下村(中村)早苗の生い立ちから現在【大阪2児餓死事件】

2010年マンションの一室で2人の子供が餓死するという衝撃的な大阪2児餓死事件が起こりました。子供を置き去りにしたのは下村早苗で、ラグビーの指導者・下村大介が父親でした。ホストにハマり子供を死亡させた下村早苗の生い立ちや現在、元夫のその後などをまとめました。

下村(中村)早苗の生い立ちから現在【大阪2児餓死事件】のイメージ

目次

  1. 1下村(中村)早苗とは
  2. 2下村早苗の生い立ち
  3. 3下村早苗の幸せな結婚からの転落
  4. 4大阪2児餓死事件の概要
  5. 5大阪2児餓死事件のその後
  6. 6大阪2児餓死事件は下村早苗の生い立ちが関係していた

下村(中村)早苗とは

現在、児童虐待のニュースは後を絶たず、親の愛情を受けられなかった子供たちが悲痛な叫び声をあげながら命を失われていくというケースも少なくありません。2010年には大阪市西区のマンションに子供が2人置き去りにされ餓死するという悲惨な事件が起こりました。

こちらの記事では、この「大阪2児餓死事件」の真相や、事件を起こして現在服役中の犯人・下村早苗についてまとめました。

大阪2児餓死事件の犯人

大阪2児餓死事件の犯人は下村早苗という当時23歳の母親でした。育児放棄により2人の子供を死に追いやった犯人ですが、大阪2児餓死事件の2年前まではごく普通の子供思いの母親だったようです。その様子がわかるのは、下村早苗が育児の様子を綴っていた自身のブログです。

ある日のブログには「可愛いベイビー」と題され、長女と長女の友達が遊んでいるのを「可愛い」と眺めながら娘の成長を喜んでいるという内容になっていました。ブログの内容からはまるで育児放棄をするような母親には感じられないようです。その後、一体何があって下村早苗は変わってしまったのでしょう。

育児放棄し子供を餓死させた人物

下村早苗はマンションに長女の桜子ちゃん(当時3歳)と長男の楓くん(当時1歳)を置き去りにし、約2ヵ月間家に帰らず、子供たちを餓死させました。寄り添うように倒れていた2人の遺体は、一部分が白骨化しており、胃の中は空っぽだったそうです。

大阪2児餓死事件が発覚する約4ヵ月前、下村早苗のマンションから聞こえる子供の泣き声に不安を覚えた近所の住民が虐待を疑い、児童相談所に通報していました。しかし職員は何度足を運んでも、下村早苗にも子供にも会うことはできませんでした。

「子供を助けたい」という近隣住民や児童相談所職員の思いも届かず、2010年7月30日、動かなくなった桜子ちゃんと楓くんが発見されたのです。

下村早苗の生い立ち

どのような経緯をたどれば、子供に愛情を注げず殺してしまうような母親になってしまうのでしょう。こちらでは、大阪2児餓死事件の犯人である下村早苗の生い立ちについてまとめました。鬼母と呼ばれた下村早苗の生い立ちに注目してみましょう。

父親(下村大介)はあの熱血教師

下村早苗の父親・下村大介は長年、三重県立四日市農芸高校で体育を教えていました。さらに下村大介はこの高校でラグビー部の顧問を務め、四日市農芸高校をラグビーの強豪校へと育て上げました。下村大介自身はラグビーの経験はありませんが、ラグビーに対しての強い熱意があり、熱血教師だと言われていました。

強豪チームの監督ということで下村大介はたびたびメディアにも登場しています。それほど有名な人物だったため、大阪2児餓死事件を起こした下村早苗の父親だと発覚したときは世間が騒然としました。大阪2児餓死事件の真相が次々と明るみに出る中で、下村早苗の複雑な生い立ちは、父親の下村大介の影響もあるのではないかと囁かれるようになりました。

