稲葉事件とは!稲葉圭昭と畑中絹代のその後は【日本で一番悪い奴ら】

映画『日本で一番悪い奴ら』のモデルとなった稲葉事件とは、北海道警察の刑事であった稲葉圭昭の覚せい剤使用から明るみになった様々な不祥事のことです。稲葉事件の詳細を解説するとともに、稲葉圭昭や交際相手の畑中絹代、その他関係者のその後や現在の姿を紹介します。

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目次

  1. 1稲葉事件とは
  2. 2稲葉事件の概要
  3. 3稲葉事件を起こした稲葉圭昭の経歴
  4. 4稲葉事件を起こすに至った背景
  5. 5稲葉事件の裁判
  6. 6稲葉事件後の北海道警察は
  7. 7稲葉事件の関係者のその後から現在
  8. 8稲葉事件で警察組織のあり方を考えさせられる事件

稲葉事件とは

「稲葉事件」をご存知でしょうか。稲葉事件が発覚し、世間を大きく賑わせたのは2002年のことです。事件自体は17年前のことですが、2016年にこの事件を題材とした映画が公開されているので、現在でも印象に残っている人もいるのではないでしょうか。この記事では「稲葉事件」について紹介します。

北海道警察の稲葉圭昭が起こした事件

世間を驚かせるような大事件が発覚したのは2002年7月のことでした。この年の5月と6月にはFIFAワールドカップが日本と韓国の共同で開催されており、日本中が熱狂していました。その後、興奮も覚め切らないうちに、衝撃的な事件が大きく報道されたのです。

北海道警察の稲葉圭昭警部(当時)が、覚せい剤取締法違反容疑と銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑で逮捕されたのです。正義を守るための警察官による犯罪である稲葉事件は、連日ワイドショーなどでも大きく取り上げられていました。

警察組織が抱える問題が浮き彫りに

稲葉事件は、事件発覚当初は常軌を逸した一警察官による個人的な犯罪と見られていました。しかし、この稲葉事件についての捜査が進むにつれて、警察内部が抱える組織的な問題が浮き彫りになってきたのです。北海道警察だけではなく、他の都府県の警察でも同様の事件が起きていてもおかしくないのではないかとも見られていました。

映画「日本で一番悪い奴ら」のネタ元にも

2016年に公開された映画『日本で一番悪い奴ら』は、この稲葉事件を題材としています。ストーリーは、稲葉事件の概要をほぼ忠実に再現していると言われています。稲葉圭昭にあたる主役を演じた綾野剛は体重を10キロ増量させて稲葉事件に相当する悪事を体当たりで演じ、日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を獲得しています。

稲葉事件の概要

現在でも北海道警察の不祥事、恥さらしとまで言われている稲葉事件は、どういった経緯で発覚したのでしょうか。深く掘り下げると大変根深い真相が隠されていた稲葉事件ですが、まずは簡単な概要を紹介します。

捜査協力者による稲葉圭昭への告発

稲葉事件が発覚したきっかけは、ある男が警察に出頭したことでした。この男は自らの覚せい剤所持を認めたのみならず、当時の北海道警察生活安全特別捜査隊の班長であった稲葉圭昭も覚せい剤を大量所持、使用していることを告発しました。実はこの男は、稲葉圭昭の捜査協力者のうちの一人だったのです。

飲食店を営みながら拳銃や覚せい剤、偽ブランド品を売りさばくような男だったようですが、捜査協力者としての働きは大きく、稲葉圭昭とも強い信頼関係を築いていました。ところがこの男と稲葉圭昭の間に金銭問題での亀裂が入ったようです。

捜査協力をすることでそれまでの犯罪を見逃してもらっていたこの男は、もう稲葉圭昭に守ってもらえなくなることを懸念して自分の罪の減刑のために自首しました。そして同時に稲葉圭昭を北海道警察に売ったのです。警察による隠ぺいを避けようとしたのか、供述は警察官に対してではなく、勾留質問を行った裁判官に対して行ったほどの徹底ぶりでした。

