小林カウ死刑囚の生い立ちや最期!映画化されたホテル日本閣事件とは

ホテル日本閣事件を起こしたため、死刑囚となった小林カウをご存知ですか。小林カウは鎌助・ウメを死に追いやった人物でありながら、その犠牲者は他にもいたと言います。最期に残した言葉が衝撃的で映画にもなった女性、小林カウと中村又一郎や娘との関係などもご紹介します。

小林カウ死刑囚の生い立ちや最期!映画化されたホテル日本閣事件とはのイメージ

目次

  1. 1小林カウとは
  2. 2小林カウの生い立ち
  3. 3小林カウと関係があった人物【ホテル日本閣事件】
  4. 4ホテル日本閣事件のその後
  5. 5映画化されたホテル日本閣事件
  6. 6小林カウは戦後初の女性死刑囚として犯罪史に名を残した

小林カウとは

小林カウと呼ばれる人物をご存知ですか。小林カウとは、1960年から1961年に起きた失踪事件に関与しているとされている人物です。この失踪事件にはあるホテルが関係しており、事件発覚から10年後に刑が執行されることとなります。また、小林カウは第二次世界大戦後に初めて死刑が執行された女性死刑囚でもあり、世間の注目を集めました。

小林カウは後に、映画のモデルとして使われるようになりました。世間に大きな影響を与えた人物だったことから映画の題材として使われていたと考えられるのではないでしょうか。小林カウが起こした事件の概要や、最期に残した言葉、小林カウがモデルとなった映画作品などについてご紹介します。

ホテル日本閣事件の犯人

小林カウが関与していたとされている事件は、ホテル日本閣事件と言われる事件です。この事件では小林カウが共同経営していたホテルの経営者の生方鎌助と、その妻であるウメを殺害しました。また、ホテル日本閣事件が表ざたになったことにより、小林カウが別れた夫の殺害にも関与していたことが明らかとなったようです。

ホテル日本閣事件はホテル日本閣殺人事件とも言われており、事件現場は共同経営していたホテルでした。後に大きな事件として知られるホテル日本閣事件ですが、小林カウには殺害する動機があったようです。それについては後にご紹介します。

戦後初の女性死刑囚

上記でも少し触れたように、小林カウはホテル日本閣事件を起こしたことによって、第二次世界大戦後初の女性死刑囚となりました。また、小林カウがホテル日本閣事件によって注目された理由はこれだけではありません。逮捕されてから9年後に死刑が執行されていることから、他の事件と比べて死刑執行までの期間が短いことが分かります。

これには小林カウから取れたいくつかの証言が関係していると言われています。そのことについては、小林カウのその後でご紹介していきます。

小林カウの生い立ち

1908年に生まれたとされている小林カウは、事件を起こす前にどのような生い立ちがあったのでしょうか。上記でも少し触れていますが小林カウはホテル日本閣事件だけでなく、最終的に前夫を殺害した罪にも問われています。そのことから、生い立ちに何らかの原因があったのではないかと考えるのが普通です。

小林カウの生い立ちを大まかに説明すると、貧しい家庭に生まれたにも関わらず様々な方法で資産を増やしていきます。自分の力を使って資産を増やしていったため、小林カウには才能があったと言えるのではないでしょうか。では、そんな小林カウの生い立ちの詳しい部分をご紹介していきます。

貧困家庭に生まれる

上記で述べたように1908年に誕生した小林カウは、貧困家庭に生まれました。出生地は現在の熊谷市にあたる場所で、実家は農家だったようです。第二次世界大戦前後では兄弟が複数人いることが普通だと言われており、裕福ではなかった小林カウの家庭でも7人兄弟でした。そして、小林カウはその中の次女に当たる5番目の娘となります。

しかし、あまりにもお金がなかったため、東京に対して強い憧れを抱くようになります。そして、お金を貯めて東京に出向いていきました。当時は貧困家庭でも兄弟が多い家庭ばかりだったことから、都会である東京に上京したいと考える人が多かったようです。また、当時東京は最先端を行く場所でもありました。

上京しのちに結婚・娘も授かる

22歳になった頃、小林カウは地元に戻ることとなります。そして、当時27歳だった5つ年上の元夫と結婚をしました。見合い結婚だったため、小林カウは元夫との結婚に不満を抱いていたのかもしれません。また、元夫は病気がちで身長も平均より小さく、小林カウに対して夫婦として満足のいく生活を送らせてあげることができませんでした。

