野崎幸助の生い立ち・経歴!家族や仕事は【紀州のドンファン】

野崎幸助は日本を代表する実業家で、小さな会社の経営者から紀州のドンファンと呼ばれるまでに成りあがりました。野崎幸助の経歴や生い立ち、結婚、家族、子供の有無や資産、仕事ついてなどをご紹介します。さらに、華々しい経歴から一転した謎の死の真相にも迫ります。

野崎幸助の生い立ち・経歴!家族や仕事は【紀州のドンファン】のイメージ

目次

  1. 1野崎幸助とは
  2. 2野崎幸助の経歴【生い立ち編】
  3. 3野崎幸助の経歴【家族編】
  4. 4野崎幸助の経歴【結婚編】
  5. 5野崎幸助の経歴【急死編】
  6. 6華々しい経歴を歩んだ野崎幸助の壮絶な人生

野崎幸助とは

野崎幸助は紀州のドンファンとよばれた和歌山の大実業家です。不審死を遂げたこと、さらにその直前に20代の女性と再婚していたことから一時はメディアで話題騒然となりました。資産家として名をはせていた紀州のドンファンこと野崎幸助ですが、子供の頃は資産家のような生活とは程遠い生活をしていたようです。

そんな彼の家族構成などの生い立ちから紀州のドンファンと呼ばれるようになったサクセスストーリー、さらには不審死の真相にも触れていきます。華々しい人生を歩んでいた野崎幸助に何が起こったのでしょうか。

華々しい経歴を誇る和歌山の資産家

野崎幸助は、華々しい経歴を誇る和歌山の資産家です。実業家であり資産家でもあった野崎幸助はいわゆるセレブで、羽振りの良い生活を送っていましたが、この地位を築くまでには様々な経歴を経ています。鉄くず拾いや訪問販売などをしたこともあり、下積み時代が長かったようです。

野崎幸助が金貸しを始めた頃に高度経済成長期の波がきていたため、野崎幸助は徐々に資産家としての道を歩むことになります。また、野崎幸助が資産家として成功したのは、時代の流れだけでなく実力も関係しているでしょう。

「紀州のドンファン」としても有名

野崎幸助は紀州のドンファンとの異名を持ちますが、『紀州のドンファン』というタイトルの自伝を出版したことがきっかけで紀州のドンファンと呼ばれるようになりました。なお、ドンファンとはスペインではプレイボーイの呼び名だと言われており、伝説的な存在だそうです。その名のとおり、野崎幸助は4000人の愛人に30億円も貢いだと自ら述べています。

野崎幸助の出版した紀州のドンファンは話題となり、事件が発生した際も紀州のドンファンと報道されることも多くありました。

野崎幸助の経歴【生い立ち編】

次に野崎幸助の生い立ちについて触れていきます。野崎幸助は上記でも述べたように、子供の頃は壮絶な人生を歩んだと言われています。だからこそ、大人になって成り上がりたいという気持ちが強かったため、資産家になることができたのかもしれません。

子供の頃の生い立ちから、実業家や資産家に登りつめるまでの人生にはどのような困難が立ちはだかっていたのでしょうか。資産家になるための秘密が、野崎幸助の生い立ちに隠されている可能性もあります。

貧しい幼少期

紀州のドンファンこと野崎幸助は、子供の頃に貧しい生活を強いられていました。昭和16日生まれで、第二次世界大戦が起こっていたころに生まれたことになります。そのため、野崎幸助だけでなく貧しい生活を送っていた人はとても多くいました。中学卒業と同時に働きにでなければいけなくなってしまいます。

戦争当時はほとんどが日雇いのような小さな仕事によって食いつないでいる状態です。また、賃金もそれほど多くないのでたくさん働いたとしても裕福な暮らしをすることはできませんでした。

中卒で仕事の道へ

第二次世界大戦で貧しい生活をしなければいけなかったため、中学を卒業すると同時に仕事をすることになります。野崎幸助は鉄くず拾いを始めます。鉄くずは今では価値がないものとして扱われていますが、当時は価値があったため鉄くずを集めることでお金にすることができました。

しかし、価値のある鉄くず拾いでも少しのお金にしかならず、会社勤めをしているわけではないため、貧しい生活を余儀なくされます。野崎幸助は貧しい生活をしていたからこそ、裕福な暮らしに対する憧れが強く、資産家になるためのハングリー精神が培われたのではないでしょうか。

