金屏風事件とは!中森明菜と近藤真彦の緊急会見・公開謝罪の真相は

金屏風事件とは1989年に人気アイドル歌手だった中森明菜が、当時交際をしていたと噂のジャニーズ、近藤真彦の自宅で自殺未遂を図ったことで開かれた会見です。自殺未遂の真相や謝罪会見の様子、結婚の話など金屏風事件と呼ばれる真相についてご紹介します。

金屏風事件とは!中森明菜と近藤真彦の緊急会見・公開謝罪の真相はのイメージ

目次

  1. 1金屏風事件とは
  2. 2金屏風事件の主役【中森明菜】
  3. 3金屏風事件のもう一人の主役【近藤真彦】
  4. 4悲痛な謝罪会見の真相【金屏風事件】
  5. 5金屏風事件が意味したもの
  6. 6金屏風事件を目論んだ人物
  7. 7金屏風事件に関係した人物のその後
  8. 8金屏風事件は中森明菜を陥れるための策略だった

金屏風事件とは

金屏風事件とは1989年12月31日に開かれた80年代の人気トップアイドル歌手だった中森明菜による謝罪会見のことです。この頃熱愛が報じられていた男性トップアイドル、ジャニーズ事務所所属の近藤真彦の自宅で中森明菜は自殺未遂事件を起こしました。

そのニュースは大きく取り上げられ、年を越す前に会見を行いたいという中森明菜の要望で、大晦日にテレビ朝日で生放送の会見を行ったそうです。また、金屏風事件当日は途中から近藤真彦も同席し、一連の騒動の会見が行われました。

金屏風を使用する場面と言えば、結婚や婚約の会見であったりおめでたい席で使用する縁起の良い物という印象が強いでしょう。その印象から金屏風の前で会見を行われたことによって、結婚報告の会見であると当時は思われていたそうです。

中森明菜の復帰会見

1989年7月に中森明菜は当時交際が噂されていた近藤真彦の自宅で自殺未遂を図り世間に大きな衝撃を与えました。その後、中森明菜は公の場に姿を現すことがなく、1989年12月31日に年内に復帰会見を行いたいと申し出があり急きょ会見が行われたそうです。この会見が後に金屏風事件と呼ばれるようになった会見です。

金屏風事件の当日はロングヘアーだったヘアスタイルをショートにし、落ち着いた雰囲気のスーツで会見を行ったそうです。この日の会見から半年後に中森明菜は本格的に芸能界復帰を果たしました。その後1990年7月にヒット曲『Dear  Friend』をリリースしています。

事件と言われる所以

中森明菜の会見は金屏風の前で行われました。金屏風とは縁起の良い物で、結婚や婚約などのおめでたい報告や祝いの場で使用されることが多い為、当時は中森明菜の復帰会見というよりは、中森明菜と近藤真彦の結婚報告の会見だとマスコミ記者も思っていたそうです。

しかし結婚の報告は一切なく、自殺未遂に関する一連の騒動の謝罪であり金屏風を使用するにはあまりにも違和感のある奇妙な会見であったそうです。そのことから、金屏風事件と言われているのではないでしょうか。

金屏風事件に関する書籍

中森明菜に関しての書籍が出版されているようですが、その中でも1994年に発表された『中森明菜哀しき性』という書籍は調べたところ、デタラメな内容が多いようです。中森明菜が母として慕っていた女性ディレクター木村恵子という人物が執筆した暴露本のような書籍で、金屏風事件の真相のようなことも記されているようです。

しかし実際にこの書籍は金屏風事件も含めデタラメな内容が多かったため、木村恵子に対して中森明菜は訴訟を起こし見事に勝訴しているそうです。その他にも同年である1994年に『中森明菜心の履歴書―不器用だから、いつもひとりぼっち』が発表されています。

こちらは中森明菜本人が金屏風事件後に執筆した書籍で、幼少期から1994年までの自身の人生について記されているようです。幼少期は貧しかったそうで、その頃のからの苦しみや金屏風事件の頃の心境などが著されているようです。

金屏風事件の真相!中森明菜と近藤真彦との謝罪会見の闇や自殺未遂の経緯は?

