アナタハンの女王事件とは!アナタハン島での比嘉和子と男32人のその後は【画像】

アナタハン島で多勢の男性が一人の女性を奪い合ったアナタハンの女王事件をご存知でしょうか。別名アナタハン島事件と呼ばれ、映画にもなりました。島でたった一人の女性となった比嘉和子の妊娠・結婚についてやアナタハンの女王事件のその後の比嘉和子の生活について紹介します。

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目次

  1. 1アナタハンの女王事件とは
  2. 2アナタハンの女王事件の真相
  3. 3比嘉和子のその後
  4. 4男達のその後
  5. 5アナタハンの女王事件を題材にした映画
  6. 6アナタハンの女王事件は時代と戦争がもたらした悲劇

アナタハンの女王事件とは

1945年から1950年の間に起きたとされているミステリアスなアナタハンの女王事件をご存知でしょうか。事件の名前にもなっているアナタハンとは、人の名前のようですが事件が起きた島の名前です。アナタハン島はフィリピン海に浮かぶマリアナ諸島の島のひとつです。

アナタハンの女王事件とは、多勢の男性が一人の女性を奪い合って死者まで出た悲惨な事件です。現在も謎に包まれているアナタハンの女王事件の真相について詳しく以下で紹介します。

別名アナタハン島事件

アナタハンの女王事件は、別名『アナタハン島事件』と呼ばれることもあります。アナタハン島事件が起きた当初、アナタハン島は日本の植民地でした。アナタハン島には当時、日本人以外におよそ50人の先住民が暮らしていたそうです。10年ほど前から、アナタハン島は火山活動が活発化しているため、人が生活出来るような状態ではないようです。

以前、住んでいた人々は他の島へ移住しており、アナタハン島は現在は無人島となっています。

島でたった1人の女性となった比嘉和子【画像】

アナタハンの女王と呼ばれているのは、比嘉和子という人物です。上の画像が比嘉和子本人です。当時、アナタハン島には32人の日本人男性と比嘉和子、そして約50人の先住民が暮らしていました。1945年の夏に戦争が終わり、アメリカ軍がアナタハン島で暮らす日本人に終戦を知らせます。

しかし、誰一人としてアメリカ軍の知らせに耳を傾けませんでした。戦争が終わったことを知ったアナタハン島の先住民は、別の島へ逃げていったそうです。そして、比嘉和子はアナタハン島でたった1人の女性となってしまいました。

アナタハンの女王事件の真相

戦争が終わるとアナタハン島で暮らしているのは日本人のみになりました。そもそも32人の日本人男性と比嘉和子は、なぜアナタハン島で生活することになったのでしょうか。比嘉和子はどのような生活を送っていたのか、ミステリアスなアナタハンの女王事件の真相について詳しく掘り下げていきましょう。

比嘉和子夫妻の転勤

比嘉和子には当時、比嘉正一という夫がいました。比嘉和子がアナタハン島で生活するようになったきっかけは夫の比嘉正一の転勤でした。比嘉和子の夫は、南洋興発という会社に勤めていました。そして、会社からアナタハン島への転勤が命じられ、比嘉和子は夫と南洋興発のもう一人の社員の男性と3人で生活することとなりました。

アナタハン島は日本の植民地だったため、住んでいた先住民も南洋興発の下で働いていたそうです。

妊娠するも爆撃で流産

1944年比嘉和子は夫との間に第一子を妊娠していました。しかし、残念ながらアメリカ軍からの爆撃を受けたことにより、子供を流産してしまいました。当時、比嘉和子は妊娠5ヶ月だったそうです。住んでいた家が全焼し、比嘉和子は森の中へ避難しました。比嘉和子が流産してしまったのは、爆撃の衝撃が原因ではないかと言われています。

そしてこの流産以降、比嘉和子は不妊症となってしまいます。流産に加えて不妊症になってしまったことからも、妊娠していた比嘉和子の身体にかなり大きなダメージを与えたことがうかがえます。

アナタハンに辿り着いた男たち

1944年の6月中旬に日本のカツオ漁船数隻は、サイパン島近くでアメリカ軍から攻撃されました。このアメリカ軍からの攻撃で2隻のカツオ漁船が沈没してしまいました。そして日本の軍人10人と船員21人は、沈没していない船に乗ってアナタハン島へ辿り着きました。中には、泳いでアナタハン島に辿り着いた人もいたそうです。

アメリカ軍からの攻撃を受けながらも沈没しなかった船が一隻残っていたのですが、アナタハン島に辿り着いた後、再びアメリカ軍からの空襲を受けて燃えてしまいました。アナタハン島に辿り着いた男性たちは、ほとんどが20代の若い青年だったそうです。中には、10代の青年もいたと言われています。

