名張毒ぶどう酒事件の概要と真相!奥西勝は冤罪で死刑?真犯人は会長?

名張毒ぶどう酒事件は、日本の犯罪史に残る三大毒殺事件です。奥西勝死刑囚は再審請求を繰り返す中で獄死しました。冤罪の可能性から映画にもなり「夜這い」の風習や奇妙な家族関係も注目の的です。真犯人とされる会長の存在を含め、奥西勝と名張毒ぶどう酒事件の真相に迫ります。

名張毒ぶどう酒事件の概要と真相!奥西勝は冤罪で死刑?真犯人は会長?のイメージ

目次

  1. 1名張毒ぶどう酒事件の概要
  2. 2名張毒ぶどう酒事件の犯人逮捕まで
  3. 3奥西勝の逮捕理由・犯行動機とは
  4. 4名張毒ぶどう酒事件の裁判
  5. 5奥西勝が死亡
  6. 6名張毒ぶどう酒事件真相や真犯人は?
  7. 7名張毒ぶどう酒事件のその後
  8. 8名張毒ぶどう酒事件に関連する作品
  9. 9名張毒ぶどう酒事件の真相解明は困難か

名張毒ぶどう酒事件の概要

「名張毒ぶどう酒事件」をご存知でしょうか。1961年3月に三重県の名張市で発生した毒殺事件です。死者の数は5人にも上り、1948年に発生した「帝銀事件」(死者数12人)に続くことから「第二の帝銀事件」とも呼ばれました。

その後1998年に起きた「和歌山毒物カレー事件」(死者数4人)とあわせ、日本の犯罪史に記録される「三大毒殺事件」とも呼ばれています。名張毒ぶどう酒事件の犯人とされた奥西勝は死刑となりました。最後まで無罪を信じながら獄中死しています。

しかしこの名張毒ぶどう酒事件は、いまだに真相が解明され尽くしたとは言い難い事件としても知られています。真相究明に向けて何度も再審請求が行われており、無罪や冤罪の可能性もあるのではないかと映画やドラマでも話題になった事件です。真犯人が他にいるのでしょうか。名張毒ぶどう酒事件の真相を追ってみます。

三重県名張市葛尾(くずお)の公民館で起きた毒殺事件

名張毒ぶどう酒事件は、1961年3月に三重県の名張市にある葛尾(くずお)の公民館で発生しました。地元集落には、人々が集まる農村生活改善クラブとして「三奈の会」という会がありましたが、事件のあった日、葛尾の公民館では三奈の会の総会が行われていました。

名張毒ぶどう酒事件はその総会が終わったあとの酒席で発生しました。当時の葛尾には娯楽と呼べるものがあまり無かったようで、総会が終わった後に開催される懇親の宴会は、地元の人々にとって大きな娯楽イベントであったそうです。そうした楽しいはずの場所で「第二の帝銀事件」とも称される凄惨な毒殺事件が発生したのです。

ニッカリンでの毒殺

名張毒ぶどう酒事件で毒殺に使われたのは、猛毒として知られる農薬「ニッカリン」でした。懇親会で振る舞われたぶどう酒の中に、ニッカリンが混在していたのです。酒席でぶどう酒を飲んだのは17人の女性たちでした。突如として急性中毒の症状を訴えたのです。大変な一大事でした。

男性たちに被害はありませんでした。男性たちが飲んだのは清酒で、女性はぶどう酒を飲んでいました。当時はおしゃれで華やかなイメージがあったようで、女性たちは清酒ではなくぶどう酒を好んだといいます。被害が女性ばかりになったのは、ニッカリンが混入されていたぶどう酒を飲んだのが女性だけだったからです。

「三奈の会」の女性5名が死亡

ニッカリンは猛毒として知られています。当時は農薬として日常的に使われていたようですが、現在では農薬としての利用も禁止されています。同じような劇毒として「青酸カリ」が有名ですが、ニッカリンは青酸カリよりも致死量が少ないとされています。はるかに少ない量を服用しただけで死に至ると言われているのです。