金屏風事件の主役【中森明菜】

金屏風事件の主役の1人である中森明菜ですが、80年代を代表するアイドル歌手の1人です。当時は壮大な人気を誇っており国民の注目の的でした。数々のヒット曲を世に送り出し現在も当時からの根強いファンが多いそうです。また、現代のアーティストやアイドルからも高い人気があり、メディアで曲がカバーされることもあります。

アイドル全盛期のトップアイドル

1980年代のアイドル全盛期に中森明菜はトップアイドルとして活動していました。芸能界入りのきっかけは16歳の時に出演した『スター誕生!』でオーディションに合格したことだそうです。1982年にデビューし、デビューから連続で世間にヒット曲を送り出してきました。

1985年、1986年と2年連続で日本レコード大賞を受賞したそうです。女優としても活動するようになり、主演を務めるなどその功績は輝かしく、トップアイドルとして高い人気で注目を集めていました。

松田聖子と人気を二分

1980年代アイドルの代表といえば、中森明菜とトップ争いをしていた松田聖子が有名です。当時は双方とも人気が高く、ライバル同士とも噂されていました。中森明菜と松田聖子は、松田聖子がデビューも年齢も2年先輩にあたり、中森明菜は実は松田聖子の大ファンでレコードもすべて持っていたそうです。

当時は確執や不仲説が噂されていましたが、実際のところは全くのデマでマスコミや世間が勝手な憶測ででっち上げた噂だったようです。当の本人たちはお互い認め合っていて普通に仲の良い先輩後輩の関係だったそうです。トップアイドルとして同等の人気があれば、色々な憶測で噂が飛び交ってしまっても仕方がなかったのでしょう。

また、お互いの売り出しの方が松田聖子はぶりっ子路線であり、それに対して中森明菜は全く正反対のどちらかというとサバサバした路線での売り出しであったため、キャラが被ることもなく魅力あふれるトップアイドルが2人誕生したのではないでしょうか。

魅力はミステリアスな美しさ

1980年代にトップアイドルとして活躍した中森明菜ですが、ぶりっ子で可愛らしい王道アイドルというよりは、どちらかというと色っぽい女性らしさのある艶やかなイメージではないでしょうか。また、話し口調もミステリアスな色気を感じさせるどこかほかのアイドルとは違う美しさが印象的です。

歌唱中の表情も美しく、流し目や微笑む表情には男性だけではなく女性も魅了されたのではないでしょうか。そしてスタイルが良く、セクシーな衣装を着ても決して下品に見えることもなく清潔感があり、当時は幅広い年齢層から人気を集めたそうです。

近藤真彦との交際が囁かれる

トップアイドルとして活躍していた中森明菜ですが、のちに金屏風事件のもう1人の主役となる近藤真彦との熱愛の噂が囁かれるようになります。元々中森明菜は近藤真彦のことが好きだったそうで、芸能界入りも近藤真彦に近づきたかったことが理由だとも言われています。

音楽番組や雑誌で共演を果たし、後に映画『愛・旅立ち』でも2人は共演します。この共演がきっかけで交際に発展したそうです。当時のアイドルの恋愛は現代よりもさらに厳しく、アイドル同士の恋愛はご法度だったと言われています。人気アイドル2人の熱愛となればそれなりに騒がれたのではないでしょうか。

当時は本人同士は交際を認めていなかったものの、音楽番組などのメディアでは2人をペアで共演させるなどオープンな交際をしているかのような演出をすることが多く見られました。映画やドラマでの共演を見ていたファンからも公認のカップルとして注目されていたようです。

中森明菜は資金援助も?

