2019年11月13日更新
御殿場事件の真相!井上さゆりによる冤罪説や事件のその後・現在は
15歳の少女、井上さゆりが強姦されたとされる御殿場事件は冤罪とも言われています。実名が公開され、その後に弟の自殺もあり話題になりました。どのような判決だったのでしょうか。また当時の写真は公開されているのでしょうか。現在に至るまでの御殿場事件の真相に迫ります。

目次
御殿場事件とは?
静岡県御殿場市で起きた有名な冤罪事件とされるのが御殿場事件です。被害者の証言が次々と変わったことや、容疑者に対する検察側の圧力などが話題となり、マスコミでも広く取り上げられました。その後も事件の真相は定かではなく、冤罪の可能性も残っていると指摘されているのが、この御殿場事件です。
果たして被害者の井上さゆりに何があったのでしょうか。またこの事件において、被害者である井上さゆりの弟が自殺した点も大きな問題点であるとされています。なんとその事件の複雑さから地上波テレビでは、御殿場事件の現在やその後にクローズアップした検証ドキュメンタリーも大きく取り上げられました。
御殿場事件では「冤罪」か判明しないまま、少年たちに一体どんな判決が下されたのでしょうか。また当時未成年者でありながら御殿場事件の関係者たちはさらされたようです。井上さゆりの関係者たちにも触れながら、御殿場事件の真相、本人写真はさらされているのか、さらに現在やその後をわかる限り紐解いていきましょう。
御殿場駅付近で起きた集団強姦未遂事件
2001年9月16日の静岡県御殿場市においてその事件は発生しました。事の発端は、井上さゆりの帰りが遅くなった理由を、母親が訪ねたことから始まります。なんと「JR御殿場駅近くの公園で中学生の頃の同級生ら複数の男子に強姦されて遅れた」という衝撃の答えが返ってきたのです。
すぐさま井上さゆりの母親は、警察へ連絡して正式に被害届を提出される事態となりました。結果、御殿場事件はメディアやテレビにも大きく取り上げられる有名な「冤罪の可能性がある」事件となったのです。
被害者少女の主張
2001年9月16日午後8時頃部活動から帰宅途中に、「中学時代の同級生である被告人少年らに無理やり手首をつかまれ、御殿場駅から公園まで連行され一時間ほど話したあと強姦された」というのが被害者女性、井上さゆりの証言です。
加害者少年たちの主張
一方、御殿場事件の加害者である少年らは9月16日の夜に犯行を行ったことを自白しました。自白により、あっさりと終わるかに見えた御殿場事件でしたが、裁判の場にて「自白は強要されたものです」と無罪を主張したのです。
事実、御殿場事件の加害者である少年らにはアルバイト先で犯行時間に働いていたタイムカードや客による目撃者の存在がありました。さらにはカラオケ店に加害者である少年らの苗字が予約されていた形跡が残っていたことなど、それぞれアリバイがありました。
しかし、検事側はそれらを陰で口裏を合わせたものや、苗字が珍しいものではなかったため本人であると断定はできないなど、ねつ造したものであると決めつけたのです。結果、御殿場事件の裁判は加害者少年らの「有罪」の判決の方向へと進んでいったのでした。
被害者少女のプロフィール
当時15歳の女子高生、実名・井上さゆりには弟や母親がいることが判明しています。また、御殿場事件が起きたとされる9月16日は、実際は出会い系サイトの男性と会っていたこともわかりました。このことから被害者である井上さゆりは、男遊びで家に帰るのが遅くなっていたのが常習化していた可能性が考えられます。
この男性について本人の写真は公開されていません。この出会い系サイトの男性と会っていたという話に、世間一般ではその少女が「怪しい」「不真面目だ」という意見が出ました。ですので、この点は御殿場事件が長く現在に至るまでメディアなどで取り上げられ続けてきた理由の一つとして考えられます。
