マサ斎藤の伝説や逮捕の理由とは!巌流島の戦いや死因の病気は【画像】

マサ斎藤は猪木との巌流島での戦いが伝説になっているレスラーです。名言が多いのもマサ斎藤の特徴でもあります。晩年はパーキンソン病で苦しみました。この記事では、マサ斎藤の伝説や逮捕の理由、巌流島の戦いや死因の病気などについてご説明します。

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目次

  1. 1マサ斎藤とは
  2. 2マサ斎藤のプロレス経歴
  3. 3マサ斎藤の伝説とは
  4. 4マサ斎藤の逮捕の真相とは
  5. 5マサ斎藤の晩年と死因とは
  6. 6マサ斎藤は伝説のプロレスラーだった

マサ斎藤とは

マサ斎藤といえば有名なプロレスラーで、猪木との巌流島での戦いが有名です。一体マサ斎藤とは、どのような人物なのでしょうか。まずはマサ斎藤のプロフィールやその他についてご説明します。

マサ斎藤のプロフィール

本名:斎藤昌典
出身地:東京都中野区
生年月日:1942年8月7日
没年月日:2018年7月14日(75歳没)
身長:189cm
体重:129kg(全盛期)
活動内容:プロレスラー

東京オリンピック出場

1963年、明治大学在学中にマサ斎藤は、レスリング全日本選手権に出てフリースタイル、グレコローマンのヘビー級で優勝しています。そして翌年の1964年、日本代表として東京オリンピックに出場しました。またマサ斎藤はフリースタイル・ヘビー級の試合に出場し、3回戦で敗退してしていました。

プロレス界のレジェンド

マサ斎藤はプロレス界でレジェンドと呼ばれています。日本とアメリカ、プロレスのリングを股にかけて活躍し、巌流島の戦いなどたくさんの豪快な伝説を作りました。それによりマサ斎藤は、ファンからもレスラー仲間からも愛されていました。

トレーナーとしても活躍

マサ斎藤はトレーナーとしても活躍し、若手の育成に実績を残しました。トレーニングへのこだわりは強く、若手レスラーにも熱心にトレーニングの指導を行いました。レスラーとしてマサ斎藤は、身長が高くありません。しかしその体格のハンデを埋めるために熱心なトレーニングを行っていました。

その結果、50歳を過ぎてもマサ斎藤は現役のプロレスラーとして活躍を続けることができました。お腹は出てはいましたが、分厚い胸板や太い腕をした体は熱心なトレーニングの賜物だったのです。

マサ斎藤のプロレス経歴

プロレス界のレジェンドと言われているマサ斎藤は、どのようなプロレス人生を歩んできたのでしょうか。次に、マサ斎藤のプロレス経歴をご紹介します。

大学卒業後に日本プロレスに入門

明治大学を卒業した後、マサ斎藤は1965年4月に日本プロレスに入門しています。同年の6月3日に高崎山猿吉戦でデビューを果たしたようです。そもそも日本プロレスという組織は、1953年に力道山によって設立されたプロレス団体です。その当時、ブロレス団体は日本に一つしかありませんでした。

力道山以降、プロレス界においての双璧をなすジャイアント馬場とアントニオ猪木も日本プロレスで同じ頃デビューを果たしています。平成になってからの多くのインディーズのプロレス団体を興した選手の多くは、人脈をたどればほとんどがの人が日本プロレスに行き着くことになります。日本プロレスのプロレス界に与えた影響は計り知れないものがあります。

東京プロレスに移籍

1966年に日本プロレスから離脱し、東京プロレスに移籍しました。マサ斎藤はアントニオ猪木、豊登に次ぐポジションで戦っていました。東京プロレスでの地位は高く、一時期は登記上の社長も務めたほどです。

しかし東京プロレスは日本プロレスの妨害などによって翌年にはあえなく崩壊してしまいます。東京プロレスの大半の所属レスラーは国際プロレスへ移籍しましたが、マサ斎藤はアメリカへ渡ることを決意し、フリーの一匹狼の道を歩むことになります。

アメリカで武者修行

力道山が亡くなった後、プロレス界では様々な分裂騒動で揉めていたことが起きていました。そんな状況に嫌気がさしていたマサ斎藤は1人でアメリカに渡りました。アメリカでは「ミスター・サイトー」「マサ・サイトー」というリングネームで、一貫してヒールのポジションで活躍しました。

もともとレスリングをやっていたマサ斎藤は、その地力を下敷きにした悪党ファイトが高い評価を受け、アメリカでは長い間トップヒールとして活躍しました。過去にプロレスの本場であるアメリカのマット界に参戦した日本人レスラーはたくさんいます。しかし東洋的な衣装やエキゾチックなキャラクターを演じることなく、成功したレスラーは一握りでした。