稲葉圭昭のアジトや自宅から覚せい剤と拳銃を発見

元捜査協力者の男からの告発によって、北海道警察薬物対策課は勤務中であった稲葉圭昭に任意同行を求めました。薬物反応を確認する尿検査で陽性反応が出たために、稲葉圭昭はその日に覚せい剤取締法違反(使用)で逮捕されます。稲葉事件と呼ばれるようになったのはこの時からです。

その後行われた稲葉圭昭の自宅とアジトの家宅捜索で、北海道警察はロシア製の拳銃一丁と販売目的と見られる大量の覚せい剤を発見しました。これによって稲葉圭昭は銃刀法違反(所持)容疑、覚せい剤取締法違反(営利目的所持)容疑で再逮捕されます。

稲葉事件が、単なる現職警察官の覚せい剤使用ではなくなったのがこの時です。そして、この販売用覚せい剤の発見によって稲葉事件はさらなる拡大を続けます。

違法なおとり捜査と偽証も…

稲葉事件に対しての取り調べが進む中、稲葉圭昭は稲葉事件が発覚する5年前に北海道小樽市で起きた事件について話しました。とあるロシア人船員が拳銃と実弾を所持していた容疑で有罪判決を受けたという事件だったのですが、この事件は自分たちが組織ぐるみで計画した違法なおとり捜査だったと供述したのです。

稲葉圭昭は上司の指示によって、捜査協力者としてパキスタン人が事件現場にも居合わせていた事実を伏せ、その場に捜査協力者はいなかったと偽証しています。このおとり捜査についてはその後、稲葉事件発覚後にも大きな問題となっていきます。

稲葉事件を起こした稲葉圭昭の経歴

次に、稲葉圭昭の経歴を紹介します。稲葉圭昭は稲葉事件を起こす前から悪人だったのでしょうか。現職警察官として初めて覚せい剤使用で逮捕された稲葉圭昭が、北海道警察に入ってから悪事に手を染めて稲葉事件を起こすに至った経緯を解説します。

柔道の特別採用で北海道警察へ

稲葉圭昭は1953年に北海道沙流郡門別町(現在は日高町)で生まれます。父親は営林署勤務だったため、転勤に伴い家族で北海道内を点々と引っ越していたようです。また、父親の勧めで3歳から柔道を始め、高校や大学の柔道部で活躍していました。

東洋大学を卒業後、1976年に北海道警察に採用されます。警察の採用試験の際には、柔道や剣道などの有段者として認められたごく一部の人に点数が加算される制度があります。稲葉圭昭はこの制度を受け、柔道の特別採用枠で採用されました。この制度は現在でも続いています。

暴力団などの捜査協力者と関係を深める

北海道警察に入った稲葉圭昭は、職務の傍ら柔道で活躍を続けます。1978年の全国柔剣道大会での北海道警察の優勝にも貢献しています。その大会を最後に柔道を引退し、職務に専念することになります。その翌年1979年に北海道警察本部刑事部機動捜査隊に配属になります。通称機捜隊と呼ばれる部署です。

通常2人一組で覆面パトカーによる警らを行い、強盗や殺人などの刑事事件の通報があるとすぐに現場に駆け付けます。また警察署の管轄を超えた重大事件を捜査することもあります。ドラマの舞台になることも多い花形部署でもあります。そして稲葉圭昭がこの機捜隊で上司に教え込まれた捜査方法が、捜査協力者を作ることだったのです。

裏社会に関わる捜査協力者を多く得ることで、多くの犯罪を検挙できるという教えでした。真面目な稲葉圭昭は上司の教えに忠実に従い、多くの捜査協力者を得て強固な関係を築くようになりました。こういった暴力団員や風俗嬢などの裏社会に属する捜査協力者は、スパイの頭文字からエス(S)と呼ばれていました。

