲役1年6ヶ月執行猶予3年の刑という結果になりました。公認会計士の久野太辰と小林元は懲役1年、執行猶予4年となりましたが久野太辰の当初の地裁判決は懲役10ヶ月の実刑でした。公認会計士制度上初めての実刑判決とされ、業界に衝撃を与えました。

現在も真相は不明

しかしライブドア事件の真相は充分に明らかになったとは言えず、問題点は山積しています。ライブドア事件のカギを握る人物とされるライブドアファイナンス元社長の野口英昭は、ライブドアに強制捜査が入ったわずか2日後に沖縄のカプセルホテルで自殺をしています。その死因をめぐっては不審な点も多く、他殺説も根強く残っています。

また、早々に上告を取り下げて検察側の協力に回った宮内亮治も「判決内容には不満だが、早期の社会復帰を優先させたい」と語っています。熊谷史人も「取り下げ理由は言えない」とするなど、語りたいけど語れないという部分もありそうです。調べてみると、ライブドア事件について口をつぐんだままの関係者は少なくないようです。

ライブドア事件は複雑で、わかりやすく説明しようとしても困難が伴います。その理由は、使われた企業買収の取引スキームが複雑だからという点だけではありません。いまだに真相が謎とされる点も多く、野口英昭の不審死に関する死因もふくめ、ライブドア事件の真相にはあまりにも謎が多いということが影響しています。

ライブドア事件を起こしたライブドア社とは

「ライブドア」という名前の会社を設立したのは堀江貴文ではありません。堀江貴文が設立した会社は「オン・ザ・エッヂ」という会社です。「オン・ザ・エッヂ」はどのような経緯で「ライブドア」になったのでしょうか。現在も存在する「ライブドア」というサービスは誰が運営しているのでしょうか。

複雑でわかりにくいライブドア社について、いくつかのステージに分けてわかりやすく解説します。

2004年まで無料プロパイダー事業会社

最初にライブドアという社名で会社をスタートさせたのは前刀禎明という人物です。1999年に設立された無料インターネットサービスプロバイダ(ISP)の会社でした。ユーザーに広告の閲覧を義務付けるかわり、インターネット接続を無料で提供するというサービスです。

この時点のライブドア社には堀江貴文との関係はありません。またライブドア事件とも関わりがありません。

このサービスは専用のブラウザを使って閲覧する方式でしたが、ソフトやOSのバージョンアップの度に技術的な対応をしなければいけないという大きな問題点がありました。そこで路線を変更し、ダイヤルアップ接続から発生する通話料の一部をキックバックで受け取るというモデルに転換します。

しかし2001年頃から普及を始めたブロードバンド接続に対抗できず、ビジネスモデルが崩壊、2002年には民事再生法の適用を申請することになります。そして事業の引受先を模索することになりました。

その結果、ライブドア社の無料ISP事業とポータルサイト、そしてライブドアというブランド名を譲り受けたのが堀江貴文です。1996年創業のインターネット会社、オン・ザ・エッヂが引き受けることに決まります。譲り受けた無料接続サービスは、その後2005年6月まで運営を続けることになります。

「エッジ」から「ライブドア」に変更

2003年に入ると堀江貴文が率いるオン・ザ・エッヂは、メインとなる事業をポータルサイト「ライブドア」へ移し始めます。同時に「エッジ株式会社」へ商号変更し、翌2004年2月には無料ISPのサービス名である「ライブドア」を社名に採用します。

この無料ISPサービスは、以前から大規模な広告展開をしていたことで知られており、ライブドアというサービス名は知名度の高い存在でした。堀江貴文はそこに目をつけます。わかりやすく言えば、知名度の高いサービス名を社名とすることで、お金でブランドを買ったということになります。こうして堀江貴文率いる「ライブドア」がスタートするのです。

インターネット通信事業・金融会社になる

すでに急成長ベンチャーとして知られ、ベンチャーばかりでなくイーバンク銀行との資本提携を決めるなど、着実な成長をとげていた同社ですが、ライブドアの社名変更でさらに存在感を上げていきます。社名変更をした2004年を見ると、日本グローバル証券の買収で金融界にも進出し、上場企業であったバリュークリックジャパンのTOBにも成功します。

