メルボルン事件の真相とその後とは!本多千香の冤罪は主犯の勝野や通訳が原因?

メルボルン事件とは、1992年6月メルボルン空港で勝野良雄をはじめとする日本人観光客のスーツケースからヘロインが発見された事件です。裁判でも適切な通訳が付かず冤罪となり女性で唯一逮捕、服役した本多千香さんの現在やメルボルン事件の真相を詳しく紹介していきます。

メルボルン事件の真相とその後とは!本多千香の冤罪は主犯の勝野や通訳が原因?のイメージ

目次

  1. 1メルボルン事件とは
  2. 2メルボルン事件の真相【概要】
  3. 3メルボルン事件の真相【逮捕】
  4. 4メルボルン事件の真相【冤罪】
  5. 5本多千香さんのその後【メルボルン事件】
  6. 6メルボルン事件は1人の女性の人生を大きく変えた

メルボルン事件とは

メルボルン事件は1992年6月、オーストラリアのメルボルン空港で男性4人、女性3人の旅行客のスーツケースから大量のヘロインが発見された事件です。そのうち男性4人と女性1人が逮捕され、拘留されました。しかし、勝野をはじめとする男性4人と唯一女性の本多千香さんは、事件の真相がわからないまま服役を余儀なくされました。

本多千香さんは現在も冤罪を訴えていますが、そんなメルボルン事件とはいったいどのような経緯なのかを辿っていきます。

メルボルン空港で起きた事件

勝野3兄弟と本多千香さん、他男性1人と女性2人の合計7人は、成田空港からクアラルンプール国際空港までマレーシア航空で向かいました。勝野良男(3兄弟の3男)は現地でチャーリーと名乗る知人と合流し、7名が日本食レストランで食事をしている間に車に積んだスーツケースを盗まれています。

次の日代わりのスーツケースが用意されて一行はクアラルンプールからメルボルン空港へと向かいました。メルボルン空港で入国審査を受けた時に、勝野良雄が不審人物であることが判明し、その後一行は拘束されます。

また、荷物の検査で7人中4人のスーツケースからヘロインが発見されました。4人は全く心当たりがないと主張しましたが、オーストラリア当局に拘束されてしまいます。ヘロインが発見されなかった女性2人は強制送還され帰国しましたが、勝野良雄と他の男性3人に本多千香さんは逮捕されてしまいました。

5人の日本人が逮捕された事件

メルボルン事件は、5人の日本人が逮捕された事件です。前述の通り、勝野兄弟の兄2人と勝野良男の知人である浅見喜一郎という人物、それに本多千香さんのスーツケースからヘロインが発見されました。その後5人は逮捕されて裁判の結果服役することとなります。

メルボルン事件の真相【概要】

メルボルン事件の概要と真相は何だったのでしょう。まず勝野兄弟と本多千香さんや知人ら7名で旅行に行くきっかけとなった詳細を紹介します。また、スーツケースが盗まれた経緯、そして新しいスーツケースは誰が用意したのかなどを深く掘り下げていきます。

勝野兄弟一行の旅行

メルボルン事件が起こった要因は、勝野良雄のオーストラリア旅行計画から始まりました。費用を全額負担するということで、知人の浅見喜一郎さんにオーストラリア旅行のメンバーを募りました。日程はクアラルンプールで1泊しメルボルンからシドニーを巡る旅行だったということです。

本多千香さんは当時大宮のパブに勤務していました。そこの常連客だった勝野良雄の次兄である光男から誘われて承諾し、初の海外旅行を楽しみにしていたそうです。

スーツケースが盗難

1992年6月15日、クアラルンプール国際空港に着いた一行は、勝野良雄の知人のガイドチャーリーと合流し荷物を車に入れて日本食レストランで食事をしました。その後車ごとスーツケースが盗難にあう事件に遭ってしまいます。ひとまずその夜はゲンティン・ハイランドというホテルに一泊します。

新しいスーツケースが渡される

翌日スーツケースは見つかりましたが、見るも無残に切り裂かれていました。しかし、中身の荷物は全て無事だったということです。ガイド役のチャーリーは親切に新しいスーツケースを用意してくれました。その時本多千香さんは新しいスーツケースが重いことに不信感を抱いたそうです。

しかも盗まれたスーツケースには鍵が付いていないにもかかわらず、わざわざ壊して開ける必要があったのかも疑問に思ったということでした。

メルボルン空港でヘロイン発見

1992年6月16日、新しいスーツケースでクアラルンプールからメルボルン空港へ向かいました。空港に到着しましたが、入国審査で勝野良雄が不審人物であることが判明し、一行は拘束されることになりました。