しかし、この点は少女に対する印象でしかなく、また男性とは初めて出会った可能性も考えると御殿場事件の真相を探るに値する一つの証明にはなりえないと言えるでしょう。問題としては被害者である少女が嘘をついたことがあげられ、確かに怪しいですがこれに関しても「初めての裁判で緊張していた」などいくらでも理由は考えられるのです。
実名は「井上さゆり」
御殿場事件の当時、被害者は未成年であったため実名は伏せられていました。しかし、今では成人となったため「井上さゆり」という実名が明かされています。通常、未成年の犯罪による事件に関しては、将来に大きな影響を与えてしまう可能性があるため実名は伏せられることが一般的な決まりとなっています。
一方で、成人した人物が起こした事件に関しては報道を実名で行うことが日本の原則です。これは、警察側が公権力を執行することがないように一般人が監視することや、実名により事件の情報の正確さを示すためです。
しかし、容疑者という「本当にその人が真犯人なのか」判明していない状態で実名がさらされてしまう点は日本の報道の悪い部分です。実名を報道された人の名誉や心を傷つけてしまうという問題点もあります。
そのため、事件情報の提供者の安全を確保したいときや、風評被害および次なる事件が起こる可能性を減らしたい場合には、実名は伏せて匿名で報道されることが多いです。
御殿場事件自体は未成年の時に起こったものですが、のちに説明する再審や損害賠償の申し立てによってそれ自体が大きなニュースとなったため、彼女らは実名をさらされることになったのです。この御殿場事件に関しても、実名をさらしたことに対して世の中では様々な論争があげられています。
男女関係に厳しい母親との生活
御殿場事件の被害者である井上さゆりは、男女交際に厳しい母親と一緒に暮らしていました。また、母親が井上さゆりになぜ帰りが遅くなったのかを聞いた、というところからも門限などにも厳しい母親だったという推測ができます。
出会い系サイトで知り合った男との関係
御殿場事件の被害者である井上さゆりの証言は嘘の証言でした。犯行日時さえあれよこれよと変える有様で、実際に帰りが遅くなったのは出会い系で知り合った男性と出会っていたためです。
当日デートをしていた男性も裁判に証人として出廷し、「この女子高生は、『親には遅れた理由を誰かのせいにして言っておく』と言っていた」と証言しています。しかし、それでも御殿場事件の裁判は少年たちを「有罪」の判決へ導く方向へと進みました。
公開されていない本人写真
御殿場事件の関係者たちは一切写真が公開されていません。これには実名の項に述べた通り、事件当事者たちの名誉棄損被害などを守るためや、事件当事者たちの身の安全を守るためという理由があります。
「盗撮」という行為が犯罪になると言われている通り、写真はプライバシーを大きく損害する可能性があり、また、写真の被写体である本人たちを身の危険にさらす可能性もあります。一応、人の写真を取るだけで犯罪だからと捕まることはありえないのです。
実際には、迷惑行為防止条例違反にひっかかる場合のみ、人の写真を撮る行為は「盗撮」として犯罪になります。基本的には女性に対するセクハラなどが関係してくる写真でない限り、写真を撮っただけで逮捕されるということはありえません。
この御殿場事件の場合、写真が公開され公のものとなれば、本人を見つけた一般人たちが非難を浴びせるかもしれません。現在に至る今日まで井上さゆり及び、御殿場事件の関係者たちの写真は公開されていないとのことです。
成人の犯罪者の場合、本人写真を公開することが多いというのは、実名の項で述べたのと同じ理由で、事件の正確性などを増すためです。写真がネットにさらされるというのは非常に多くの危険をもたらします。御殿場事件の関係者を守るため、本人写真は公開されていないのです。
御殿場事件の経緯
「御殿場少女強姦未遂事件」や「冤罪御殿場少年事件」などと二つの呼び名で呼ばれることもある、いまだ事実のはっきりしない御殿場事件ですが、その中でも井上さゆりの証言が、日時や細かい内容に至るまでコロコロと変わっていった件に関しては前述の通りです。
