高山正樹の生い立ちや現在!仙台女児連続暴行事件の概要やその後は

仙台女児連続暴行事件という事件をご存知でしょうか。平成8年頃から平成12年に渡り、宮城県仙台市で起きた連続暴行事件です。事件の加害者である高山正樹とはどのような人物なのでしょう。高山正樹の生い立ちや裁判結果、被害者とその家族の現在についてもご紹介します。

高山正樹の生い立ちや現在!仙台女児連続暴行事件の概要やその後はのイメージ

目次

  1. 1高山正樹とは一体どんな人物?生い立ちは?
  2. 2高山正樹が起こした仙台女児連続暴行事件とは?
  3. 3高山正樹の犯行手口
  4. 4犯人・高山正樹の逮捕に至るまでの経緯
  5. 5逮捕後の高山正樹は?
  6. 6「仙台女児連続暴行事件」の裁判結果
  7. 7被害者の心と体の傷
  8. 8犯人の高山正樹は現在服役中

高山正樹とは一体どんな人物?生い立ちは?

平成12年、宮城県仙台市内では青葉区を中心とした何者かによる女児の強姦事件が多発していました。その被害届はなんと60件を超えたと言われています。宮城県仙台市警察署は、事件の発生場所や犯行手口、そして数々の証拠から、犯人は同一人物であるとみて厳重な警戒態勢を敷きました。

警察の懸命な捜査の甲斐もあり、平成12年8月8日に「仙台女児連続暴行事件」の犯人として、宮城県仙台市在住の男が逮捕されました。逮捕後、宮城県仙台市にある犯人宅からは大量のビデオテープなどが押収されたと言われています。

そのビデオテープなどにはさらに40名もの被害者が撮影されており、被害届のあった事件を合わせるとその件数は100件を越えていることが判明しました。

ビデオテープをきっかけに事件件数が100件を越えた驚異の暴行事件は、現在に至るまでで日本史上最悪の暴行事件だったと言われています。ではこの恐ろしい仙台女児連続暴行事件を起こした男とは、一体どのような男だったのでしょう。犯人・高山正樹の生い立ちを、仙台女児連続暴行事件の経緯や詳細と併せてご紹介します。

宮城県仙台市で起きた事件の犯人

宮城県仙台市で起きた「仙台女児連続暴行事件」の犯人として逮捕されたのは、事件現場近くの宮城県仙台市八幡3丁目に住む、当時26歳無職の男でした。事件が多発した宮城県仙台市は、マンションや住宅などの建物が多く立ち並ぶ地域で、この後に紹介する男の生い立ちにも関わる場所です。澄んだ空気が印象的な、人通りの多い穏やかな地域だったそうです。

しかし男の供述によると、事件当時この地域には4日に1回程のペースで足を運んでおり、暴行対象にできそうな女児を探していたことが分かっています。その供述が本当であれば、一見穏やかなこの地域は事件当時とても危険だったということになります。

犯人の男は独身で、仙台女児連続暴行事件について「最初は平成8年頃で、小学校高学年くらいのきれいな顔立ちをした女児を人に見つかりにくい場所に連れていき、服の上から胸を触ったのを覚えている」と供述しました。そんな仙台女児連続暴行事件の犯人・高山正樹は通名を使用する在日中国人だったそうです。

さらにこの在日中国人・高山正樹の自宅からは、先ほどもご紹介した通り「仙台女児連続暴行事件」犯行時の様子をビデオに収めたものが多数見つかっています。犯人・高山正樹は、犯行を収めたそれらのビデオをコレクションとして保管していたようです。

そんな高山正樹についての情報は少なく、中国人とのハーフであったという生い立ち以外は、ほとんどありませんでした。もちろん中国人であろう家族や親戚についても、現在までほとんどの情報が非公開となっています。

父親は中国人のシェフ

仙台女児連続暴行事件の犯人である高山正樹の父親は、宮城県仙台市に住む中国人の料理人でした。どこの店で勤務をしていたかなど詳しくは公開されていません。宮城県仙台市の青葉区青葉通り一番町周辺には現在も中華料理店やラーメン店がたくさんあり、中国人の家族もたくさん住んでいるようです。