また、ターボリナックス、キューズネット、会計ソフトの弥生などの買収を行いながら、Skypeからラインセンスを受けて「livedoor Skype」を発売したり、プロ野球球団大阪近鉄バファローズを買収したいとの意思を表明したりするなど、堀江貴文率いるライブドアは、ますますの成長路線を走ることとなります。

2005年に入ると、西京銀行との提携によるインターネット専業銀行、西京ライブドア銀行(仮称)を設立する方針を出します。「ニッポン放送」の発行済み株式の35%を取得したことが話題になったのもこの時期でした。あまりに野心丸出しの成長姿勢は、若い世代が経営するベンチャー企業の問題点とも指摘されるようになります。

自動車買取のジャック・ホールディングスや、カタログ通販のセシールといった上場企業を矢継ぎ早に連結子会社化し、2005年末には経団連への入会も承認されます。

まさに破竹の勢いでしたが、翌2006年1月には、突然の強制捜査の日を迎えることになります。ライブドア事件の始まりです。元幹部が死因不明の不審死を遂げたことも含め、当時の人々には想像を絶するような事態でした。

現在はLINEポータルサイト・ブログのブランド名

2006年のライブドア事件の後は事業の整理が始まります。2007年には持株会社ライブドアホールディングスへ変更され、同時に事業会社としてのライブドア社が新規に設立されました。従来からの事業は同社が運営を担うことになります。

そして持株会社であるライブドアは、2008年にはLDHへと再度の社名変更が行われ、2011年には解散が決議されることになるのです。

2010年5月、事業会社としてのライブドア社の全株式が、韓国NHN社傘下のNHN Japanに譲渡されます。NHN Japanの子会社として展開することになった事業は、ポータルサイト「ライブドア」事業、データセンター事業、有料インターネット接続サービス事業の3つです。

このうち、ポータルサイト「ライブドア」事業はNHN Japan本体に吸収されることになります。これが現在のLINEです。なおデータセンター事業と有料インターネット接続サービス事業については、そのまま子会社として残り、データホテルという社名に変更になります。

社名としてのライブドアは、この段階で消滅します。しかし、サービスとしてのライブドアは、LINEが運営するポータルサイトとして生き残ることになりました。現在でも、ニュース記事としての「ライブドアニュース」や、日本最大のブログサービス「ライブドアブログ」などが有名です。

堀江貴文(ホリエモン)について

急成長ベンチャーの雄ともてはやされ、社会的にも大きく注目された堀江貴文ですが、どんな人物なのでしょうか。これだけの有名人なら風評が独り歩きしているということもあるものです。改めて調べ直してみました。わかりやすく解説してみます。

東京大学在学中にプログラマーのバイトを始める

数あるIT起業家の中で堀江貴文が目立っていたのは、エンジニア出身であるということでした。プログラムがわかる数少ない経営者であったのです。その始まりは中学生時代にさかのぼります。当時からPCが好きだったようで、通っていた学習塾の塾長から依頼されたデータ移植の仕事をこなしたという話があります。これが初めての報酬体験となったようです。

東大生時代もプログラマーとしてのバイトをこなし、毎月数十万円という収入を得ていたとの情報もあります。こうして獲得したエンジニアとしての体験が、将来のインターネットビジネスにおける「目利き」としての力になっただろうことは間違いありません。

在学中に会社を設立

堀江貴文は東京大学在学中の1996年に会社を設立します。それが有限会社オン・ザ・エッヂです。大学生4人が共同で立ち上げたようで、最初の資本金600万円はメンバーの1人、有馬晶子の父親からの資金援助だったとされています。

ウェブサイトの制作請負を手がけることになりますが、当時はちょうどインターネット関連ビジネスが始まるか始まらないかという時期でした。まだ競合がいない状況の中、ウェブサイトの制作ができる会社も多くなく、堀江貴文は次々に仕事を増やしていきます。

翌年会社は急成長

翌1997年になると、有限会社から株式会社へと組織変更を行います。インターネットが普及しはじめた黎明期であり、堀江貴文の会社は注目を集めました。一流企業からのサイト制作も仕事も増え、会社は急成長を続けます。小室哲哉やglobeなどのオフィシャルサイトの制作を担ったのもこの頃です。