では実際の「御殿場事件」の経緯とはいったいどういうものだったのでしょうか。改めて御殿場事件の最初から、わかる限りの経緯をたどっていきましょう。
始まりは少女の帰宅時間が遅かったこと
井上さゆりは御殿場事件当日の9月16日、家に帰ってくるのが遅くなったところ母親に理由をたずねられ、「JR御殿場駅近くにて中学生の頃の同級生男子たちに連れられて強姦を受けた」と答えました。その後、その事態を重く見た母親が警察に通報し、御殿場事件は始まります。
帰宅途中の少女を襲った悲劇
帰宅途中の井上さゆりがJR御殿場駅近くで同級生の中学生男子らに腕をつかまれ、公園まで連れていかれて強姦された、というのが最初の井上さゆりの主張です。のちに被告人側の指摘により、9月16日は出会い系サイトで知り合った他の男とデートをしていたことが携帯電話の通話記録から判明すると、井上さゆりはそれを事実だと認めました。
しかし、井上さゆりはその直後「御殿場事件は9月9日に起こったものだ」という事件日時を変更する供述を重ねてきました。事件発生日の変更を検察側は当然のごとく認めたようです。
被害届から告訴までの流れ
御殿場事件被害者である井上さゆりが「強姦をうけて遅れた」といったのに対し、非常に事態を重く見た井上さゆりの母親が通報したところ、正式に被害届が警察に提出されました。警察側はただちに告訴状を作成し、御殿場事件の容疑者たちである少年たちの逮捕に踏み切ったとのことです。
加害者として告訴された10人の少年たち
御殿場事件の容疑者として逮捕された少年たちですが、いずれも未成年でたばこを吸っていたなどの非行が見られる不良少年たちでした。まず一人の少年が逮捕され、事情聴取の際に強制的に「仲が良く、いつもつるんでいる先輩と後輩」をあげた結果、そこにでてきた10人の少年が逮捕されることになったそうです。
9月16日御殿場事件の当日に10人の少年は身柄を確保され、「強姦未遂をした」と自白しました。しかし、裁判の際それが検事側の圧力により強制的に言わされたものだと発言を撤回しています。また、強制的に言わされた自白の「強姦未遂をした」というのは、井上さゆりの「強姦された」という供述と一致していません。
また御殿場事件で容疑者とされた少年たちが暴走族や暴力団関係者と知人だったことも発覚しているため、その点も少年たちを有罪判決へと導く理由となったのかもしれません。
少女の主張から見える御殿場事件の矛盾
御殿場事件の被害者の少女である井上さゆりの証言は、日時から細部に至るまでコロコロと発言が変わっていきました。そこにはたくさんの矛盾があり、しかし検察側はその証言を当然のごとく受け止め認めています。裁判とあり、当時15歳だった少女には荷が重く発言がまとまらなかった可能性はあります。
逆に、冤罪を狙って言っていたとしたら、ツジツマ合わせに必死だったためでしょう。どんな矛盾が存在したのか、井上さゆりの御殿場事件に対する主張のおかしい点などをあげて真相を探っていきます。
その①証拠は0個
何一つとして証拠がないというのが、御殿場事件に冤罪事件を匂わせる大きな要因です。そもそも強姦がされた証明となるものはなかなかあがるものではありませんが、たとえば事件当時に着ていた服のほつれなどがあれば一定の証拠に近いものになる可能性はあるかもしれません。
しかし、事件は9月16日に通報されていますが、9月9日に起こったとされています。日時もたっているためなおさら証拠がだしづらいという面もあるのは事実です。基本的に強姦事件に関して証拠として証明できるものは少なく、「男性がクロ」という検察側の見立てで捜査が始まることが一般的です。
そのため、女性の強姦「している」「していない」に関する冤罪事件は多いそうです。珍しいものではないのですが、この御殿場事件に関しては、メディアで大きく取り上げられていたのが大きな問題となったのでしょう。
