関東連合・工藤明男(柴田大輔)とは!現在や著書・関わった事件とは

かつて関東連合に所属し、トーヨーボール殺人事件にも関わった工藤明男(柴田大輔)とはどのような人物なのでしょうか。工藤明男(柴田大輔)の現在や執筆した著書や過去に起こした事件について、工藤明男(柴田大輔)自身のブログやSNSも参考に詳しく調べました。

関東連合・工藤明男(柴田大輔)とは!現在や著書・関わった事件とはのイメージ

目次

  1. 1工藤明男(柴田大輔)とは【画像】
  2. 2工藤明男(柴田大輔)がいた関東連合とは
  3. 3工藤明男(柴田大輔)の人物像
  4. 4工藤明男(柴田大輔)が関わったとされる事件
  5. 5工藤明男(柴田大輔)の関東連合解散後から現在
  6. 6工藤明男(柴田大輔)の現在の動向はわかっていない

工藤明男(柴田大輔)とは【画像】

工藤明男または柴田大輔という名前を聞いたことがあるでしょうか。この2つの名前はどちらも同じ人物を表しています。彼は2013年に闇社会の暴露本を出版し、以降ブログやSNSなどでたびたび世間に存在を晒す元暴走族のメンバーです。では、工藤明男(柴田大輔)とはいったいどのような人物なのでしょうか。

元関東連合の幹部

工藤明男(柴田大輔)は東京都杉並区の出身です。小学校高学年の頃から素行が悪く、いわゆる不良と呼ばれる存在でした。不良として過ごすうちに、工藤明男(柴田大輔)は関東連合の一角となる暴走族グループ「宮前愚連隊」に入ります。

後に工藤明男(柴田大輔)は宮前愚連隊の8代目リーダーとなり、暴力団顔負けの残虐非道なやり方で宮前愚連隊を一気に有名にしました。時には宅配業者などになりすまし、敵対する相手の家に乗り込み金品を強奪するという少年とは思えない狡猾で非道な手口も使っていました。

工藤明男(柴田大輔)本人は、身長が150cm前後という小柄な人物だったため、頭のキレやカリスマ性でリーダーにのし上がっていきました。また、身長が低い割にはタイマンを張れる腕っぷしの強さもありました。

それに加え、工藤明男(柴田大輔)は関東連合の活動に必要な資金繰りに長けており、やがて幹部にまで上り詰めました。2012年9月に起こった六本木クラブ襲撃事件の後始末についてメンバーと意見が分かれ、それがきっかけで関東連合と決別することとなりました。

2つの名前を使い分けている

彼の本名は柴田大輔であり、工藤明男という名前は最初に著書を出版した際のペンネームであるようです。自身のブログやSNSのアカウント名も工藤明男を名乗っていましたが、2016年から柴田大輔の実名を公開するようになりました。

実名を出さずに卑怯と言われるのが癪ということや、工藤明男が柴田大輔というのはすでに周知の事実というのが、公開に至った理由だそうです。その後、彼は工藤明男というペンネームだけでなく、柴田大輔の本名でも著書をいくつか出版しています。

ちなみに工藤明男の名前は、ネット上で関東連合の黒幕といわれる架空の人物「工藤明生」に由来するものだそうです。

金になる人脈を広げていた

工藤明男(柴田大輔)は、AVプロダクションを経営する関東連合OBとの出会いをきっかけに、女性を使って人脈を広げ、ビジネスを展開することに興味を持ち始めました。実業家や芸能人などの出資したバーに出向き、自身が声をかけた若い女性や読者モデルを接待にあてがい、富裕層との関係を築いていきました。

こうして得た人脈によって、関東連合は六本木や新宿などにも勢力を拡大することとなりました。工藤明男(柴田大輔)自身も、関東連合脱退後に芸能プロダクションやIT会社の経営に成功してヒルズ族の仲間入りを果たしました。

過去にはテレビ出演も【画像】

工藤明男(柴田大輔)は、2016年12月にAbemaTVのニュース番組『AbemaPrime』の『居酒屋むらじゅん酔いどれニュース道場』というコーナーに出演しました。そこで工藤明男(柴田大輔)は、市川海老蔵暴行事件についての自身の見解や、関東連合と芸能界のつながりについて語りました。

