田代まさしの現在!家族(息子/娘/妻)や逮捕歴は
ラッツ&スターでデビューしてから一転、盗撮や覚せい剤取締法違反の逮捕歴を持ち芸能界から姿を消した田代まさしは現在どのような暮らしぶりなのでしょうか。田代まさしの息子や娘、家族の現在や結婚していた元妻との離婚についても詳しく紹介していきます。

田代まさしとは
田代まさしは、昭和31年8月31日、佐賀県で生まれました。中学の時に東京都杉並区に転居して、当時不良仲間だった鈴木雅之(ラッツ&スターのボーカル)と出会いました。そして、高校を中退した鈴木雅之と共に音楽グループを結成します。
その後、コーラスやダンスの練習に勤しみ、1980年に鈴木雅之や桑野信義らと共に「シャネルズ」として芸能界デビューを果たしました。売れていた頃は、作詞家やお茶の間のタレントとしても人気でしたが、2000年代に入ると数々の犯罪に手を染め、芸能活動停止を余儀なくされています。
プロフィール
今日、8月31日は僕の60歳の誕生日!還暦を迎えました。ほんの仲間内だけで、還暦のお祝いをしました。
— 田代まさし (@TashiroMarcy) August 31, 2016
また明日から、一歩づつです‼️
Life begins at sixty!! 人生は60歳から! pic.twitter.com/DLLjnqgjlW
・愛称:マーシー
・本名:田代 政(たしろ まさし)
・生年月日:1956年8月31日
・現在年齢:62歳
・出身地:佐賀県唐津市
・血液型:A型
・身長:172cm
・活動内容:1980年:鈴木雅之らとシャネルズ(後のラッツ&スター)を結成
1986年:志村けんに見出され、タレント活動を開始
2001年:前年の不祥事によりタレント活動を引退
2002年:Vシネマ監督で復帰
2004年:再びの不祥事で逮捕
2008年:インターネットやCSなどのアンダーグラウンドで芸能活動
2010年:再び不祥事で逮捕
2015年:薬物依存リハビリ施設「ダルク」のスタッフとして講演活動開始
・家族構成:一度結婚したが獄中離婚後独身
歌手やタレントとして活躍
シャネルズのデビュー当時は、顔を黒人風に真っ黒く塗った姿が異色のグループとして人気を博しています。デビューシングルの『ランナウェイ』は110万枚のミリオンセラーヒットの記録を出しました。
しかし、フランスの高級ブランド「シャネル」から抗議が来たことで、1983年名前を「ラッツ&スター」と改名しました。その後田代まさしは、お笑いの素質があると志村けんに認められ、コメディアンとしても活躍しています。『志村けんのバカ殿様』や『ものまね王座決定戦』など、数々のテレビ番組にレギュラーとして出演しました。
田代まさしの生い立ち
田代まさしの家庭環境は複雑で、生後間もなく父親の浮気で両親は離婚しています。暫く母親と二人で生活していましたが、田代まさしが13歳の時、母親が2度目の結婚をしたのを機に父親の元に引き取られました。しかし、父親にも再婚相手がいたため、一緒の生活になじめず徐々に素行が悪くなっていきました。
そのことからも、幼少期の田代の家族は崩壊していたと言えます。1972年、芝浦工業大学工業高等学校機械科に入学直後、ラッツ&スターのボーカルだった鈴木雅之と出会い親しくなっていきます。父親との生活になじめなかった田代まさしは、鈴木雅之の家を度々訪れ、鈴木の母親からも可愛がられていたということです。
佐賀県で生まれる
前述の通り、田代まさしは1956年(昭和31年)8月31日佐賀県で生まれました。父親は当時キャバレーチェーン店の経営者でした。1950年代のキャバレーは規模が大きく、ダンスホールがあり、生バンド演奏を取り入れるなど、比較的高級な飲食業でした。そんな経営者の父親を持つ田代まさしの家庭は、とても裕福な家族だったかもしれません。
両親の離婚により母元で育つ
田代まさしが生まれて間もない頃、父親は家族を捨て他の女性の元に奔ったため母親と離婚しています。そのため、田代まさしは母親の元で13歳まで育てられました。
