神作譲(小倉譲)の今現在!三郷市逮捕監禁致傷事件で再逮捕のその後は

女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者である小倉譲は、改名して神作譲と名乗っていました。しかし刑を終えて出所したその後、神作譲(小倉譲)は三郷市逮捕監禁致傷事件という再犯を犯しています。今現在は何をしているのか、また被害者に謝罪をしたのかなどご紹介します。

神作譲(小倉譲)の今現在!三郷市逮捕監禁致傷事件で再逮捕のその後はのイメージ

目次

  1. 1女子高生コンクリート詰め殺人事件の詳細と犯人
  2. 2神作譲(小倉譲)はどんな人?
  3. 3神作譲(小倉譲)の生い立ちや家族は?
  4. 4加害者の中で準主犯格だった神作譲(小倉譲)
  5. 5出所後に小倉譲から神作譲へ改名
  6. 6三郷市逮捕監禁致傷事件で再犯を犯した小倉譲
  7. 7未成年の事件は今後無くしていこう!

女子高生コンクリート詰め殺人事件の詳細と犯人

女子高生コンクリート詰め殺人事件をご存知でしょうか。女子高生コンクリート詰め殺人事件は昭和63年頃から昭和64年1月までに起きた事件で、世間に大きな衝撃を与えた殺人事件です。犯人グループは殺人だけでなく、その他にもいくつかの犯行が認められたため、当時刑は重くなるのではないかと考える人が多かったようです。

この女子高生コンクリート詰め殺人事件は、被害者と加害者が共に未成年であったことから、世間の注目を集める事件となりました。女子高生コンクリート詰め殺人事件とは一体どのような事件だったのでしょうか。

また女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人は、その後どうしているのでしょう。女子高生コンクリート詰め殺人事件の詳細と共に、詳しくご紹介します。

女子高生コンクリート詰め殺人事件とは?

女子高生コンクリート詰め殺人事件とは、被害者である女子高生が、拉致監禁された際に暴行や強姦を受け、殺害された事件です。少女は集団リンチによって、死ぬまで暴行を加えられていました。被害者の女子高生が拉致された場所は東京都足立区綾瀬で、驚くことに女子高生を拉致・監禁していた場所は、加害者の自宅だったと言われています。

犯人グループは1988年11月25日に女子高生を拉致した後、約40日の間監禁しています。加害者が未成年なので、通常であれば両親が事件に気づいたことでしょう。

しかし事件が発覚した際には、被害者の存在にすら気づいていなかったようです。事件の途中、加害者の両親が一度だけ被害者の声を聞いたため、隙を見て「帰りなさい」と女子高生を帰そうとしています。しかし結局犯人たちに連れ戻されてしまっています。

両親が事件に関わったのはその時だけであり、その後は一切事件が起きていることを認知しないようにしていました。被害者である女子高生も怯えきっていたため、逃げる素振りを見せなかったといいます。

監禁・暴行そして殺害と死体遺棄

この女子高生コンクリート詰め殺人事件では監禁・暴行、殺害に死体遺棄と、かなり悪質な犯行が行われています。特に暴行に関しては、通常の人間の感覚では絶対に考えられないような、残酷な内容でした。被害者が女子高生であったこともあり、主に性的な屈辱や暴行が中心に行われていたようです。

手足には化膿するほど火傷を負わせた跡もあり、必要以上に飲み物を飲ませ続けるなどの暴行も行われていました。

上記に加え、様々な暴行を加えていたと言われており、女子高生の体の損傷は凄まじいものだったことが予測できます。また始めはきちんと与えられていた食事も、殺害の直前にはごく少量しか与えられなかったと言われており、栄養失調も加わってひどい衰弱状態が続いていたそうです。

心身共に疲弊していたであろう少女は、最期には暴行を加えられても抵抗すらできなかったと考えられています。最終的に被害者の少女は体に油を塗られ、ライターで火をつけられても火を消すことができないほどぐったりとしており、死亡したそうです。

女子高生が死亡したことを知った犯人たちは、事件発覚を恐れ死体遺棄をしようと計画します。それがドラム缶にコンクリートと一緒に遺体を入れて放置するという、事件発覚時の状態に繋がったようです。