当時熱愛が囁かれていた中森明菜と近藤真彦ですが、中森明菜は結婚を意識して真剣に交際をしていたようです。そのため、新居購入資金のため8000万円を近藤真彦に預けていたそうです。しかし、このお金を近藤真彦が趣味のカーレースに使ってしまったという噂があります。

この新居購入資金を近藤真彦が使ってしまったという噂の真相は実際のところ明確な情報はありませんが、実は当時の近藤真彦のマネージャーが自身の借金を返済するために、中森明菜に結婚の話を持ち出し新居購入資金として8000万円を中森明菜に出資させたそうです。

近藤真彦ではなくマネージャーが借金返済に使用したという噂が実際のところ真実に近い真相のようです。また、その他にも近藤真彦に対して億単位の資金が動いていたという噂もありますが、真相は不明確であるそうです。この噂は金屏風事件へ繋がる真相の一つでもあるのではないでしょうか。

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金屏風事件のもう一人の主役【近藤真彦】

金屏風事件のもう1人の主役である近藤真彦は、1977年からジャニーズ事務所に長年所属しており、現在の事務所内では最年長にあたるそうです。ジャニーズ事務所への所属は中学1年生の時で1979年にドラマ『金八先生』でデビューしています。

マッチの愛称でデビュー当時から人気があり、現在は芸能活動だけではなく、自動車レース業界でドライバーとして活動したりオーナー兼監督として活動しています。また、トライアスロンに出場するなどジャニーズの中でも最も幅広いジャンルで活躍しています。

ジャニーズの看板アイドル

近藤真彦は1980年に『スニーカーぶる〜す』でソロデビューします。1980年代の男性アイドルの中でもトップクラスの人気を誇っていました。1987年には『愚か者』で日本レコード大賞を受賞します。ジャニーズ事務所所属アイドルの中でも人気が高く看板アイドルとして売り出され、女性だけではなく男性のファンも多かったそうです。

歌手活動だけではなく、俳優としても活躍しました。現在も歌手活動は行っており、年末のジャニーズカウントダウンコンサートにもゲスト出演しています。ジャニーズ所属の後輩たちが近藤真彦の楽曲をカバーするなど、今現在もたくさんのヒット曲が歌い継がれています。

田原俊彦と人気を二分

近藤真彦と同じく当時ジャニーズ事務所に所属していた田原俊彦は、トシちゃんの愛称で近藤真彦と同様にジャニーズ事務所の看板アイドルとして爆発的な人気を誇っていました。田原俊彦の楽曲もヒット曲が多く、近藤真彦の曲とはまた違う雰囲気の曲調で人気を集めました。

田原俊彦自身がダンスが上手いということもあり、歌いながら踊るアイドルとして男性アイドルのトップの座を物にしてそうです。ジャニーズ事務所へは1976年から所属しており、近藤真彦より少し早めの所属で年齢も田原俊彦が3つ上で先輩にあたります。田原俊彦は1994年にジャニーズ事務所を退所し独立しています。

たのきんトリオとして有名

近藤真彦といえば田原俊彦と野村義男と3人組でたのきんトリオと言われ、1980年代に短期間活動していました。3人は共に『金八先生』の生徒役でドラマに出演していました。田原俊彦の田(た)、野村義男の野(の)、近藤真彦の近(きん)からグループ名を付けてたのきんトリオと呼ばれていたそうです。

3人での活動自体は短期間でありましたが、ジャニーズ事務所の低迷期を救ったともいわれるほど3人の人気は高く、相次いで歌手デビューを果たしました。3人では俳優として映画で共演することはありましたが、音楽ユニットとして結成されていたわけではなく、3人が楽曲で共演したのは2曲ほどしかないそうです。

デビュー当時は3人それぞれが日本レコード大賞などで最優秀新人賞を獲得するなど、注目を浴びていました。当時は3人で同じ部屋で生活していたそうで、しばらくしてからそれぞれ部屋を提供してもらえたようです。