母親は夜の仕事をしながら息子である田代まさしを育てていたので、仕事の時は大家に預けられていたそうです。ミッション系の幼稚園に通い、小学校の入学直前に新宿の百人町に母親と引っ越したということです。この事からも、田代まさしは家族の愛情を知らないで育ったと言えます。
母親の再婚により父元へ
田代まさしが13歳になった時、母親は再婚しています。それがきっかけとなり田代まさしは父親の元で暮らすことを余儀なくされました。しかし、父親もまた再婚相手と暮らしており、息子である田代まさしはその暮らしになかなか馴染むことができませんでした。
田代まさしにとっては到底家族と呼べるような環境ではなかったかもしれません。父親の再婚相手との暮らしに馴染めずにいた田代まさしに、不良行為が現れ始めてきたのはこの頃からだったようです。
荒れた中学時代
母親と父親の離婚、母親の再婚、父親と再婚相手との同居など、家族の愛情を知らないで育った田代まさしは、中学時代から生活が荒れていき素行不良となってしまいます。タバコや酒、シンナーなどに手を染め、よく新宿の映画館に通っていたということです。家族に馴染めず行き場を失った少年時代でしたが、高校生になるとまた様々な出来事が起こります。
高校時代は暴走族に所属
1972年4月に芝浦工業大学工業高等学校機械科に入学した田代まさしは、その年の11月に自動二輪運転免許を取得します。バイクに乗れることで行動範囲が広がった田代まさしは、同じく不良だった鈴木雅之と出会い、仲良くなっていきました。
その頃も中学時代と変わらず素行が悪く、喧嘩やナンパ、当時流行っていたディスコに明け暮れて、暴走族にも所属してしまいます。また、傷害事件で警察に留置されることもあったということです。その後鈴木雅之が「ドゥーワップグループ」を結成し、田代まさしもグループに参加することとなります。
高校を卒業しトラック運転手に
1975年(昭和50年)3月、田代まさしは芝浦工業大学工業高校を卒業します。この頃から車に凝りだして、最初は日産サニーやグロリア、そして高級外車のカマロやベンツなど、次々と車を乗り換えています。
高校卒業の年の6月には父親と大喧嘩の末家を飛び出し、ガソリンスタンドで働き出しました。その時田代まさしを誘ったのは元シャネルズのメンバーの久保木博之だったということです。
田代まさしは、ガソリンスタンドで働きながら大型自動車免許を取得し、1978年(昭和53年)にトラックの運転手になりました。シャネルズでデビューした時もトラックの運転手を暫く続けていたそうです。
しかしこの時、運転の疲れを取るための理由で、仕事仲間から覚せい剤を勧められました。この時の状況を田代まさしは、「覚せい剤を初めて試したが、あまり効果は得られなかった」と話しています。
田代まさしの逮捕歴
田代まさしが初めて逮捕されたのは2000年(平成12年)でした。逮捕歴は全部で4回、全てが覚醒剤容疑ではなく、盗撮や人身事故などもありました。田代まさしをここまで貶めた原因とはいったいどんなものだったのでしょう。
周りの芸能人もインタビューで答えていますが、田代まさしはとても繊細で、常にプレッシャーを感じて仕事をしていたと言われています。傍目には順風満帆にしか見えなかった田代まさしの人生を揺るがしたのは、彼自身であったのかもしれません。田代まさしを貶めた事件はどのような事件だったのかを一つ一つ辿ってみましょう。
2000年:盗撮容疑で書類送検
田代まさしは、2000年(平成12年)9月24日、東急東横線都立大学駅構内で女性のスカート内を盗み撮りしようとしている所を見られて警察に通報されました。その時の出で立ちは帽子にサングラス、マスク姿だったということです。警察は不審人物として田代まさしを任意同行、事情聴取の結果、東京都迷惑防止条例違反の容疑で書類送検となりました。