当時、あまりに成長を追い求める堀江貴文の姿勢には、創業メンバーの一部からも疑問の声が上がっていたようでした。顧客のためにクオリティーの高い成果物を納品したいとするメンバーからすれば、過度に成長を第一とする考え方は方向性のズレであり、問題点として受け止める人がいても不思議ではありません。

それでも同社は成長を加速させ、2000年4月6日には東証マザーズに上場することになります。マザーズ上場銘柄としては7社目でした。

営業権を取得しライブドアの社長に就任

上場後、オン・ザ・エッヂはさらなる急成長を走ります。新たにインターネット広告事業やデータセンター事業にも参入します。堀江貴文には「企業買収」のイメージがつきものですが、上場翌年の2001年には1回目となる買収を行っています。レンタルサーバー会社のパイナップルサーバーサービスでした。

成長路線をひた走る堀江貴文は、さらに貪欲に成長を追い求めていきます。2002年には電子メールソフトで知られる「Eudora」日本語版の開発と販売をスタートし、ソフトウェアの代理店事業も始めます。

電子決済のビットキャッシュ、ソフトウェア販売のプロジーの買収も行い、年末になると当時有名だった無料接続サービス「ライブドア」の営業権を取得するに至ります。その翌年にはライブドアへと社名変更、「ライブドアの堀江貴文」の誕生でした。

ライブドア事件まで社長を務める

2006年1月の強制捜査にともなって、堀江貴文ほかライブドア役員たちは証券取引法違反(偽計、風説の流布)の疑いで東京地検に逮捕されます。その翌日には取締役会が招集され、代表取締役社長の代表権及び社長の異動が発表されました。その翌日には取締役も辞任し、判決を待つことなく「ライブドア社長、堀江貴文」は舞台を去ることになります。

当時の堀江貴文が何を思い、何を感じたのか、そして何が問題点だと考えていたのか。その真相は明らかではありません。強制捜査の直後に元幹部が自殺をし、死因も不明という異常な事態にいたっては、堀江貴文に大きな影響を与えたことでしょう。その後ライブドア株式は、2006年4月14日に上場廃止となります。

堀江貴文(ホリエモン)の逮捕歴

このように若くして活躍をしてきたライブドア社の堀江貴文ですが、ライブドア事件による突然の逮捕によってその華々しい人生に急転直下が訪れます。2つの容疑で逮捕されたのち、保釈をされて最終判決を迎えます。何が問題点となったのでしょうか。わかりやすく解説します。

ライブドア事件の実刑判決により収監され、刑務所生活を送ることになったホリエモンですが、刑期満了を迎えるまでにはどのような紆余曲折があったのか、その真相を探ってみることにしましょう。

2006年1月証取法違反容疑で逮捕

ライブドア社の堀江貴文は、2006年1月の強制捜査を発端にして、同月23日に証券取引法違反(風説の流布、偽計取引)容疑で東京地検により逮捕されます。ライブドア事件の始まりです。なお「風説の流布、偽計取引」については、後ほどわかりやすく説明します。

また、同じくライブドア社で財務を担当していた取締役、宮内亮治や、ライブドアマーケティングの社長を兼ねる取締役の岡本文人、金融子会社ライブドアファイナンスの社長であった中村長也が逮捕されることになりました。取締役会が開かれて、同社代表だった堀江貴文の代表権及び社長の異動が決定されます。

2006年2月他の証取法違反容疑で再逮捕

続いて2月になると、再び証券取引法違反で再逮捕されることになります。容疑は前回の「風説の流布、偽計取引」とは異なり、「有価証券報告書の虚偽記載」でした。この「有価証券報告書の虚偽記載」についても、また後ほどわかりやすく説明します。

1月に逮捕された役員たちだけでなく、堀江貴文に代わってライブドア社の代表取締役に就任したばかりの熊谷史人も逮捕されることになります。ライブドア社は再び代表取締役の異動を余儀なくされ、山崎徳之取締役が代表に就任することが発表になります。

