阿部定事件とは!阿部定の生い立ちや事件のその後・現在は

阿部定事件をご存知でしょうか。事件を起こした阿部定は、死亡させた愛人の遺体から男性器を切り落としたことで有名です。犯行は映画のモデルにもなりました。阿部定の生い立ちから、事件のその後や最後の消息はどうなったのか、現在までの経緯などについてご紹介していきます。

阿部定事件とは!阿部定の生い立ちや事件のその後・現在はのイメージ

目次

  1. 1阿部定とは
  2. 2阿部定の生い立ち
  3. 3阿部定事件とは
  4. 4阿部定事件の裁判
  5. 5出所後の阿部定のその後
  6. 6阿部定事件は戦前の日本で起きた猟奇的殺人だった

阿部定とは

阿部定と呼ばれる人物をご存知ですか。阿部定はある事件に関わっていた犯人とされており、その犯行が世間で大きな反響を呼ぶこととなりました。阿部定の起こした犯行に対して、男性からは「恐ろしい」との声が上がっていますが、女性からは「よくやった」との声が上がることもしばしばあるようです。

阿部定はどのような事件に関わっていたのでしょうか。また、阿部定は美人だったということもあり、有名になりました。まずは阿部定について深く掘り下げていきましょう。

阿部定のプロフィール

・本名:阿部定(あべさだ)
・生年月日:1905年5月28日
・出身地:東京府東京市神田区(東京都千代田区神田多町)
・家族構成:阿部重吉(父)阿部カツ(母)

阿部定は世間から広く知られている人物のため、様々な映画作品のモデルとして使われています。有名な作品であれば『失楽園』や『愛のコリーダ』があり、中には阿部定を主役とした『阿部定 最後の七日間』などの映画も公開されているようです。

阿部定事件の犯人

阿部定が世間に知られることになったのは、阿部定事件を起こしてからです。阿部定事件はウィキペディアに載っているほど有名な事件で、1936年5月18日に起こりました。場所は東京市荒川区尾久で、猟奇的な事件として今でも知られているようです。また、事件の内容は周囲の興味を強く引き付けました。

男性器を切断した女性として有名

阿部定は、阿部定事件で男性器を切断した女性として有名です。当時、阿部定は男性と愛人関係にあったとされており、その悩みから男性器を切断することとなります。事件の詳細については後にご紹介しますが、女性関係の悩みから犯行に至った阿部定は、人一倍男性に対しての執着があったと言えるのではないでしょうか。

阿部定の生い立ち

阿部定事件という世間を騒がせた事件を起こした阿部定ですが、これまでにどのような生い立ちを経験してきているのでしょうか。阿部定の生い立ちを見てみると、恵まれていることが分かります。しかし、それも途中までで16歳頃から徐々に人生が狂っていくこととなります。

阿部定の人生が狂っていくことになったのには理由があり、生い立ちに加えてその理由についてもご紹介していきます。

実家は裕福な畳店

阿部定の実家は江戸時代から続いている畳店を経営しており、とても裕福な家庭に育ったと言われていました。阿部定は生まれてから4歳になるまで近所の女性に育てられたため、畳店の娘として接することができなかったと言われています。また当時、阿部定には7人の兄弟がいたのですが、大きくなる前に3人亡くなってしまいました。

また兄弟の中には養子に出された人も1人いたようです。そのため、阿部定が大きくなった時には兄弟が4人にまで減っていました。この生い立ちは、後に阿部定が癇癪もちになるきっかけとなっているのではないかと言われています。

近所でも評判の美少女

裕福な家庭で育ったとされている阿部定ですが、上記のような生い立ちを経験していたため、精神的に愛情に飢えていたのかもしれません。しかし、阿部定は近所でも評判になるほど美少女だと言われており、阿部定の母親も大人っぽい服装をさせるようにしていたようです。そのことから、阿部定のプライドが徐々に高まります。

美少女として有名になっていく傍らで、普通の少女としての興味もありました。小学生になる頃には男性と女性の交わりについてもしっかりと理解していたようです。

不良少女として有名に

両親や周囲からも美少女として育てられていましたが、15歳の頃に年上の男性から強姦されたことによって阿部定の心は崩れ去っていきます。15歳の少女にしては、忘れられない出来事です。強姦された後、阿部定はその男性と話をしようとしますが、取り合ってもらえず泣き寝入りをします。