三奈の会の17人の女性たちは、ぶどう酒を飲んだ後、急性の中毒症状を訴え始めます。場は騒然となりすぐに医者がかけつけますが、手の施しようがない状態だったと言います。三奈の会の会長の妻を含め、実に5名もの女性が亡くなることになるのです。ほどなくして真犯人探しが始まります。名張毒ぶどう酒事件は世の中を騒然とさせました。

事情聴取を受けた3人の重要参考人

真犯人を突き止めるべく、名張毒ぶどう酒事件の真相究明が始まります。警察から事情聴取を受けたのは3人の重要参考人でした。いずれも当日の懇親会に参加をしていた三奈の会のメンバーです。

まず1人目は、三奈の会の会長である奥西楢雄です。2人目は、会長から清酒とぶどう酒の購入依頼を受け、酒屋で購入してから会長宅に運び込んだ石原という男性です。

そして3人目となるのが、名張毒ぶどう酒事件で死刑判決を受けることとなる奥西勝です。会長宅から公民館へとぶどう酒を運ぶ役割を果たしたのが奥西勝でした。名張毒ぶどう酒事件の真犯人は誰だったのでしょうか。

名張毒ぶどう酒事件の犯人逮捕まで

名張毒ぶどう酒事件は日本の犯罪史に記録される「三大毒殺事件」とも言われています。ドキュメンタリー番組や映画としても取り上げられるほど注目を浴びる事件ですが、この名張毒ぶどう酒事件の犯人逮捕までの過程には、どのような背景があったのでしょうか。

名張毒ぶどう酒事件で奥西勝が犯行を自供し、その後一転して冤罪を主張するまでを追ってみます。

奥西勝が犯行を自供し逮捕

警察は名張毒ぶどう酒事件の重要参考人として、三奈の会の男性3人を事情聴取します。3月28日の夜に発生した事件ですが、取り調べを受けていた3人の1人、奥西勝が犯行を自供します。4月2日のことでした。調べたところ、警察による取り調べはかなり厳しいものだったようで、奥西勝の自宅に泊まり込んで追及を続けたとされています。

取り調べの当初の段階では、奥西勝は犯行を否定しています。自分の妻がやったのではないかという話もしていたようですが、4月2日の段階になって自らの犯行を自供し始めます。公民館にあるぶどう酒の王冠を口であけ、手持ちの農薬を入れたと語ったのです。翌4月3日に奥西勝は逮捕されます。

奥西勝が一転して冤罪を主張

名張毒ぶどう酒事件で自らの犯行を自供して逮捕された奥西勝ですが、その後の取り調べで一転して冤罪を主張し始めます。犯行の否認に転じるのです。その後の公判でも、奥西勝は一貫して犯行を否認しています。

自供をした理由としては、警察による取り調べの厳しさから、罪を認めるように自白を強要されたからだと奥西勝は主張しています。一審では無罪となるものの二審では死刑となり、その後1972年に死刑が確定します。ところが依然として冤罪の可能性は捨てきれず、何度も再審請求が行われています。

真相究明が充分ではないとされる名張毒ぶどう酒事件ですが、奥西勝の逮捕理由とは何だったのでしょうか。また、もし奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の真犯人なのだとしたら、その犯行動機は何だったのでしょうか。

奥西勝の逮捕理由・犯行動機とは

いまだに謎が残る名張毒ぶどう酒事件ですが、もし真犯人が奥西勝だとするならばその逮捕理由や犯行の動機は何だったのでしょうか。その背景には、奥西勝の個人的な事情や家庭の事情だけでなく夜這いと呼ばれる地元ならではの特殊な風習があったのです。

それではこの「夜這い」とは、どのような風習なのでしょうか。またこの風習は名張毒ぶどう酒事件にどんな影響を与えたのでしょうか。事件当日の状況や目撃証言、物的証拠も含めて調べてみます。それは現代社会では考えにくいような奇妙な風習でした。

妻と愛人との三角関係

すでに結婚していた奥西勝ですが、実は愛人がいたと指摘されています。それが今回の事件で死亡した女性の一人、北浦ヤス子です。きわめて狭い集落の中でありながら、三角関係にあったというのです。