当初メディアでは大々的に報道されていなかったため、目撃者が違和感を感じて各メディアに連絡し、事が公になったと言われています。田代まさしは、この時すでに覚醒剤を使っていたことを著書である『審判』に記述しています。その覚せい剤とは、1991年の家族旅行でハワイに行った際に購入した覚醒剤であることがわかりました。
同じ年の12月14日、盗撮事件について東京地裁から「罰金5万円」の略式命令が下っています。その時点で田代まさしは芸能活動を一時休止しました。
2001年:覚せい剤使用で逮捕
2000年の書類送検後、志村けん達が田代まさしの芸能界復帰を働きかけ、2001年にテレビ出演するようになりました。『志村けんのバカ殿様』や『ダウンタウンDX』など多数出演し、これでもう大丈夫と思った矢先、同年の12月9日にまた事件を起こしてしまいました。
田代まさしは、近所の男性宅風呂場を覗いたとして軽犯罪法違反容疑で現行犯逮捕されています。田代まさしの自宅を家宅捜索した時にも、覚せい剤が発見されて、12月11日に覚せい剤取締法違反容疑で再逮捕となりました。
当時田代まさしが所属していたエムティエムプロダクションは、逮捕同日に契約解除に踏み切っています。芸能界に大きな影響を及ぼした田代まさしの番組は、収録されている田代の部分が全てカットされています。2件の事件で田代まさしは、2002年(平成14年)3月に懲役2年、執行猶予3年の判決を受けました。
2004年:人身事故で書類送検
田代まさしはその後Vシネマの監督として復帰、2003年の正月には『サンデージャポン』にVTR出演をしました。2004年の春にはテレビ復帰も囁かれましたが、同年の6月16日に青梅街道のUターン禁止場所で車をUターンさせ、バイクに乗っていた男子学生に怪我を負わせる人身事故を起こしました。
そのため、業務上過失傷害と道路交通法違反容疑で書類送検されています。この事で芸能界復帰は白紙に戻ってしまいました。そのため、田代まさしがテレビで顔を見せるのは、サンデージャポンが最後となっています。
2004年:覚せい剤使用で逮捕
2004年9月20日の執行猶予中、田代まさしは中野区で路上駐車中に覚醒剤所持とバタフライナイフを所持していたため、覚醒剤取締法違反と銃刀法違反の容疑で逮捕されました。また、当時交際中の女性にも覚醒剤を打っていたことがわかっています。田代まさしは、警察の取り調べ中に嘔吐したり気絶したりを繰り返していたので、病院に運ばれました。
田代まさしは、この時自殺も考えていたと言っています。芸能活動のプレッシャーに耐えられなくて覚醒剤をやったとも供述しており、家族との関係も悪化していたためヤケになっていたと弁明していることがわかっています。
この事件では執行猶予中であったため、2005年(平成17年)2月7日に東京地裁で懲役3年6か月の実刑判決が下されました。田代まさしの初めての実刑判決でもあります。
2010年:コカイン等の所持で逮捕
その後田代まさしは、栃木県の刑務所に勾留され、2008年(平成20年)6月26日に満期出所しました。出所後の田代まさしは、心身共に衰弱している様子で医師からの処方薬により治療を行っていましたが、2010年9月まで動画サイトやSNSで活動をしていました。
記者からの取材を受けた時は、「薬はもうやらない。目の前にあってもすぐに捨てられる」などと明言していました。しかし、2010年(平成22年)9月16日、赤レンガパークの身体障害者専用スペースに車を止めていたところを警察に発見され、職務質問を受けました。
その時田代まさしは、コカインを持っていたことが発覚して麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕されました。同乗していた女性も覚せい剤を所持しており、女性の部屋にはコカインや覚せい剤、大麻を隠し持っていたことも発覚して再逮捕されています。
田代まさしの逮捕歴は、これで4回となっています。最初の書類送検を含めると5回の逮捕歴ということとなるでしょう。