下村大介は3度結婚していますが、3人とも高校の教え子でした。そのうちの1人が、まだ幼い下村早苗を置いて家を出て行った実の母親でした。

母親も下村早苗と同様だった

下村早苗の両親が離婚したのは下村大介の浮気が原因だったと言われています。しかし下村早苗の暗い生い立ちに影響を与えたのは父親の下村大介ではなく、実は母親だったとも囁かれています。下村大介が指導するラグビーチームの合宿の日に、母親はよく自宅に別の男性を招き入れていたそうです。

下村大介と下村早苗の母親が別居中の時も「夜中にお母さんがいない」と下村早苗から父親に電話がかかってくることが度々ありました。家は散らかっており子供たちの髪はいつもベトベトだったそうです。母親は夜遊びや不倫を繰り返した末に子供を置いて家出しました。

娘の下村早苗はそのような母の行動を見て育ったので、子供たちを心から愛することができなかったのかも知れません。子供たちの辛い気持ちをわかっていながら、その後自分も母親と同じように虐待をしたのです。

父親に引き取られる

その後、下村早苗と2人の妹は父親である下村大介に引き取られました。下村早苗が小学校3年生の頃下村大介は再婚しましたが、2度目の再婚相手には連れ子がいたようです。下村早苗は自分の子供には高い服を買い、下村早苗や妹には安物の服しか買ってくれない義母が嫌いでした。

下村早苗は、実子だけを可愛がり自分たちを差別する義理の母親とはうまくいかず、辛い日々を送っていたようです。父親の下村大介は結局、自分の娘たちを可愛がってくれない妻と離婚することになりました。その後、再び高校の教え子と再婚することになりましたが、こういった家庭環境が下村早苗の生い立ちや現在に影響を与えたのでしょう。

中学生から不良グループに

小学校では優秀だった下村早苗は両親の離婚で情緒不安定になり、中学校に上がると不良の仲間と行動を共にすることになりました。何度も家出を繰り返し夜の繁華街で補導されていたようです。問題を起こし、逮捕されることもありました。

番組を通じて下村大介と交流のあったニュースキャスターの福澤朗が、中学生で非行グループにいた下村早苗の説得にあたったこともあるようです。見かねた父親は、なかなか落ち着かない下村早苗を知り合いの教師に娘を下宿させてもらうよう依頼し、下村早苗は関東の私立高校へ入学することになりました。

高校卒業後は割烹店に就職

親元を離れて落ち着きを取り戻した下村早苗は、下宿先で家事や礼儀作法を身に付け卒業後、地元の割烹店に就職しました。その割烹店で働いていた2006年に、当時大学生だった元夫と出会います。出会って7か月後に2人は若くして結婚するのですが、この結婚が下村早苗のその後の人生を大きく左右することになったのです。

下村早苗の幸せな結婚からの転落

複雑な生い立ちの中で両親の愛情を十分に受けることができなかった下村早苗は、ようやく幸せを掴んだかのように見えました。しかし、その幸せな生活は約2年半でピリオドを打つ結果となりました。自分から去っていった元夫が残した2人の子供たちは、残念ながら若い母親の生きがいにはなりませんでした。

下村早苗の結婚生活に、一体何が起こっていたのでしょう。こちらでは下村早苗の結婚当時の様子から幸せな生活が崩壊していく経緯をまとめました。

できちゃった結婚

下村早苗が元夫と出会って7ヵ月のスピード婚をした理由は妊娠でした。つまり、下村早苗と元夫はできちゃった結婚だったのです。しかしできちゃった結婚とは言え、大学を中退してまで結婚という選択をした元夫との間には確かな愛情があったはずです。そうして2007年5月、下村早苗は20歳で長女の桜子ちゃんを出産しました。

つかの間の幸せな結婚生活

結婚当初、下村早苗は元夫の家族と同居して幸せに暮らしていました。元夫の父親や母親とも仲が良く、娘の桜子ちゃんも非常に愛されて育っていました。その頃、下村早苗が始めたブログには、幸せな結婚生活や子供への深い愛情が綴られていたようです。