近藤真彦は田原俊彦とは7年同じ屋根の下で生活をしていたそうです。現在は田原俊彦も野村義男も独立しており、近藤真彦のみがジャニーズ事務所に所属しています。

レーサーとしても活動

近藤真彦は1984年にレーサーとしてもデビューしています。1988年から1993年に全日本F3選手権シリーズに参戦し本格的に活動を始めたそうです。2000年には自身でレーシングチームを組み、KONDORACINGを結成しました。その後チームオーナー兼監督兼ドライバーとして活躍しました。

ジャニーズ事務所に所属しながら色々なことに挑戦をしている近藤真彦ですが、レーサーとして優勝した経験もあり幅広いジャンルで活躍しています。2015年以降はレースに出場した実績はないようです。レーサーとして活動している期間にトライアスロンにも出場していたそうです。

メリー喜多川のお気に入り

メリー喜多川とはジャニーズ事務所の副社長で、社長であるジャニー喜多川の実姉だそうです。メリー喜多川が近藤真彦を溺愛していたのは有名な話で近藤真彦への特別扱いは当時から現在も続いているようです。溺愛の裏話の中では、あくまでも噂ですが2人が男女の仲であったという話もあるそうです。

近年では音楽活動があまり目立たない近藤真彦ですが、毎年ジャニーズのカウントダウンコンサートに出演をしています。これもメリー喜多川が関係しているようです。近藤真彦は次期ジャニーズ事務所の社長候補とも言われているほどメリー喜多川のお気に入りで、近藤真彦への執着の度合いは異常とも言われているそうです。

金屏風事件の裏では近藤真彦を溺愛するメリー喜多川が、近藤真彦を守るために動いていたという噂もあります。実際の真相はどうでしょうか。気になるところです。

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悲痛な謝罪会見の真相【金屏風事件】

1989年12月31日に行われた中森明菜の会見は、その後金屏風事件と呼ばれる有名な会見になります。今でも金屏風事件として語られている当時の会見は違和感しかない奇妙な会見だったそうです。

中森明菜の自殺未遂から半年後に行われた会見ですが、会見の内容や謝罪、金屏風事件と扱われている真相や近藤真彦は何のために同席したのかなどを細かく調べてみました。

中森明菜が近藤真彦宅にて自殺未遂

中森明菜の自殺未遂がきっかけとなり有名な金屏風事件ですが、中森明菜は当時熱愛が報じられていた近藤真彦宅の浴室で自殺しようとし、手首を深く切りました。この日、変わり果てた姿で倒れている中森明菜を発見したのは近藤真彦だったそうです。その後病院に運ばれた中森明菜は6時間にも及ぶ大手術をし、一命をとりとめました。

当時2人は交際の事実はないと語っていましたが、この頃には半同棲状態であったという噂です。本人たちはスクープされるたびに交際を否定していましたが、中森明菜が近藤真彦宅の浴室でこのような事件を起こしたことにより、2人の関係はより明るみにでたのではないでしょうか。

6年程の長い付き合いが噂されていた2人ですが、関係は煮詰まっていたようです。金屏風事件のきっかけとなった自殺未遂の真相としてはさまざまな憶測が飛び交っていますが、金銭トラブルや松田聖子とのスクープが関係しているようです。

会見はほぼ中森明菜の謝罪

金屏風事件と呼ばれる中森明菜の復帰会見ですが、200人を超える報道陣が集まったそうです。復帰会見と題した会見であったものの、内容はほとんど中森明菜の謝罪だったと言います。自殺未遂に至った経緯として、仕事上での人間関係などが原因と語っていたそうですが真相は定かではありません。

それならばなぜ、自殺場所に近藤真彦宅を選んだのかという理由が気になるところです。調べてみたところ、自分が1番信頼できる人で1番最初に見つけて欲しかったからと語っているそうですが、当時はその件に関して近藤真彦自身にも迷惑をかけてしまって申し訳ないということを謝罪していました。