その後荷物をX線検査器にかけた時、勝野良雄の兄2人と浅見喜一郎さん、本多千香さんの4名のスーツケースからヘロインが発見されました。ヘロインが発見された4名のスーツケースは底が二重底になっていました。ヘロインの総量は13キロあったということです。

麻薬密輸容疑で逮捕逮捕

メルボルン空港で拘束された4名のスーツケースからヘロインが見つかったことから、麻薬密輸容疑で逮捕される事態となりました。勝野良雄のスーツケースからヘロインが発見されなかったものの、不審人物であることから同じく逮捕されることとなってしまいます。ヘロインが発見されなかった女性2人については逮捕されずに帰国しています。

メルボルン事件の真相【逮捕】

メルボルン事件は日本人観光客がメルボルン空港でヘロイン所持の疑いで逮捕された事件です。逮捕された5人と強制送還された2人の女性の計7人が関わっている事件ですが、その人間関係を辿ってみます。まず旅行を計画したのが勝野良雄でその長兄が逮捕された勝野正治と次兄の光男です。

女性で唯一逮捕された本多千香さんは勤め先の大宮のパブで光男と知リ合ったということです。浅見喜一郎さんと帰国した女性の一人は勝野良雄の知人で、もう一人の女性は帰国した女性の知人という関係でした。勝野良雄が旅行を計画し、そこに集まったのがこのメンバーでした。

本多千香さんをはじめとする5人が逮捕

メルボルン事件の詳細は、1992年6月に海外旅行の一行がクアラルンプールでスーツケースを盗まれました。そこでガイドのチャーリーが新しいスーツケースを用意してメルボルン空港に向かいました。しかし、新しいスーツケースの底には仕掛けがしてあって二重底になっており、その中にヘロインが隠されていたのです。

メルボルン空港に着くと入国審査で勝野良雄が不審人物であることから一行は拘束されてしまいます。その後X線検査でスーツケースからヘロインが見つかったという経緯です。ヘロインが入っていたのは勝野良雄の兄2人と浅見喜一郎さん、そして本多千香さんのスーツケースでした。結果4人と勝野良雄は逮捕されましたが、全員が犯行を否認しています。

当時、地元メディアではジャパニーズマフィアとして大きく報道されています。

他2人は強制送還

オーストラリア旅行に参加した7人のうち、女性2人のスーツケースにはヘロインが入っていなかったということでした。そのため、勝野良雄の知人である女性とその知人の女性は日本に強制送還されました。

5人は刑務所で服役

メルボルン事件で逮捕された5人の無罪の主張は、通訳も付かず叶うことはありませんでした。その結果2年経過後に、主犯格と言われている勝野良雄は懲役25年の刑を言い渡されました。スーツケースからヘロインが発見された本多千香さんら4人は、懲役15年の刑を言い渡されています。しかし、勝野良雄は後の控訴審で懲役20年に減刑されたそうです。

逮捕後5人はオーストラリアのビクトリア州にある刑務所に服役しました。そして2002年に勝野良雄の兄2人と浅見喜一郎さん、本多千香さんの4人は仮釈放になり日本に帰国しました。その後2006年には勝野良雄も仮釈放になって日本に帰国しています。

メルボルン事件の真相【冤罪】

メルボルン事件はこのような状況でした。しかし、スーツケースが盗まれた後に新しいスーツケースが用意されたことや、勝野良雄とマレーシアのガイドの関係などを辿っていくと冤罪も疑われていました。

逮捕されてからの現地裁判での適当な対応や日本政府が介入しなかった事も原因だったのでしょう。また通訳が適切ではなかったことなども含めると、5人にとってとても不利な状況だったのかもしれません。

マレーシアのガイドによる陰謀?

冤罪の理由の一つが、クアラルンプールでスーツケースが盗まれた時に、ガイドが真っ先に新しいスーツケースを用意しています。しかもそのスーツケースが二重底になっていた点で、ガイドが観光客を麻薬の運び屋に仕立て上げようとした、ということも考えられていました。しかし、ガイドを証人として出廷させることはなかったということです。

勝野良男による陰謀?