その中でもマサ斎藤は、本格的な世界レベルのレスリングスタイルと座右の銘である「Go To Broke!(当たって砕けろ!)」の精神で、アメリカ中のリングを渡り歩いた稀有な存在でもありました。海外で最も成功した日本人レスラーがマサ斎藤でした。
 

AWA世界ヘビー級王座を獲得

AWAは1991年までアメリカに存在していたプロレス団体です。かつてはNWAやWWFと並ぶ3大メジャープロレス団体でした。アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガンなどが最初に人気を博したのもAWAのリングでした。

マサ斎藤は1990年に東京ドームでラリー・ズビスコを破り、第37代AWA世界ヘビー級王座を獲得しています。日本人でAWA世界ヘビー級王座を獲得したのは1984年のジャンボ鶴田とマサ斎藤の2人だけです。

引退後は解説者やインタビュアーとして活躍

マサ斎藤は50歳を過ぎてから第一線を退きましたが、引退後はワールドプロレスリングの解説者やインタビュアーとしても活躍しました。

解説者時代のマサ斎藤は本当に自由でした。逆に自由すぎてマスクマンの正体が大体の人にバレていたようです。例えば、ブラックタイガーというマスクマンのことを「エディ・ゲレロは…」と言ったり、獣神サンダー・ライガーが出た時は「山田が…」などと言ったりしていたそうです。

1999年2月14日、自らが発掘したスコット・ノートンと日本武道館で引退試合を行いました。巨体のスコット・ノートンをバックドロップで投げるなど、引退試合では往年のパワーを見せつけました。

マサ斎藤の伝説とは

マサ斎藤には様々な伝説があります。その代表的なものがアントニオ猪木との巌流島での無観客の時間無制限のデスマッチです。次に、マサ斎藤の伝説とはどういったものがあるのかをご説明します。

伝説①巌流島の猪木との決闘

当時アントニオ猪木は新日本プロレスの人気の低下や倍賞美津子との離婚の危機など、公私ともに危機を迎えていました。そんな中で考えたのが歴史に残る決闘「巌流島の戦い」でした。この戦いをプロレスでやることで、この危機を乗り越えたい、アントニオ猪木はそう考えたのでした。そして巌流島の戦いにいち早く名乗りを上げたのがマサ斎藤でした。

宮本武蔵と佐々木小次郎の戦いに倣って巌流島を決戦の舞台に決め、ファンに媚びを売るつもりはないというこたから無観客で試合をしました。ノーレフェリー、ノールール、時間無制限のルールで行われることになり、山本小鉄と坂口征二が立ち会いました。
 

試合は一進一退の攻防が続きましたが試合開始から2時間後、アントニオ猪木とマサ斎藤はフラフラな状態になりました。照明の代わりにコーナーポストにはかがり火がたてられました。試合の結果は、アントニオ猪木がマサ斎藤の背後から裸絞めを決め、猪木のTKO勝利に終わりました。

1991年12月18日、若手成長株だった馳浩とタイガー・ジェット・シンとの巌流島の決戦も行われています。この時の試合の立会人はマサ斎藤が務めました。

伝説②数ある名言

マサ斎藤といえば座右の銘「Go For Broke!!(当たって砕けろ!!)」が有名ですが、その他にも名言などがありました。そして時にはマサ斎藤の言葉が迷言とも捉えられる時があったようです。

「新日本プロレスは、ハンパじゃないぞ!」「お前らのプロレスは弱すぎる」「馳、お前たちがだらしないから駄目なんだよ」など、どれもが力強さを感じさせる言葉でした。

迷言としては「いやあ、ムタも武藤も一緒ですからね」「だからねえ、タッグマッチでは1足す1が1にも2にもなる時があるんですよ」「いやあ、僕の若い頃といえばAWAでバリバリやってましたからねえ。僕の青春といえばセックス!ドラッグ!ロックンロール!でした!」などというものがあります。

どこか愛嬌のある憎めない天然ボケのような一面もあるマサ斎藤でした。プロレスラーとしてのマサ斎藤は豪快で一貫して荒々しいキャラクターでしたが、口を開くと素っ頓狂なことを言うことがよくあったようです。

マサ斎藤の逮捕の真相とは

マサ斎藤はアメリカの武者修行時代に警察に捕まり、有罪判決を受け刑務所暮らしをしていた時期があります。次に、マサ斎藤の逮捕の真相とはどのようなものだったのかをご説明します。

アメリカで起きた器物破壊事件

1984年4月にアメリカ・ウィスコンシン州のワシャカという小さな町で器物破壊事件が起こりました。事件を起こしたのはプロレスラーのケン・パテラでした。ケン・パテラによると、偶然に訪れたマクドナルドで、解雇されたことに憎んだ元店員が投石をした現場に偶然にも居合わせたという話でした。