当時は処女であることを結婚の条件としている男性もいたため、少女の阿部定にとっては精神を保つだけでも大変だったはずです。最終的に強姦されたことで不良少女への道を進んでいくことになりました。

芸者の世界に足を踏み入れる

阿部定は家にあったお金を持ち出しては遊びまわる生活をしていました。強姦された後は学校を退学しているため、「遊ぶことしかすることがなかったのかもしれません。その後は姉妹の縁談が決まったことにより、邪魔者として阿部定は追い出されることになります。しかし、追い出された先の家で盗みを働きました。

その後は多くの男性と関係を持っていたのですが、父親が阿部定に対して「芸者になってしまえ」と話します。そして、阿部定はそのまま売られてしまい、芸者の道に足を踏み入れることになったようです。

自ら遊女の道へ

芸者として順調に有名になっていった阿部定ですが、売られた先の男性に騙されていることを知ります。そのうえ、性病にかかってしまうこととなりました。そのことがきっかけとなり、自ら遊女の道へを進むことになります。すぐに帰ってくると高をくくって待っていた父親は、阿部定の判断に驚いたことでしょう。

初めのうちは売れっ子の遊女として活躍していましたが、度々トラブルを起こしてしまうため、徐々に待遇の悪い店の遊女となり果てていきます。

阿部定事件とは

上記でも述べたように、阿部定は阿部定事件を起こした犯人として知られています。男性器を切り落とすという事件を起こしてしまったことで、その名前が世間に広まることとなりました。また、あまり知られていませんが阿部定の犯行は、男性器を切り落としただけではなかったようです。

阿部定は事件当時、田中加代の偽名を使っていたとされていますが、なぜ偽名を使っていたのかは不明です。田中加代こと阿部定は、どのような経緯で阿部定事件を起こしてしまったのでしょうか。

不倫男性を死亡させる

田中加代としてある店の女中として働いていた阿部定ですが、店主と密会を行うようになります。しかし、店主は家庭を持っていたため阿部定とは不倫関係でした。2人は徐々に惹かれ合っていき、最終的には駆け落ちをするほどにまで関係が発展していきました。その後は体の関係を続けるのですが、店主と阿部定の関係は少し変わっていました。

窒息させながらプレイに及んでおり、店主は阿部定に「寝ている間に絞め殺すのなら止めてはいけない」と伝えます。冗談のつもりで言ったのかもしれませんが、阿部定はそれを真に受けてしまい、紐を使って窒息死させました。

遺体には猟奇的な文字が…

阿部定は店主に対し、度々他の女性と関係を持たないでほしいと伝えていました。もしかすると、その感情が狂気へと変わってしまったのかもしれません。そして、血を使って店主の太ももとシーツに「定、石田の吉二人キリ」と文字を書きます。そして、腕には自分の名前である「定」を刻み込みました。

そのことから、阿部定は心の底から店主を愛していたことが分かります。しかし、その愛は歪んだ形となって表に現れてしまったため、「絞め殺すのをやめないで」との冗談を真に受けてしまったのではないでしょうか。

男性器も切断されていた

遺体から切断された男性器は、事件後に東京医科大学に送られたと言います。事件当時である時代の戦後は、遺体から切り落とされた男性器を一般的に公開していたようです。今では考えられないような展開ですが、それほど阿部定事件は世間を衝撃の渦に巻き込んだと言えるのではないでしょうか。

また遺体から男性器を切り落としたことに対し、阿部定は「男性の体と一緒にいたかった」と述べていました。そのため、切り落とすのは男性器でなくとも遺体の一部であればどこでもよかったと捉えることができます。

警察に逮捕される

男性を死亡させたその後に警察に逮捕されるのですが、それまでに他に男性と体の関係を持っていたとされています。そして、買い物をしたり映画を見た後、偽名を使って宿泊客として大阪へと逃亡しようと考えていました。しかし、阿部定が宿泊している宿に警察が来た時、阿部定は自ら名乗り出たようです。

あまりにも落ち着いた態度で名乗ったため、警察は拍子抜けしたことでしょう。そして、阿部定はそのまま逮捕されることになりました。

阿部定事件の裁判

阿部定事件は男性を死亡させただけでなく、遺体の一部を切り取ったことから狂気的殺人だと判断されました。現在でも阿部定の犯行が話題に出ることが度々あり、やはり男性器を切断したことが象徴となっています。逮捕されたその後は裁判が開かれることとなったのですが、裁判で阿部定はどのような判決を受けたのでしょうか。