少女の発言に御殿場事件の真相に対して疑問を持つ人間たちがたくさん現れ、結果「冤罪事件」であるという印象が日本中に広まり、少年たちの「有罪」判決へと至る過程に不服や不満を覚えた人たちがたくさん現れたのです。
その②少年たちのアリバイ
前項でも述べましたが、御殿場事件の容疑者として逮捕された少年たちには「アルバイトでタイムカードを切っていた」ことや「目撃者がいた」などというアリバイがありました。しかし検察側はそれを聞き入れず、ねつ造や口裏を合わせたものであると決めつけました。
なお、これは9月16日に関するアリバイであり、のちに変更され、本来の御殿場事件が起こったとされる9月9日に関してはアリバイがありませんでした。御殿場事件の日時が変更された裏にアリバイをかき消すためだったという可能性が残ります。
その③何度も繰り返される訴因変更
御殿場事件当日とされていた9月16日に被害者である少女はコンビニに駆け込み、母親に携帯電話から連絡しました。しかし、コンビニ店員は井上さゆりを目撃していないと言います。
コンビニ店員がすべての客の顔を覚えると言うのは難しいですし、コンビニの多くはアルバイト店員であるという点もあります。しかし、強姦された女性が走って逃げ込んできたという緊迫した状況を、人間がそう簡単に頭から忘れてしまうものなのか、という疑問も残ります。
もちろん、店員の目に触れない場所から電話をかけたという可能性もあります。ですが、決定的な証拠としてその着信履歴がその後見つかることがなかったのです。
これによって、御殿場事件被害者である少女井上さゆりが9月16日に出会い系サイトで知り合った男性とデートしていたことが判明しました。そして、彼女は9月9日に事件があったと「御殿場事件」の犯行日時を変更したのです。
少年たちは犯行日時が変更されたことに対し、「9月16日に犯行に及んだという自白調書と矛盾が生じる事態であり、検察側が強制的な自白をした証明である」と訴えました。しかし、検察官は、それ以外の被告人らの自白・供述内容が少女の供述とほぼ一致しており信憑性が高い、と被告人側の発言を退けました。
御殿場事件の裁判はまた、少年たちの「有罪」判決へと向けて一直線に進んでいったのです。
御殿場事件の裁判判決
そもそも強姦事件というのは非常に冤罪が多く、事実か事実ではないのかを確認する方法が難しいとされているというのは前項でも書いた通りです。しかし、御殿場事件の場合、あまりにも主張が入れ替わり立ち替わり、被害者である少女の発言には怪しいものがたくさんありました。
もちろん、「少女が嘘をついていたんだろう」とは一概には言えず、裁判というものはそもそも裁判官や弁護士など様々な人間が関与しているため、また少女と母親との人間関係にも発言が二転三転する背景があったのではないかと考えられる以上、真相はわからないでしょう。しかし、それは同じく少年たちにも言えることです。
証拠がないまま、少女の発言の怪しさが残るまま、確証がとれていない状態ながらも御殿場事件の裁判は順調に進んでいきました。一体少年たちにどのような判決が下されることになったのでしょうか。
少年たちに下された実刑判決
強姦事件または冤罪事件とされる「御殿場事件」は様々な謎を残しつつ、少女の発言が二転三転と転がり怪しさを残すまま裁判は進みました。そして、第一小法廷にて少年たちの「無罪」の主張は聞き入れてもらえず実刑判決が下されます。
御殿場事件の主犯格とされている少年らA・B・C・Dに上告棄却の決定と、懲役1年6ヶ月・執行猶予4年の実刑判決が確定しました。最年少の当時中学生だった少年Jも保護観察が取り消され、懲役2年6ヶ月・執行猶予4年の実刑判決が確定される形で御殿場事件の裁判は終わりました。実に、御殿場事件の裁判は10年にも近い期間続けられたそうです。
少女の「嘘」は承認される