また今回の名張毒ぶどう酒事件では、奥西勝の妻である奥西千恵子も亡くなっています。妻と愛人が同時に亡くなっていることから、警察はこの三角関係のもつれが毒殺の原因だと考えました。妻と愛人の2人をまとめて毒殺することで、三角関係の解消を狙った犯行だと見たのです。警察は奥西勝を厳しく追及します。

ところが名張毒ぶどう酒事件は、それほど単純な事件ではありませんでした。こうした家庭の事情だけでは片付けられない、ある特殊な地元事情があったからです。

地域に根付く夜這いの風習

名張毒ぶどう酒事件を複雑にする原因は、地元ならではの特殊な風習にありました。それが「夜這い」と呼ばれる風習です。聞き慣れない言葉ですが、夜這いとは既婚の男女が他の男女と自由な性的関係を結ぶという習慣です。現代では考えにくい、驚くべき風習です。

しかし当時の葛尾地区は娯楽が無かったことから夜這いが娯楽の一つとして受け止められていたそうです。調べたところでは、当時100人程度の人口だった葛尾地区には15の世帯があり、その内10組が夜這いの不倫関係をもっていたとされています。

また、奥西勝がかかえていたような三角関係は珍しいことではなかったらしく、25戸の農家のうち7組が三角関係にあったとの記述も残っています。夜這いという特殊な背景があったからこその数字とも言えます。

三角関係のもつれを背景として「奥西勝の犯行説」が主張されているわけですが、一方で、こうした地元の特殊な事情は、名張毒ぶどう酒事件で「奥西勝の冤罪説」を補強する一つの根拠にもなっています。

不倫や三角関係が犯罪の原因として指摘されることは多くあります。しかし夜這いという、これほどまでに性に解放的な背景がある村です。なかば不倫が当たり前の状況にある村において、それだけが理由で毒殺を図らなければいけないような動機になり得ると言えるのか、ということです。名張毒ぶどう酒事件が複雑な事情はここに一端があります。

事件発生当日の状況と目撃証言

では、事件発生当日の状況はどうだったのでしょうか。名張毒ぶどう酒事件が起きたのは1961年3月28日の夜のことでした。三奈の会の総会が公民館で行われます。総会を終えると懇親会に移りますが、宴会が始まったのは午後8時過ぎだったようです。

公民館に運ばれたぶどう酒の動きが争点となりました。ぶどう酒を酒屋で購入して会長宅に運び込んだのは重要参考人の1人である石原です。事件発生直後の証言によれば、石原が酒屋で購入したのは14時5分頃で、14時半から15時頃に会長宅に届けたとされます。酒屋も同様に、14時半から15時過ぎに販売したと証言しています。

その後、会長宅から公民館へとぶどう酒を運ぶ役割を果たしたのが奥西勝でした。17時20分頃に奥西勝が会長宅に来て、ぶどう酒を公民館へと運びます。総会が始まるのは17時半ですが、公民館にいた奥西勝はそのわずか10分間を使って犯行に及んだとされました。会長宅には2時間近くぶどう酒が置いてあったことになります。

ところが奥西勝が自白を始めると、関係者たちの証言が激変します。会長宅にぶどう酒が運ばれたのが15時過ぎだったとの証言が、なぜか17時過ぎだったとの証言に変わります。つまり、会長宅にぶどう酒が置かれていた時間はほんのわずかな時間でしかなかったということになるのです。奥西犯行説を後押しするような証言変更が起きたことになります。

誰もいない一人だけの時にぶどう酒のそばにいた人物は奥西勝しかいませんでした。名張毒ぶどう酒事件で毒殺が実行可能な人物として、ターゲットは奥西勝のたった一人に絞られることとなるのです。ちなみに村の関係者の証言が一気に変わったのは今でも謎とされています。

自白以外で物的証拠は無し

名張毒ぶどう酒事件には今でも冤罪説が根強く残っています。その理由の一つとして、犯罪を立証する材料が「奥西勝の自白」のみで、それ以外に物的証拠が存在しないということが指摘されています。つまり、自白だけで真犯人が特定され、自白だけで死刑判決が出たという事件なのです。