稲葉圭昭はその後、札幌中央署、北見署、旭川中央署と移動になりますが、所属はいずれも刑事課暴力犯係でした。暴力犯係とは、刑事事件の中でも暴力団関連の事件を専門に扱う部署です。稲葉圭昭は稲葉事件のずっと以前から、暴力団と大きな関りを持っていたのです。稲葉事件が起きたきっかけの1つにこの点が挙げられます。

銃器の摘発に注力し「銃隊のエース」へ

1993年頃から、当時の自民党副総裁が銃撃を受けた事件など、国内で拳銃を使用した事件が増えてきました。このことを受けて警視庁は全国の警察に向けて銃器摘発に力を入れるよう指示します。北海道警察は新たに防犯部銃器対策室を設置しました。稲葉事件の種はこの時に蒔かれたと言っても過言ではありません。

稲葉圭昭はそれまで旭川中央署に配属されていましたが、防犯部銃器対策室の初代捜査員の1人に選ばれました。この部署での稲葉圭昭の活躍は目覚ましく、「銃隊のエース」と呼ばれていたそうです。次の部署に異動になるまでの8年間で100丁近くの拳銃を押収したという成績が残っていますが、この数字にはからくりがありました。

稲葉圭昭が多くの拳銃を摘発できた要因には、警視庁が発した銃器摘発令の2つの穴を利用したことが挙げられます。1つ目は、銃の所持を自首した場合は減刑または刑を免除させるという制度の悪用です。稲葉圭昭は抱えている多くのエスから得た情報を使って裏社会で流通していた拳銃を手に入れ、それを知り合いの暴力団員などに持たせ自首させたのです。

2つ目の要因は、首なし銃でも良いという通達です。首なし銃とは、所持者が誰なのか分からない銃のことです。銃器摘発令を出して以降もなかなか検挙数が上がらないことから、所持者は逮捕できなくても拳銃のみを摘発できれば良いという通達が出たのです。この通達により、稲葉事件は加速することになります。

稲葉圭昭はこれを悪用し、裏取引で得た拳銃をコインロッカーなどに入れて匿名で通報させるという手段を取るようになりました。稲葉圭昭はこのような方法で、銃の摘発を偽装していたのです。その後の稲葉事件の裁判では、80丁近くをこの方法で摘発したと証言しています。

情報入手の資金工面のため密売も

稲葉圭昭は多くのエスを抱え、裏社会の関係者と強固な関係を築いていました。刑事が捜査の際に暴力団員などの協力を得ることは現在でも特段珍しいことではないようです。しかし、稲葉圭昭ほど裏社会と密接な関係を持っていた刑事は稀なようです。

裏社会の悪質な人々になめられないよう上手く溶け込んでいるその姿は、とても刑事には見えず、稲葉事件発覚時は暴力団員と見分けが付かない程でした。エスからの信頼を得て多くの拳銃を検挙していた稲葉圭昭ですが、エスから情報を得るのにはお金がかかります。飲食代や情報料を払う見返りとして情報を受け取るからです。

警察にもそういった情報料の予算が設定されていて、稲葉圭昭も上司から多少の金額を受け取っていました。しかし、多くのエスを抱える状態では十分な金額ではありませんでした。稲葉圭昭はエスに渡す情報料を得るために、エスと組んで拳銃や覚せい剤の密売に手を出すようになります。

稲葉事件に関わっていたエスたちの協力を得て密売で上手く情報資金を稼ぐことができるようになった稲葉圭昭は、4000万円近くの利益を得ていたようです。次第にその密売で稼いだ金を交際相手の畑中絹代との交遊費や外車の購入に充てるようになったと言われています。

稲葉事件を起こすに至った背景

現職警察官が起こす不祥事はいつも世間を失望させます。稲葉事件の際にも、正義を守るはずの警察が罪を犯したというニュースは大々的に報道されました。しかし、この稲葉事件の背景が明るみになってくると、悪いのは稲葉圭昭だけではないのではないかという懸念点も見えてきました。稲葉事件が起こった背景にはどんな事情があったのかを紹介します。