元夫は大学を中退し、自動車部品メーカーのデンソーに契約社員として勤務していました。その後正社員になったという情報があるので、家族のために一生懸命働いていたのだと考えられるでしょう。ほどなくして第2子を妊娠し、下村早苗にはさらに幸せな暮らしが待っているはずでした。

2人目の出産を機に崩壊

2008年10月に長男・楓くんを出産したあたりから、下村早苗の幸せな生活は崩壊し始めました。突然、子供たちを置いて外泊しては、古い友人に会うと言って朝帰りを繰り返すようになりました。人間関係に悩みが生じ、憂さ晴らしするかのように遊び回っていたそうです。

桜子ちゃんを出産した当初は、布おむつの使用や手作りの離乳食など、子育てに一生懸命だった下村早苗は2年後、見る影もなかったと言います。

不倫の末離婚

下村早苗が悩みを掻き消すかのように遊び回り、他の男性の所に外泊しては不倫を繰り返しているという事実は、まもなく元夫やその家族に知られることになりました。その後すぐに2人は離婚し、子供たちは下村早苗が引き取ることになりました。

一説によると元夫も不倫をしていたと言われており、もしそれが本当であれば元夫のせいで下村早苗が不倫したとも考えられます。しかしその真相は公にされないまま、下村早苗は子供を連れて元夫の家を出て行ったのです。

元夫からの養育費はなし

夫からの養育費はもらえず、途方に暮れた下村早苗は2人の幼い子供を連れて実母のもとを訪れました。ところが実母は精神不安定な状態になっており、頼ることはできませんでした。父親の下村大介にも拒まれどうしようもない下村早苗は、寮がついている風俗店で働くことになりました。

そうしてマンション付きの店を探しては転々として、誰の助けもないまま一人で辛い子育てを強いられていたのです。その後ほどなくして、悲惨な大阪2児餓死事件が起こってしまったのです。

大阪2児餓死事件の概要

子供がマンションに置き去りにされた大阪2児餓死事件とは、具体的にどのような事件だったのでしょうか。桜子ちゃんと楓くんはどんな気持ちで母親の帰りを待っていたのかを考えると、多くの人は胸を痛めることでしょう。こちらでは悲惨な事件の概要についてまとめていきます。

子供置きざりで遊びまわる日々

下村早苗は大阪市西区で勤務先を見つけると、勤務先の寮に子供と一緒に暮らし始めました。しかしこのマンションに移り住んだ頃から、下村早苗はほとんど子供の世話をしなくなったそうです。徐々に気温が上昇しつつある6月下旬、締め切られ冷房のかかっていないマンションの一室に子供を置いて、下村早苗は複数の男性と遊び回っていたと言います。

後の供述で、下村早苗はこの頃から「子供なんかいない方がよかった」と考えるようになったそうです。お風呂やご飯をあげるのが面倒になり、糸が切れたかのように育児を放棄しだした下村早苗は、何日もマンションに帰らない日が続きました。

マンション住民から通報

マンションに住む住民は、子供が残された部屋の異変に気付き何度か通報していたようです。下村早苗が家を出る以前から、泣き叫ぶ声や物音で虐待を疑われていました。生ゴミが腐ったような異臭もあり、児童相談所に苦情が寄せられていたようです。

それを受け大阪市の子供相談センターは3月から5月の間に5度、下村早苗のマンションを訪れましたが、母親にも子供にも会うことはできませんでした。

ホストにハマり家出

では下村早苗は約2ヵ月も家に帰らずどこにいたのかというと、当時関係を持っていたホストの所にいたそうです。ホストクラブにハマった下村早苗は、風俗店で働いたお金をほとんどホストクラブ通いに費やしていました。勤務先がある大阪の繁華街にはホストクラブもたくさんあり、一晩で複数のホストクラブをはしごすることもあったそうです。

複数のホストと同時に交際していた時期もあり、自宅に帰らず数人のホストの家を転々としていたようです。下村早苗は若くして結婚、子育てが始まってしまったために「もっと遊びたくなった」と無責任な供述をしています。