名張毒ぶどう酒事件で唯一の物的証拠とされているのは、ぶどう酒の王冠(フタ)を口であける際にできた歯型です。ところがその歯型の鑑定結果も、奥西勝の歯型であるとするものと、奥西勝の歯型ではないとするものと、2つの結果が出ているようです。

フタから奥西勝の指紋が検出されたとの結果もなく、混入された毒物が奥西勝の所持していた農薬かどうかの立証もされていません。冤罪の可能性も含めて真相究明が期待され、繰り返しの再審請求が行われている背景には、こうした事情があるのです。

名張毒ぶどう酒事件の裁判

いまだに冤罪の可能性が取り沙汰される名張毒ぶどう酒事件ですが、度重なる再審請求にも関わらず死刑判決を受けた奥西勝は2015年に獄中で死去しました。奥西勝が死去した後も、奥西勝の妹によって第10次の再審請求が続けられていますが、再審請求は却下されています。

多くの疑問が寄せられる中で、なぜこれまでに解決が長期化しているのでしょうか。真犯人は本当に奥西勝なのでしょうか。名張毒ぶどう酒事件の裁判の過程を追ってみます。

一審で無罪・控訴審で死刑

1964年、津地方裁判所(小川潤裁判長)で行われた名張毒ぶどう酒事件の第一審で、奥西勝は無罪判決を勝ち取ります。犯行の自白は警察に強要されたものであるとの主張は受け入れられなかったようですが、ぶどう酒のフタの歯型についての鑑定結果の問題や、住民の証言が一斉に変わった点が不自然であることなどが問題視されたようです。

奥西勝は同日付で釈放されます。ところが検察は、この判決を不服として控訴します。1969年、名古屋高裁(上田孝造裁判長)で開催された控訴審で、奥西勝に逆転判決が下されます。結果は死刑でした。歯型の一致を認めた上で、目撃証言の一斉の変化は問題とされませんでした。奥西勝はこの判決に対し、最高裁判所へ上告をします。

幾度となく棄却された異議申立と再審請求

名張毒ぶどう酒事件をめぐって1972年、最高裁判所(岩田誠裁判長)は奥西勝の上告を棄却します。こうして奥西勝の死刑が確定しました。1974年から1988年まで、5回にわたって再審請求が行われますが、すべて棄却されます。

その1988年、奥西勝の母親である奥西タツノが死去します。名張毒ぶどう酒事件での息子の無罪を信じた母は、1週間に1度のペースで獄中の奥西勝に手紙を送り続けました。その数は969通に達したといいます。1993年以降も再審請求が行われますが、ことごとく棄却されました。

名張毒ぶどう酒事件でようやくの変化が起きたのは、2005年の第7次再審請求でした。ようやく再審開始の決定がなされるのです。ところがこの決断をした名古屋高裁の小出錞一裁判長は、翌年に謎の依願退官をします。この背景については詳しくわかっていません。

こうして念願の再審開始が決定したわけですが、2006年、名古屋高裁は名張毒ぶどう酒事件の再審開始決定を取り消します。またその後も度重なる再審請求が行われますが、すべて却下されています。

2010年、父親の無罪を信じてやまなかった長男が死去します。名張毒ぶどう酒事件の無罪が確定して釈放されるまでは、自分の死を知らせないようにと遺言していたようです。

まさに家族に支えられた人生だったと言えるでしょう。2015年に奥西勝が死去した後も、奥西勝の妹によって第10次の再審請求が行われています。ところが2017年、名古屋高裁は再審請求を棄却しています。

支援者と弁護団による取り組み

度重なる再審請求にもかかわらず、裁判所による棄却決定が続くのが名張毒ぶどう酒事件です。しかし冤罪の可能性がぬぐいされたとは言えず、いまだに無罪判決への挑戦が続いています。奥西勝の無罪に向けて数多くの支援者が存在することも、名張毒ぶどう酒事件の特徴の一つです。