復帰して今後の活動についての前向きな会見とは程遠く、謝罪会見のような内容に終始しました。

途中から近藤真彦も同席

金屏風事件で知られているこの会見は途中から近藤真彦も同席しました。交際が噂されていた二人が金屏風の前に並んで会見を行うということで、マスコミ関係者も結婚報告の会見と誰もが思っていたそうです。しかし、結婚の話はいつまでたっても二人の口から語られることはなく、ただの謝罪会見となりました。

近藤真彦から語られたことは、中森明菜の復帰の手伝いとして一緒に会見に同席できて良かったというような内容のみで、交際や結婚に関しての質問に対しては否定コメントを述べています。

金屏風事件と呼ばれているこの会見は、自身の部屋で交際を噂されていた中森明菜に自殺未遂を図られ、この出来事に対しての近藤真彦のケジメ会見とも言われていたそうです。

中森明菜は結婚会見と思っていた?

世間に違和感を与えた金屏風事件と呼ばれる中森明菜の会見ですが、実は中森明菜は当初、結婚会見と伝えられていたという噂があります。その真相について調べてみたところ、どうやら近藤真彦を守りたいジャニーズ事務所側が中森明菜に謝罪会見を行わせるために裏で動いていたようです。

当時、近藤真彦との結婚を望んで交際をしていたとされる中森明菜に対して、ジャニーズ事務所側の人間が結婚会見の話を持ち掛け、金屏風を用意させていたそうです。そのため中森明菜は、金屏風事件と呼ばれる会見が始まるギリギリまで、自身の謝罪会見になることは知らされていなかったそうです。

この話が本当であれば、中森明菜はジャニーズ事務所側に騙されて会見を行ったことになります。真相をたどると、金屏風の前で違和感を持たれながら金屏風事件と呼ばれる謝罪会見を行ったこととつじつまが合うのではないでしょうか。

紅白歌合戦の裏での生放送緊急会見

デビューの翌年から6年連続で中森明菜は紅白歌合戦に出場をしていました。しかし、金屏風事件があった1989年は自殺未遂後で活動を休止していたこともあり落選となります。この年、紅白歌合戦が行われる大晦日の日に中森明菜は紅白歌合戦の裏番組で生中継の会見を行います。この会見が金屏風事件と呼ばれた謝罪会見です。

この会見はテレビ朝日で生中継され、謝罪会見の最中の紅白歌合戦の視聴率は10%近く下がったと言われています。この年は近藤真彦も紅白歌合戦への出場はなかったため、同席して会見が行えたそうです。

紅白歌合戦側からしてみれば視聴率も下がり、その時間帯に出演していたアーティストからすれば金屏風事件と呼ばれるこの会見は迷惑な生中継であったのではないでしょうか。

金屏風事件が意味したもの

中森明菜と近藤真彦の謝罪会見のことを金屏風事件と呼んでいますが、この金屏風事件によって交際を報じられていたトップアイドル同士の交際はどうなってしまったのでしょうか。2人の交際の行方や、自殺未遂に至った真相はどのようなものだったのでしょうか。

金屏風事件当時は、何度もスクープになっていたトップアイドル同士の交際や自殺未遂と近藤真彦がどのように関係しているのかを調べてみました。

①2人の交際の終焉

長い期間交際の噂があった中森明菜と近藤真彦ですが、お互いの家を行き来する姿やデート現場を目撃されていて世間からも公認のカップルとして見守られていました。中森明菜側が結婚したい気持ちが強かったそうですが、近藤真彦やジャニーズ事務所は一切その気はなかったようです。

当時はトップアイドル同士の交際はご法度であったにも関わらず、このような2人の噂や目撃情報が多く、ジャニーズ事務所側は中森明菜に対して良い印象を持っていなかったようです。

そんな中、近藤真彦宅で自殺未遂を起こし近藤真彦を巻き込んで世間を騒がせた中森明菜をジャニーズ事務所が許すわけもなく、ジャニーズ事務所側に上手く丸め込まれ金屏風事件に繋がったのではないでしょうか。金屏風事件と呼ばれる会見の後、2人は完全に交際を終わらせたようでその後2人が一緒にいる姿を目撃した人はいないそうです。