2011年最高裁が上告を棄却し2年6ヶ月の実刑判決

2006年9月4日に開かれた東京地裁の初公判で、堀江貴文はライブドア事件の起訴事実を全面否定し無罪を主張します。検察側と全面対決する姿勢を見せ、その後11月28日まで合計26回の公判が行われました。

2007年1月26日に最終弁論を迎えますが、2007年3月16日の判決公判で、東京地裁は堀江貴文に判決を言い渡します。懲役2年6ヶ月(求刑懲役4年)という実刑判決でした。東京高裁に即日控訴し、2億円で再保釈されます。さらに2008年2月22日に東京高等裁判所で控訴審の初公判が行われますが、7月25日の判決で堀江貴文の控訴を棄却しました。

最高裁に即日上告し、堀江貴文は弁護士の変更を行います。ロス疑惑で三浦和義の弁護人を務めた弘中惇一郎が後任弁護士を担当することになりますが、堀江貴文の努力がかなうことはなく、2011年4月26日、最高裁は上告を棄却し、懲役2年6か月の実刑が確定しました。

2013年長野刑務所仮釈放

2011年6月、ホリエモンは東京拘置所に収監されることになります。この当時、自宅から検察庁に出張するまでの場面はニコニコ動画で生中継されました。6月30日になると「ながのなう」とツイートし、長野刑務所への移送が明らかになります。

ライブドア事件で収監中は、スタッフを通じて有料メルマガの発行や書籍の執筆などを勢力的にこなす一方、刑務所内では模倣犯を貫きました。2013年3月、刑期を26%残すかたちで仮釈放を迎えます。ホリエモン支持者が待ち望んでいた仮釈放でした。

2013年11月刑期満了

堀江貴文は、収監中もスタッフの助力を得ながら、有料メルマガの発行や書籍の執筆を続けてきました。その結果、有料メルマガの読者数は1位を維持し続けることができたようです。仮釈放を迎えた後も、その旺盛な執筆力や勢力的な活動が衰えることはありませんでした。

2013年11月10日には刑期満了を迎えます。このライブドア事件は堀江貴文にとって不本意な最終判決となりましたが、いよいよ表に戻れるという瞬間です。

ライブドア事件のキーマン野口英昭の死因は

東京地検による強制捜査の2日後、ライブドア事件のキーマンとされていた野口英昭が謎の死を遂げます。偽名を使って沖縄へ飛び、また異なる偽名でホテルに宿泊し、そのまま帰らぬ人となりました。自殺とされていますが、その不審な死は今でも謎を呼んでいます。本当の死因とは何だったのでしょうか。真相を追ってみます。

ライブドア事件のカギを握る人物

野口英昭はライブドア社の企業買収に深く関与し、ライブドア事件のキーマンと言われていました。前身である「オン・ザ・エッヂ」時代、野口英昭は同社の東証マザーズ上場に関わります。

その後、ライブドア子会社のキャピタリスタ(後のライブドアファイナンス)社長をつとめることになりますが、2002年6月に転職し、エイチ・エス証券副社長に就任します。転職後もライブドア社のさまざまな買収に関与したと言われています。

例えばライブドア社が企業買収に使った投資事業組合の一つ、「JMAMサルベージ1号投資事業組合」は、エイチ・エス証券子会社である「日本M&Aマネジメント」が運営していました。同組合は、ライブドア社がロイヤル信販とキューズネットを買収するにあたり、間に介在する役割を担っていたのです。

また野口英昭は香港にペーパーカンパニー「PSI」を設立しており、ライブドアによる企業買収で同様にして介在した「M&Aチャレンジャー1号投資事業組合」は、業務執行組合員がエイチ・エス社からPSIに変更されたこともありました。

人材派遣会社のトラインを買収するに際しては、同投資事業組合の利益のうち2億6000万円がPSIへ流れたことや、そのPSIから約1億5000万円が、宮内亮治と中村長也が香港に設立したペーパーカンパニー「PTI」に送金されたことも判決の中で明らかになっています。まさにライブドア事件の鍵を握る決定的な人物と言えます。

もし死因の解明に成功すれば、新たな事実が出てくることは間違いありません。

発見時包丁の刺し傷複数

野口英昭は沖縄の那覇市にあるカプセルホテル「カプセルイン沖縄」の3008号室で自殺したとされています。失血死とされていますが、本当の死因は明らかではありません。ライブドア事件が複雑なのは、こうした謎がたくさん残されているためです。