この中国人の父親は、息子・高山正樹が起こした仙台女児連続暴行事件による被害者や家族に対し、裁判の際にも謝罪と償いに努める様子を見せていました。

高山正樹の家族は、高山正樹の生い立ちが自分たちに非のあるものであったとしても、ひどい事件を犯した高山正樹をこれまで通り扱うことはできなかったことでしょう。また仙台女児連続暴行事件が発覚するまでの3年あまり、犯行を繰り返す高山正樹に家族が本当に気付かなかったのかなども疑問です。

悲惨な事件を起こした犯罪者の家族は、日本では暮らしづらく、過酷な状況になる事でしょう。それらを回避するため、高山正樹の家族は現在、中国に戻って暮らしている可能性もあります。

少年時代はいじめに遭う

仙台女児連続暴行事件の犯人である高山正樹は、父親が中国人、母親が日本人という半分中国人の血が入ったハーフでした。幼いころから宮城県仙台市で過ごしたという生い立ちを持つ高山正樹は、中学生時代、在日中国人であることを理由にいじめられたと明かしています。

しかし生い立ちや学生時代のいじめに関しては、高山正樹が同情をひくために話したものでもあり、仙台女児連続暴行事件との関連性は無いようです。在日中国人という生い立ちを持つ高山正樹と被害者女児や家族には何の接点も無く、通りかかった女児に目を付け手あたり次第に強姦・暴行を加えていました。

また中学の同級生の証言では、体育の時間に女子の着替えをのぞきながら「男がエロくなかったら人類は滅びるから、自分の行動は間違っていない」という発言をしていたそうです。

当時は小児性愛者というイメージは無かったようですが、修学旅行でも彼は班長を務め「一番混んでいる時間帯の満員電車に乗りたい」と発言していました。その目的が痴漢行為だったとすれば、その当時からすでに犯罪者に近い発想だったということになります。

またいじめられていたという事実は、確かであるという証言が無かったようです。日頃の人間関係についてもほとんど証言は無く、いじめられてはいないものの人との付き合いがほとんど無かったことが伺えます。

家族に家庭内暴力をふるう

高山正樹は成長するにつれ、家族に暴力をふるうようになりました。母親に暴力をふるい、けがを負わせては保険金を請求し、生活費にしていたと言われています。生い立ちの他に、経済的に厳しい家庭状況だったという情報もあり、家族内でトラブルも頻繁に起きていたのかもしれません。

中国人の父親に暴力をふるったかは明らかではありませんが、生みの親にすら保険金が下りるほどの大けがを負わせてきた高山正樹は、他人の痛みを理解できない臆病で乱暴な人間となっていたようです。

高山正樹は犯行当時無職

仙台女児連続暴行事件当時の高山正樹は、20代半ばでしたが無職で働いていませんでした。身体に障害なども無く健康であり、事件当時も精神異常などは無かったとされています。また高山正樹の犯行は冷静なものであり、犯行を行いやすい場所や相手を吟味した上で行われていました。

【仙台女児連続暴行事件】犯人の高山正樹の生い立ちや事件の概要とその後

高山正樹が起こした仙台女児連続暴行事件とは?

高山正樹の起こした仙台女児連続暴行事件は、事件の詳細が明るみになるにつれて被害者が100人を超える史上最悪の強姦事件である事が判明していきました。被害者が幼い女児ばかりで被害届が出ていないものも有り、おもに証拠となったのは高山正樹の自宅から押収されたビデオテープでした。

2000年に発生した女児強姦事件

以前から女児に対する強姦事件は、被害者がまだ幼い事で告訴されず、事件が発覚しづらい傾向があります。この仙台連続女児暴行事件で犯人逮捕のきっかけになったのは、1999年から2000年にかけて行われた、女児11人への強姦未遂や強姦致傷の告訴でした。

被害者は3歳から10歳の女児

仙台女児連続暴行事件で被害者となったのは、3歳から10歳の幼く力の弱い少女たちでした。性犯罪者の多くは、生い立ちによるトラウマが原因で異常な性的嗜好を持つことが多いようです。しかし高山正樹の場合は生い立ちにこれと言った問題もなく、自然と小児性愛に興味を持ったと言われています。