事件ごとに点数制の導入

自動車を運転する人が交通違反を犯したときはその危険度によって決められた点数が加算され、その累積点数によって処分を受けることがあります。規則違反をしない限り問題になることはなく、点数のことはあまり気にしていない人が多いのではないでしょうか。しかし警察は、現職の警察官に対しても点数制を導入していました。

覚せい剤所持容疑で逮捕した場合は10点、それが5g以上だった場合は5点加算、といった具合に細かく点数が設定されていました。当時の北海道警察はこの点数制が全てで、捜査員の成績や評価もこの点数が大きな指標となっていました。稲葉事件を招いた大きな原因はこの点です。

毎月ノルマが設定されていて、ノルマの達成だけではなく、他の捜査員とも点数を競うよう指導されていたのです。拳銃の摘発は特に点数が高く、稲葉圭昭が拳銃摘発を偽装し始めたのは私利私欲のためではなく、この点数を稼ぎノルマを達成するためでした。このような点数制がなければ、稲葉事件は起きていなかったのかもしれません。

ノルマ未達成は罰則に

検挙率を上げることによって地域の平和を守る、捜査員の士気を高めるなどといった趣旨で始められたと見られる警察の点数制ですが、徐々にその目的はうやむやになっていったようです。稲葉圭昭が機捜隊に移動になった頃には「点数を稼がなければ意味がない」「実績を上げるためには何をやっても良い」という風潮になっていたようです。

同じ部署に所属する捜査員同士が点数を競っていたような状況ですから、ただ事件が起きて通報させれるのを待っているだけではノルマを達成できないような状況でした。事件を待つのではなく、自ら取りに行く必要があったのです。

稲葉圭昭は多くのエスを使い、覚せい剤や拳銃を所持している人間の情報を掴んで逮捕しに行くことでより多くの点数を獲得していました。そしてこの点数制にはノルマがあり、ノルマ未達成の場合は罰則まであったそうです。稲葉事件を招いた大きな要因に、このノルマと罰則制も挙げられています。

捜査員たちが躍起になって点数を稼ぐための行動に出たのは仕方のないことだったのでは、と言われるほどの点数至上主義だったのです。ちなみにこの点数制は、多少仕組みが変わっているようですが、現在でも使用されているようです。

銃隊のエースへの重圧

上司の教えによってたくさんのエスを得ようと躍起になった稲葉圭昭は、その努力の結果、暴力団員や飲食店経営者、風俗嬢など裏社会に精通しているエスを多く抱え、強固な信頼関係を築くようになります。エスからの情報を基に続々と検挙を続ける稲葉圭昭は「銃隊のエース」と呼ばれるようになります。

点数至上主義の北海道警察内では成績の良い稲葉圭昭の存在は一目置かれ、上司からも頼られるようになります。部署内のノルマ達成が難しくなると、上司は稲葉に一声かけるようになるのです。その指示を受けた稲葉は数日後には拳銃を摘発するといったことが頻繁に行われていたそうです。

稲葉圭昭は自分の成績のためだけではなく、周囲の期待にも応えなければならなくなっていったのです。こういった重圧はいつしか稲葉圭昭を押しつぶすようになります。さらに、これだけの期待をかけられ、懸命にその期待通りに成果を上げていたにも関わらず、上司との折り合いが悪くなり疎外されるようになったそうです。

これによって自暴自棄になった稲葉圭昭は、2000年頃から、自らも覚せい剤を使用するようになってしまいます。稲葉事件が発覚する2002年まで覚せい剤の使用を続けていたようです。

稲葉事件の裁判

稲葉事件は2002年に捜査協力者からの密告によって明るみになりました。稲葉事件の裁判はどのように進み、稲葉圭昭はどのような処分を受けたのでしょうか。稲葉圭昭と稲葉事件に関わった関係者の裁判について紹介します。