9月16日から9月9日に御殿場事件の日時が変更された問題点として、9月9日は「台風15号」が接近して天候が「雨」であったことが取り上げられました。少女の供述は、「天候の記憶ははっきりしていない、風が強かったことは覚えている」「傘をさしていた記憶はない」です。
ただし、「雨が降っていなかった」とは供述しておらず、また「噴水の水だか霧だかわからないようなものが顔にかかってきた記憶がある」「家に帰るとき、ポツポツ」と雨が顔にふりかかってきたりしたとも供述していたとのことです。
御殿場事件の当日が台風15号の接近という大荒れの天気であったのにも関わらず、少女の供述があいまいとしたものだったため、被告人側はこれについて指摘しました。
鑑定人は、事件現場である公園から550m離れたところにある雨量計も雨が降っていたことを示しており、「本件の公園だけ雨がまったく降らなかったということはありえない、少なくとも30分以上のやみ間はなかっただろう」と供述したのです。
しかし、検察官は、事件現場の公園から東北東約700m離れた地点にある市役所農業研修センターや約1250m離れた消防本部では降雨量が0mmであった時間があったことを上げました。さらに、雨量計のデータは雨の降り方ややみ間に関しては示しておらず、雨量にも数mmの誤差が生じることを指摘することにより、被告人側の発言を退けたのです。
最高裁判決から収監へ
最高裁での裁判により2009年4月13日、前述の通り第一小法廷で櫻井龍子裁判長は、主犯格とされている被告人少年らA・B・C・Dに上告棄却の決定と懲役1年6ヵ月の実刑判決を確定としました。また、最年少で事件当時中学生だった少年Jに関しても保護観察が取り消され、懲役2年6ヶ月・執行猶予4年の有罪判決が確定しました。
2001年9月の事件発生以来、2002年の10月の仮釈放から10年近くもの間裁判が続いたということであります。いまだ、この判決に対して「冤罪だ」と、不満不服を唱える一般人たちは絶えません。
出所した少年たちのその後
御殿場事件の容疑者となった少年たちの中でも、少年審判によって送致されなかった少年たちには、前科がつかずに済んだものもいました。そういった少年たちは御殿場事件のその後、仕事にとりくんだり、結婚をしたりと現在も普通の生活をおくっています。
しかし、高校の卒業や大学進学ができずにあきらめたものたちもいました。その後、「無実」を訴えていた少年たちは、「有罪」判決に不服を覚えつつ長い時間をかけてやっと出所した現在、いったいどのように過ごしているのでしょうか。御殿場事件に関わった少年たちの現在とその後を書き記していきましょう。
無実を訴える損害賠償請求
少年たちは御殿場事件のその後、御殿場事件を「冤罪事件」であるとし、2000万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしましたが棄却されてしまいました。その後、現在までその件に関して再審が行われることはありませんでした。
少年たちの冤罪主張
少年たちは「御殿場事件」のその後、冤罪であるということを主張し続けました。もし、冤罪でないとしたら、こんなに何年も冤罪を主張し続けるのかという疑問があります。一方で十年近くも身柄を収容されていたことを考えれば、例え事実じゃないとしても「冤罪」を主張し続けるのではないか、という点もあります。
「御殿場事件」の真相を知る者は、やはり現在の日本には「本人」たちしか存在しないのです。
「無実の少年たちを守る会」とは
地元御殿場市では、「無実の少年を守る会」というものが開かれています。諏訪部修が事務長を務め、御殿場市職労連委員長の伊倉賢が同会代表世話人です。「守る会」や署名活動への賛同者や激励を寄せた方達が、被告人たちの保釈中の生活で精神的な支えとなってくれたと言っています。
もちろん真相は闇に葬られたままですが、このような温かい活動は人類の住みよい未来に希望を与えてくれる素晴らしい活動といえます。
御殿場事件の真相とは?
