上申書殺人事件とは!概要や三上静男・後藤良次の生い立ちやその後は

映画『凶悪』のモデルになった上申書殺人事件は、死刑判決を受けた宇都宮監禁殺人事件の実行犯、後藤良次の告発により発覚した事件です。上申書殺人事件の首謀者である「先生」こと三上静男や、協力者である後藤良次の生い立ちとその後、そして現在を追ってみました。

上申書殺人事件とは!概要や三上静男・後藤良次の生い立ちやその後はのイメージ

目次

  1. 1上申書殺人事件の概要【映画「凶悪」のモデル】
  2. 2後藤良次による宇都宮監禁殺人事件とは
  3. 3上申書殺人事件で三上静男・後藤良次が起こした3つの事件
  4. 4上申書殺人事件の犯人・後藤良次の生い立ち
  5. 5上申書殺人事件の犯人・三上静男(先生)の生い立ち
  6. 6後藤良次の死刑判決後・現在は
  7. 7三上静男(先生)のその後・現在は
  8. 8上申書殺人事件は記者により暴かれた

上申書殺人事件の概要【映画「凶悪」のモデル】

上申書殺人事件(じょうしんしょさつじんじけん)は茨城県で発生した殺人事件で、現在では「上申書事件」や「茨城上申書事件」とも呼ばれています。この上申書殺人事件は「元暴力団の死刑囚が事件の全てを告白する」という前代未聞の出来事により、非常に話題になりました。

この上申書殺人事件はその話題性と凶悪さから、新潮文庫から『凶悪−ある死刑囚の告白−』として書籍として出版されたのち、映画『凶悪』として映画化もされています。上申書殺人事件は2人の男がメインとなって起きた事件で、ひとりの勇敢な記者によって世間に明るみに出た事件です。

それほど話題になった上申書殺人事件とはどういった事件なのでしょうか。そのあまりに凶悪な概要や経緯、犯人やその生い立ちとその後、現在についても見ていきます。

首謀者は三上静男・実行犯は後藤良次

最初に上申書殺人事件の犯人ですが、2人の人間によって起こった事件です。首謀者は先生と呼ばれていた三上静男、実行犯は元暴力団組長の後藤良次です。三上静男が犯行の計画をし、後藤良次はその計画の手伝いをしたということです。

後藤良次は元暴力団の組員であり、殺人や覚せい剤、銃刀法違反など、上申書殺人事件以前にも数々の実刑判決を受けている犯罪者でした。後藤良次は三上静男が計画したこの犯罪の手伝いをすることで、三上静男から報酬をもらうという約束で犯行の手伝いをしました。

しかし、後藤良次が上申書殺人事件とは別の事件により逮捕されてしまったことで、三上静男が後藤良次に報酬を支払う約束を破棄し、結果的にそれは叶うことはありませんでした。

上申書殺人事件に至る経緯

そもそも、なぜこの事件は上申書殺人事件と呼ばれているのでしょうか。簡単に言うと、実行犯の後藤良次が、首謀者の三上静男を告発するために上申書を提出したからです。つまり、「三上静男は共犯である」ということを発表したということです。後藤良次は仲間であるはずの三上静男の悪事を、なぜ公表することにしたのでしょうか。

詳しくは後ほど生い立ちをご説明いたしますが、後藤良次は三上静男に出会う前から数々の犯行を積み重ねてきました。後藤良次は度重なる犯罪の罪を刑務所で償ったのち、茨城県に移り住みました。その後、不動産ブローカーをしていた三上静男と出会い、三上静男に教えを受けながら不動産ブローカーとして多額のお金を稼ぐようになったのです。

そこから後藤良次は三上静男のことを「先生」と呼び慕うようになりました。そして、先生こと三上静男が首謀した殺人事件を、後藤良次が実行することで後藤良次に報酬を支払うという約束を交わしていましたが、報酬を受け取る直前に後藤良次が別の刑事事件で逮捕されてしまいます。

この逮捕がきっかけで、三上静男は後藤良次に対する報酬の支払いを一方的に破棄しました。また、後藤良次は三上静男に舎弟の世話を頼んでいましたが、その舎弟が自殺をした際、舎弟の財産も先生こと三上静男によって処分されました。

この2つの出来事がきっかけで、後藤良次は三上静男に対し怒りを向け、上申書で三上静男を告発しました。これが上申書殺人事件と呼ばれる経緯です。

上申書殺人事件の概要

上申書殺人事件の経緯は、後藤良次が先生と慕う三上静男を告発するという裏切りの形によって明るみになった事件です。次に、上申書殺人事件の概要をご説明していきます。後藤良次は三上静男から、犯行の手伝いをすることで報酬を受け取る約束をしていましたが、その約束が果たされる前に逮捕されました。

