ピアノ騒音殺人事件とは!犯人・大浜松三のその後や遺族の現在は

ピアノ騒音殺人事件の犯人である大浜松三は、騒音トラブルによって3人の被害者を出し、死刑の判決を下されました。そんな事件現場となった県営団地では、一体どのようなトラブルがあったのでしょう。ピアノ騒音殺人事件の被害者遺族となった夫の現在と共にご紹介致します。

ピアノ騒音殺人事件とは!犯人・大浜松三のその後や遺族の現在はのイメージ

目次

  1. 1ピアノ騒音殺人事件の概要
  2. 2ピアノ騒音殺人事件の詳細
  3. 3ピアノ騒音殺人事件の犯人のその後
  4. 4ピアノ騒音殺人事件の遺族の現在とは
  5. 5騒音トラブルが招いた悲しい事件だった

ピアノ騒音殺人事件の概要

ピアノ騒音殺人事件とは、1974年に神奈川県平塚市で起こったピアノが原因の騒音トラブルによる殺人事件です。犯人は階下から聞こえてくるピアノの音に悩み、騒音の元である被害者達(子供2人を含む一家3人)を刺殺しました。

当時は高度経済成長期で生活が徐々に豊かになっていった時代でした。そのため集合住宅での騒音被害が表面化していった時代でもあります。この事件をきっかけに改善されたものは多く、騒音対策のための施策や住居改善、楽器の弱音装置開発など、騒音に対する認識が大きく変化していきました。

1974年に一家3人が殺害された

ピアノ騒音殺人事件の被害者は犯人宅の階下に住む8歳の長女、4歳の次女、母親の3人です。夫は仕事に行っていて在宅しておらず、現場は被害者一家の自宅で起こりました。幼い子供が2人犠牲になっていること、殺害の動機が「ピアノによる騒音トラブル」であることで大々的に報道されました。

現場は被害者の自宅である県営団地

ピアノ騒音殺人事件は、犯人である大浜松三と被害者が住んでいた県営団地で起こりました。現場は大浜松三宅の階下である被害者の自宅でした。犯人と被害者は上下階の部屋に住む近隣住民でしたが関係は良くなかったようです。

動機は騒音トラブル

「ピアノ騒音殺人事件」という名前の通り、ピアノによる騒音に怒りが爆発した大浜松三が階下の住民である被害者達を殺害した事件となっています。被害者宅は玄関ドアも1年中開けっ放しであったため、犯人は生活音や話し声などにも悩まされていました。

さらに被害者家族の夫は日曜大工が趣味だったそうで、休日になると工作音が響いていたと言われています。事件の約1年前には被害者の長女がピアノを習い始め、県営団地の3帖間にピアノを置いて毎日練習を行っていました。

それまでの生活音などは我慢できていたものの、あまりにも遠慮のないピアノの練習音に過敏な大浜松三は耐えきれず苦情を言いに行ったようです。しかし改善が見られず、結果痛ましい事件に発展してしまいました。

ピアノ騒音殺人事件の詳細

ピアノ騒音殺人事件の犯人は一体どういう経緯で犯行に至ったのでしょうか。犯人が被害者に対してどのように接していたのか、また騒音トラブルの詳細な内容についても絡めて紹介します。

大浜松三は音に対する恐怖があった

加害者・大浜松三は、犯行があった県営団地以前の住居で、隣人からスレテオの音について苦情を言われたことがありました。

大浜松三は苦情を受けてからたことをきっかけに、音についてかなり気を遣うようになったといいます。テレビを見る時はイヤホンをつけ、部屋には厚いマットを敷き詰めたようです。さらに歩き方に気を付けたり、大浜松三の妻が立てる生活音にも再三注意するほどでした。

一方では、近所のガラス戸の開閉音が爆弾の破裂音のように聞こえ、脳が破壊されそうな感覚に陥るなど、音に対してかなり敏感になってもいたようです。

ピアノや生活音の騒音についても注意していた

先ほども少しご紹介しましたが、被害者家族の夫は日曜大工が趣味で、休日になると大工音を響かせていました。そして、被害者家族は日常的にドアや窓を開けっ放しにしており足音、笑い声、生活音は上階の犯人宅に響いていました。

さらに被害者の8歳の長女はピアノを習い始め、毎日遠慮なくピアノの練習をしていました。県営団地では「ピアノは音量に気を付ける」「練習は昼間に限る」など決まりがあったようですが被害者家族がそれを守ることはありませんでした。

さすがにこの時になって犯人が被害者宅へ苦情を言いに言ったようですが、被害者らはそれを受け流し、改善することはありませんでした。

1974年8月28日に階下の少女2人と母親を刺殺

事件の数日前、被害者宅のドアに「子供が寝ています。静かにしてください」という張り紙がしてありました。それを見た大浜松三は階下住民の自分勝手な物言いに、今まで我慢してきたものが抑えられず殺害を決意しました。

大浜松三が犯行に至ったのは、生活音や日曜大工音に耐えて約4年、ピアノの練習音にも耐えて1年近く経った1974年の8月28日のことです。8歳長女、4歳の次女を含めた3人を現場である階下の一家宅で刺殺しました。夏の蒸し暑い日で、いつもより2時間ほど早い時間に鳴り始めた階下からのピアノ音に、大浜松三は怒りが湧き上がりました。

階下の父親が出勤し、母親が4歳の次女とゴミ出しに出たのを確認し、現場である被害者宅へ向かいました。朝早くからピアノを弾いていた長女を、用意していた刺身包丁で一刺しし殺害、次にゴミ出しから戻ってきた4歳の次女を刺し、最後に部屋に入ってきた母親も刺し殺しました。