稲葉圭昭に懲役9年・罰金160万円の実刑判決

稲葉事件が発覚した4カ月後の2002年11月、稲葉事件の初公判が札幌地裁で開かれます。約半年に渡って複数回開かれた公判では、稲葉圭昭の口から稲葉事件の経緯や、自身がそれまで関わってきた違法捜査についての詳細が語られました。第一回公判で、稲葉圭昭は自身の覚せい剤の使用を認め、覚せい剤の密輸で利益を得ていたことを認めました。

また、覚せい剤だけではなく拳銃も密輸していたことを認め、拳銃の密売でも利益を得ていたことも認めました。また覚せい剤や拳銃の密売で得た利益は情報提供者へ渡すための資金としてだけではなく、交際相手である畑中絹代との交遊費に充てていたとも証言しています。

この場では北海道警察に対しての点数制や罰則制度に関して言及させることはなく、あくまで稲葉圭昭個人の犯罪として問われる形となっていました。北海道警察が慌てる事態となったのは、2003年2月に開かれた第三回公判の時です。稲葉圭昭は、銃の摘発の偽装は上司に依頼されて行っていたことだとし、この偽装を知っていた上司3人の名前を挙げたのです。

北海道警察は2002年12月に稲葉事件の内部調査を終了させていましたが、この供述によってこの3人の上司への再聴取を行いました。3人とも、稲葉圭昭の偽装摘発については知らなかったと供述したようで、処分を受けることもありませんでした。その後最終陳述では、稲葉圭昭は銃器挑発のために行った泳がせ捜査について供述しました。
 

この泳がせ捜査は、北海道警察と函館税関が合同で行いました。情報提供者の覚せい剤密輸を見逃す代わりに銃器の大量摘発を狙うはずでした。しかし作戦は失敗し、北海道警察は銃器の摘発ができなかったどころか、覚せい剤を持った情報提供者も失踪してしまうというという失態を犯したのです。

ここまで大規模な泳がせ捜査は稲葉圭昭1人で行えるものではなく、組織ぐるみの違法捜査が日常的に行われていたことを主張したのです。弁護側は、こういった違法捜査やノルマ達成のためには情報提供者との癒着は仕方のなかったことであり、稲葉事件が起こった責任は北海道警察という組織にもあると情状酌量を求めました。

検察側の求刑は懲役12年、罰金200万円でした。最終的に札幌地裁が下した判決は懲役9年、罰金160万円です。判決文では、稲葉事件に関して、覚せい剤を密売して得た金を自分や交際相手の畑中絹代との交遊費に充てていたことや、自らの成績のために情報提供者と接触していたことが断罪されました。

しかしながら、北海道警察の組織的問題については全く触れられませんでした。最後まで、稲葉事件は稲葉圭昭個人の犯罪として扱われたのです。検察も弁護側も控訴しなかったため、このまま判決が確定しました。これによって稲葉事件は終結しました。

交際相手の畑中絹代は略式起訴に

稲葉圭昭の稲葉事件発覚前からの交際相手である畑中絹代についても紹介します。ちなみにメディアでは「交際相手」と表記されることが多いのですが、稲葉圭昭は既婚者であったため、不倫相手であったと言えます。畑中絹代は当時、北海道警察本部銃器対策課に所属する巡査部長であり、稲葉圭昭の同僚であったのです。

稲葉事件発覚当時、稲葉圭昭は48歳、畑中絹代は33歳でした。稲葉事件によって稲葉圭昭が逮捕されたときは、畑中絹代の自宅も家宅捜索を受けました。そこでは覚せい剤を吸引するためのパイプが2本見つかります。

これに対し畑中絹代は、稲葉事件が発覚する2カ月前、2002年5月に稲葉圭昭の自宅で発見したのもであり、発覚を恐れて持ち帰ったと説明しました。その吸引用パイプからは指紋も薬物反応も出なかったため、この件で畑中絹代がすぐに直接処分を受けることはなかったようです。

