雪印事件とは!原因・経緯やその後【雪印集団食中毒事件】

雪印事件とは、戦後最大と言われた食中毒事件です。企業不祥事ではないかと言われるこの事件の原因は何なのでしょう。雪印事件の被害が拡大した経緯や話題になった社長の「私は寝てないんだ」という逆切れ会見、雪印牛肉偽装事件のその後の経過をご紹介します。

雪印事件とは!原因・経緯やその後【雪印集団食中毒事件】のイメージ

目次

  1. 1雪印事件とは
  2. 2雪印事件の経緯
  3. 3雪印事件の原因
  4. 4雪印事件の社長逆ギレ会見とは
  5. 5雪印事件のその後
  6. 6雪印事件という不祥事が衛生管理を見直すきっかけに

雪印事件とは

雪印乳業が製造した低脂肪乳などの乳製品を飲食したことが原因で、近畿地方で大規模な食中毒事件が起こりました。2002年6月27日に最初の被害届が出され、7月までに認定者数は14,780人に達しました。

これは戦後最大の集団食中毒事故になり、雪印事件と言われるようになります。そして、当時の社長・石川哲郎は引責辞任に追い込まれました。なぜここまで被害は拡大してしまったのでしょうか。

雪印低脂肪乳による食中毒事件

2002年6月25日に大阪工場で製造された低脂肪乳が原因で、子供が嘔吐や下痢などの症状を訴えました。6月27日には大阪市の病院より保健所に患者の病状は食中毒の疑いがあると連絡があり、保険所は大阪工場で製造された製品を回収するよう指導しました。

しかし、ブランドイメージが悪くなることを恐れた雪印乳業の対応は遅く、その数日の間に多くの被害者が食中毒になってしまいました。下痢や嘔吐や腹痛などの軽い症状の患者も多かったようですが、入院するほどの重症患者もいたようです。

対応が遅れ被害拡大

6月28日に保険所から大阪工場に低脂肪乳などの製品を回収するように指導が入ってきていましたが、大阪工場はすぐに応じようとはしませんでした。その結果6月29日に報道発表し、約30万個の製品回収が行われましたが、既に対応が遅く報道発表後は被害者が爆発的に増えました。

大阪府、滋賀県、和歌山県、兵庫県など広い範囲に及び14,780人も被害者が発生するという今までにない食中毒事件に発展し、世間を震撼させました。症状は嘔吐、下痢、腹痛などで、比較的軽いものが多かったようでしたが、乳製品が原因なだけに子供の被害者も多く、病院へ入院することになった重症患者もいたようです。

当時の社長は引責辞任

報道陣に雪印事件の詳細を追及された当時の社長・石川哲郎は記者会見で不用意に発言し失敗してしまいます。有名な「私は寝てないんだよ!」という逆切れフレーズをマスメディアで広く配信されてしまったことから、世論の指弾を浴びることになりました。そして、7月6日に雪印事件の引責辞任を表明しました。

雪印事件の経緯

雪印事件直後に行われた記者会見では、大阪工場の逆流防止弁の洗浄不足による汚染が原因とされました。大阪工場に立ち入り検査をした結果、大阪府立公衆衛生研究所は黄色ブドウ球菌のエンテロトキシンA型を検出し、雪印事件はその毒素を原因とする食中毒と判明したのです。これからその根本的な原因と経緯を細かく探っていきます。   

経緯①停電が発生

北海道の大樹工場で2000年3月31日に氷柱の落下により生産設備が不具合を起こし3時間の停電が発生しました。その停電により同工場内のタンクにあった脱脂乳が20度以上にまで温められたまま約4時間も放置され黄色ブドウ球菌が増殖し、それに付随してエンテロトキシンAという毒素もタンク内に発生しました。