加害者の4人も全員未成年

被害者は女子高生だったため未成年だと分かります。しかしこの事件で最も衝撃を受ける点は、加害者も全員未成年だということです。女子高生コンクリート詰め殺人事件は内容があまりにも凄まじい事件だったため、犯人たちが未成年だとは信じがたい人もいたようです。この未成年の加害者たちは、バックにヤクザがいることを盾に少女を脅していました。

加害者と被害者は中学校が同じだったために知り合うこととなったようです。先輩後輩の関係性でもあり、事件現場となった東京都足立綾瀬付近で不良行為を何度も行っていたようです。そのため女子高生コンクリート詰め殺人事件も、その延長戦という認識だったのかもしれません。

しかし女子高生コンクリート詰め殺人事件は立派な犯罪であり、決して許されることではありません。後の調べではこの事件が発覚する以前から、女性を中心としてひったくりや強姦を繰り返していたことも発覚しています。

神作譲(小倉譲)はどんな人?

神作譲(小倉譲)とはどのような人物なのでしょうか。神作譲(小倉譲)の名前を知っていある人は少ないかもしれません。知っていたとしても最近ではニュースなどで報道されることもなくなったため、神作譲(小倉譲)という存在を忘れてしまっている人もいます。

また2000年以降に生まれた人は、神作譲(小倉譲)の名前すら目にしたことがないことでしょう。しかし神作譲(小倉譲)は、2度と起こるべきではない事件を起こした、決して忘れられるべきではない人物です。

神作譲(小倉譲)がどのようなことに関わっていたのかについて詳しくご紹介します。神作譲(小倉譲)がどんな事件を起こしたのかをぜひ知っておきましょう。

少年時代に昭和の残酷なニュースの加害者

神作譲(小倉譲)は少年に昭和の残酷なニュースの加害者だと報道されています。しかし、事件当時はまた未成年だったため、その時は名前が報道されていませんでした。もちろん少年法によって顔写真も公開されていなかったため、その存在を知っている人は少なかったと推測できます。

世間を騒然とさせた神作譲(小倉譲)もニュースなどでは名前も顔写真も公開されていません。しかし未成年による事件はネット上で話題になることが多いためか、ネット上では神作譲(小倉譲)のことを特定した人が投稿しています。ネットの投稿はほとんど消えることがないので、昭和の事件であってもいまだにネット上に残っていることでしょう。

そのため出所後に少年法によって改名をしたとしても、ネット上で特定されるケースが多発してます。中には行方をくらましてしまう人もいますが、神作譲(小倉譲)はどうなのでしょうか。また、神作譲(小倉譲)が少年時代に起こした残酷なニュースとは、一体どのような内容だったのでしょうか。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人の1人

昭和64年頃に世間を騒然とさせたニュースの犯人である神作譲(小倉譲)は、先ほどご紹介した女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人の1人です。当時は犯人が全員未成年だったことから女子高生コンクリート詰め殺人事件に関わっていた加害者に注目が集まりました。神作譲(小倉譲)は事件当時17歳の少年でした。

17歳といえば高校生ですので、受験勉強をしたり部活に精を出したりする男子高校生が多い中、なぜ神作譲(小倉譲)はこのような残虐な事件を起こしてしまったのでしょうか。その理由の一つに高校を中退したことが関係しているのかもしれません。犯人たちは全員、高校を中退した後、不良行為に走っています。

また、神作譲(小倉譲)含む女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人の両親たちは、子供に対して諦めの気持ちがあったのかもしれません。実際に事件が起きてしまった時も女子高生が拉致されていることにすら気づいていませんでした。

もしかすると、神作譲(小倉譲)がこのような事件を起こしてしまったのには、家族や生い立ちが関係しているのかもしれません。

神作譲(小倉譲)の生い立ちや家族は?