田代まさし覚せい剤で逮捕の代償
異常なほどのあがり症に加えて、プレッシャーに弱い田代まさしにとって、芸能界はストレスを抱える最大の要因でありました。薬物を使うきっかけとなったのも、その重圧から逃れるための精神安定剤だったかもしれません。4度の逮捕歴は彼にとって大きな代償を払うこととなってしまいました。
2010年の逮捕時は、急激に痩せ衰えていた田代まさしでしたが、この時が田代まさしにとっては限界だったのかもしれません。
2度にわたる服役
薬物依存症者は服役しても治ることはなく、何度も逮捕される確率が高いのは周知されていますが、田代まさしも例外ではありませんでした。2001年から始まった逮捕歴は、2004年、2010年と4度にも渡り、釈放されても逮捕されるまでまた薬物を使い続けるという行為を繰り返しています。
そのため、2度の服役を余儀なくされてしまいました。本人だけが被害を被るならまだ良いのですが、芸能界という厳しい世界では様々な人や企業にも被害を及ぼす結果となっています。
ラッツ&スターのメンバーであり旧知の友である鈴木雅之も「なんと言って良いかわからない。多くの人に迷惑をかけてしまった。あいつ(田代まさし)は大馬鹿者だ。」と無念さをあらわにしていました。
多額の損害金を負う
2001年12月に発覚した覚醒剤事件の時には、所属プロダクションの契約を解除され、多額の賠償金が発生しました。プロダクション側との折半で、8,000万円ということですので、実際にスポンサー側から提示された賠償金額は、1億6,000万円という多額の金額になります。
田代まさしは数年に渡って賠償金を返済していましたが、現在も支払っているのでしょうか。そこの所は謎のままです。
芸能界復帰も絶望的に
横浜地裁で2回目の服役前に受けた判決は、2011年(平成23年)7月1日、薬物の常習性が顕著に出ているという理由から懲役3年6か月の実刑判決が下されました。現在はこれが最後の判決となっています。芸能界の仲間からも様々なコメントが寄せられていました。
ダチョウ倶楽部の元リーダーであり電撃ネットワークのメンバーでもある南部虎弾(なんぶとらた)は、「復帰を支援する仲間よりも薬の方が大事だったんでしょうね」と悲痛なコメントをしています。また、美川憲一は「前回のような涙も出ない。同情もできない」と見放したようなコメントを残しました。
田代まさしの芸能界復帰を願って、ノーギャラで支援していた仲間もすでに見限っていたということです。2回の服役と4回の逮捕歴は、田代まさしにとって芸能界復帰を絶望的なものにしてしまいました。
田代まさしの家族
田代まさしは、一般人女性と結婚し息子と娘を儲けています。犯罪者や薬物依存症者というレッテルを貼られてしまった夫、そして父親に対して、家族はどのような感情を抱いてしまったのでしょうか。息子、娘共に芸能界で活動していることもあり、当時はかなりの波紋が広がったでしょう。
娘や息子が小さかった頃はとても可愛がっている様子でしたが、父親が犯罪者となったことは元妻や娘、息子にどのような影響があったのでしょう。娘や元妻、息子のことを詳しく紹介していきます。
結婚していた妻とは獄中離婚
田代まさしは結婚や妻のことは公にしていませんでした。1回目の服役前に妻とはすでに別居状態だったようです。2000年の下着盗撮事件や2001年の覚せい剤での初めての逮捕など、トラブル続きだった田代まさしの家庭は崩壊状態になっていたのかもしれません。2回目の逮捕で服役をしてから、妻とは獄中離婚に至りました。
元妻とはその後どのような関係になっているのか、現在の様子が気になるところです。
バンドマンの息子とは絶縁状態
何を偉そうにテレビ出てインタビュー受けてんだよ。人の作ったものには関わった人達の様々な気持ちや想いがどんな物にも乗っていると思ってる。これは形のない物をぶんどる盗人のやること。犯罪ではない悪事。即刻特許庁はこのシステムを改善すべき。久々にテレビの中の人間の胸ぐら掴みたくなったよ!