奥西勝を支援しているのは奥西勝の家族だけではありません。日本弁護士連合会が支援する再審事件としても有名で、その他にも「日本国民救援会」や「名張毒ぶどう酒事件・奥西さんを守る東京の会」、「名張毒ぶどう酒事件・兵庫支援する会」や「名張毒ぶどう酒事件(再審えん罪事件全国連絡会)」など、様々な支援団体が存在しています。

冤罪の可能性も高いとされ、真相究明や、真犯人を探す取り組みが続けられています。裁判所の度重なる棄却にも関わらず名張毒ぶどう酒事件はいまだに終わっていないのです。

奥西勝が死亡

名張毒ぶどう酒事件で死刑判決を受けた奥西勝は、2015年に死亡します。無罪を信じながらも89歳で獄死することになるわけですが、死因は何だったのでしょうか。奥西勝の死後も再審請求の挑戦が続いているわけですが、ここでは奥西勝の死亡について振り返ってみます。

89歳で獄死

名張毒ぶどう酒事件で死刑判決を受けた奥西勝は、2015年10月4日の午後0時19分に亡くなります。再三の再審請求にもかかわらず、収監されていた八王子医療刑務所で死去したのです。存命中の死刑囚の中で、2014年4月には日本最高齢の記録をつくりました。

最後の最後まで名張毒ぶどう酒事件の無罪を信じていた奥西勝でしたが、病魔に勝つことはできませんでした。無罪を勝ち取ることのできなかった無念たるや、想像を絶するものがあるとの声もあります。

奥西勝の死因とは

奥西勝の死因は肺炎でした。奥西勝は2012年6月には肺炎を患っていました。体調を悪化させた奥西勝は、八王子医療刑務所に移送されることになります。人工呼吸器を伴う「寝たきり」の状態だったといいます。

名張毒ぶどう酒事件は冤罪だとして何度も何度も再審請求にチャレンジし、2015年には第9次の再審請求を行うに至ります。しかし最後の最後まで、無罪を勝ち取ることはできませんでした。2015年10月4日、奥西勝は息を引き取ることになります。

死後も続く名張毒ぶどう酒事件への再審請求

奥西勝の死後も名張毒ぶどう酒事件の再審請求が続けられています。奥西勝に代わって再審請求を行ったのが奥西勝の妹です。すでに高齢となる妹ですが、兄の無罪を信じて戦いづつけているのです。

奥西勝の存命中に行われた最後の「第9次再審請求」は、2015年10月の奥西勝の死去により棄却されます。その後2015年11月には、奥西勝の妹が第10次の再審請求をしていますが、2017年には棄却されました。名張毒ぶどう酒事件の無実の罪を晴らすための活動は、奥西勝の死後も引き続き行われています。

名張毒ぶどう酒事件真相や真犯人は?

この名張毒ぶどう酒事件をめぐっては、日本弁護士連合会を始めとするたくさんの支援団体がつき、10回もの再審請求が行われてきました。死刑囚として獄死した奥西勝も、最後まで名張毒ぶどう酒事件の無罪を信じていた一人です。

なぜこれほどまでに真相究明の声が続くのでしょうか。名張毒ぶどう酒事件の真相はどこにあるのでしょうか。また、奥西勝以外に名張毒ぶどう酒事件の真犯人がいるのでしょうか。

会長が真犯人という噂も

名張毒ぶどう酒事件の真犯人として有力視されているのは、三奈の会の会長である奥西楢雄です。奥西楢雄は前述の通り名張毒ぶどう酒事件の重要参考人の1人です。警察は、奥西勝の犯行動機として三角関係のもつれを指摘していました。今回の事件で、奥西勝の妻である奥西千恵子と愛人である北浦ヤス子が亡くなっているためです。

しかし名張毒ぶどう酒事件の5人の死亡者リストを見ると、奥西楢雄の妻である奥西フミ子の名前が見つかります。そして驚くべきことに奥西勝の愛人である北浦ヤス子は奥西楢雄の愛人でもありました。もし「三角関係のもつれの解消」を目的とした殺害が動機ならば、奥西楢雄にも同じ境遇があったのです。