神作譲(小倉譲)は女子高生コンクリート詰め殺人事件を起こした犯人の1人です。なぜ神作譲(小倉譲)はこのような事件を起こしてしまったのでしょうか。女子高生コンクリート詰め殺人事件のような内容の事件では、加害者の生い立ちが事件と関係していることが多いようです。そのため次は、神作譲(小倉譲)の生い立ちについてご紹介します。

また神作譲(小倉譲)は事件当時未成年であったため、実家で家族と住んでいたようです。もしも神作譲(小倉譲)の異変に対して家族が気づいてあげられていれば、事件を起こしてしまう前に止めることができたのかもしれません。

女子高生コンクリート詰め殺人事件は未成年に対する意識だけでなく、親はどのようにして子供に接するべきなのかも考えさせられる事件であったと言えるのではないでしょうか。まずは神作譲(小倉譲)と家族、生い立ちについてご紹介します。

神作譲(小倉譲)の生い立ち

神作譲(小倉譲)は、もともと真面目に学校生活を送る少年だったようです。学業だけでなく部活動もしっかりと行っていたのですが、部活の試合中にけがをしてしまい退部せざるを得なくなりました。その結果段々と不良的な行為を繰り返すようになり、最終的には学校内で暴力沙汰を起こして退学処分となっています。

学校を退学した後はアルバイトをしていたのですが、その後女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者メンバーと知り合うこととなります。そしてヤクザの下で働き始めた神作譲(小倉譲)は、ヤクザにこき使われる毎日を過ごします。女子高生コンクリート詰め殺人事件でも、そのヤクザの名前を出して女子高生を脅していました。

肩書きはヤクザの下部組織である極青会の副会長だったのですが、トイレ掃除をさせられたり買い出しをさせたれたりとかなり下っ端の仕事をしていました。部活動で怪我をしていなければこんなことにはならなかったのかもしれません。

神作譲(小倉譲)の家族は?

女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者である神作譲(小倉譲)の家族は、両親と姉という構成でした。両親は別居しており、離婚はしていなかったもののかなり苦しい生活をしていたようです。そのため神作譲(小倉譲)の母親は夜の仕事をすることで家計を支え、家にはほとんどいなかったようです。それも事件に関係しているかもしれません。

また別居をしていた父親は、外で愛人を作って神作譲(小倉譲)と姉以外に2人の子供を作ってしまったことを理由に神作譲(小倉譲)達家族のもとに帰ってくることはありませんでした。離婚や別居は成長期の少年少女の心の傷を作ってしまいます。そのため神作譲(小倉譲)も家庭環境が性格に影響していたと言えるでしょう。

このようなことからも、子供が未成年のうちは離婚しないと決めている夫婦もたくさんいます。子供に対して悪影響が及んでしまうことを避けるためです。実際には子供も両親の変化を察知しているのですが、子供が小さいうちは離婚しない家庭は多いようです。

加害者の中で準主犯格だった神作譲(小倉譲)

女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者である神作譲(小倉譲)は、加害者の中で準主犯格とされていました。この女子高生コンクリート詰め殺人事件は内容があまりにもおぞましいため、あまり語りたくないという人もいるほどです。神作譲(小倉譲)は他の加害者たちとはどのような関係性だったのでしょうか。

また、女子高生コンクリート詰め殺人事件に関係していた犯人たちは、今現在どのように過ごしているのでしょうか。女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者たちについてご紹介します。犯人たちは全員16歳から18歳という未成年で、殺人事件の加害者としては当時珍しかったようです。

なぜこのような事件を起こしてしまったのかは、犯人たちの生い立ちや性格を理解することで知ることができるかもしれません。犯人たちの生い立ちだけでなく、事件を起こしたその後について少し触れていきます。

主犯は宮野裕史

女子高生コンクリート詰め殺人事件の主犯格は宮野裕史です。当時は少年Aとして報道されていましたが、ネット上や一部の報道メディアからは実名が出ていました。宮野裕史はもともと高校生時代に柔道部で活躍していました。しかしなぜか途中で高校を中退しており、その後はヤクザとつるむようになってしまいます。

家庭環境が良くなかったため、家には帰りたくないと思っていたのかもしれません。実際にほとんど家に帰ることはなかったと言われています。そしてその結果、女性をターゲットとしたひったくりや強姦を繰り返すようになっています。家庭環境が悪いからと言って女子高生コンクリート詰め殺人事件などの事件を起こしていいわけではありません。

しかし主犯格である宮野裕史も家庭環境が良ければ、ヤクザとの関わりを持たなかったかもしれません。幼少期の家庭環境が悪ければ悪いほど、犯罪に走りやすい傾向にあるようです。事件のその後は懲役20年を言い渡されており、今現在は何をしているのか不明です。

準主犯格だった神作譲(小倉譲)