ケン・パテラ逮捕に巻き込まれる

マサ斎藤はその事件に巻き込まれることになります。ケン・パテラは宿泊先でマサ斎藤と部屋が同じでした。ケン・パテラはマサ斎藤と友人関係でした。

マクドナルドから帰ってきたケン・パテラは、警官数人と一緒にやってきました。その時パンツ一枚だったマサ斎藤は「とにかくGパンだけは履かせてくれ」と言いました。しかし警官の1人が無理やりドアに足を突っ込んできたそうです。

するとベッドで寝転がっていたケン・パテラがいきなり起き上がり、女性警官を抱え上げホテルの廊下に叩きつけてしまいました。そこはさすがアメリカです。警官の1人がケン・パテラに銃を向けてきました。「ケンが撃たれる」そう思ったマサ斎藤は猛然とその警官にタックルしました。

マサ斎藤とケン・パテラと数人の警官はもみ合いになりました。ホテルでプロレスラーが大暴れしているという無線を受けて警官がどんどん詰め掛けてきて、ホテルの廊下は殴る蹴るの大騒ぎとなりました。最終的には十数人の警官に囲まれ、大乱闘の末に2人は逮捕されました。

陪審員裁判で有罪判決

逮捕の直接の原因を作ったのはケン・パテラだったようです。ケン・パテラがマクドナルドに食事に行った際、もう閉店しているにも関わらず「店を開けろ」と騒ぎ店員とトラブルとなってしまったそうです。

陪審員裁判ではケン・パテラとマクドナルドの現場に一緒にいたとか、女性警官を投げ飛ばしたのがマサ斎藤だとかという話になってしまい、マサ斎藤に禁固2年の有罪判決が下りました。マサ斎藤はこれを不服として日本領事館に助けを求めましたがどうにもなりませんでした。

しかしマサ斎藤はこの刑務所暮らしを休息期間と考え、刑務所内で肉体改造を始めました。そして見事、刑務所内で肉体改造を成功させました。また友人を助けるために体を張った男として、一目置かれる存在にもなりました。

刑期を終え出所したマサ斎藤は「獄門鬼」というニックネームが付けられました。その後、「監獄固め」という必殺技をも使うようになったようです。そこまでマサ斎藤は、刑務所で生活し強い男になりました。

マサ斎藤の晩年と死因とは

このように自由奔放で男気のあるマサ斎藤ですが、晩年はどのように過ごしていたのでしょうか。次に、マサ斎藤の晩年と死因についてご説明します。

健介オフィスにアドバイザーとして招聘される

マサ斎藤は1999年にプロレスを引退しました。その後2005年、マサ斎藤を慕っていた佐々木健介によって健介オフィスにアドバイザーとして招聘されることになります。佐々木健介にとってマサ斎藤は師匠のような存在でした。

ジャパンプロレスに入門した頃は佐々木健介には住むところがなく、マサ斎藤が自宅マンションに居候させたそうです。「身長のない分、横に筋肉をつけろ」などというアドバイスをしたと言います。

パーキンソン病を発症

2000年、マサ斎藤はパーキンソン病を発症します。それでも2003年には長州力とともにWJプロレスの旗揚げに参加しています。2013年には障害者手帳の交付を受けていたことなども公表しました。

それでも2016年12月2日、大阪市城東区民センターで行われた「Strong Style History〜Go ForBroke!!Forever〜」で約4年半ぶりにリングに登場しました。介助なしではリングに上がれないほど弱っていましたが、海賊男(武藤敬司)の強襲に応戦しました。

カムバックを目指しトレーニング

2017年1月18日の日刊スポーツで、栃木県内の病院でリハビリに取り組んでいるマサ斎藤の姿が記事で紹介されました。

パーキンソン病の症状が末期状態であるにも関わらず、1時間のトレーニングを1日3回こなしていると記事には書かれていました。2020年の東京オリンピックの年にカムバックすることを目標にトレーニングを毎日続けているということでした。

病気が原因で死去

2018年7月14日1時5分、パーキンソン病のためマサ斎藤は死去しました。葬儀・告別式が東京・青山の梅窓院で行われました。通夜では辻よしなりが、告別式では徳光和夫がそれぞれ司会を務めました。

告別式には米良明久(グレート・カブキ)、武藤敬司、長州力、坂口征二、天龍源一郎、木戸修、アニマル浜口、キラー・カン、前田日明、蝶野正洋、佐々木健介・北斗晶夫妻、古舘伊知郎などが参列しました。マサ斎藤の死去に多くの人が追悼の意を表しました。

マサ斎藤は伝説のプロレスラーだった

マサ斎藤は誰からも愛され、慕われた伝説のプロレスラーでした。パーキンソン病という重い病気にかかりながらも、復帰に向けてトレーニングを欠かさなかったという強い意志の持ち主でもありました。

人間離れしたすごい筋肉と猪木との巌流島の戦いなどに代表される豪快な伝説、そしてカルピスが大好きだったというなんとも可愛らしい愛すべきキャラだったマサ斎藤でした。心からご冥福をお祈りいたします。

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naogeba

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