当時小林カウはまだ22歳だったことから、乙女な部分を持っていたはずです。そのため、例え見合い結婚だったとしても夫婦らしい生活を送りたかったことでしょう。小林カウは後に子供を授かりますがすぐに死亡してしまいます。しかし、その後新たに娘が誕生しました。

一度子供が死亡していることから、娘に対しては愛情を注ぎたいと考えていたのかもしれません。しかし、後に娘との関係がうまくいかず、娘が出て行ってしまいます。そして、娘からの連絡はそのまま途絶えてしまうことになりました。

様々なビジネスを手がけ家計を支える

元夫は経営をしていましたが、そのうちうまく商売が回らなくなってしまいます。当時は貧困家庭が多かったことから、小林カウの一家が特別商売がうまくいかなくなったわけではありません。しかし、娘が既に生まれていることもあってお金を稼がなければいけませんでした。そして、元夫は地元を離れて働きに出ますが体が余計に弱くなるのは時間の問題です。

小林カウは熊谷に家を建てるや否や、禁止されている物資を売るという商売を始めます。このビジネスはとてもうまくいき、一家の家計は小林カウが支えていたと言っても過言でないでしょう。しかし、お金を手にした人は徐々に「もっとほしい」という欲求に駆られてしまいます。

夫を愛人・中村又一郎と共謀し毒殺

ビジネスがうまくいき始めたころ、警察官で独身の中村又一郎が訪れました。小林カウが行っていたのは闇商売と呼ばれるもので、本来は取り締まられるべき行為です。そのため、小林カウは警察である中村又一郎の訪問を怖がっていました。そして、取り締まられないようにと中村又一郎に対しての待遇をよくします。

そうすると、中村又一郎は気をよくして小林カウの自宅への出入りを増やしていきました。小林カウは「娘と結婚してくれれば」と思っていましたが、中村又一郎と愛人関係に発展していったようです。そして、中村又一郎にハマってしまった小林カウは、邪魔になってしまった元夫を中村又一郎と共謀して毒殺しました。

順調なビジネスにより資産を増やす

小林カウはその後もビジネスを順調に運営していました。また、愛人の中村又一郎と共謀して元夫を殺害したため、自分を縛り付けるものがなくなってのびのびと商売ができるようになったのではないでしょうか。元夫の死について噂が広まってしまったようですが、警察は証拠を見つけることができなかったため捜査を打ち切りました。

そして、後に中村又一郎と小林カウは一緒に住み始めるのですが、中村又一郎は警察にそのことがバレて懲戒免職になります。その後は順調に愛をはぐくむことができず、中村又一郎は若い女を作って出て行ってしまいました。

小林カウと関係があった人物【ホテル日本閣事件】

小林カウの生い立ちを見ると、かなり波乱万丈な人生を送ってきたことが分かります。小林カウは才能に溢れていたため、ビジネスを軌道に乗せることができていたはずです。しかし、日本閣ホテルに出会うことによって、事件を起こしてしまうことになりました。

また、そんな小林カウに対して、物心の付いた娘は嫌気がさし始めていたようです。男に捨てられてからもビジネスは順調に進んでいったのですが、今度はホテル日本閣事件を起こすきっかけが訪れます。まずは、ホテル日本閣事件で小林カウと関係のあった人物についてご紹介しましょう。

ホテル日本閣の経営者・生方鎌助

ホテル日本閣事件で小林カウと深い関わりがあったのは、生方鎌助です。鎌助は小林カウと共同で経営をしたいと持ち出しており、小林カウは自分の名義のホテルが競売にかけられていたことを知ってから殺害することを決めたようです。ホテル建設にお金を使っていたこともあり、怒りがこみ上げてきたことでしょう。

そして、鎌助を毒殺しようと試みますが、鎌助は食事に混ぜられた毒の味に不信感を抱きます。そのため、鎌助を後ろから細引を使って襲い、絞め殺しました。

ホテル日本閣の経営者・鎌助の妻ウメ

ホテル日本閣の経営者であった鎌助の妻であるウメは、ホテル日本閣事件で一番初めの犠牲者です。当時、ホテル日本閣は不備が多かったため経営不振に陥っていました。そのことから鎌助とウメはホテル経営に対して疲れを感じていたようです。そこに小林カウが現れて、鎌助とウメからホテルを乗っ取りたいと考えます。

初めは鎌助とウメが手切れ金を持ってきてほしいと頼みましたが、ウメはその金額を一向に下げようとはしませんでした。そのことから、小林カウは鎌助とウメに対してお金を払うことがばからしくなり、ウメ殺害をもくろみました。そして、ウメ殺しには大貫光吉を仕向けたと言います。