裁判の傍聴希望者が殺到

1936年5月18日に逮捕された阿部定は、とても美人だったことでも有名です。そのことから、裁判の傍聴を希望する人たちで溢れかえりました。また、阿部定は逮捕される前に不倫相手の血の付いた服を身につけて逃亡していました。その服は逮捕されて裁判が始まるまでも身につけていたようです。

これも、阿部定に注目が集まるきっかけとなっていたのではないでしょうか。当初の弁護士は阿部定の奇行に耐えきれなくなり、その後は他の弁護士が阿部定につくことになったようです。

懲役6年の判決

阿部定は精神的に不安定だと判断されたため、その後は精神鑑定を受けています。そして、結果はサディズムとフェチズムとの判断が下されました。そのため、裁判での判決は懲役6年とあまりにも短い刑が言い渡されることとなったようです。刑務所に入る際、普通は汽車を使って送られます。しかし、阿部定は世間に知られたことから車で送られたと言います。

恩赦減刑で出所

不倫相手を死亡させた阿部定ですが、その刑期はあまりにも短いものでした。また、刑務所に到着してからはその生活に苦戦したものの、模範囚として行動をしていたようです。そして、1941年には恩赦減刑で出所することになりました。

出所後の阿部定のその後

1941年に出所することとなった阿部定ですが、まだ阿部定事件は世間に知られたままでした。そのため、周囲の人からは「変態」などと言われることが多く、とても辛い思いをしていたと述べています。しかし、出所後は吉井昌子の偽名を使っていたため、阿部定に気づかなかった人もいるのではないでしょうか。阿部定のその後についてご紹介します。

一般男性と結婚するも破局

刑事から偽名を言い渡された阿部定は、赤坂にある料亭で働いていました。そして、そこで知り合ったサラリーマンの男性と結婚することになります。しかし、その後『お定本』と呼ばれる本が出版され、結婚していた相手に自分が阿部定であることがバレてしまいます。そのまま男性はどこかへ姿を消してしまいました。

そのことにより阿部定は『お定本』を出版していた人物に対し、名誉棄損で訴訟を起こしたようです。

小料理店を経営

名誉棄損で訴訟を起こしてから、阿部定は偽名ではなく本名を名乗って生きていくことを決めます。そのことから、阿部定を見世物として使うためにある料理屋が阿部定を雇いました。そして、優秀な従業員として表彰されることもあった阿部定は、自身で小料理店である小さなバーを経営し始めます。

しかし、当時雇っていた従業員に売上金を持ち逃げされたことにより、短期間で店を閉めなければいけなくなってしまったようです。

東宝映画のインタビューにも

阿部定は後に多くの映画でモデルとして使われますが、『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』には本人が出演しています。そして、そこではインタビューにもしっかりとこたえていました。そこでは「人間好きになるのは一生に1人」との言葉を残しています。これは、やはり死亡させた不倫男性のことを指しているのではないでしょうか。

ホテルでの目撃を最後に消息を絶つ

インタビューを受けていた時点で阿部定は既に63歳でした。しかし、警察関係者などは事件のことを知っていたため、体の関係やお金を要求することがあったようです。その後、阿部定はホテルでの目撃を最後に消息を絶ちました。消息を絶った際、持っていたものは浴衣が1枚だけだと言われています。

現在でも生死は不明

阿部定が最後に消息を経ってから、現在に至るまで阿部定を見かけたとの情報は一切ありません。その後は死亡したのではないかとの情報が出てくることとなりました。もし2019年現在も生きていたとするのであれば、年齢は114歳です。そのため、現在もどこかで生きている可能性は少ないです。

失踪した際に持っていたものが浴衣だけだったこともあり、かつての不倫相手を思って自害した可能性も否定できないでしょう。

阿部定事件は戦前の日本で起きた猟奇的殺人だった

阿部定事件は第二次世界大戦前に起こった事件で、日本で起きたとされる事件の中でも猟奇的な殺人として知られています。出所後、1度は偽名を使って新しい人生を歩んでいました。しかし、結婚していた男性に逃げられたことから、阿部定は過去の報いを背負って生きることを決めます。

阿部定の起こした事件は褒められることではありませんが、その生き様に感服したという人も多いのではないでしょうか。

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この記事のライター
すうこ

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