未熟な体への強姦行為はショック死する可能性もあります。犯人である高山正樹は自分よりも小さく弱い被害者少女を、卑劣かつ鬼畜な犯行によって物のように扱い、傷つけていきました。

襲った女児は100人以上

先ほどもご紹介した通り、高山正樹逮捕の後に家宅捜索を行うと、暴行された女児たちを写したビデオテープが見つかりました。それら物的証拠と本人による証言を合わせた結果、推測で100人以上の女児に対して暴行を行ったことが判明しました。

この仙台連続女児暴行事件は、あまりにも被害を受けた女児の数が多かった為、事件詳細についての報道規制もなされました。高山正樹に襲われた女児の中には、姉や妹が暴行されるのを目撃していたというケースもあります。

1人も死亡者がいなかったとはいえ、上記のような二次被害や後遺症が残ったケースもあり、非常に残忍な犯行であったと言えるでしょう。

高山正樹の犯行手口

高山正樹は犯行時には必ずイタズラ用の玩具やローション、撮影機具を揃えて持ち歩き、小学生くらいの幼い少女を探し歩いていたようです。もしかすると回数を重ねるごとに慣れていき、罪悪感も薄れていったのかもしれません。

最初は服の上から触るだけだった犯行が、暴行・強姦行為や強姦致傷に発展し、その様子を撮影・脅迫するようになるなど次第にエスカレートしています。逮捕時にはまだ死亡者は出ていませんでしたが、このまま犯行を繰り返していれば死者が出ていた可能性も十分にあったことでしょう。

言葉巧みに女児を誘い出す

犯行時ビデオカメラを隠し持った高山正樹は、「猫を探して」「お医者さんだから」などと声をかけ、人気のないマンションの踊り場などへ誘い出しました。その際は子供たちが怪しんだり怖がらないよう、優しい態度で近づいていました。当時の宮城県仙台市では、日頃の不審者に対する危機感の低さや街中の防犯対策に甘さもあったのかもしれません。

現在のように街中の防犯カメラの設置が進んでいれば、もう少し早い段階で事件発覚・犯人逮捕ができていた可能性もあります。

人気のない場所へ連れ込む

主に犯行現場となっていたのは、宮城県仙台市青葉区内の人気のないマンションの踊り場などです。先ほども少しご紹介した通り、高山正樹はあらかじめ人気のない場所を調べており、犯行には計画性がありました。日頃からビデオカメラを隠し持ち不法侵入をしていたことも、もしかするともっと早く気づけた異常だったかもしれません。

強姦・わいせつ行為

高山正樹は犯行時、挿入しやすいようローションを使用しました。少女が痛がって泣き叫び、挿入を断念した際は「治さなきゃいけない。ここから薬が出るんだから」と言って口淫させたり、太ももに男性器を挟んで射精したりもしました。高山正樹は自身の性的欲求を満たすために、幼い女児たちに卑劣な行為を繰り返していました。

犯行をビデオ撮影

犯行の最中を度々ビデオ撮影しており、高山正樹の自宅から見つかったビデオテープの中には事件として立件されていた少女の他に、合計45人もの女児を映したビデオがありました。過去にも女児への強姦殺人にビデオ撮影を行う猟奇犯は存在しましたが、この事件によって性犯罪の発覚がいかに少ないかが証明されています。

喋ったら「殺す」

犯行後、高山正樹は女児たちに対して「言ったら殺しに行く。絶対に秘密だからね」と口止めをしました。その為、身体や心を傷つけられたにもかかわらず、恐怖のあまり両親にも言えなかった女児もいました。これらの犯行手口からもわかるように、高山正樹の精神は耗弱するどころか正常に機能しており、犯行は全て正常な精神の元で行われたものでした。

犯人・高山正樹の逮捕に至るまでの経緯

この事件の犯人であった高山正樹の逮捕に至るまでの経緯についてを詳しく見ていきましょう。さらにこの仙台連続女児暴行事件の犯人逮捕の瞬間は、テレビ取材班の同行の元で行われていました。その当時、テレビ放送された際の動画も一緒にご紹介します。