— 田代タツヤ (@tercy_xpixiex) January 28, 2017
田代まさしの息子である田代タツヤは、「撃鉄」というバンドのメンバーでベースを担当しています。2007年からフェスなどで活躍している人気のバンドのようです。父親田代まさしの事件後、息子は田代まさしを軽蔑している様子がうかがえたと言われています。
2016年の清原和博(元プロ野球選手)の覚せい剤事件を受けて、田代まさしはNHKのニュース番組『ニュースウオッチ9』に出演して、自身の覚せい剤の体験談を話しています。しかし、息子である田代タツヤはこれを見て激怒し、ツイッターにコメントを投稿しました。現在の田代まさしの息子に心境の変化はあるのでしょうか。
娘は芸能界を引退
田代まさしの娘である田代小夏は、小学生時代に研ナオコの娘やブラザー・コーンの娘らと3人で結成した『小夏・ひとみ・レイナ』というユニットを組んで、芸能活動をしていました。しかし、父親である田代まさしの事件が発覚してから、娘は芸能界での活動を止めています。
娘の小夏は、1998年に公開された『それいけ!アンパンマン てのひらを太陽に』の主題歌を歌っていました。その後田代まさしとは縁切りの状態で、娘の田代小夏は一般社会人として暮らしていると言われています。
田代まさしの現在
本日、田代まさし(著)アース・スター エンターテイメント発行「マーシーの薬物リハビリ日記」出版記念イベント・出所報告会見を開催いたしました。3月25日(水)発売です! pic.twitter.com/yGwO7vNvuY
— コミック アース・スター公式 (@comicearthstar) March 18, 2015
田代まさしは2014年(平成26年)7月2日に仮釈放となり、薬物依存症更生施設「東京ダルク」で回復プログラムを始めていると報告しています。その時には今までの不祥事に対しての謝罪もしました。2015年(平成27年)3月18日には、田代まさしの著書である『マーシーの薬物リハビリ日記』の発売イベントを行っています。
ダルクでのプログラムで、現在の田代まさしはどのような変貌を遂げたのでしょうか。詳しく紹介していきます。
2015年から芸能活動を再開
2016年(平成28年)2月には、NHKの『ニュースウォッチ9』が再始動になります。この時は前述の通り、息子の田代タツヤにかなりの不評をかっています。その後、2018年4月に電撃ネットワークの三五十五(さんご じゅうご)の追悼イベントで、久しぶりのステージに立ちました。
同年の6月28日には地下アイドルグループ「THE BANANA MONKEYS」の『今を生きろ』にゲスト出演し順調に芸能活動を始めています。最近の活動では、有名な番組の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』にも出演し、活動の幅を広げているようです。
現在では『スピードワゴンの月曜The NIGHT』にゲストとして出演しています。報道番組以外でのテレビ番組への出演は10年ぶりだということです。
ダルクの職員として活動
2014年の出所後は東京ダルクでのリハビリ生活をしながら、薬物依存症についての勉強をしていました。2015年以降は、東京ダルク代表の近藤恒夫氏と一緒に全国を回り、薬物依存症者やその家族に向けて講演を主体とした活動を始めました。
以前の弱々しい姿は見られず、薬物依存症に対しての受け止め方も前向きになっているということです。現在は精力的に全国で薬物依存症の講演をこなしています。
1回目の服役を終えて出所後のインタビューでは、「もう薬をやりたいとは思わない」「薬を目の前に出されてもすぐに捨てる」などとコメントしていた田代まさしでした。しかし、ダルクでの回復プログラムを受けてからのインタビューでは、「薬物依存症は治っていない。目の前に出されたら大丈夫って言える自信がない」と語っています。
不治の病と言っても過言ではない薬物依存症という病気を、田代まさしは現在、自ら受け入れているのがわかります。ダルクのキャッチコピーでもある「今日一日」を理解し、成長している様子がうかがえます。
元妻や息子とも関係修復か
ターシー&マーシーのスタイルもう既に一度やってた。30年前。 pic.twitter.com/K8dx5ESCHO
— 田代タツヤ (@tercy_xpixiex) May 21, 2018
田代まさしの2回目の出所後、2015年には元妻と仲良く食事している事がわかっています。ツイッターでも息子の田代タツヤとのツーショットも公開し、現在では家族との仲も修復しているようです。また、元妻との食事がとても幸せで、「もっと早く気付けばよかった」ともつぶやいています。
ツイッターの写真は、息子の田代タツヤと「一夜限りのDJ」をやった時のツーショット写真です。娘の田代小夏の情報がないので気になりますが、一般人として暮らしているのであまり触れない方が良いかもしれません。
田代まさしの今後の動向に注目!
幼少期に家族の愛情を知らないまま育った生い立ちからか、極度のあがり症やプレッシャーに弱い田代まさしでした。芸能界に入り、あがり症とプレッシャーに弱い性格をなんとかしようと手を出してしまった薬物に、自らを貶めてしまいました。一時は芸能界復帰も危ぶまれましたが、現在では少しずつテレビに顔を出しているようです。
元妻や息子、娘との関係も徐々に回復の兆しを見せ、現在に至ってダルクでの活動も頑張っている姿がうかがえます。今後は夢である「芸能人専門のダルク開設」を目指して、覚せい剤などの薬物に苦しむ芸能人を支える偉大な人物となるかもしれません。今後の田代まさしの動向に注目していきましょう。
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