しかし、その逮捕は上申書殺人事件の手伝いをしたことによるものではなく、後藤良次が単独で行った「宇都宮監禁殺人事件」という事件によるものでした。後藤良次はこの事件によって死刑判決が確定し、死刑囚となります。

その後、報酬を受け取る約束が破棄されたことと、面倒を頼んでいた舎弟が自殺し、財産を三上静男が処分したことがきっかけで、先生こと三上静男が首謀した3つの事件について、後藤良次が上申書を提出しました。このことから上申書殺人事件と呼ばれるようになります。

そして、この上申書殺人事件に関わっている3つの事件が「石岡市焼却事件」「日立市ウォッカ事件」「茨城市生き埋め事件」の殺人事件です。「石岡市焼却事件」は三上静男と被害者との間の金銭トラブルが原因で起きた事件です。三上静男がネクタイで被害者の首を締め殺害した後、焼却場で遺体を燃やしました。

「日立市ウォッカ事件」は三上静男がかねてより借金をしていたカーテン店経営者を軟禁し、高アルコール濃度のウォッカを飲ませて殺害したという事件です。

「茨木市生き埋め事件」は三上静男が資産家の男性を拉致し、生き埋めにして殺害したという事件です。この事件により、三上静男は大金を手にしました。これらの事件の詳細については後述しますが、すべてお金絡みであることがわかります。このことから、三上静男はお金のためなら平気で人を殺してしまうような人物であることがわかります。

後藤良次による宇都宮監禁殺人事件とは

上申書殺人事件は「石岡市焼却事件」「日立市ウォッカ事件」「茨城市生き埋め事件」の3つの事件が関わっていることをご説明しました。ここから、上申書殺人事件の3つの事件について詳細をご説明していきますが、その前に後藤良次が逮捕され、死刑判決を受けた「宇都宮監禁殺人事件」について概要をご説明していきます。

宇都宮監禁殺人事件の詳細

上申書殺人事件の詳細をお話する前に外せないのが、後藤良次が死刑判決を受けた宇都宮監禁殺人事件です。ここからは、宇都宮監禁殺人事件の詳細についてご説明していきます。宇都宮監禁殺人事件は三上静男は関係なく、後藤良次が仲間と起こした事件です。

茨城県常陸太田市に住む、後藤良次の知人である斎藤正二さんにメンツを潰されたと激怒し、当時仲間であった小野寺宣之と共に斎藤正二さんに暴行を加えました。その後、斎藤正二さんの手足を縛った状態で栃木県北部那須郡那須町を流れる那珂川に投げ込み、殺害しました。

また、栃木県宇都宮市内のとあるマンションに住んでいた被害者・小堀展史さんの自宅に後藤良次・小野寺宣之と他3人の計5人が侵入し、小堀さんとその場にいた仲間3人の計4人の手足を縛り、監禁しました。

監禁した4人に非常に高濃度の覚せい剤を投与し、急性薬物中毒で小林潤美さんが死亡しました。小林潤美さんの殺害後、残りの3人に対しては刃物で胸や他数カ所を刺したのち、部屋に灯油をまき、放火しました。後藤良次らがその場から逃走した後、被害者の男性が消火したことで、3人とも死は免れたものの重軽傷を負いました。

宇都宮監禁殺人事件の後藤良次に死刑判決

ここまで、宇都宮監禁殺人事件の概要をご説明してきました。宇都宮監禁殺人事件により、後藤良次は死刑判決を受けることになります。後藤良次の生い立ちについては後述しますが、後藤良次はこれまでも数多くの犯罪を犯してきました。

数多くの犯罪歴があり、宇都宮監禁殺人事件で2人もの人間を殺害したとなれば、死刑判決を受けてもおかしくはありません。宇都宮監禁殺人事件の死刑判決により、後藤良次の犯罪に満ちた人生に終止符を打たれることになりました。

この判決は上申書殺人事件で三上静男を告発するという、一見すれば良いことをしたにも関わらず、覆ることはありませんでした。

小野寺宣之には無期懲役の判決

また、宇都宮監禁殺人事件で後藤良次と共に罪を犯した小野寺宣之にも、もちろん判決が下ります。小野寺宣之には無期懲役の判決が下されました。小野寺宣之についてはあまり詳しい情報はありませんでしたが、暴力団の元組員だったこともあり、これまでも数々の犯罪を犯してきたのかもしれません。