単独犯と断定

警察は仙台女児暴行事件についての犯人の犯行手口や被害者たちの年齢、事件発生エリアなどから単独犯であると断定して捜査をしていました。

犯行現場周辺で不審人物

2000年8月8日に、1週間前から2週間前に女児が暴行されているアパートの現場付近で警察官が張り込み捜査をしていました。その際、目撃証言と一致する不審な人物が現れて何かを物色していたので、すぐさま駆け寄った警察官が職務質問をします。

警察官からの職務質問

不審人物の男は警察官から声をかけられると大変慌てた様子で「このアパートに住む友人に訪問予定で来た」と主張しました。しかし訪問先の部屋番号や友人の名前を答えられず、自分の名前も名乗らないなど不審な点が多くありました。

また警察の問いかけから逃げるように、近くにあったコンビニエンスストアへ入ろうともしています。さらに任意同行も拒否をしたため、強制わいせつ容疑で緊急逮捕となりました。

逮捕後の高山正樹は?

職務質問を受けて高山正樹が緊急逮捕された様子はテレビ局によって撮影が行われており、逮捕後にテレビ放送されています。現在もこの時の動画の様子を文章に書き起こしたものが多く存在しており、調べれば誰でも見ることが可能なようです。

高山正樹が逮捕される瞬間は、被害に遭った女児やその家族、宮城県仙台市の住民にとって安心の一歩となる瞬間でもありました。またこの日の所持品からもビデオカメラやイタズラ道具が押収されています。

心身耗弱を装う

高山正樹は事件後の裁判へ出廷する際、第1回目のみは正常に起訴内容について認めていました。しかし第2回目の公判より歩行が困難で車いすを使用したり、頭をうなだれたまま語ることも答える事も無くなります。時にはボイスチェンジャーの幻聴が聴こえるなどと心身耗弱を装うような姿が頻繁にみられるようになりました。

反省の色はない

精神鑑定の結果、弁護士などの主張していた精神分裂病の症状などは見られず責任能力があるとされました。しかし逮捕後には精神病を偽り、検察官に対してまともに受け答えもしなくなっていくなど本人の反省の色はむしろ薄れていくようでした。刑が確定した後にもずっと精神病者のような様子を見せ、被害者に対し罪を償うという態度も見せなくなりました。

同じ刑務所にいた元囚人の証言

同じ病舎にいた元囚人の証言によると、最初は高山正樹の精神状態は酷く、時に糞尿を垂れ流すこともあり、完全にイカれてしまった可哀想な受刑者だと思っていたそうです。しかしなんと高山正樹は担当が目を離している間は何もないのに、彼らの足音が聞こえて来ると思い出したように手を震わせ、うわ言をつぶやき始めるそうです。

そして元囚人に対して「早く病院に行きたいなあ」と言ったこともある事や、ここを出て街の精神病院に行きたいと話していたそうです。在日中国人の高山正樹は精神疾患を装い、一般の精神病院に移る事や、あわよくば現在も無期刑の執行停止を願っていると言うのです。

また刑務所の病舎ではテレビも見ることができ、元囚人と高山正樹ともう1人の3人でNHKの旅番組を見ていた際には、小学校低学年くらいの児童が映るとそれを見た高山正樹が「ああ~サシてえ~」と発するのだそうです。サスとは挿入のことで、高山正樹は見る限り病気でもなければ反省する様子も無い事が窺えたようです。

無期刑の停止を求める

高山正樹は裁判中や収監されてからも心身耗弱な様子や前科の無いことを理由に無期刑の停止を求めていました。また裁判で刑が確定した後は無期刑の停止をあきらめた様子が見られ、病舎に移りたいがために精神の異常を見せるなどしていました。

反省して日々を過ごす事を全くせず、精神病の人間として振る舞うことでより自分の望む場所へ移動しようという思惑が伺えます。

「仙台女児連続暴行事件」の裁判結果

高山正樹の裁判が開始されてから検察側は、高山正樹に対して無期懲役を求めました。裁判でも高山正樹の犯行内容以外に生い立ちや前科も語られましたが、生い立ちに目立った異常もなく、犯行があまりに悪質であったことから同情の余地は無いと判断されたようです。2004年5月、高山正樹は無期懲役を言い渡されました。