同じ境遇にもかかわらず、名張毒ぶどう酒事件で有罪とされたのは奥西勝です。ぶどう酒を購入する決断をしたのは奥西楢雄でした。当日の朝に決定されたそうです。

購入されたぶどう酒は、石原という人物によって会長宅に運ばれます。会長宅に置かれている時間があったわけで、奥西勝以外にも犯行が可能な状況にあったとされます。事件後の人々の証言によれば、ぶどう酒が公民館に運ばる前、2時間近くもの間、会長宅に置かれていたからです。しかしその後に住民の証言が一斉に変わります。

結果として、会長宅の前に置かれていた時間はほとんどなかったことになりました。これにより犯行可能な人物は奥西勝だけになりました。奥西勝を無罪とした一審判決は、名張毒ぶどう酒事件の捜査過程における住民証言の変化について、「検察官のなみなみならぬ努力の所産」と批判しています。

奥西楢雄は地元の有力者でした。そしてまた、奥西楢雄は事件後に別の愛人と結婚をしているそうです。名張毒ぶどう酒事件の真犯人は誰なのでしょうか。

名張毒ぶどう酒事件のその後

真相究明が求められている名張毒ぶどう酒事件ですが、事件後の状況を整理してみます。名張毒ぶどう酒事件が発生した葛尾では、村社会ならではの意外な事態が起きていたというのです。それは、通常では理解しがたい迫害や差別でした。

家族への迫害や差別

名張毒ぶどう酒事件が発生した当時の葛尾は狭い村社会でした。和を保つためには誰かが犠牲になったり泣き寝入りしたりするのは仕方がないという風潮があったと言われています。そのためなのか名張毒ぶどう酒事件で奥西勝が犯行を自供すると、村人たちは奥西一家を責め立てるどころか、手厚く保護しようとする動きを見せ始めたといいます。

しかし、その後に奥西勝は犯行否認に転じます。するとなぜか村人たちは奥西一家を迫害するようになるのです。奥西勝の母である奥西タツノに暴行が加えられることもあったようで、奥西家の墓が村の共同墓地からしめだされるなどの村八分を受けています。事件後に、なぜか急に村人たちの証言が変遷したことも含め、統率した行動には謎がつきまといます。

冤罪の可能性は消えず

このように、名張毒ぶどう酒事件での奥西勝のアリバイや犯行動機には謎が多く残されています。奥西勝が冤罪である可能性は消えていません。まだまだ真相究明が望まれる事件であり、そのためにも再審請求が繰り返し行われています。

名張毒ぶどう酒事件は日本弁護士連合会が支援する再審事件としても有名ですが、再審請求が認められることなく奥西勝は獄中で死去してしまいました。多くの人たちや組織からの支援を受けつつ、今も名張毒ぶどう酒事件の真相究明に向けた戦いが続けられています。

真相や真犯人は謎のまま

名張毒ぶどう酒事件が起きたのは1961年3月のことです。すでに半世紀以上の年月が経過し、奥西勝本人も含め、関係者もいなくなりつつあります。検証をするには年月が経ちすぎたという事情も影響しています。また、狭い村社会ゆえに、正義や事実よりも、和が保たれることを優先するという風土もあったと言われています。

2006年に奥西勝の再審請求が棄却された際、三奈の会の会長である奥西楢雄は当然の決定であるとのコメントを出しています。事件後の徹底的な調査の結果として奥西勝が犯人と認定されている以上、奥西勝は無実を訴えても意味がないとの趣旨のようです。名張毒ぶどう酒事件の真相や真犯人は、依然として謎のままです。

名張毒ぶどう酒事件に関連する作品

いまだ終わることのない名張毒ぶどう酒事件ですが、冤罪である可能性も高く、協力や支援を差し伸べる声はとどまることを知りません。ドキュメンタリーや映画でも、数多くの作品で名張毒ぶどう酒事件がクローズアップされています。名張毒ぶどう酒事件に関連する作品を見ていくことにしましょう。

事件を題材にした映画やドキュメンタリー番組

名張毒ぶどう酒事件を取り上げた映画やドキュメンタリー番組にはさまざまなものがあります。2006年には中京テレビが、NNNドキュメント『裁きの重み 名張毒ブドウ酒事件の半世紀』と第するドキュメンタリーを放送しました。