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人の1人である神作譲(小倉譲)は準主犯格でした。神作譲(小倉譲)は1971年5月11日生まれで、生い立ちは上記でご紹介したように部活中の怪我がきっかけとなって不良行為に走るようになりました。また、家庭環境が良くなかったことも事件を起こす要因となっていたのかもしれません。

逮捕された後は懲役5年から10年の不定期刑を言い渡されており、1999年8月3日には出所しています。出所後はいろいろなことをしていて、きちんと仕事を持って結婚までしていたようです。しかしその後はある事件を起こしたことがきっかけとなって再犯を犯すこととなります。その事件についてはのちにご紹介します。

神作譲(小倉譲)はずる賢いことでも有名であり、女子高生コンクリート詰め殺人事件の判決が下される際に、周りの同情を買おうとしていました。涙を流して被害者遺族に償いをしたいと言っていたも関わらず、出所後はその償いが行われることはありませんでした。

加害者の湊伸治と渡邊恭史

女子高生コンクリート詰め殺人事件で少年Cと少年Dと言われていた加害者の湊伸治と渡邊恭史はどのような生い立ちだったのでしょうか。湊伸治は中名門と言われている中学校を卒業しており、高校生になると都内にある唯一の工業高校に進学しており、その当時は優等生だと言われていました。

しかし、宮野裕史や神作譲(小倉譲)と関わることになってからは、女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人にまで成り下がってしまいます。5年から9年の不定期刑を言い渡されており、キックボクサーになるものの事件を起こしたことを知っている人から非難の嵐だったようです。今現在は結婚をしていて子供もいます。

一方渡邊恭史はもともとは内気な性格で、高校に進学してもすぐに不登校になってしまいました。女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人の1人である渡邊恭史ですが、事件当初も内気な性格だったため、他の犯人たちに言われたことしかしなかったようです。

出所後に小倉譲から神作譲へ改名

小倉譲は女子高生コンクリート詰め殺人事件の刑期を終えた後、神作譲へと改名しています。しかし改名しても神作譲(小倉譲)を特定しようとする人は多かったようです。また改名したと言っても苗字だけの改名ですので、改名した後も女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人だと気付いていた人も多いのではないでしょうか。

神作譲(小倉譲)は改名した後どのような人生を歩んでいるのでしょうか。裁判の際に涙を見せた神作譲(小倉譲)ですが、その後はほとんど反省の色を見せていません。

出所後すぐに改名したことについても、反省していない証拠だという意見もあるようです。もしかすると神作譲(小倉譲)は、改名するとともに行方をくらまそうと考えていたのかもしれません。その考えから改名したのであれば、反省の色が無かったことは否定できないのではないでしょうか。

また知人によると少年院に入ったとしても、神作譲(小倉譲)の悪い部分は治らないと言われていました。その発言は現実のものとなります。

小倉譲(神作譲)は1999年8月に出所

神作譲(小倉譲)は5年から10年の不定期刑を言い渡された後、1999年8月にはすでに出所しています。そのため5年から10年の不定期刑を10年受けたことになります。そして出所後はすぐに改名をしており、被害者家族に対して慰謝料を支払っています。しかしその被害者家族に対しての慰謝料の額や使い方があまりにもひどいです。

まず被害者家族に対して償いをしたいと言っていたにも関わらず、実際に被害者家族に支払われた慰謝料は償いとは言えないような額だったようです。そして支払う予定だった慰謝料は、自分の豪遊のために使ってしまっています。神作譲(小倉譲)は出所のその後も自分の過ちを悔いることはありませんでした。

被害者家族は一番悔しい思いをしたに違いありません。神作譲(小倉譲)は改名することによって、事件を起こしたことはもうすでに忘れてしまっているのではないでしょうか。

中国人女性と養子縁組をして結婚

神作譲(小倉譲)は改名をしたとご紹介しました。改名をしたきっかけは中国人女性と養子縁組をして結婚をしたからです。しかし神作譲(小倉譲)が、その中国人女性を利用したと考える人は少なくありません。出所後すぐに結婚をして改名をしているため、改名したいがために中国人女性と結婚したと考えているようです。