強姦未遂・強姦致傷・強制わいせつで起訴

裁判では高山正樹側の弁護士らが、高山正樹本人には前科が無いという事と犯行時に精神分裂病の症状があり心身耗弱下の状態であった為、刑の軽減が図られるべきである事を主張しました。一方の検察側は「我が国の性犯罪史上、類がない卑劣な犯行。最高刑をもって臨むしかない」として無期懲役を求刑しました。

さらに2000年の11件にのぼる被害の他に、3年間で約100人の女児に乱暴し、40人を超える犯行内容をビデオ撮影していたこともあげ「犯行はおぞましいの一言に尽き、鬼畜にも劣る」と述べています。この時の内容は1999年3月10日から2000年8月1日までに行われた4件の口淫による強姦未遂、5件の強制わいせつ、2件の強姦致傷事件についての起訴でした。

無期懲役を言い渡される

裁判で高山正樹側の弁護士らは犯行時の精神状況などを考慮して減刑を求めました。しかし2002年の3月29日に仙台地方裁判所は被告に無期懲役を言い渡しています。これは死亡者のいない強姦事件では異例の判決でした。しかし被害者と家族の人生を脅かした高山正樹に対する妥当な判決と言えるでしょう。

判決を不服とし上訴

高山正樹は逮捕後に女児への暴行についてを認めましたが、裁判中を通して一切反省や被害者へ謝罪する様子が無く、無期懲役を言い渡された際には上訴もしています。刑罰について不服とする態度は、多くの人に憤りと呆れを感じさせたことでしょう。

2004年に最高裁で無期懲役確定

2004年5月10日最高裁の第1小法廷にて横尾裁判長により、1審2審の無期懲役を決定しており、最終的な上告は棄却して確定しています。また先ほどもご紹介した通り、高山正樹には在日中国人である生い立ちに加え、前科が無いことや死亡者が出ていない中では異例の無期懲役でした。

被害者の心と体の傷

裁判の判決文には「私に変なことした男の人が刑務所から出て来たら怖いからずっと刑務所の中に入れてください」や「今でも思い出すと怖くて涙が出そうになります」など、被害に遭った女児たちの供述も含めて述べられました。現在、暴行された女児たちがどうなったのかは全て非公開となっています。

子宮破裂や大腸破裂

高山正樹に強姦された女児の中には、子宮破裂により子宮を摘出した少女や、大腸破裂を起こして心身に一生残る傷をつけられた少女もいました。これから成長していく彼女たちは、当時はよくわからなかった現実を成長と共に知り、苦しい人生を歩んでいることでしょう。その少女たちを支える家族の悲しみや怒りは、想像できないほどのものでしょう。

歩行障害に陥った女児も!

また高山正樹に受けた強姦によって人工肛門になった女児や、股関節を傷つけられた事で歩行障害となった女児もいます。突然の出来事によって恐怖と身体に障害まで与えられてしまった女児の傷は癒える事はありません。

無期懲役は軽いとの声も

女児たちに一生消えないような恐怖や傷を負わせた犯人に対し、無期懲役は軽すぎると言った声も上がりました。性犯罪は出所後の再犯率が非常に高く、無期懲役が刑務所で問題なく過ごし模範囚となれば仮釈放もあり得ます。その事からも日本の性犯罪に対する罪がそもそも軽いと指摘もされています。

同時に児童ポルノ規制法などのグレーさにも再度批判が集中しました。強姦によって少女達の未来に傷をつけた高山正樹には、裁判結果に納得がいかないという意見も多く、極刑を求める声も上がっていました。

犯人の高山正樹は現在服役中

高山正樹の生い立ちや裁判結果、被害者とその家族の現在についてもご紹介しました。高山正樹は現在山形県刑務所の精神病舎へ収監されています。

いまだ反省する事は無く、本人が希望したであろう少女の載った雑誌が支援者により差し入れられることもあるそうです。このような恐ろしい事件が二度と起こらないよう、高山正樹の起こした仙台女児連続暴行事件は風化させてはいけない事件です。

また街の防犯カメラ設置が進んでいる現在でも、子供を狙った悪質な事件は後を絶ちません。幼い児童が安心して暮らせる世の中にするため、常に意識改革を続けることが大切なのではないでしょうか。

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