しかし、交際相手の畑中絹代に関する騒動はこれで終わったわけではありませんでした。更なる事件が起こったのは稲葉事件発覚の翌月、2002年8月のことです。畑中絹代は、稲葉事件にも関わっていたとみられている暴力団関係者の男と稲葉圭昭の息子と3人で食事に出かけます。暴力団関係者の男は稲葉圭昭の息子を励まそうとしていたそうです。

稲葉圭昭の実子と交際相手が同席というのも疑問が残りますが、息子はこの当時24歳であったため、割り切っていたのかもしれません。帰宅時に畑中絹代は暴力団関係者の男に自分の車を運転させていましたが、タクシーと衝突事故を起こしてしまいます。運転していた暴力団関係者の男は直前まで飲酒していたこともあり、その場から逃亡します。

さらに畑中絹代は、駆け付けた警察署員に自分が運転していたと証言したのです。しかしこの偽証はすぐに露見し、交際相手の畑中絹代は犯人秘匿容疑、運転していた男は業務上過失傷害とひき逃げ容疑、稲葉圭昭の息子は犯人秘匿ほう助容疑、タクシー運転手を業務上過失傷害容疑で書類送検されました。交際相手の畑中絹代は略式起訴されています。

稲葉圭昭と同僚であり自宅を行き来するほどの関係で、息子とも付き合いがあったという交際相手の畑中絹代が、稲葉事件の詳細を知らなかったはずがありません。また稲葉圭昭が覚せい剤や拳銃の密輸で稼いだ金を交際相手との交遊費に充てていたことは裁判でも証言しています。

派手な交遊や外車の購入などは、地方公務員の収入だけでは難しいことから、稲葉圭昭の金の出どころも知っていたはずです。稲葉事件において、警察官としての在り方を問われるべきなのは稲葉圭昭だけではないのではないでしょうか。

稲葉事件後の北海道警察は

稲葉事件の発覚によって、それまであまり世間に知られることがなかった警察組織が抱えていた闇の部分が露呈することとなりました。稲葉事件によって、北海道警察はどのような対応が必要となったのでしょうか。北海道警察のその後を紹介します。

北海道警裏金事件が発覚

稲葉事件の裁判が2003年5月に終了したことにより、北海道警察にとって外聞が悪い問題は片付いたかのようにみえました。しかしその後の2003年11月、またも稲葉事件に匹敵する北海道警察の悪事が露見することとなります。警察幹部らによる不正経理、つまり裏金問題です。

警察には、情報提供者から情報を得るために渡す金の予算があることは先述した通りですが、警視以上の幹部がこの情報提供者へ渡す金の虚偽申請を行って不正に受け取り私的利用していたのです。稲葉事件が起きた根底には、この裏金問題があったのだと指摘されています。

本来であれば、稲葉圭昭のような捜査員が情報提供者へ渡すために受け取れるはずであった予算を、幹部たちは自分の懐にいれてしまっていたのです。そのために捜査員たちは自腹で情報提供者を接待しなければならなかったのです。稲葉圭昭もこの予算をしっかりと受け取れていたのであれば、密売には手を出さなかったかもしれません。

この裏金問題は北海道新聞社の独自調査で発覚したもので、旭川中央警察署での不正経理が報道されたことを皮切りに他の署でも行われていたことが次々と発覚します。当時の北海道警察本部長は「不正経理の事実はない」と発表し、知事もこれを支持する意見を発表しますが、世間からのバッシングは強く、内部調査をせざるを得ない状況に追い込まれます。

その後、退職済みの元幹部が自分も裏金を受け取っていたと告白したことを受けて、同様の告白をする人が多数現れました。そのため北海道警察はさらなる内部調査を余儀なくされました。最終的に3235人が処分を受け、北海道警察は2億5600万円を道に返還しました。