カプセルホテルの非常ベルが押されたため従業員が合鍵で入室すると、うつ伏せになった野口英昭の姿を発見します。報道によれば傷口は5カ所、喉の左右の頚動脈と、左右の手首、そして腹部だったようですが、自殺にありがちなためらい傷ではなく、深さ1〜2センチにも及ぶ壮絶なものだったといわれています。

報道によると包丁は野口英昭が沖縄に到着してから自ら購入したものだそうです。購入したと見られるお店では、新聞、ビニール、パッケージと三重の包装をして顧客に渡しているそうですが、ホテルの客室からは包丁の包装が見つかっていないとの指摘もありました。

これだけの多くの刺し傷は、本当に野口英昭が自らやったものと言えるのでしょうか。死因も含め、原因の解明が待たれるところです。

自殺とされたが他殺説も残る

沖縄県の那覇警察署は自殺と断定しています。しかし実際には他殺だったのではないかとの声も根強く残っています。傷の多さや深さなどからしても、自殺とは考えにくいとの声があるのも無理はありません。野口英昭の腹部の傷は内臓が露出するほど凄惨なものだったようで、そんな状態の人間に非常ブザーが押せるのかとの疑問も残ります。

また、睡眠導入剤を飲んだ形跡があるようですが、自殺をする人間が飲むものでしょうか。さらに現場には血まみれのサッカーシャツが置かれていたようですが、遺族の証言によれば野口英昭のものではないといいます。しかも死亡時にはホテルのガウンを着用しており、その整合性も気になるところです。

奇妙なことに、警察は検死をするのみで遺体の司法解剖をすることはなかったそうです。そして早くも翌19日には、捜査の打ち切りが発表されます。調べたところ、凶器の包丁の指紋も採取していない可能性があるとの指摘もあり、根強く残る他殺説を打ち消すには至っていません。ライブドア事件に残された大きな謎の一つです。

真相は未だ不明

沖縄のカプセルホテルで見つかった野口英昭ですが、羽田から沖縄までの航空機(ANA121便)は「ニシカワ・ノボル」の偽名で搭乗しているそうです。またホテルでは「山崎四朗」という偽名でチェックインをしているとされます。

住所を「福岡県八女市」と記載していたようですが、これは堀江貴文の出身地にあたります。野口英昭はなぜ堀江貴文の出身地を記入したのでしょうか。

また、この時期はライブドアに強制捜査が入った頃で、まさに現場から離れることのできない頃だったはずです。そもそもこのタイミングでなぜ沖縄に来る必要があったのか、しかも偽装してまで沖縄に来る必要があったのか、ライブドア事件との関連は何なのか、疑問は尽きません。

司法解剖をすることなく早々に捜査打ち切りとされたことは疑惑を残す結果となりました。調べたところ、野口英昭の報に触れた堀江貴文は、ライブドア事件で自身の無実を証明できるただ一人の人物だったという趣旨の話をインタビューで語ったことがあるそうです。野口英昭の死因に関する真相は、いまだに闇の中です。

ライブドア事件の真相をわかりやすく解説

とても複雑でわかりにくいライブドア事件ですが、あらためて新たな視点から整理すると、複雑なライブドア事件の真相が次第に見えてきます。問題点はどこにあったのでしょうか。ライブドア事件の真相について、わかりやすくお伝えします。

ライブドア事件の幕開けは突然の家宅捜索

2006年1月16日に東京地検は六本木ヒルズにあるライブドア社や堀江貴文の自宅などを家宅捜査します。この突然の家宅捜索は日本中を騒がせました。証券取引法違反の容疑でした。東京地検がライブドア社を捜査しているらしいとの話は、2005年秋頃からメディア界で噂されていたようです。

2005年12月には同社の執行役員だった人物が事情聴取を受けた旨を堀江貴文に伝え、それを聞いたホリエモンは宮内亮治や熊谷史人に「一体なんのことだろう」と尋ねていたという話があります。ライブドア社は急成長していたベンチャー企業で、かつ華々しい活躍をとげていた存在だっただけに、突然の家宅捜索はメディアでも注目の対象となりました。