次にメルボルン事件の冤罪の理由として挙げられたのが、勝野良雄による陰謀ではないかということです。勝野良雄は、元暴力団員で拳銃所持や向精神薬所持、公文書偽造の前科を持っています。そして、勝野良雄と兄2人は、スーツケースにヘロインが入っていることを知っていた確信犯ではないかとも言われました。

更に、ガイドがシンジケートの組員で、浅見喜一郎さんと本多千香さんの2人は無実だということを語っていたともいわれていました。

通訳が付かずに裁判は不利に

メルボルン事件の裁判では適切な通訳が付かず、発言した言葉を相手に伝わるように通訳できなかったため、十分な主張が出来なかったようです。そのため、適切な通訳なしには正しい見解が出来ず、冤罪にされてしまったのではないかという意見もありました。

日本政府も干渉せず

通訳が適切でないばかりか、メルボルン事件が起こった当時日本政府は相手国に対しての内務干渉は避けたいと表明しました。そのため5人の救済措置は取られなかったと言われています。しかし一方で、政府は犯行を把握していたため、わざと突き放していたという意見もありました。

本多千香さんは冤罪

以上のことからメルボルン事件で逮捕された5人のうち、本多千香さんと浅見喜一郎さんは冤罪である可能性が濃厚となっています。現地の通訳は役に立たず、日本政府の救済もなく15年の服役を余儀なくされた本多千香さんのその後はどうなったのでしょう。

本多千香さんのその後【メルボルン事件】

メルボルン事件での本多千香さんは、冤罪の疑いがありながら15年の服役を強いられてしまいました。メルボルン事件当時、本多千香さんには結婚を約束した男性がいたそうです。しかし、長年の服役中にその男性は他の女性と結婚してしまったということでした。

唯一の女性服役者となってしまった本多千香さんですが、婚約者との事はかなりのショックだったと思われます。服役中や日本に帰国後の本多千香さんの人生はどのように変わっていったのでしょうか。

服役中に自殺を図る

通訳も付かず冤罪と言われた本多千香さんは、英語が話せないまま服役していますので、パニック状態になったり気分の落ち込みが激しかったようです。言葉が通じないことで受刑者たちからいじめにもあっていたそうです。そのため夜中に手首を切って自殺を図ったこともあったということでした。

一命をとりとめた本多千香さんは、「神様が生かしてくれた。私に人生の教訓を学ばせているのだ」という考えに至ったそうです。その後は英語を学んでオーストラリア文化も勉強し、一生懸命働いて模範囚となりました。それがきっかけで刑務所内では友達もでき、誰からも好かれる存在になっていきました。

刑務所内では職員から子猫をもらい、母親の名前をとって「愛」と名付け大切に育てていました。

日本に強制送還

10年以上の服役を経て本多千香さんは、2002年仮釈放になり日本に強制送還させられています。36歳で服役し、出所した時は47歳となっていた本多千香さんの日本での人生は、とても不安だったと語っています。帰国後は実名を公表して記者会見も行っています。

書籍や日記も発表

本多千香さんは服役中に日記を書いていました。その量は10年間で5冊になったということです。苦しい時は「私を助けて」「早く日本に帰りたい」などの言葉が書かれていたようです。帰国後にその日記を公表しています。また、フリーアナウンサーの長野智子が本多千香さんの体験談を描いた『麻薬の運び屋にされて』の書籍も発表しています。

現在でも有罪扱い

本多千香さんの冤罪はオーストラリア政府では現在でも認められておらず、有罪となって残っています。しかし、メルボルン事件当時のガイドであるチャーリーが、他の罪で拘束されている時に証言したことがあります。それは、「本多千香さんは無実だ」と証言したことでした。それを期に本多千香さんの人生は好転しています。

2010年に本多千香さんは勤め先のパブで知り合った男性と結婚しました。しかし、服役中の余波は大きかったようです。日本での生活によるストレスと拘禁によるPTSDで結婚生活はうまくいかず、わずか1年半で離婚しています。

その後ガイドのチャーリーが無実の証言をしたのをきっかけに、精神状態も安定し離婚した旦那さんと再婚しているそうです。

メルボルン事件は1人の女性の人生を大きく変えた

楽しみにしていたオーストラリア旅行が、一転して罪人にされてしまった本多千香さんの人生は大きく変わってしまいました。適切な通訳も付かず有罪となってしまい、言葉もわからない生活環境も違うオーストラリアの刑務所に入れられました。10年以上の服役を余儀なくされて精神的に重大なダメージを被ったのです。

現在でも有罪扱いされていると言われているメルボルン事件は、本多千香さんの心を痛めています。しかし、獄中日記や書籍を公開することで自分の苦しみを少しでも和らげることができたのではないでしょうか。そして失った10年以上の歳月を、現在の旦那さんと取り戻しているのかもしれません。

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Mrsjunko

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