②近藤真彦と自殺との因果関係

中森明菜が自殺未遂騒ぎを起こした原因について調べてみると、たくさんの情報が出てきました。しかし今でも真相は明らかにされていないと言います。金屏風事件と称される会見で、中森明菜と恋人として報じられていた近藤真彦は終始、自殺未遂と自分はまったく関係がないというような態度だったそうです。

この会見の視聴者やファンからは、不快に感じる内容であったという声も多く上がっています。中森明菜は自殺未遂の理由として所属事務所とのトラブルが原因だと語っていましたが、実際のところは近藤真彦も無関係とは言えないのではないでしょうか。

この会見を開くにあたり、近藤真彦が所属していたジャニーズ事務所側は中森明菜に、近藤真彦は関与していないとして近藤真彦に謝罪をするとともに、会見で事件とは無関係であることを伝えるように指示を出したそうです。

元々中森明菜との関係を快く思っていなかったジャニーズ事務所としては、中森明菜の勝手な暴走が自殺未遂に至ったとし、近藤真彦との関係は一切ないということを世間に知らせたかったのではないでしょうか。真相は明らかになっていませんが、このような一連の流れから金屏風事件に発展したと考えられます。

金屏風事件を目論んだ人物

金屏風事件は中森明菜が「年内に謝罪をしたい」「元気な姿をみせたい」ということで行われた会見です。しかし金屏風事件と呼ばれる当時の会見を見ていた誰もが違和感を抱き、ファンの間では不快に感じる人も出たその会見は、裏で操作されている芸能界の汚い部分を見ているかのような内容の会見でした。

謝罪の場にはふさわしくない金屏風の前で会見を開いたことが話題となっている金屏風事件ですが、誰かが目論んでこのような会見になったという噂です。では、誰がこのような会見を目論み金屏風事件に発展したのでしょうか。金屏風事件を目論んだ人物として候補に挙がっている人物に注目してみました。

①メリー喜多川

金屏風事件にはジャニーズ事務所が大きく関係しているようです。その中でも金屏風事件を目論んだ人物として、ジャニーズ事務所の副社長メリー喜多川が候補に挙がっています。メリー喜多川は当時から近藤真彦を溺愛していたという話は有名です。

近藤真彦と交際していたとされる中森明菜との関係を良く思っていなかったということもあり、中森明菜の自殺未遂事件を黙って見過ごすはずがありません。当時、中森明菜が所属していた事務所より先にメリー喜多川が病院に駆けつけ、中森明菜についていたそうです。

その際に中森明菜へ、中森明菜自身が所属している事務所に関する虚偽の情報を流したという話があります。当時近藤真彦を好きだった中森明菜は、近藤真彦が普段慕っているメリー喜多川の話を信用してしまったといいます。

そのことから中森明菜は所属事務所と距離を置くようになり、金屏風事件の3日前に当時の所属事務所を辞めています。そして、メリー喜多川に上手く操作され金屏風事件と呼ばれる会見が行われたそうです。

②小杉理宇造

金屏風事件を目論んだ人物としてメリー喜多川以外に名前が挙がっている人物が小杉理宇造です。小杉理宇造とは音楽プロデューサーでジャニーズ事務所と深い関わりのある人物です。ジャニーズ事務所の顧問でジャニーズエンタテイメントの代表取締役として活動しています。金屏風事件の当時は近藤真彦の担当マネージャーをしていたそうです。

金屏風事件となぜ関係があるのかというと、中森明菜は金屏風事件と呼ばれる会見の前に事務所を辞め、その独立先である個人事務所を小杉理宇造と一緒に設立しました。しかし中森明菜が活動する前に小杉理宇造は事務所を辞め中森明菜を孤立させたそうです。そしてその3日後の金屏風事件と呼ばれる会見を裏で操作していたのではないかと言われています。