そして1月18日には、元幹部の野口英昭が沖縄で衝撃的な死を遂げます。自殺とされましたが、その死因をめぐって疑問の声が上がっていることはすでにご紹介した通りです。メディア報道に拍車をかける結果となりました。この日から、メディアで取り上げられる内容はライブドア事件一色となります。

複数の人物が複雑に絡み合っていた

このライブドア事件には、たくさんの人物が関与していることが特徴です。同社の経営陣7名が一斉に逮捕されたばかりでなく、ライブドア事件のカギを握る人物とされるライブドアファイナンス元社長の野口英昭の自殺と死因には、今でも謎がつきまとっています。

ホリエモンの右腕とされ、M&A部門の責任者として活動していた最高財務責任者・宮内亮治や、関連会社ライブドアマーケティングの社長を兼ねた取締役の岡本文人、金融子会社ライブドアファイナンス社長の中村長也、株式分割や資金調達などの資本政策などに携わり、ホリエンモンの後継社長に就任しながら翌月に逮捕されることになる熊谷史人など多くの役員が一斉に逮捕されたことも、ライブドア事件がメディアに注目される材料となりました。

また本スキームの実行にあたっては様々な関係者がいました。同様のスキームであるにもかかわらず、なぜか起訴されずにいる案件もあると言われています。強制捜査前から東京地検の接触を受けていた人物もいたようで、取り調べを受けたとされる元執行役員は強制捜査の1ヶ月前、取り調べを受けた旨を堀江貴文に報告していたとの話もあります。

堀江貴文は、それがライブドア事件につながる事態になると想像できていたのでしょうか。ニッポン放送の経営権取得騒動に関しては、村上ファンドで知られる村上世彰との親密な関係も指摘されました。

ライブドアの大規模な株式分割の際、堀江貴文は村上ファンドに貸株をしていたとの話もあり、ライブドアをめぐる様々な動きには、非常に多くのキーマンが複雑に絡み合っていたことが想像できます。

ホリエモンにかけられた容疑①偽計と風説の流布

ライブドア事件の2つの逮捕容疑の1つは偽計と風説の流布です。わかりやすく説明すると「偽計」は人を欺くこと、「風説の流布」とは虚偽の情報を流すことを意味します。

株式など有価証券の売買にあたっては正しい情報に基づく自己判断が重視されます。そのため価格の変動を目的に人を欺いたり虚偽の情報を流すことは、金融商品取引法で禁止されているのです。疑惑の対象となったのは子会社であるライブドアマーケティング(当時バリュークリックジャパン)でした。

2004年9月期の決算(2003年10月1日から2004年9月30日までの会計年度)のうち、平成16年の第3四半期決算が問題となりました。第3四半期決算の発表時に、実際は経常損失3200万円、当期純損失2100万円であるにもかかわらず、架空の売上を計上して黒字に見せかけたのです。

ロイヤル信販およびキューズネットから「広告関連取引及びコンサルティング業務」として売上金額1億500万円が計上されていますが、これは架空のものと指摘されました。これによって前年同期比で増収増益を達成し、前年中間期以来の完全黒字化を達成したとの虚偽の公表をしたことが「風説の流布」にあたるとされたのです。

またライブドア社は平成16年10月25日、株式交換によりマネーライフを完全子会社化します。しかし売り手であるVLMA2号投資事業組合は、ライブドアが実質的に支配する投資事業組合でした。

同組合は平成16年6月4日に4200万円でマネーライフを買収し、3000万円の増資を行います。実質的な価値は7200万円ですが、ライブドアファイナンス社員が過大に評価、それを第三者機関による算定結果であると偽装して4億円との算定をしました。


これにより、黒字企業であるライブドアマーケティングが、4億円もの価値がある会社を株式交換で取得するという虚偽の構図を見せることになりました。6月4日の時点ですでにライブドアグループ入りしているにもかかわらず、それを発表せずに10月25日の時点でグループ入りしたかの公表をしたことも「偽計取引の疑い」として問題視されました。

架空売上の計上、増資、そして見せかけの算定という手段によって、株価の維持と時価総額の拡大をはかる狙いがあったとされています。これがライブドア事件で問題点とされた一つです。