一部の代議士が、元幹部たちを刑事告発していますが、不起訴となっています。また民主党は北海道警察本部長の辞職を求めましたが、これも否決されています。北海道警察の裏金問題で刑事罰を受けた人はいないのです。責任追及をせずに事件の収束を狙う体制は稲葉事件の時と何も変わっていませんでした。

また、この警察による裏金問題の発覚の影響は稲葉事件と同様に他の都府県にも広がり、複数の幹部が処分を受けています。幹部たちが捜査費を不正請求するための領収書に無許可で名前を使われた人が慰謝料訴訟を起こし勝訴した例もあります。

本部長らの処分と再発防止策を発表

稲葉事件の裁判が進行中であった2002年12月、北海道警察は稲葉事件に対する内部調査を終了させ、本部長を含めた13人の処分と再発防止策を発表しました。それによると減給処分を受けた人が1人、それ以外の人は訓戒、注意といった非常に軽いものでした。

また、稲葉事件に関する再発防止案として専任監察官と適正捜査指導官の設置も発表しましたが、その一方で組織犯罪捜査に長く関わっていた刑事を一斉に異動させています。稲葉圭昭の同僚たちが稲葉事件に関わりがあったのかどうかをうやむやにしようとするような動きともみられています。

稲葉事件の関係者のその後から現在

稲葉事件が発覚してからすでに16年以上の月日が経っています。稲葉事件に関係していた人々は現在どうしているのでしょうか。稲葉圭昭や交際相手の畑中絹代を含めた、稲葉事件の関係者たちのその後や現在の様子を紹介します。

稲葉圭昭を告発した捜査協力者は自殺

稲葉事件が発覚する元凶ともなった張本人である、稲葉圭昭を告発した男は、告発から1か月半後に札幌拘置支所の個室内で死んでいるところを発見されました。靴下を歯ブラシの柄で喉奥に押し込んだ状態で、さらに自分の手で首を絞めていたため、自殺と断定されています。自分で自分の首を絞めるといった自殺方法は医学的には可能だそうです。

しかし、この男の自殺に関しては疑問も残っています。この男は稲葉に情報を提供することで他の暴力団関係者から守ってもらっていましたが、稲葉との金銭トラブルによってその関係が断絶してしまいます。暴力団関係者から身を守るために安全な刑務所に入ろうと自ら自首する方法を取り、計画通りに進んでいました。

それなのに、自殺するのはおかしいのではないかという点です。またこの男は、他にも警察が抱える爆弾を知っているとほのめかしていたという情報もあります。稲葉事件以上に衝撃的な問題であった可能性も否定できません。

男の知人たちは、彼は自殺などするような人間ではないと証言しているそうです。この男が知っていた警察の闇とは何であったなのか、真相が判明することは現在では期待できないでしょう。

銃器対策課4人を不起訴・起訴猶予処分に

ここで、稲葉事件の裁判によって発覚した過去のおとり捜査事件の関係者について紹介します。1997年に北海道小樽市で拳銃と実弾の所持容疑でロシア人船員を逮捕された事件において、捜査協力者としてパキスタン人が現場に居合わせたにも関わらず、稲葉含めこの捜査に関わった幹部がそのパキスタン人の存在を隠蔽し偽証していた事件です。

稲葉事件の発覚によって露見したこの事件に関して、当時の関係者たちに聴取が行われますが、その聴取の対象となっていた元警視は2日目の聴取の日に公園で自殺しているところが発見されます。その後稲葉を含めた4人が虚偽公文書作成容疑、偽証容疑などで起訴されますが、いずれも起訴猶予処分、自殺した元警視については不起訴処分となります。 

またこのおとり捜査で逮捕され服役していたロシア人船員は、稲葉事件発覚時にはすでに出所し帰国していました。しかし、稲葉事件後の2005年に、違法なおとり捜査と偽証による損害賠償として国と道に対して訴えを起こします。稲葉事件の余波は国外にまで及んでいたのです。