「少女強姦未遂事件」や「冤罪御殿場少年事件」などといろんな呼び名で呼ばれ、いろんな推測が飛び交い、しかし真相がいまだに判明しないのが御殿場事件です。
強姦事件の冤罪は珍しいものではないです。しかし、この事件が大きく取り上げられたのはやはりそれだけ裁判が長引いたり、メディアが強く御殿場事件を報道したこと、また少女が不審だった点があげられるでしょう。
メディアによる御殿場事件の報道
御殿場事件はメディアによる報道から始まり、ドキュメンタリー番組などにも多くとりあげられたことでも有名な、冤罪の可能性含んだ事件です。特にテレビ朝日が10年近くにわたって取材を続けており、報道番組で度々クローズアップされていました。
『報道発 ドキュメンタリ宣言』では「それでも僕らはやってない ―親と子の闘い3000日」というドキュメンタリーを放送し、ゴールデンタイムであったこともあり高視聴率を獲得しました。これによって、御殿場事件は一気に有名な「冤罪かもしれない事件」として世の中に知られることになります。この番組でも少年たちの写真は公開されていません。
『ザ・スクープ』や『報道ステーションSUNDAY』でも幾度かにわたって取り上げられ、被告らが暴力団や暴走族と知人であったことに触れていないことや、少年たちの出所したその後の様子を放送していました。
特に『報道ステーションSUNDAY』では事件の発覚の同年に、元少女に対して2000万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしている事も公開されています。
少年たちは加害者?それとも被害者?
結局、御殿場事件において少年たちは少女に強姦をした加害者たちだったのでしょうか。それとも少女の嘘に巻き込まれ、あるべくもない罪をなすりつけられ「有罪」判決を言い渡された被害者たちだったのでしょうか。
元少女だった井上さゆりの数々の怪しい発言や嘘の証言、少年たちが暴走族や暴力団関係者と知人であったことなど、御殿場事件の真相を探ろうとすると考えることにキリがありません。しかし、少年たちが「強姦未遂」すら起こしておらず、少女の嘘によって「冤罪」をかけられた被害者だった可能性があります。
そうだとしたら、テレビなどで報道され、多くの人間の目に触れた御殿場事件において、それは日本の裁判制度としてもとても由々しき事態であると言えるでしょう。
少女・井上さゆりの現在
御殿場事件の真相に対する謎は深まるばかりですが、これらについて考える材料として、井上さゆりの事件のその後と現在、また彼女の弟に関することがあげられるでしょう。井上さゆりはいまも地元御殿場事件の現場周辺に暮らしているのか。彼女の弟にいったい何があったのか。順々に紐解いて見ていきましょう。
現在の居住地は不明
井上さゆりの現在の事件後の住所ですが、まったくの不明です。御殿場事件および、その報道が大きくメディアなどにとりあげられた上、実名がさらされたことなどが彼女を地元御殿場に住むことを難しくしてしまいました。
御殿場事件に関してインタビューを試みたテレビ局などもあったそうですが、一切の発言をせず何かを隠しているような一面もあったそうです。しかし、もし、この事件が冤罪ではなく、少なくとも「強姦未遂」が事実のことであったとしたら、元少女であった彼女にとって非常にかわいそうな事件になってしまったと言えるでしょう。
弟の自殺から見える疑問点
この御殿場事件で驚くべきことの一つとして、井上さゆりの弟は事件のその後、自殺をしてしまったということがあげられます。考えられる要因としてはいくつもあげられますが、裁判を起こしてしまったことによるなんらかの圧力があったことは考えられます。
単純に学校でいじめられてしまったため、という可能性もありますし、暴走族または報道を見て反感を持った一般人たちによる圧力がかかった可能性も十分にありえます。大々的な報道があって、知名度もあった御殿場事件であることを考えれば、その圧力の強さは想像に難くありません。
詳細は当然定かではありません。ですが、多くの御殿場事件に関する記事や報道などで「弟が自責の念にかられて自殺してしまったのではないだろうか」「やはり、少女は嘘をついていて、それによって弟が自殺をしてしまったのではないだろうか」などという論争が現在に至るまで飛び交っています。