訪問販売をきっかけに事業家へ

野崎幸助はのちに訪問販売の会社を立ち上げます。主に取り扱っていた商品はコンドームで、夫が留守にしている時間帯を狙って営業を行っていました。しかし、避妊具の訪問販売ということで、信じられないことに女性客から実演販売を申し込まれたこともありました。野崎幸助は客の要望を断らず、それにできる限り応えるように努力していたそうです。

野崎幸助はこの避妊具の訪問販売会社で売り上げを伸ばしていきます。野崎幸助は訪問販売以外にも様々な仕事をこなすようになります。鉄くず拾いからは打って変わり、訪問販売をきっかけに実業家としての頭角を現しはじめ、徐々に資産家への道を歩んでいきます。

不動産や金融関連の会社も経営

避妊具の訪問販売買会社を成功させた野崎幸助は、不動産や金融系の会社を経営し始めます。野崎幸助は高度経済成長期に乗って金融業を初めてから、多くの資金を得ることになります。もともと鉄くず拾いをしていた貧しい過去があったからこそ、金融業でも成り上がることができたのかもしれません。

また、野崎幸助はお金持ちになって女性からモテたいという思いがあったようです。傍から見れば資産家になるには十分な理由とは思えません。しかし、野崎幸助にとっては頑張る活力となっていたのではないでしょうか。これほどの理由で資産家になるためには、かなりの努力を要したはずです。野崎幸助は非常に実力のある実業家だと言えます。

野崎幸助の経歴【家族編】

次に野崎幸助の家族に関する情報を解説します。やはり豪傑で変わりものであった野崎幸助は、一般的にイメージする結婚や家族とはまるで異なる経歴を持ちます。では、野崎幸助の家族はどのような人物がいたのでしょうか。そして、野崎幸助の家族がは現在どのように過ごしているのかについてご紹介していきます。

7人兄弟

野崎幸助の生まれは和歌山県田辺市で、7人兄弟の三男として生まれています。今では7人兄弟と聞くと子だくさんなイメージがありますが、当時は7人兄弟でも普通だと言われていました。そのため、野崎幸助の家族も他の家族とは何ら変わりないと言えるでしょう。

両親は戦時中という食べ物もろくに確保することができない、苦しい時代に7人兄弟を養っていくのは大変だったはずです。しかし、野崎幸助という日本を代表する資産家を生み出したという点において、子育てに成功していると言えるでしょう。

両親はすでに他界

野崎幸助を含めて7人兄弟を育てていた両親はすでに他界しています。紀州のドンファンこと野崎幸助は事件に巻き込まれた時点で高齢だったため、両親が他界していてもおかしくありません。貧しい家族だったため、全員を高校や大学に行かせてあげることはできませんでした。しかし、その中で野崎幸助は資産家になりあがることができました。

初めから恵まれて育つ人の中には両親から資産を受け継ぐことで、お金持ちになれる人がいます。しかし、もともと貧しい生活を強いられていた人がお金持ちになるためには、両親の育て方やどのような経験をしてきたのかによって決まるのかもしれません。

他の兄弟の消息は不明?

7人兄弟のもとで育った野崎幸助ですが、その他の兄弟は消息不明との情報があります。野崎幸助は兄弟の中でも特に浮いたような存在だったため、兄弟との交流を一切行っていませんでした。そのため、後にご紹介しますが野崎幸助が結婚していたことすら兄弟は報告を受けていなかったと発言しています。

しかし、兄弟間で仲が悪かったとの情報もありません。そのため、野崎幸助と兄弟の間ではあまり交流を行わないのが普通だったのかもしれません。ただ、野崎幸助が兄弟や親戚から孤立していたことは確実に言えることでしょう。

野崎幸助の経歴【結婚編】

上記で野崎幸助は結婚していたとご紹介しています。結婚とはその女性と人生を共にすると決めた時にするものですが、野崎幸助はもともと結婚願望がかなり強かったようです。しかし、その反面で4000人以上の女性と関係を持ったという非常に有名な伝説を残しています。もしかすると、その中から結婚相手にふさわしい女性を選ぼうと思っていたのかもしれません。

何十億というお金を動かすことのできる資産家でしたので、野崎幸助に寄って来る女性は多かったはずです。野崎幸助はその中からどんな女性を選んだのでしょうか。

実はバツ2だった

結婚をしていた野崎幸助は実は2度も結婚に失敗しています。過去の結婚については一切情報がありません。そのため野崎幸助が誰と結婚をしていて、なぜ離婚してしまったのか理由を知ることができません。2度も結婚をしてますが、いずれも子供はいなかったようです。そのため離婚しやすい環境にあったといえるのかもしれません。