サングラスや帽子などで顔は明らかにしていませんが、工藤明男(柴田大輔)は関東連合の内部事情について、2週にわたって詳しく話していました。自身のブログやSNSでも、出演シーンの画像や動画を載せてテレビ出演について大々的に宣伝しています。

工藤明男(柴田大輔)は顔のはっきりした画像がほとんどなく、自身のブログやSNSで載せている画像でも顔を隠しています。ただ、身長が低く小柄な人物であることは間違いなさそうです。

工藤明男(柴田大輔)がいた関東連合とは

工藤明男(柴田大輔)が所属していた関東連合とはいったいどのような集団なのでしょうか。関東連合の活動内容や遍歴をまとめてみました。

東京を中心に活動していた半グレ集団

関東連合は、1973年に東京都の世田谷区や杉並区の暴走族の連合体として結成されました。暴力団の体をなしているわけではありませんが、日常的に暴力的な犯罪を行っているため、関東連合は「半グレ」という立ち位置でした。

関東連合のメンバーは全体的に低身長で大柄ではありませんでしたが、その凶暴性は計り知れず、1990年代に渋谷の非行少年たちを制圧し、六本木や新宿に進出しました。その後、支配下に置いた非行少年を使って金持ちの実業家や芸能人とのつながりを持ち、その勢力をどんどん拡大させていきました。

2003年に解散という形をとったものの、その後も関東連合の出身者同士の結びつきは強く、2000年~2010年代にかけて六本木周辺で起こった事件にたびたびその名が登場しています。

市川海老蔵暴行事件で世間に認知される

2010年に、関東連合は歌舞伎役者の11代目市川海老蔵を巻き込んで暴行事件を起こしました。お酒に酔った市川海老蔵の悪ノリに怒った関東連合のメンバーが、市川海老蔵に暴行を加えたというのが事件のあらましのようです。それまでさほど存在を知られていなかった関東連合でしたが、この事件をきっかけに世間に広く知れ渡ることとなりました。

のちに準暴力団に指定

これまで関東連合はあくまで「半グレ集団」であり、暴力団対策法の規制を受けないものでした。特に解散以降は「関東連合出身者の結びつき」を関東連合とし、暴走族として実体のないものだったので、警察も事実上野放しにしてきました。

しかし、市川海老蔵暴行事件が起こってから関東連合の実態をつかむために、組織犯罪対策特別捜査隊への専従捜査班が設置されました。こうして関東連合は、2013年に暴力団レベルのはっきりした組織性は認められないものの、構成メンバーが集団で常習的に暴力的な不法行為をしている「準暴力団」に位置づけられることとなりました。

現在は事実上の解散

準暴力団に指定されはしましたが、関東連合は2012年に勘違いで無関係の人間を殺害した六本木クラブ襲撃事件の後、2013年までにほぼ解体寸前といわれる状況でした。六本木クラブ襲撃事件によって関東連合の主要幹部達が逮捕や逃亡などでいなくなってしまい、組織としてまとまらなくなってしまったことが原因だと言われています。

2014年中盤には、関東連合の名を語って活動している者はほとんどおらず、現在ではほぼ壊滅状態となっているようです。

工藤明男(柴田大輔)の人物像

工藤明男(柴田大輔)は、現在でこそ業界人として落ち着いてはいますが、関東連合に所属していた頃はかなりの悪さをしていたようです。関東連合の主要幹部としての工藤明男(柴田大輔)は、どんな人物だったのでしょうか。

正義心の強い人間ではない

「本を出版したことでMなどに不満を抱えていた人間が自分に賛同してくれると考えていただろうが、工藤は正義心の強い仲間思いの強い人間ではなかったため、益々孤立するハメになり、さらには命まで狙われることになった」

関東連合の元メンバーが言うには、工藤明男(柴田大輔)はあまり正義感のあるタイプではありませんでした。不良だとしても、自分なりの筋や仲間に対する思いやりなどは持っていてもよさそうなものですが、工藤明男(柴田大輔)は自分の利益のみを考える人間だったようです。関東連合の暴露本を出版したことも、相当仲間の反感を買ったことでしょう。