同僚男性が遺体を発見

下村早苗から連絡を受け、警察に通報したのは同僚の男性でした。下村早苗は遺体を発見した後にすぐには通報せず、他の男性のところに行き「とんでもないことをした」と言っていたそうです。7月30日に同僚の男性が警察に連絡し、桜子ちゃんと楓くんの遺体が発見されました。

2人の胃の中は空っぽで、少なくとも数日間は何も食べていないと推測されました。部屋の中央部に裸で倒れていた子供たちの体の一部は腐敗が進んでおり、茶色に変色していたそうです。白骨化しミイラ化している部分もあったようです。

下村早苗を逮捕

下村早苗は7月30日にとうとう逮捕されました。部屋の中はお菓子やファーストフードのゴミが散乱しており、使用済みのオムツがそこらじゅうで異臭を放っていたそうです。発見当時冷蔵庫には何も入っていませんでした。2人の子供がただお腹を空かせて力尽きていく様子が、ホストに入れこんでいた下村早苗には想像できなかったのでしょうか。

大阪2児餓死事件のその後

悲惨な大阪2児餓死事件から約9年、その後下村早苗はどうなったのでしょう。現在、和歌山の刑務所で服役中との噂がある下村早苗に実刑判決が出るまでの経緯をまとめました。複雑な生い立ちの母親が逮捕され、ショッキングなニュースに世間も騒然としていました。

下村早苗は殺人罪で起訴

下村早苗は我が子に対し育児放棄をし、2人の命を奪ってしまった罪で殺人罪に問われました。善悪の判断がつかなかった可能性があると精神鑑定を受けましたが結果、判断力は十分にあったとみなされました。下村早苗の弁護士は母親には十分な愛情があり、殺意はなかったと主張し保護責任者遺棄致死罪を求めましたが、棄却されました。

懲役30年の実刑判決

検察側の求刑は無期懲役であるのに対し懲役30年の実刑判決を受け、現在も和歌山県内の拘置所で服役中との噂があります。懲役30年の判決を聞いた下村早苗は「(無期懲役じゃなくて)よかった」と笑ったそうですが、それも真実かどうかは定かではありません。

現在の下村早苗は中村姓に

現在、下村早苗は姓を変え「中村早苗」として服役しているようです。中村というのは、以前下村早苗と同じ刑務所で服役しており、出所してからも連絡をとっていた女性であるようです。下村早苗は母親や父親から見放され頼れる身内がいないために、中村夫婦が養子縁組したと言われています。

事件のあったマンションの現在

大阪2児餓死事件が起こったマンションでは事件後、住人15名による交流会が行われました。もう二度と悲しい事件が起こらないように、と願いを込めて付けられた会の名前は「桜楓会(おうふうかい)」です。桜楓会は、困ったときに相談に乗ってくれる人がいればという目的で、定期的に開かれる予定だったようです。

しかしその後このマンションの住人はすべて出て行ってしまい、現在はほとんど人が住んでいないそうです。ゴミや腐敗臭がかなり漂っていた上にマスコミが押し寄せ、ほかの住人は非常に困っていたそうなので、引っ越しもやむ終えなかったのかもしれません。

大阪2児餓死事件は下村早苗の生い立ちが関係していた

2010年に大阪市西区で起こった大阪2児餓死事件についてまとめてきました。ホストに夢中になり育児放棄をした下村早苗の生い立ちは壮絶であり、この生い立ちこそが事件を引き起こした原因となったのでしょう。親からの愛情が十分受けられなかった下村早苗は、自分に優しくしてくれるホストに愛情を求めたのかもしれません。

現在、刑務所で真面目に罪を償っていると言われている下村早苗が刑期を終え、出所する予定は約20年後です。その頃には虐待など存在しない世の中になるように、1人でも多くの人がこの事件を知り考えるべきでしょう。

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この記事のライター
なおきー太

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