また離婚した原因は分かっていませんが、女関係での遊びが激しかった紀州のドンファンに対して、元妻たちは愛想を尽かせてしまった可能性も考えられます。

ワイドショーを騒がせたのは3度目の結婚

2度も結婚に失敗している野崎幸助ですが、3度目の結婚をすることになります。その結婚ではワイドショーをにぎわせることとなりました。野崎幸助が3度目の結婚に選んだのは、当時21歳で55歳も年下の女性です。孫と祖父のような年齢差であったことから、結婚詐欺をされているのではないかと疑われる声もありました。

しかし、結婚を迫ったのは野崎幸助の方で、妻は口説かれていた側だと話しています。ただ、高齢での結婚だったため資産目当てだと疑われてしまうのも無理もないでしょう。また、21歳の女性と結婚する際には病気によって手術を2度も受けていたため、体力が衰えていた可能性もあります。

子供はおらず

野崎幸助は3度目の結婚を果たしましたが、結婚してから事件が発生するまでに3か月ほどしか結婚生活を送っていませんでした。そのため、3人目の妻との間にも子供を授かることはありませんでした。しかし、3人目の妻との結婚はとても嬉しく思っていたようで、周囲に対しても結婚できることが嬉しいと話して回っていたと言います。

年齢が年齢なだけに不可能な話ではありますが、野崎幸助は3人目の妻との子どもを夢見ていたのではないでしょうか。子供がいなかったため、野崎幸助の資産は妻が相続するのではないかと言われています。

野崎幸助の経歴【急死編】

野崎幸助は3度目の結婚をしてから約3か月ほどで急死してしまいました。もともと病気を患っており手術をしているため、死亡する前は介護が必要だったとも言われています。お手伝いさんの話によると、トイレに行くことも困難だったためおむつをつけていたこともあったようです。そのため、体はかなり衰弱しきっていたことでしょう。

衰弱しているのであれば死亡してもそれほど不可解ではありません。しかし、野崎幸助が死亡してしまった際に、警察の調べによると驚くべきことが発覚しています。野崎幸助はなぜ急死してしまったのかをご紹介します。

突然の不審死

急死してしまった野崎幸助ですが、その死には不可解な点がいくつもありました。野崎幸助の遺体を調べてみると、体内からあまりにも多くの覚せい剤が見つかりました。覚せい剤は心臓に負担をかけることもあるため高齢の方が覚せい剤を使うのは非常に危険です。

そもそも、警察の調べによれば野崎幸助が自ら覚せい剤を使った可能性は低いようです。急死の原因は急性循環不全でしたが、これは体内から検出された大量の覚せい剤が大きく関係しているのではないかと推測されています。

妻が事件の鍵を握っている?

野崎幸助の妻は、3か月ほどしか結婚生活を送っていません。そのためか、野崎幸助の葬式ではあまり関心がないような態度をとっていたようで、なんとしきりに携帯電話を触っていたとまで言われています。

また遺産の件で弁護士と話をする際も、携帯ゲームをしながら相続すると発言していたため、初めから野崎幸助の資産を狙っていたのではないかと推測できます。

そして、野崎幸助が3度目の結婚をしてから急死するまでの期間があまりにも短すぎます。体内から大量の覚せい剤が発見されたこともあるので、妻が野崎幸助を死亡させたのではないかとのうわさが広がっています。

50億の資産はどこへゆく?

急死してしまったため、野崎幸助は遺書を一切残していませんでした。普通であれば妻に遺産はすべて渡されることとなります。ただ、野崎幸助は遺産を愛犬に捧げたいとの遺言を残しています。女性遊びばかり繰り返していた彼は、自分の資産目当てに集まってくる女性に愛想をつかし、無償の愛情をくれる犬にだけ心を開いていたのかもしれません。

しかし野崎幸助の遺産を受け継ぐはずだった愛犬も、野崎幸助の後を追うように謎の死を遂げることになります。もしも、妻が遺産目当てで結婚していたというのであれば、野崎幸助と一緒に愛犬を殺害したと考えてもおかしくありません。結局50億円以上の遺産は誰の手に渡るのか不明です。

華々しい経歴を歩んだ野崎幸助の壮絶な人生

野崎幸助は華々しい人生を歩んできました。しかし、その過去は壮絶なものでした。贅沢三昧の生活を送り3度の結婚を経験していますが、心穏やかに暮らせる家族を持たなかった人生は本当に幸せなものだったと言えるのでしょうか。

また、彼と愛犬が遂げた謎の死の真相は未だに分かっていません。ただ、覚せい剤が体内から見つかったとのことなので、殺害された可能性は高いでしょう。

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すうこ

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