また、工藤明男(柴田大輔)は関東連合の名前をビジネスに利用しており、仲間に対してだいぶひどい対応をしていたようです。そのため、工藤明男(柴田大輔)は関東連合から孤立していき、命まで狙われてしまいました。そのことも関東連合を離れる一因だったのではないでしょうか。

平気で嘘をつく

『工藤は一人一人に言っていることが違っており、本人はうまく立ち回っているようだったが全てめくれてしまい、皆の前でM自身からヤキを入れられ、今後一切M世代以外とは連絡を取らないことで話がまとまった』

工藤明男(柴田大輔)は自分の利益を優先するため、自分にとって都合のいいことしか言わず、結果として嘘の多い人間だったようです。関東連合の仲間に対しても食い違ったことを言っており、仲間内で信用されていませんでした。

自身が書いた著書の中でも、関東連合の実情を語りつつ自分に都合の悪いことは伏せておくなど、不誠実なやり方をしていたようです。

工藤明男(柴田大輔)が関わったとされる事件

工藤明男(柴田大輔)は何度か大きな事件を起こし、逮捕されています。過去に工藤明男(柴田大輔)はどんな事件に関わっていたのでしょうか。代表的な事件をいくつかピックアップしてご紹介します。

五反田・荏原零神刺殺事件

1997年7月に、関東連合は五反田で敵対グループである「全日本狂走連盟」と100名が入り乱れての乱闘騒ぎを起こしました。「全日本狂走連盟」が暴走後に休憩しているところを、工藤明男(柴田大輔)率いる「宮前愚連隊」が襲撃したのが、事件の発端だったようです。

この事件で、工藤明男(柴田大輔)は身長が低いというハンデをものともせず「全日本狂走連盟」の一角である荏原零神の錦織昭を殺害しました。このことは工藤明男(柴田大輔)も自身の著書『聖域』で認めています。傷害致死の罪に問われ、3か月間ほど逃げ回ってはいましたが、関東連合の後輩の密告により特別少年院送りとなりました。

トーヨーボール殺人事件

トーヨーボール殺人事件とは、2000年に大田区にあるボウリング場「トーヨーボール」の駐車場で、18歳の少年が関東連合に襲撃された事件です。関東連合は少年に対して、凶器で顔面を殴ったり舌をハサミで切るなどの凄惨な仕打ちを約1時間半にも渡って行いました。

その後、関東連合は少年を病院の前に放置して逃げましたが、間もなくして少年は死亡してしまいました。関東連合は敵対するグループを襲撃し、やりすぎて殺害してしまったと言っていますが、後に人違いであることが明らかになりました。

トーヨーボール殺人事件は、女優の三田佳子の次男である高橋祐也が関与していたとして、世間から注目を浴びました。工藤明男(柴田大輔)も自身の著書である『聖域』でトーヨーボール殺人事件について語っていますが、自分は襲撃に参加していないと主張しています。

しかし、事件現場に居合わせた他の被害者が工藤明男(柴田大輔)を目撃しており、実際に工藤明男(柴田大輔)はトーヨーボール殺人事件後に約半年間麻布署の留置所にいた事実があります。このことからも、工藤明男(柴田大輔)がトーヨーボール殺人事件に関与していることは明らかと言えるでしょう。

高橋祐也に覚醒剤を売っていたとも

トーヨーボール殺人事件に関わっていたとされる高橋祐也ですが、覚せい剤取締法違反の疑いで現在までに4度逮捕されています。高橋祐也はどうやら関東連合のパシリとして使われていたようで、トーヨーボール殺人事件でも、関東連合のメンバーに襲撃するための車を貸していました。

工藤明男(柴田大輔)は、高橋祐也の所持していた覚せい剤の入手先ではないかと言われています。覚せい剤に溺れさせることで、お金を持っている高橋祐也を都合よく操っていたのではないでしょうか。

画像は高橋祐也が覚せい剤取締法違反で4度目に逮捕されたときのものですが、高橋祐也はトーヨーボール殺人事件の時点ですでに1度同容疑で逮捕されています。1度目の逮捕は1998年ですから、工藤明男(柴田大輔)が覚せい剤の入手先だったとすれば、二人はその頃から付き合いがあったということになります。