ホリエモンにかけられた容疑②有価証券報告書虚偽記載

続いての逮捕容疑は「有価証券報告書虚偽記載」です。わかりやすく説明すると、有価証券報告書に虚偽の記載を行うことを言います。証券取引所の上場廃止基準にも該当するような重い犯罪とされていて、場合によっては株主による損害賠償請求権が発生することもあります。実際、ライブドア事件では民事の賠償請求が起きています。

疑惑の対象となったのはライブドアグループ全体についてでした。2004年9月期の決算(2003年10月1日から2004年9月30日までの会計年度)について、連結決算では3億1300万円の経常赤字であったにもかかわらず、53億4700万円の利益を計上することで、50億3400万円の経常黒字との虚偽の有価証券報告書を提出したことが問題点となりました。

その手段は2つあり、1つは架空売上の計上で、もう1つは、自己株式の売却益を売上に計上するという方法です。

架空売上はライブドアが完全子会社化を予定していたロイヤル信販とキューズネットの2社からのものでした。ライブドアへ13億5500万円、子会社のライブドアマーケティングとイーエックスマーケティングに2億2500万円というもので、架空計上した金額は合計で15億8000万円にのぼります。

株式交換日は10月12日を予定していましたが、まだグループ化していない2004年9月の時点で発注があったと見せかけたのです。

2つ目は自己株式の売却益を売上に計上するという方法です。投資事業組合を介在させる、実に手のこんだ方法でした。わかりやすく説明すると、ライブドア社が出資する投資事業組合が、ライブドア株式を売却することで37億6699万6000円の株式売却益を出します。

ライブドア社はこれを同会計年度で売上に計上します。これが「法律上許されない会計処理である」として問題視されたのです。

このスキームはクラサワコミュニケーションズとウェブキャッシング・ドットコムの2社の買収時に使われました。いずれの買収においても売主は現金による買収を希望しましたが、現金支出を避けたいライブドア社は、株式交換による複雑な手法を編み出します。

まずライブドアファイナンスがM&Aチャレンジャー1号投資事業組合に現金出資します。M&Aチャレンジャー1号投資事業組合は2社の株主から現金で株式を買い取ります。M&Aチャレンジャー1号投資事業組合は、取得した2社の株式について、ライブドア社との株式交換を行います。これによりライブドア社は2社を株式交換で取得したことになります。

その後、M&Aチャレンジャー1号投資事業組合は株式交換で取得したライブドア株式をVLMA2号投資事業組合に現物出資します。そしてこのVLMA2号投資事業組合が、取得したライブドア株式を売却します。

これによりライブドア株式89万4178株を43億3947万6888円で売却するわけですが、取得費を差し引いた37億6699万6000円をライブドア社は売上として計上することになるのです。

ライブドア事件の影響で市場がパニックに

ライブドア社の名前は急成長企業の代名詞となり、時代の寵児ともてはやされたホリエモンでしたが、それだけの注目を集めた存在だっただけに、2006年1月16日の強制捜査は社会に大きなショックを与えました。ライブドア事件は株式市場にも大きなパニックを与えます。

翌日の株式市場ではライブドアおよび関連7銘柄(ライブドア、ライブドアマーケティング、セシール、ターボリナックス、ダイナシティ、メディアエクスチェンジ、ライブドアオート)の株式に売りが殺到し、全面ストップ安となります。時価総額は、わずか1日で1500億円も目減りしたとの報道もありました。

わかりやすく言えば、判決を待たずして上場廃止になる危険性が懸念されたわけです。2005年7月以降「バブル再来」との声が起きるほど加熱していた株式市場でしたが、新興ベンチャー企業を中心に扱う東証マザーズに与えた影響は大きなものでした。

なぜなら、当時マザーズの時価総額のうちライブドアが占めていた割合は1割にも及んでいたことに加え、投資家や市場関係者からのベンチャー不信の声は、マザーズ全体への不信感へとつながっていくことになったからです。

翌1月18日には売り注文の多さから東証が「全銘柄取引停止」措置をとるという異常事態になりました。19日からも30分短縮という措置がとられ、これは4月24日まで続くことになります。