自ら自首したことで逮捕された

犯行に及んだ大浜松三はバイクで逃げ出し、自殺をしようと死に場を探してさまよいました。しかし、死ぬことができず犯行の3日後である1974年の8月31日に自ら出頭、逮捕されました。

ピアノ騒音殺人事件の犯人のその後

ピアノ騒音殺人事件の犯人は、逮捕後どのような判決を受けたのでしょうか。判決の結果とその後、現在は生きているのか、生きているのであればどこで何をしているのか見ていきましょう。

1974年10月に横浜地裁で初公判

逮捕から約1ヶ月後の1974年10月、横浜地裁小田原支部で初公判が行われました。裁判では騒音の影響がどれほどであったのか、調査が行われました。

調査の結果、窓を開けた状態でもピアノの音量は上限44ホンであったため、閣議で決定されている環境基準値以内ということになりました。しかしピアノを弾いたのは警察関係者であり、15分程の演奏であったとされています。

別居中の妻も弁護している

犯行が起こった半年前に別居した大浜松三の妻も証言台に立ち、弁護側の証人として発言しました。妻が県営団地で同居していた時「ピアノの音は度を過ぎている」と感じていたようです。ピアノの音に対して苦情を言いに行った後から、大浜松三の帰宅後、急に練習し始めるなど悪意を感じることが度々あったと証言しています。

しかし精神鑑定での大浜松三には精神病の症状は見られず、「責任能力はあるが、道徳感情が鈍麻した精神病質に該当する」と判定されています。

1975年10月死刑の判決

ピアノ騒音殺人事件から約1年後の1975年の10月、大浜松三への判決が決定しました。責任能力があり計画的犯行であること、殺害方法が残虐であること、動機に酌量の余地なしということで死刑の判決が下されました。ピアノの音が原因で殺害に至ったという経緯は、自分勝手極まりないという理由による判決でした。

1976年自ら控訴を取り下げている

大浜松三にとって死刑判決は望み通りでしたが、弁護士が「控訴すればの刑が軽くなる可能性がある」と控訴の手続きをしていました。また事件が大々的に報道されたことから、騒音被害者による助命嘆願活動が行われました。その結果再び精神鑑定が実施され、大浜松三には「責任能力なし」という診断が下りました。

しかし大浜松三が「音に過敏で不眠症になっている。このまま生きていくのも辛いので死刑にしてほしい」という思いから弁護士に相談せず自ら控訴を取り下げました。

弁護士は「大浜松三は隣の房のトイレの音にノイローゼになったせいで精神不安定になっているだけで、取り下げは認められない」と主張しましたが、その訴えは受け入れられることはありませんでした。その後控訴が行われることなく死刑が確定しています。

現在も死刑は執行されていない

ピアノ騒音殺人事件が起こってから、2018年現在で42年が経ちました。犯人・大浜松三は89歳になりましたが、未だに死刑は執行されていません。それは精神鑑定の結果や動機などから、無期懲役への減刑が充分に考えられたことが原因ではないかと言われています。大浜松三は冤罪疑惑がない死刑囚の中では最古参、最高齢の死刑囚として、現在も収監されています。

ピアノ騒音殺人事件の遺族の現在とは

犯人の大浜松三についてご紹介してきましたが、遺族である夫は現在何をしているのでしょう。ネット上には遺族に対しての批判や犯人への同情的な意見もあるため、それを交えて紹介します。

ピアノ騒音殺人事件被害者の夫の現在

犯行時現場におらず、犯行を免れた遺族の夫ですが、現在の消息は一切つかめませんでした。また裁判や事件判決時の夫の様子についても、どこにも記載されていません。情報規制が甘い昔の事件ですので、遺族の現状やその後の情報があってもおかしくないはずですが、ネット上では全く情報は見つかりませんでした。

被害者を責めるネットの声

この事件の概要を読んだ人からは、被害者を責める声が多数ネット上にあがっています。特に集合住宅に住んだ経験があり、騒音について悩んだ経験があるという人は遺族に対して悪感情を抱いたようです。現場は県営団地で、当時の床板の厚みは12cmしかありませんでした。昼間であってもトイレの流す音や足音が聞こえていたと言います。

平日は階下の生活音とピアノ、休日は夫の日曜大工のせいでゆっくり休むことができない毎日を送っており、注意しても聞き入れてもらえない中で「子供が寝ています。静かにしてください」という張り紙が玄関ドアに貼ってあるのを見たら、怒りを覚えるのも仕方がないのかもしれません。

ピアノの音は壁を伝って上下に音が反響するため、想像よりも音が大きく聞こえていることが多いようです。被害者一家は現代のように、音量調節や消音機能がついていない普通のピアノを3帖間に置いて、子供の力とは言え遠慮なく弾いていました。連日続く音への苦痛は想像を絶するものがあったのではないでしょうか。

騒音トラブルが招いた悲しい事件だった

犯行当時は今よりも騒音に関して緩い時代で、楽器の演奏・生活音等の配慮もそこまでされていなかったようです。現場は壁も床板も薄く、音に過敏な犯人からすると苦痛で仕方無かったのでしょう。しかし亡くなった3人と、遺族からすると「突然襲われた」と感じても仕方ありません。

少しの配慮と円滑な近隣関係を保てていれば、この事件が起きていなかったかもしれません。そう考えると痛ましくて悲しい出来事だったと言えるでしょう。今後もこのような騒音トラブルが原因での事件が起こらないよう祈るしかありません。

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この記事のライター
あんこもなか

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