工藤明男(柴田大輔)の関東連合解散後から現在

六本木クラブ襲撃事件後、工藤明男(柴田大輔)は関東連合と完全に決別し、関東連合自体も自然と姿を消していきました。その後、工藤明男(柴田大輔)はどうしているのでしょうか。工藤明男(柴田大輔)の現在について調べてみました。

さまざまな著書を出版

工藤明男(柴田大輔)は、関東連合から離脱してすぐに市川海老蔵暴行事件や六本木クラブ襲撃事件についての暴露本『いびつな絆 関東連合の真実』を出版しました。『いびつな絆  関東連合の真実』を出版するにあたって、本名である柴田大輔の名前でなく、工藤明男というペンネームが使われました。

その後2年後に工藤明男(柴田大輔)は、ペンネームで『破戒の連鎖 いびつな絆が生まれた時代』及びそれに加筆修正を加えた『破戒 関東連合少年編』を出版しました。この本は関東連合の少年たちがどのようにして悪の道に染まっていったか、関東連合誕生の背景について描いた内容でした。

さらにその1年後、柴田大輔の名前で3作目となる著書『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』を出版しました。前2作よりもさらに関東連合の内情に踏み込んでいった内容となっており、具体的なメンバーとの会話や、芸能界、実業家とのコネクションなどが赤裸々につづられていました。

この本には五反田・荏原刺殺事件やトーヨーボール殺人事件など、過去に関東連合が起こした事件の実態についても詳しく書かれています。『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』をもって、工藤明男(柴田大輔)は関東連合の暴露本の執筆を終了し、今後元関東連合を語っての活動は一切しないと宣言しました。

自身のブログで内情を暴露

工藤明男(柴田大輔)は暴露本を出版するだけでなく、自身のブログを開設し、そこでも関東連合や闇社会の実情について明らかにしていました。時には、ブログをみた読者の質問に答えるというようなこともしていたようです。

2013年から続いていた工藤明男(柴田大輔)のブログでしたが、2017年2月24日に突然ブログやSNSで関東連合について発信するのをやめました。関東連合の真実を発信することが自分の思うような結果を生まず、多くの物を失ってしまったというのがその理由だそうです。

それ以降、工藤明男(柴田大輔)のブログは、自身がプロデュースしたアプリゲームの宣伝や自身の日々のことをつぶやいたTwitterの転載といった内容になりました。

2018年7月からTwitterの更新なし

ブログへの書き込みを終了してからも、工藤明男(柴田大輔)はTwitterの更新を続けていました。身の回りで起こったことや親しい人たちとの交流、自身の著書の宣伝、気になったツイートに対してのコメントなどがその主な内容です。

しかし、2018年7月29日に「真鍋昌平闇金ウシジマくん43」のツイートを引用リツイートしたのを最後に、工藤明男(柴田大輔)のTwitterはぱたりと更新されなくなりました。もともとツイートの更新間隔にムラがあるものの、これほど長く更新されなかったことは今回が初めてです。

工藤明男(柴田大輔)の現在の動向はわかっていない

Twitterの更新がストップしてから、工藤明男(柴田大輔)が現在どこで何をしているのか分かっていません。ブログも2018年6月25日以降、全く更新されていないようです。また、工藤明男(柴田大輔)がプロデュースしたアプリゲームも現在AppleStoreから姿を消してしまっているようです。

もともと工藤明男(柴田大輔)は六本木クラブ襲撃事件で決別した関東連合のメンバーに命を狙われ、暴露本を出版してからは警察の保護対象となっていました。関東連合が事実上解散したといっても工藤明男(柴田大輔)を憎んでいるメンバーは多いはずなので、工藤明男(柴田大輔)の身に何かあってもおかしくはありません。

いずれにしても、闇社会にどっぷり浸かって生きてきた工藤明男(柴田大輔)が、そう簡単に平穏な暮らしを手に入れることはできないでしょう。関東連合は、トーヨーボール殺人事件や六本木クラブ襲撃事件のように、勘違いとはいえ無関係の一般人を殺害することもありました。

そんな組織の主要幹部だった工藤明男(柴田大輔)が、何事もなく組織を抜け表社会で受け入れられて生きていくことは、とてもではありませんが難しいことではないでしょうか。

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この記事のライター
古賀 美帆
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