こうして、比嘉和子とアナタハン島に辿り着いた男性たちとの生活が始まりました。

身の不安から結婚

比嘉和子とアナタハン島に辿り着いた30人以上の男性との生活が始まり、日が経つにつれて男性たちは比嘉和子を奪い合うようになりました。比嘉和子の夫は、アナタハン島が爆撃を受ける前に他の島に住む家族に会うため、アナタハン島を出たきり戻ってくることはありませんでした。

当時、アナタハン島には洋服などあるはずもなく、比嘉和子は腰蓑をまとっただけの格好でした。ほぼ裸の状態で生活する比嘉和子は、男性たちにとって唯一、性の対象になりうる存在になってしまったのです。多勢の男性から狙われていることを知った比嘉和子は自分の身を守るため、一緒に生活していた南洋興発のもう一人の男性と結婚します。

拳銃が権力の象徴に…

自分の身を守るために、南洋興発の男性と結婚した比嘉和子でしたが、男性は比嘉和子を束縛するようになりました。男性の比嘉和子に対する束縛は日に日に悪化し、比嘉和子が他の男性と話すだけで腹を立てて暴力を加えるようになります。比嘉和子は森の中で墜落したアメリカ軍のB29を見つけました。B29の中には、拳銃や食べ物などが残っていました。

拳銃は二丁あり、二人の男性が一丁ずつ持つことになりました。そして、拳銃を持つ一人の男性が比嘉和子を狙っていた男性を射殺しました。拳銃を持つ男たちの立場が優位となりました。それから比嘉和子は、身を守るために結婚した男性に加えて、拳銃を持つ二人の男性も合わせた合計4人で生活するようになりました。

その後も、比嘉和子をめぐって殺し合いが続きました。何人もの男性が死亡したため、最終的には二丁の拳銃を海へ流して手放すことにしました。

比嘉和子の処刑を談合

殺し合いを防ぐため、二丁の拳銃を海へ流したにもかかわらず、比嘉和子をめぐる奪い合いは終わりませんでした。拳銃を海に流した後も、死者や行方不明者が出てアナタハン島にいた30人以上の男性は20人ほどしか生き残っていませんでした。そして最終的に、男性たちは奪い合いの原因となる比嘉和子を処刑することを決めました。

比嘉和子の逃走

比嘉和子を処刑することが決まり、男性たちは比嘉和子を殺そうとしていました。そんな中、一人の男性が比嘉和子に男性たちが殺そうとしていることを伝え、比嘉和子を森の中へ逃がしました。比嘉和子は死に物狂いで約一ヶ月間森の中を逃げ回りました。そして1950年6月にアナタハン島を巡回していたアメリカ軍に発見され脱出したのです。

比嘉和子のその後

多勢の男性が比嘉和子を奪い合い、何人もの死者が出ました。そして最終的に男性たちは、殺し合いの原因となる比嘉和子を殺害しようとしました。それを知った比嘉和子は約一ヶ月間森の中を逃げ回り、アメリカ軍によって救出されました。アナタハン島から出た比嘉和子はその後、どのような生活を送っていたのでしょうか。

「アナタハンブーム」で時の人

比嘉和子はアメリカ軍に救出された後、これまでに起こったアナタハン島事件のことをアメリカ軍に話しました。そしてこのアナタハン島事件は世界中で報道され、比嘉和子はたちまち有名人となりました。日本でもアナタハン島事件が取り上げられ、アナタハンブームが巻き起こり比嘉和子は時の人となったのです。

メディアは比嘉和子のことを『アナタハンの女王』や『女王蜂』などと勝手な報道しました。これに対し腹を立てた比嘉和子は真実を伝えようと沖縄から東京まで行きました。そして比嘉和子は、四人の男性と結婚したが自分を奪い合って死んだのは二人だけだと伝えたそうです。しかし、メディアの比嘉和子に対する非難は続きました。

女優としての活動

アナタハンブームが巻き起こり、時の人となった比嘉和子の写真は飛ぶように売れたそうです。そして、比嘉和子を使って金儲けをしようとする人が現れました。その後、比嘉和子はストリップ小屋を回ったり、さらにはアナタハン島事件の映画にまで出演して女優として活動していたそうです。

子連れの男性と再婚

時の人となり、女優として活動していた比嘉和子ですが、アナタハンブームはそう長くは続きませんでした。需要がなくなった比嘉和子は、地元の沖縄へ戻りアナタハンという名前の食堂を営むことにしました。その後は、子連れの男性と再婚して穏やかな生活を送っていたそうです。