また、改名したとしても特定される不安もあるため、中国人女性と結婚することで中国で暮らしたいと考えていた可能性もあります。このまま日本にいたとしても改名したことがバレてしまえばそこでおしまいで、仕事をすることすら難しいからです。そのため中国での生活を夢見ていたのではないでしょうか。

しかし結局は中国人女性と離婚する結果となってしまい、中国での生活が叶うことはありませんでした。そしてその後、改名した神作譲(小倉譲)は再犯を犯すことによって再び注目を集めることになります。

三郷市逮捕監禁致傷事件で再犯を犯した小倉譲

名前を神作譲から小倉譲として改名しましたが、その後は三郷市逮捕監禁致傷事件で再犯を犯してしまいます。女子高生コンクリート詰め殺人事件では当時未成年だったため、顔も本名も大々的に知られることはありませんでした。しかしこの再犯である三郷市逮捕監禁致傷事件によって名前と顔が世間に知られることとなります。

小倉譲は女子高生コンクリート詰め殺人事件で反省の色を見せていた小倉譲ですが、この再犯がきっかけとなって全く懲りていないことが分かりました。この三郷市逮捕監禁致傷事件とはどのような事件だったのでしょうか。またなぜ、小倉譲は女子高生コンクリート詰め殺人事件のような惨事を繰り返してしまったのでしょうか。

この三郷市逮捕監禁致傷事件では致傷事件ですので、殺人ではありません。しかしその内容は女子高生コンクリート詰め殺人事件と同じようにひどいもので、少年院に10年入ったからと言って人の性格を変えることはできないようです。

三郷市逮捕監禁致傷事件の詳細

三郷市逮捕監禁致傷事件とは、2004年6月に小倉譲が起こした事件で逮捕されています。小倉譲は出所後に被害者家族に対して謝罪をすることなく、遊ぶような暮らしをしていたようです。そして派遣社員としてコンピューター関連の仕事をするも、長くは続きません。仕事関係者の間でも、横暴な性格は有名だったようです。

そして程なくして小倉譲に対して好意を寄せる女性が現れたのですが、その女性には当時付き合っている男性がいました。その男性が三郷市逮捕監禁致傷事件の被害者です。小倉譲は男性に対して怒りがこみあげてきてしまったようで、計画的にを三郷市逮捕監禁致傷事件起こしました。

2004年5月19日に被害者の男性に対して暴行をした後、金属バットで殴るなどの暴行も加えています。そしてそのまま家族である母親の経営するスナックに連れていき、監禁を始めます。その際に以前小倉譲は自分が人を殺したことがあると告白しています。被害者男性は最終的には解放されています。

三郷市逮捕監禁致傷事件の被害者の証言

三郷市逮捕監禁致傷事件の被害者男性の証言によると、小倉譲は事件の際に女子高生コンクリート詰め殺人事件のことを得意げに語っていたと話しています。被害者家族に対して反省をするどころか、女子高生コンクリート詰め殺人事件を起こしたことを武勇伝のように話す小倉譲に、救いの余地はないのかもしれません。

三郷市逮捕監禁致傷事件の裁判で被害者男性は監禁時に脅されていたことから、証言台に立ちたくないと拒んでいました。そして被害者男性のその後の消息は不明となっています。そのため三郷市逮捕監禁致傷事件では、被害者男性からの証言はほとんど得ることができていません。

三郷市逮捕監禁致傷事件に対して小倉譲はいい人の素振りを見せ、犯行に対しても罪を認めています。ただ「次に出所した時はきちんと改めて謝罪をしつつ、新しい生活ができるか」と聞かれた際に、小倉譲ははっきりと「できない」と答えています。

神作譲(小倉譲)の今現在は?

再犯である三郷市逮捕監禁致傷事件を犯した小倉譲は、被害者男性が証言できないことを良いことに自分はいい人のような雰囲気を出していました。しかし上記でもご紹介した通り、被害者やその家族にに対して謝罪できるかと聞かれた際には、出来ないと答えてしまっています。その言葉に周囲の人もうなだれてしまったことでしょう。

そして裁判では懲役7年を求刑されていましたが、本来求刑よりも軽い刑が執行されることがほとんどなので、最終的には懲役4年の判決が下されています。その後再犯を犯した小倉譲は、4年もの間刑務所の中に入ることとなります。そんな神作譲(小倉譲)は今現在、どこにいて何をしているのでしょうか。

再犯を犯してしまったことから世間から再度注目を集めてしまうことになった小倉譲ですが、これほどまで注目を集めてしまったのであれば社会復帰も難しいと考えられます。

2009年には出所している?