NHK総合テレビでも、2010年に『クローズアップ現代』で名張毒ぶどう酒事件を取り上げています。「揺らぐ死刑判決 〜検証・名張毒ぶどう酒事件〜」という検証番組でした。その2ヶ月後には、東海テレビが『毒とひまわり〜名張毒ぶどう酒事件の半世紀〜』という番組を放送しています。

名張毒ぶどう酒事件がさらに知名度をあげたのは、2012年に東海テレビで放送された『約束 〜名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯〜』でした。

奥西勝役に仲代達矢、奥西の母親である奥西タツノ役に樹木希林、そして若き頃の奥西勝を山本太郎、そして寺島しのぶがナレーターをつとめるという豪華キャストです。2012年の東京ドラマアウォード・ローカル・ドラマ賞を受賞しています。

翌年には映画化もされました。その後、2015年にはテレビ朝日、メ〜テレ名古屋テレビ放送がテレメンタリー 『悲願 〜再審の扉と証拠開示〜』を、また2016年には奥西勝と袴田巌という二人の死刑囚を取り上げたドキュメンタリー映画『ふたりの死刑囚』が公開されています。

近年でも2018年に東海テレビが『眠る村 〜名張毒ぶどう酒事件 57年目の真実〜』を放送し、2019年2月からは映画としても上映されています。

名張毒ぶどう酒事件は冤罪という立場に立ったもの

再審請求が却下され続ける一方の名張毒ぶどう酒事件ですが、再審請求が却下されればされるほど、かえって注目を浴びていると言っても言い過ぎではありません。そして、これらの作品に共通するものは、いずれも奥西勝を冤罪として描いているという点です。

冤罪であるかどうかは今後の調査に待つべきものですが、未解明の点や不可解な点が多く、少なくとも再調査を要する事件でることは間違いありません。なお、映画『約束 〜名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯〜』で奥西勝役を演じた仲代達矢は、映画の初日舞台挨拶において、冤罪の可能性が高いとの見解を示しています。

また同作品で奥西勝の母親、奥西タツノを演じた樹木希林は、2015年に奥西勝が獄中死したことに触れて、さぞかし無念であったろうと語っています。樹木希林は名張毒ぶどう酒事件について、「多くの弁護士が育てられている」と語り、奥西勝が生きていた意味は非常に大きいと指摘しています。

名張毒ぶどう酒事件の真相解明は困難か

1961年3月に三重県の名張市で発生した毒殺事件、名張毒ぶどう酒事件を取り上げました。1948年に発生した「帝銀事件」(死者数12人)に続くことから「第二の帝銀事件」とも呼ばれた事件です。半世紀を経た今でも、多くの人たちから注目が寄せられている事件です。

名張毒ぶどう酒事件の犯人とされた奥西勝は死刑となり、日本の犯罪史に記録される「三大毒殺事件」とも呼ばれています。しかしながら数多くの謎と、解明されていない点も残り、再調査が求められている事件でもあります。夜這いという地元ならではの特殊な背景も、また一段と謎を深めるきっかけとなっていることは既にご紹介した通りです。

名張毒ぶどう酒事件の概要を追ってみましたが、こうしてわかるのは警察の調査結果と判決内容だけではすんなりと了解するわけにはいかない点が多すぎるということです。犯人は本当に奥西勝なのでしょうか。このまま終わりにしても良い事件なのでしょうか。真犯人は誰か、真相は何なのか、引き続き調査が待たれる事件だと言えます。

2019年公開の映画『眠る村 〜名張毒ぶどう酒事件 57年目の真実〜』は、口をつむぐ地元の村社会とともに、閉鎖的で硬直的な司法機能(裁判所)についても「村社会」の要素があるのではないかと指摘しているそうです。名張毒ぶどう酒事件の真相究明を阻んでいるものは、いったい何なのでしょうか。

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この記事のライター
渡邉 裕晃
インドネシアと日本のハーフ。共著書に「インドネシアのことがマンガで3時間でわかる本」(明日香出版社)がある。

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