最初の結婚相手の比嘉正一は、比嘉和子より前に日本に帰っており、再婚して子供もいたようです。

脳腫瘍のため死去

沖縄へ戻り、食堂を営みながら新しい家族と穏やかに暮らしていた比嘉和子ですが、再婚相手の男性を病気で亡くしてしまいます。その後は、タコ焼き店を営んでいたようですが、比嘉和子も1972年に脳腫瘍のため49歳という若さでこの世を去っています。

男達のその後

比嘉和子は男性たちから身を守るため森の中を逃げ回り、アメリカ軍に救出されたあと日本に無事帰ることができました。では、アナタハン島に残っていた男性たちはその後どうなったのでしょうか。アナタハン島事件に関わっていた男性たちのその後について以下で紹介します。

終戦を信じられず遅れて投降

比嘉和子がアナタハン島から脱出した後も、男性たちはアナタハン島で生活を続けていました。アメリカ軍の終戦の知らせや家族からの手紙の内容が信じられず、アメリカ軍の嘘だと思っていたそうです。当時、日本ではアメリカ軍に捕まれば殺されるとされていたようです。

そして、比嘉和子がアナタハン島を脱出してから一年が経ち、一人の男性がアメリカ軍に投降しました。その後、アナタハン島にいた男性たちは終戦が事実であると分かり、日本に帰国しました。男性たちがアナタハン島に辿りついてから日本に帰るまで6年も経過していました。

「奇跡の生還」として報道

実はアナタハン島に残っていた男性たちは、日本に帰国する前グアムにあるアメリカ軍の基地に送られていたそうです。そして1951年の夏、羽田空港に着いた男性たちは涙を流していたそうです。6年もの間、アナタハン島で不自由な生活を送りながら、殺されていく人を見てきた男性たちは日本に帰ってホッとしたことでしょう。

当時、羽田空港には帰国する男性たちを見るために、多勢の人が駆けつけたそうです。日本にいる人々は、男性たちはすでに戦争で死亡していると思っていました。しかし、男性たちが帰国したためメディアは「奇跡の生還」として報道しました。

帰還したことで混乱を招く事態も

「奇跡の生還」と報道された男性たちでしたが、すでに死亡したと思い生活していた家族や知り合いは男性たちの帰還に混乱しました。アナタハン島を出たきり戻ってこなかった比嘉和子の最初の結婚相手も比嘉和子は死亡していると思い、再婚していました。日本に帰還した男性たちもまた、比嘉和子と同じような状況でした。

結婚していた妻が別の男性と再婚していたり、実の弟と妻が再婚していたというケースもありました。アナタハン島で生活していた男性たちはすでに戦死したと伝えられていたため、このような事態を招いたのでしょう。

アナタハンの女王事件を題材にした映画

比嘉和子と多勢の男性がアナタハン島で生活する中で10人以上の男性が死亡したアナタハンの女王事件を題材にした映画があるようです。映画化されるほど、アナタハンの女王事件は世間に影響を与えた出来事だったということでしょう。アナタハン女王事件を題材にした映画について以下で紹介します。

映画「アナタハン」

アナタハンの女王事件を題材にした映画のひとつとして有名なのが『アナタハン』という映画です。この映画は1953年に上映された日本映画で、ハリウッドでは有名なジョセフ・フォン・スタンバーグという人物が監督しました。映画の出演者も監督が日本の女優や俳優のみを選んだそうです。

日本で最初に上映が開始され、翌年にはアメリカでも上映されました。映画の内容はほぼ実際のアナタハン島事件と同じものですが、比嘉和子の名前は本名ではなく日下部恵子という名前に設定されています。

映画「東京島」

また、アナタハンの女王事件を題材にした『東京島』という映画をご存知でしょうか。この映画はアナタハン島事件から60年以上経った2010年の夏に上映が開始されました。元々は、桐野夏生の小説がオリジナルのようです。映画『東京島』は、アナタハン島事件を現代風にアレンジしたような映画です。

銀行を早期退職した夫と比嘉和子をモデルにした清子がクルーザーに乗って世界一周を目指して旅をしている途中に誰も住んでいない島に辿り着きます。そこで沖縄県の島から仕事が嫌になって逃げ出した約20人のフリーターや日本に来る途中に島に辿り着いた約10人の中国人との生活が始まります。

アナタハン島事件と同様で島にいるのは一人の女性と多勢の男性です。映画の出演者は木村多江や窪塚洋介といった実力派俳優です。

アナタハンの女王事件は時代と戦争がもたらした悲劇

ミステリアスなアナタハンの女王事件の真相と比嘉和子のその後の生活について紹介しました。戦争中にアナタハン島でたったひとりの女性となってしまったことで、比嘉和子の人生は一変してしまいました。もし戦争が起こっていなかったら、ひとりの女性をめぐって殺し合うような悲惨な事件は起こらなかったことでしょう。

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この記事のライター
西村 瑛莉

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