この「ライブドア・ショック」は海外にも報じられ、世界の株式市場にも影響を与えたとする声もあります。ライブドア株とライブドアマーケティング株は4月14日をもって上場廃止となりました。

ライブドア事件の問題点

こうして見るとわかる通り、ライブドア事件には様々な謎や課題がつきまといます。真相については今後の解明が期待されるところも多いですが、最後にライブドア事件の問題点を3つ取り上げてみます。

①黒幕は未だに不明

ライブドア事件は非常に多くのキーマンがかかわり、複雑なスキームがとられた経済事件であることがわかります。一方で、必ずしも全ての謎が解明されたとは言い難いことも事実です。そのことは、今でも口をつぐんだままの関連人物が少なくないことからも透けて見えてきます。

ライブドア事件の中でも大きな謎とされるのが野口英昭の死因です。強制捜査2日後に起きた出来事はあまりに不自然で、多くの謎を抱えています。誰が得をしたのか、誰が何のためにやったのか、どうしてライブドアがやり玉にあがったのか、指南役は誰だったのか、まさに黒幕はいまだに不明なのです。

②架空取引が複数行われた

新たな経済事件として注目されたライブドア事件ですが、投資事業組合を介在させた株式売却という新しいスキームが取り沙汰された一方で「架空取引」という古くからのスキームが複数に渡って利用されたことも見逃すことはできません。

それが前述の通り、ロイヤル信販やキューズネットからの架空の売上計上でした。「広告関連取引及びコンサルティング業務」などを計上することで、経常利益や当期純利益が黒字であるとする虚偽の発表を行っています。これによって株価の維持をはかることができただけでなく、高収益企業というイメージによる企業買収が可能になったと見られています。

③企業の在り方が問われた

またライブドア事件は「社会の公器」としての企業のあり方が問われる契機ともなりました。企業は利益を追求する存在ですが、一方で社会のために存在するという側面もあります。営利活動に邁進するだけでなく、モラルや法の精神との両立が不可欠であるとの世間からの声も出ていました。

金融テクニックを駆使することで業績拡大に尽力しただけでなく、意図的にメディア露出を重ねたことも特徴です。ホリエモンのキャラクターは一般の経営者には見られないもので、その存在感は社会の中でも際立つものでした。

本業と関連するとは見えにくいような企業にまで次々と買収の触手をのばし、「お金で買えないものはない」という言葉まで独り歩きする結果となりました。

拝金主義とも言われ、モラルを欠いているとの指摘は判決でも激しく糾弾されました。問題点があるのに判決で取り上げられない案件も残るなど、真相の不明な部分も残っています。

しかし、わかりやすく言えばマネーゲームのようなかたちで古くからのプロ野球球団やマスメディアの買収すら目論むという露骨な野心は、いわゆる旧勢力から強い警戒の目で見られたということです。

ライブドア事件の黒幕は未だにわかっていない

以上、ライブドア事件の全体と問題点をわかりやすくとりあげてみましたが、いかがだったでしょうか。問題点も多く残っており、野口英昭の死因も含め、真相の究明が待たれるところも少なくありません。わかりやすく説明しようとしても、どうしても難しくなってしまうというのがライブドア事件の特徴とも言えます。

残された問題点としては、例えばライブドア事件のあとに発覚した日興コーディアルグループや東芝の粉飾事件では逮捕者が出ておらず、不公平であるとの批判もあります。

日興コーディアルグループは180億円もの利益を水増しし、その決算に基づいて500億円の社債による資金調達を実行しました。また東芝に至っては経営トップの関与により、過去7年間で1500億円を超える利益の水増し決算を行っています。

このためライブドア事件の断罪は、規制緩和が進みすぎ、ルールの隙間を狙ったグレーとも見える行動を抑止するための「国策捜査」だったのではないかという指摘もありますが、真相はわかっていません。

なぜライブドア事件がこれほどまでに断罪されたのかという問題点も謎の一つです。未だに黒幕がわからないというライブドア事件、今度のさらなる真相の解明が期待されています。

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この記事のライター
渡邉 裕晃
インドネシアと日本のハーフ。共著書に「インドネシアのことがマンガで3時間でわかる本」(明日香出版社)がある。

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