しかし、御殿場事件の真相が冤罪かどうかはさておき、一番大きく弟の自殺を後押ししてしまったと考えられる点があります。御殿場事件に対する報道の仕方や裁判の方法の問題です。
御殿場事件は過剰に何度も取り上げられて報道されたり、果てにはドキュメンタリー番組などにもとりあげられました。また、裁判ではいくら証明のたてずらい強姦事件であるとはいえ、検察官が被告人に対してまったく聞く姿勢を持ちませんでした。
それらのことがなければ、弟は世の中の圧力にさらされることなく、自殺を行うことはなかったかもしれません。井上さゆりの実名がさらされたことも影響していそうです。
世の中はそれが悪であれ、正義であれ、悪と「見えるもの」を罰します。一時的にとはいえ、冤罪であったという可能性が色濃く報道されていた時期に、弟が周りからの圧力に悩んだことは間違いないでしょう。
井上さゆりの嘘が弟を死においやったのだという意見もあります。15歳という若さで御殿場事件という証明物的証拠を出せない裁判の場に足を運ぶこととなった彼女の心情は彼女にしか知ることはできず、「仕方がなかった」という見方もできます。御殿場事件は、被害者やその関係者らだけでなく弟にまで不幸をふりまく最悪の事件となってしまいました。
御殿場事件に対する沈黙
御殿場事件の真相に関して、世の中や政府は長らく沈黙の姿勢を取り続けています。そこには、裁判の仕方の問題から始まり、報道の仕方、さらに被害者の元少女であった弟の自殺など様々な要因が可能性として上げられます。本人写真が公開されていないことはせめてもの救いと言えるでしょう。
憶測が飛び交うことがやまない御殿場事件であり、御殿場事件を元にして冤罪事件関連の作品などが生まれました。真相がどうであったにしろ、その真相は当人たちにしかわかりえないことです。
これから御殿場事件で下された少年たちの判決が覆されることはあるのでしょうか。また、それによって今度は一体どんなことが起こりうるのでしょうか。御殿場事件の真相は闇に葬られたままです。
御殿場事件は冤罪の可能性がある事件だった
御殿場事件に関して様々な要素を並べて真相を探ろうとしましたが、結果、やはり真相は謎のままです。果たして少年たちは本当に「冤罪」にかけられた被害者たちだったのでしょうか。それとも実際に強姦未遂を行って捕まった加害者たちだったのでしょうか。
写真を公開されなかった一方、被害者である元少女の井上さゆりの弟だけでなく、実名を明かされた少年たちも未来に大きな影響があったことでしょう。結果として一ついえることは、「御殿場事件は冤罪の可能性があった」事件ということです。
強姦事件は非常に証明がたてづらいため、「男性がクロ」という前提で裁判が進行します。そのため、男性側が不利に働きやすいのが事実です。しかし、逆に女性側は証明をたてられないため「冤罪」だと言われてしまえば何も事実を証明できず、その分裁判に持ち込むのにも勇気がいるかもしれません。
そして、強姦事件に限らず、どんな事件にも「冤罪」というものはありえます。井上さゆりの弟のように自殺というところまで行く方は少ないかもしれませんが、精神的に追いやられる方が大半でしょう。どんな物事も完璧な証明などありえないということが言えます。しかし、世の中は確実に良い方向へと進みつつあります。
この御殿場事件を発端として、世の中の人が「冤罪というのは身近にあるものなのだな」と考えを改めたでしょうし、「無実の少年を守る会」をはじめとした冤罪に対してその後の保護措置を設置した場所も多々あるでしょう。逆に女性たちが被害を受けたことを証明できない件などについても様々な論争がとびかっているはずです。
御殿場事件がいい事件だったとはお世辞にも言えません。被害者の元少女であった井上さゆりを始め、弟、加害者とされた少年たち、多くの人間に不幸がふりかかりました。しかし、その情報が大々的に広まったことにより世の中は「冤罪」についてもっと深く考えるようになったのです。
その想いは現在につながり、その後、もう二度とそのような悲劇を起こさぬようにと未来へとつながっていくのです。
関連する記事はこちら