ホテル日本閣の雑用係・大貫光吉

大貫光吉は事件当時、ホテル日本閣で雑用係をしていたと言います。事件に関わった当時は36歳で女性との関係は一切持っていなかったようです。そのことを知った小林カウは、大貫光吉に対して「ウメを殺害したら体の関係になってやる」と持ち掛けます。また、殺しを頼むためのお金としていくらか渡していました。

大貫光吉は小林カウの言葉に乗っかることにしたようです。さらに、ホテル日本閣事件では鎌助もウメを殺害したいと考えていました。初めウメ殺しを躊躇していた大貫光吉は、鎌助から励まされることで実行に移すことを決意します。直接ウメを殺害したのは大貫光吉ですが、結果的には鎌助と小林カウも間接的に殺害に関わっていたという形になりました。

ホテル日本閣事件のその後

ホテル日本閣事件は、ウメと鎌助が殺害されることで終止符を打ちました。もともとホテル日本閣にあるボイラー室に死体を埋めていましたが、なぜかその情報が漏れてしまうこととなります。そのため、死体を別の場所に埋め直すという行動も起こしていたようです。

そして、裁判ではホテル日本閣事件に関わっていた大貫光吉も殺害する予定だったと話しています。しかし、男好きだった女性として知られている小林カウは、「死刑だけは堪忍してね」と裁判官に訴えるなど女性らしさをあらわにしたようです。その後、小林カウと大貫光吉はどうなったのでしょうか。

小林カウと大貫光吉に死刑判決

ホテル日本閣事件に関与していた小林カウと大貫光吉は、共に死刑判決が下されます。そして、戦後初の女性死刑囚となった小林カウは、その4年後に死刑が執行されました。女性死刑囚が確定したのは3人目だと言われていますが、1人は恩赦を受けており、もう1人も収監されている場所で死亡していたようです。

そのため、女性死刑囚で実際に死刑が執行されたのは、戦後初めてでした。戦後初めて女性死刑囚の死刑が執行されることから、多くの人の注目を引き付けていたのかもしれません。また、大貫光吉の死刑に関しては情報がありませんでした。

小林カウが最期に残した言葉

死刑囚となってしまった小林カウは、最期に衝撃的な言葉を残したとされています。小林カウ死刑囚は最期に「捕まったことは事業に失敗したのと同じ」と残していたようです。この言葉からは、小林カウが犯罪を犯すことに対して罪悪感を一切持っていないことが感じ取れるため、逮捕されていなければもっと被害が拡大されていたことでしょう。

映画化されたホテル日本閣事件

上記で詳細をご紹介したホテル日本閣事件は、後に映画化されることとなります。ご紹介する映画作品は2つで、いずれも昭和に公開された映画です。そのため、当時の昭和っぽさや生々しさを感じ取ることができるのではないでしょうか。では、ホテル日本閣事件を題材として映画化した作品についてご紹介します。

1969年公開「明治大正昭和 猟奇女犯罪史」

小林カウ死刑囚が逮捕されてから死刑が執行されるまでに、『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』と呼ばれる映画が公開されました。この『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』は白黒映画で、1969年に公開されていることを見ると、小林カウ死刑囚が逮捕されてから急いで作った映画と言えるでしょう。

『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』では、小林カウ以外にも犯罪者となった女性が数多く登場します。そのことから、過去に起こった殺人事件などを知りたいと考えている人たちから熱狂的な支持を受けていると言っても過言ではありません。

1984年公開「天国の駅 HEAVEN STATION」

1984年に公開された『天国の駅 HEAVEN STATION』は、先ほどの作品とは違って小林カウを題材としている映画です。『天国の駅 HEAVEN STATION』は完全に日本閣事件と同じというわけではなく、大まかな流れだけが似ている映画のようです。そのため、あくまでフィクションとして小林カウの起こした事件を知りたい人におすすめです。

小林カウは戦後初の女性死刑囚として犯罪史に名を残した

日本閣事件を起こした小林カウは、戦後初の女性死刑囚として犯罪史に名を残しました。しかし、ビジネスを1から始めて軌道に乗せたところを見ると、才能を持っていたのかもしれません。ただ、一人娘からも愛想を尽かされている部分を見ると、少し男関係に対してだらしなかったことが仇となってしまった可能性があります。

もしも、その才能を存分に発揮していれば、娘と一緒に事業を展開することが出来たかもしれません。ただ、小林カウは最期まで自分の人生への考え方を貫いていきました。

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すうこ

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