経緯②温められた脱脂乳を4時間放置

大樹工場が3時間も停電したことでタンク内の脱脂乳は20度以上に温められたまま、約4時間も滞留してしまいます。この間に病原性黄色ブドウ球菌はどんどん増殖して毒素・エンテロトキシンAが発生して食中毒の原因となりました。

原料が牛乳である以上黄色ブドウ球菌はどうしても混入します。そのリスクは避けられませんが、菌が増殖し毒素を発生させたことが問題だったのです。

経緯③破棄せずそのまま製造

本来なら停電で滞留した乳原料は全て廃棄すべきでした。しかし、殺菌装置を通せば黄色ブドウ球菌を死滅出来るので安全と判断し、脱脂粉乳を製造してしまったのです。ところが加熱殺菌では菌が死滅しても菌類から発生した毒素の毒性は失われないため、汚染された脱脂粉乳を原料とした乳製品は食中毒を引き起こしてしまいました。

黄色ブドウ球菌は人や動物の皮膚や腸にも常在する菌であるため殺菌すれば死滅できますが、エンテロトキシンは耐熱性で殺菌しても毒素が残ることを現場の指導者は知らなかったのです。

雪印乳業は1995年に八雲工場でも同様な原因による雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件を発生させており、その事故後の再発防止対策にも不備があったのではと言われています。

経緯④検査異常なしで出荷

停電時に本来なら数分しか加温しない脱脂乳が4時間も放置されてしまったのですが、電力が復旧した後にその原料を捨てずに製造を続行してしまいます。それは殺菌装置にかけるのだから大丈夫だろうという現場の判断からでした。

黄色ブドウ球菌は死滅しても産生した毒素に耐熱性があることを、工場長をはじめ作業員の誰も知らなかったのです。毒素入りのラインで脱脂粉乳は830袋製造されました。検査した結果450袋は黄色ブドウ球菌や大腸菌や一般細菌などが検出されず出荷されることになり、残りの380袋は一般細菌類が自社規定値を1割強超えていたので出荷されませんでした。

しかし、残った製品の衛生管理が徹底されておらず、問題がある脱脂粉乳もその後再利用されて脱脂粉乳が製造されしまい、製造、出荷された750袋のうち278袋を大阪工場が使用してしまいます。

雪印事件の原因

戦後最大とも言われる被害者数の雪印事件の原因や問題点は何だったのでしょうか。一流企業だから食品衛生管理もしっかりしていると思われていた最中での事件ですので、社会への衝撃は大きかったと思われます。根本的な原因と、それに対する企業の危機管理能力、そしてその後の企業対応などを探っていきます。

原因①停電による加温状態で菌が繁殖

3月31日に大樹工場の電気室の屋根に氷柱が落下して約3時間停電、さらに復旧作業の為にその後1時間電気が止められていました。脱脂乳の濃縮工程中のタンクを冷やす機器や粉乳工程中に使う機器が、復旧作業が終わるまでの間ずっと停止していたのです。

通常、脱脂粉乳製造工程で黄色ブドウ球菌が増殖する温度帯である20~40度に温められるのは、クリーム分離工程中と濃縮工程中、その前後のみです。通常であれば数分間で冷却工程に送られるべきものが加温された状態で数時間放置され、停電復旧後までそのままにされたことで黄色ブドウ球菌が増殖してしまいました。

このように黄色ブドウ球菌が増殖し毒素を発生させてしまうと、その後の作業を徹底的に衛生管理しても食中毒を防ぐことは出来ません。いつもと同じように作業している中で、何か思わぬ事態が起きた時にどのように対処するかをしっかり考えて管理しマニュアル化していくことで、リスク回避できる衛生管理能力は養われていくものなのでしょう。

原因②処分すべき原材料の使用

前述のとおり、クリーム分離工程で加温されたまま放置された原料と、濃縮工程で放置された原料には黄色ブドウ球菌とその毒度であるエンテロトキシンAが大量に生成されていました。にも関わらず、停電時の対応マニュアルがなかったために、そのまま殺菌装置にかけて黄色ブドウ球菌を死滅させれば大丈夫と判断され脱脂粉乳を製造しました。