ご紹介した通り小倉譲は、再犯である三郷市逮捕監禁致傷事件で、懲役4年の判決を受けています。事件は2004年に起こったので、その後は順調に2009年には出所したのではないかと言われています。再犯の三郷市逮捕監禁致傷事件は女子高生コンクリート詰め殺人事件の刑を終えてからわずか5年後の出来事でした。

再犯をするのがあまりにも早かったため、小倉譲に対して不信感を持っている人も多いことでしょう。再犯時の被害者の証言によると、得意げに女子高生コンクリート詰め殺人事件の詳細を語っていたとも証言されています。そのため世間からは小倉譲の再犯だけでなく、人間性についてもいい印象がありません。

小倉譲が何を考えて再犯である三郷市逮捕監禁致傷事件を犯してしまったのかは本人にしかわかりません。その小倉譲は今現在どこで何をしているのか疑問が残ります。

現在の小倉譲の足取りは掴めていない

小倉譲は出所後、今現在何をしているのか不明となっています。今現在どこにいるのかすらも不明となっているため、もしかするとこの再犯である三郷市逮捕監禁致傷事件の刑を終えた後も、完全に改名してしまっているかもしれません。また顔写真も公表されてしまっているので整形をしている可能性もあります。

このように、再犯を犯した犯人の足取りがつかめないというのはかなり危険なことでもあります。特に再犯で三郷市逮捕監禁致傷事件を起こしてしまった小倉譲は、女子高生コンクリート詰め殺人事件でも再犯の三郷市逮捕監禁致傷事件でも一切反省の色がうかがえないため、足取りがつかめない今も犯罪に手を染めているかもしれません。

整形してしまっているのであれば公表されている顔写真は意味がありませんし、もうすでに刑が執行された後なので今現在何をしていようと犯罪が起きるまでは警察も動くことができません。今現在どこにいるのかわからない小倉譲ですが、これ以上犯罪を犯さないことを願うばかりです。

コンクリート殺人事件の被害者への酷い対応

今現在どこで何をしているかわからない小倉譲ですが、この三郷市逮捕監禁致傷事件をきっかけとして女子高生コンクリート詰め殺人事件で被害者家族に対してひどい対応をしていたことが明らかとなります。被害者家族に対しては、出所した後に必ず罪を償いと述べていましたが一切その素振りはありません。

それどころか自分の豪遊のためだけにお金を使っており、高級車や高級住宅にお金を使っていました。小倉譲のことを知っている人たちの口からも、「小倉譲は何をしても懲りない」と言われています。小倉譲が反省したと思っていた世間からすると、この行動が明るみに出たことによって見方も多きく変わったはずです。

また小倉譲は裁判官からも呆れられているようです。今現在は、もしかすると反省をして過ごしているのかもしれません。しかし上記でご紹介したように、裁判では今は反省していてもまた繰り返すというような発言をしているいます。そのため再犯の可能性はぬぐいきれないのです。

未成年の事件は今後無くしていこう!

未成年で事件を起こしてしまった小倉譲は、再犯として三郷市逮捕監禁致傷事件を起こしてしまっています。懲りない性格や、小倉譲の出所後の被害者家族に対する態度は、あまりにもひどいものです。また今現在足取りがつかめていないことにも、不安を感じる人もいることでしょう。出所したその後はどこへ行ってしまったのでしょうか。

今現在足取りをつかめていないのであれば、小倉譲がまたしても事件を犯してしまう可能性も考えられます。周囲からは、今回ばかりは反省をして人生を真面目に生きて欲しいと思われていることでしょう。果たして2度も事件を犯してしまった小倉譲は、通常の生活を送ることができるでしょうか。

小倉譲が犯した事件のうち、女子高生コンクリート詰め殺人事件は、世間を騒然とさせた大事件であり、その後の犯罪でも、女子高生コンクリート詰め殺人事件を参考にしたと供述している事件がいくつかあるほどです。このような事件を起こさないよう、現在よりさらにしっかりと対策しなければいけないのかもしれません。

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この記事のライター
すうこ

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