ジャニーズ事務所関連の人物で近藤真彦の担当をしていたのであれば、中森明菜を陥れるために行動していたと考えられるのではないでしょうか。

金屏風事件を目論んだ人物として名前が挙がっている小杉理宇造は、SMAPの解散騒動に関係している人物としても近年名前が挙がりました。SMAPの解散話が出始めた頃からメンバー1人1人と面談をしていたそうです。

その内容を週刊誌に暴露したり独立を申し出た木村拓哉以外のメンバーに色々と条件を押し付けたり、ジャニーズ事務所を牛耳っている存在であることは間違いないようです。そして金屏風事件を知っている世間の人達からすれば、SMAPの生放送での謝罪映像が金屏風事件の時と同様に違和感を感じる不快な映像だったそうです。

金屏風事件もSMAPの解散騒動の謝罪映像もどちらも小杉理宇造が関わっているのではないかと、世間では噂になっているようです。

金屏風事件に関係した人物のその後

金屏風事件を振り返ってみると中森明菜と近藤真彦という2人の主役と、その裏で操作をするメリー喜多川と小杉理宇造という4人の人物が挙がってきました。金屏風事件後の4人はどうなってしまったのでしょうか。その後の活動について調べてみました。

中森明菜のその後

金屏風事件と呼ばれる会見後、噂されていた近藤真彦とは完全に別れたそうです。金屏風事件後に中森明菜は1980年8月にシングルを出し完全復帰を果たしています。音楽活動のほかに女優としてもドラマに出演し主演も務めました。数々のヒット曲をリリースし、2010年に一時活動を休止します。

2014年にベストアルバムをリリースし、紅白歌合戦に出場を果たし2015年からまた新たに活動を本格的に再開しています。また、現在も多くのファンに支持され活動をしているようです。金屏風事件後も変わらない美貌と歌声でたくさんのファンを魅了し続けています。

近藤真彦のその後

金屏風事件のもう1人の主役、近藤真彦は現在もジャニーズ事務所に所属し歌手活動をしています。金屏風事件では中森明菜との結婚も噂されていましたが、大切な友人の一人だと語り、世間をシラケさせていたようです。しかし人気は劣らず今でもたくさんのファン存在し、後輩からも人気があり楽曲も歌い継がれています。

現在は歌手活動のほかにレーサーや実業家など様々なジャンルで活動しています。年末のジャニーズカウントダウンにも毎年出演し、今も昔も変わらず注目を集めているようです。また、プライベートでは金屏風事件からしばらく経って1994年に結婚しました。

メリー喜多川のその後

金屏風事件を裏で操作していたとされるメリー喜多川副社長は現在92歳だそうです。今現在も変わらずジャニーズ事務所の副社長として活動されています。金屏風事件もそうですがSMAPの解散騒動なども含めて、世間ではあまり良い印象を持たない人も多いようです。ご高齢になったのでそろそろ引退時期ではないでしょうか。

小杉理宇造のその後

小杉理宇造は金屏風事件後もジャニーズ事務所内の中心人物として活動しています。金屏風事件での中森明菜への裏切り行為後、SMAPの解散騒動で再び注目が集まった人物ではないでしょうか。現在はジャニーズエンタテイメントの代表取締役だけではなくスペースシャワーネットワークという事務所の代表取締役も務めているそうです。

金屏風事件は中森明菜を陥れるための策略だった

世間に大きな衝撃を与えた中森明菜の自殺未遂から始まった金屏風事件ですが、明確な真相は未だ公表されていないようです。しかし調べていくと、金屏風事件はジャニーズ事務所側が近藤真彦と交際していたとされる中森明菜を陥れるための策略だったようです。

看板アイドルとして活躍していた近藤真彦を巻き込んで自殺未遂を図った中森明菜のことが相当許せなかったのでしょう。トップアイドル同士のカップルによるトラブルが金屏風事件として世間を騒がせていたようですが、今も昔も変わらずファンを魅了し続ける中森明菜と近藤真彦の今後の活躍にも期待です。

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小岩

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