その時に製造された830袋のうち、検査で異常があった380袋は未出荷でしたが製品管理の甘さから、再び脱脂粉乳の原料として再利用されてしまいます。その再利用して作られた750袋のうち278袋が大阪工場で乳製品の原料として使用されることとなり、食中毒の原因となりました。

もし、停電によって製造ラインが停止した場合を想定したマニュアルがあったら今回の事件は起こらなかったのではないでしょうか。製造ラインが停止した時に、乳は腐敗する可能性や菌が繁殖する可能性があります。

どの部分で菌が繁殖するか、またその菌によってどのような毒素が産まれ、それは加熱殺菌で死滅出来るのか、死滅出来なければ廃棄する条件を決めることは必要なことです。食品だからこそ危機管理能力は身に着けておくべきだったのではないでしょうか。

原因③自主回収や社告掲載などの遅れ

6月27日に食中毒症状の報告が大阪市と雪印乳業に入り、28日にかけて食中毒発症者からの届け出が拡大しました。大阪市では発症者の調査や工場の立ちいり検査を行い、28日には製造自粛や製品の回収、世間への公表を指導しました。それを受け、29日に雪印乳業は報道会見します。

その後、大阪市は30日に低脂肪乳などの製品の回収命令を行いますが、その数日の間に被害はどんどん拡大していき、大阪府だけではなく他の県にまで被害は及びました。これは最初の報告を普段のクレームと同じように対処し、集団食中毒になるとは想定していなかったことに問題がありました。

また誰もリーダーシップを取ろうとせず、行動を起こさなかったことも問題であったと言えるでしょう。もし誰かが先立って自主回収や社告掲載や記者発表などを早く対処していれば、少なからず事態はここまで大きくならなかったかもしれません。

雪印事件の社長逆ギレ会見とは

雪印事件の報告会見が開かれましたが、報告内容も社長を始めとする社員の態度も評判は散々なものでした。有名な「私は寝てないんだ」という言葉も社長の口からつい出てしまった一言ですが、それにより猛攻撃をさらに受けることになります。

社長「私は寝てないんだよ!」

当時の社長・石川哲郎は報道陣に雪印事件の詳細と製品の回収を発表する記者会見を行いました。質問攻めにされた会見後にエレベーター付近で寝ずに待っていた記者団に社長はもみくちゃにされながら、会見の延長を求められ「では後10分」と返答したところ「何で時間を限るのですか。時間の問題じゃありませんよ」と記者から言い返されます。

その際に「そんなこと言ったってねぇ、私は寝てないんだよ!!」と逆ギレし不用意に発言してしまいます。そこで報道記者の一部が「こっちだって寝てないですよ!そんなこと言ったら!10か月の子供が病院行ってるんですよ!」とすごい剣幕でどなり返されます。

社長はすぐに謝罪しましたが、この会話がマスメディアで広く配信されたことから、猛バッシングの対象になってしまいました。社長は会見内容の詳細を事前にきちんと聞かされておらず、会見中の担当者の発表に自身も驚き「君、それは本当かね」と口を挟む始末であったようで、記者発表が遅れただけでなくその内容にも不信感を抱かせてしまいました。

雪印に対する不信や批判が高まる結果に

この雪印事件によって雪印乳業は社会に牛乳、乳製品をはじめとする加工食品の製造販売に不信感や不安を抱かせるだけではなく、乳等省令についての乳業会の解釈と社会の理解の乖離が明らかになるなど雪印事件は多くの影響を与えました。

雪印事件のその後

雪印事件により雪印乳業だけではなく、雪印グループは経営がどんどん悪化していきます。それはBSE問題が起こることによって、さらに失墜していく原因となってしまいます。その後、雪印グループは次々と起こる問題をどのように乗り越えていくのでしょうか。