ロシア人船員は、拳銃を持ち込んだのは中古車との交換を持ち掛けられたからであり、この犯罪は警察によって誘発された違法なおとり捜査であると主張しました。この裁判には稲葉事件で服役中だった稲葉圭昭も出廷し、違法なおとり捜査であったことも認めています。

札幌地裁は偽証によってロシア人船員が被害を受けたことを認め、道に50万円の支払いを命じました。しかし、捜査は違法ではなく合法なおとり捜査であったとの判決を下しています。違法なおとり捜査であったという稲葉圭昭訴えは聞き入れなかったのです。現在でもこのロシア人船員は日本への入国を拒否されているそうです。

畑中絹代は…

稲葉事件の発覚時に稲葉圭昭の交際相手であった畑中絹代のその後について紹介します。交際相手の稲葉圭昭の逮捕によって家宅捜索を受けましたが、稲葉圭昭の交際相手だからという理由ですぐに具体的処分を受けることはなかったようです。

しかし畑中絹代は、2002年8月に暴力団関係の男と稲葉圭昭の息子と同乗していた車の事故の犯人を秘匿したその日付で北海道警察を懲戒免職されました。理由として、交通事故の際の飲酒運転容認と犯人秘匿、稲葉圭昭との不倫交際、稲葉圭昭の自宅で覚せい剤の吸入用パイプを発見しておきながら報告しなかったことが挙げられています。

その後畑中絹代は略式起訴され、罰金20万円の支払いを命じられています。畑中絹代が現在どうしているのかの詳細は分かっていません。

稲葉圭昭は…

稲葉事件の当事者である稲葉圭昭のその後と現在の姿を紹介します。稲葉事件によって9年間服役していた稲葉圭昭は、2010年6月に仮出所、2011年9月に刑期満了します。その後2011年には著書『恥さらし 北海道警 悪徳刑事の告白』を出版します。

2016年に公開された映画『日本で一番悪い奴ら』はこの稲葉圭昭の著書を原案としています。映画が稲葉事件のあらましを忠実に再現していると言われるのはこのためでしょう。さらに『警察と暴力団 癒着の構造』も出版しています。

稲葉圭昭は現在、札幌市内で探偵事務所を開いています。稲葉圭昭は自分が稲葉事件の張本人であることは隠さずに公表しています。26年間の警察官経験を生かした調査は評判も良く、稲葉圭昭のことを頼って事務所を訪れる人は多いようです。

稲葉事件が発覚した際はマスコミのバッシングは複数の交際相手のことなどのプライベートなことにまで及びましたが、妻が家族を支え、稲葉圭昭の帰りを待っていたそうです。服役中に生まれた孫もいて、今現在は稲葉事件を乗り越えて平穏な生活を送っているようです。

稲葉事件で警察組織のあり方を考えさせられる事件

稲葉事件の概要を、稲葉事件前後の北海道警察の不祥事を含めて紹介してきました。稲葉事件の背景には、何千人という警察官が関っていた組織的問題があったにも関わらず、実際に刑事罰を受けたのは稲葉圭昭ただ1人という結果でした、果たしてこれは公正であると言えるのでしょうか。

稲葉事件だけでなく、裏金問題や不正おとり捜査事件など、明るみになった問題はたくさんあります。しかし裁判で違法性は否定されたほか、起訴猶予など裁判にすらなっていないことがほとんどという状況です。反対に、北海道新聞社が裏金事件について出版した書籍は名誉棄損にあたると賠償命令を受けています。

国内の治安を保ち市民の安全な生活のために職務を全うするのが警察官であると思われていますが、果たして実態はどうなのでしょうか。2016年にも北海道警察で、稲葉事件の再来とも呼ばれる事件が起き、警部補が逮捕されています。稲葉事件後に発表された再発防止策は現在では機能していないようです。

稲葉圭昭は、稲葉事件に対しての自分の罪はきちんと償ったのだから、北海道警察も罪を認めて欲しいと現在話しています。警察組織のあり方は、もう一度よく考える必要があるのではないでしょうか。

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