雪印グループの経営悪化

その後、雪印事件によって雪印グループの製品が全品撤去になってしまうなど、親会社の不祥事とは言え、グループ会社全体の経営が悪化します。そして2001年から2002年にかけてBSE問題が表面化することで、雪印牛肉偽装事件を発生させてしまうことになります。

BSE問題による雪印牛肉偽装事件発生

2001年9月に国内でBSE感染牛が発見され、国はBSE全頭検査開始前にと備畜された国産牛肉を事業者から買い取る対策を行いました。そして雪印食品がこの制度を悪用し、安い輸入業肉と高い国産牛肉とをすり替えて申請することによって交付金を不正受給するという詐欺事件を起こしてしまいます。

この雪印牛肉偽装事件は2002年1月23日の新聞報道で表面化しました。食肉業界では原産地ラベル張り替えは日常的に行われていたのですが、雪印事件の影響で雪印食品の経営が悪化していたことも詐欺事件を起こしてしまうきっかけになったようです。

雪印食品の廃業

雪印食品牛肉偽装事件が発生してから雪印食品の信用は失墜していき、3ヶ月後の2002年4月末に雪印食品はグループ会社の解体と再編を余儀なくされる結果となりました。第二次世界大戦後のバブル経済まで絶対的に信奉されてきた一流企業ブランドに対する信頼は雪印事件によって崩れ落ち、高度経済成長期以来の価値観の転換を象徴する事件となりました。

日本ミルクコミュニティの設立

その後、2003年1月に日本ミルクコミュニティは設立されました。雪印乳業の立て直すことを主な目的として、雪印の市乳部門と、同じく農協系乳業メーカーである全国農協直販と、ジャパンミルクネットの市乳部門を統合することで日本ミルクコミュニティは作られました。

ちなみに全国農協直販でも2001年に牛乳の中に大腸菌群が混入するという不祥事があり、ジャパンミルクネットの前進企業・全国酪農業協同組合連合会も1996年に脱脂粉乳や水を加えた成分無調整牛乳を出荷するという不祥事を起こしていました。不祥事を起こした3社の市乳部門により事業再編、統合されたのが日本ミルクコミュニティです。

雪印メグミルク株式会社の設立

雪印乳業は2003年1月1日に市乳部門を分割することで日本ミルクコミュニティを創設し、事実上の解体をしました。しかし、その後の乳価高騰などの影響から2009年1月27日に雪印乳業と日本ミルクコミュニティは経営統合を発表します。

そして、10月1日に両社が共同株式移転を行い、共同持株会社として雪印メグミルク株式会社が設立されることになりました。2011年4月1日には2社を吸収合併し事業会社としての雪印メグミルクが発足しました。

雪印事件という不祥事が衛生管理を見直すきっかけに

雪印事件の原因やその経緯、その後を紹介していきました。雪印事件は、乳業以外の食品メーカーでも衛生管理をめぐる不祥事が明るみに出たり、パンや総菜など食品に異物混入する騒ぎが起きたりするなど、食品業界全体に食の安全に対する大きな影響を与えました。

乳製品の再利用については2001年5月に社団法人日本乳業協会が「飲用乳の製品の再利用に関するガイドライン」を作成し、「工場の冷蔵管理下にある一定量の製品についてのみ行われる」ことが決定されました。

また、大阪工場は総合衛生管理製造過程承認工場であったことから、書類審査のみであった承認審査に現地調査が導入されたり3年ごとに更新申請が必要とされるなど、「総合衛生管理製造過程」見直しのきっかけとなりました。

食品業界全体においてもこの雪印事件によって、それぞれの安全対策を強化するきっかけとなったことでしょう。消費者、企業共に食品の安全性について改めて考えるきっかけとなった事件でした。

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この記事のライター
栗比 美奈子
3人の子育て中です。よろしくお願いします。

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