なお、小野寺宣之も上申書殺人事件に多少なりとも関わっていますが、判決などの詳しいことは情報としてありませんでした。

上申書殺人事件で三上静男・後藤良次が起こした3つの事件

ここまで、書籍や映画『凶悪』のモデルとなった上申書殺人事件の概要や経緯、後藤良次が死刑判決を受け、約束を破った三上静男を告発するきっかけとなった宇都宮監禁殺人事件について見てきました。宇都宮監禁殺人事件は2人もの人間が殺害された凶悪な事件でしたが、上申書殺人事件の3つの事件は一体どのような事件なのでしょうか。

ここからは、上申書殺人事件の3つの事件である「石岡市焼却事件」「北茨城市生き埋め事件」「日立市ウォッカ事件」について具体的にご説明していきます。

①石岡市焼却事件

上申書殺人事件のひとつ目の事件となるのが石岡市焼却事件です。事件が発生したのは1999年11月中旬頃のことでした。先生こと三上静男がネクタイで男性の首を締めて殺害します。金銭トラブルによるものでした。その後、茨城県石岡市にある自身の会社まで遺体を運び、敷地内の焼却場で廃材と一緒に焼いたという、残虐極まりない事件です。

被害者の男性は推定60歳台ということと、苗字しかわからず、そのほかの情報はなかったそうです。焼かれてしまったことによって遺体が残っていないことに加え、身元確認も非常に困難な状態でした。そのため、証拠不十分となり、三上静男が起訴されるには至りませんでした。

②北茨城市生き埋め事件

上申書殺人事件の二つ目の事件となるのが、北茨城市生き埋め事件です。1999年11月下旬に、先生こと三上静男が埼玉県大宮市に住む資産家男性を水戸市の駐車場で拉致します。北茨城市にある三上静男の所有地に穴を掘り、生き埋めにして殺害したのです。被害者の男性が所有していた土地は一度、三上静男名義になりましたが、すぐに売却します。

これにより、三上静男は莫大な金額を手にしました。被害者の男性の身元は特定されており、男性の住民票移動や土地登記の移動も上申書の通りに裏付けられています。しかし、三上静男の所有地に埋めた男性の遺体が見つからなかったことに加え、男性に身寄りがなく、DNA鑑定などによる本人確認が難しいという問題もあったため、不起訴となっています。

三上静男が遺体を移動させたのか、そういったことも一切わかっていません。

日立市ウォッカ事件

上申書殺人事件の最後となるのが、日立市ウォッカ事件です。2000年7月中旬のことです。犠牲になったのは、先生こと三上静男が以前から借金をしていた、茨城県阿見市のカーテン店経営者でした。日立市内の事務所で軟禁状態に置き、1ヶ月に渡って大量のアルコールを与え続けたのです。

2000年8月には高濃度アルコールのウォッカを飲ませ、病死に見せかけて殺害しました。被害者の男性は、以前より糖尿病と肝硬変を患っていました。その体調悪化を狙えば、アルコールを与えて死亡させることができるのではないかと考えての犯行です。被害者の男性を殺害後、三上静男は遺体を七会林下赤沢の山中の林道に運んで遺棄しました。

この男性の殺害は、驚くべきことに被害者男性の妻や娘、娘婿から依頼されたものでした。保険金が目当てで、三上静男に殺害を依頼したという凶悪な事件です。

警察は当初、「事件性はなし」と処理していましたが、三上静男の逮捕後、被害者家族が容疑を認めました。被害者家族の証言と上申書の内容が一致したため、上申書殺人事件の3つの事件の中で唯一、告訴となっています。この事件により母親と娘が懲役13年、娘婿が懲役15年の判決を受けました。

上申書殺人事件の犯人・後藤良次の生い立ち

ここまで、書籍や映画『凶悪』のモデルとなった上申書殺人事件の概要や、後藤良次が死刑判決を受けるきっかけとなった宇都宮監禁殺人事件についてご説明してきました。死刑判決となった後藤良次はこれまでどのような人生を歩み、なぜこのような犯罪に満ちた人生を送ることになってしまったのでしょうか。

ここからは、その後藤良次の生い立ちについてご説明していきます。

16歳で暴力団組員になる

後藤良次は幼い頃から数々の犯罪を犯してきました。最初の犯罪は14歳のとき、窃盗や暴力行為などを犯しています。そして16歳の時に暴力団の幹部と繋がりができ、その後、暴力団の組員になりました。そこから17歳には窃盗や器物損壊を犯し、中等少年院に入ります。

さらに19歳には器物損壊により特別少年院に入り、20歳には傷害と公務執行妨害で逮捕されます。その刑務所の職員とトラブルや乱暴を起こし、懲役1年4ヶ月の判決を受けます。それに止まることなく、22歳では窃や器物損壊、住居侵入などの罪を犯し、逮捕されます。

このように、後藤良次は幼い頃から暴力団に所属し、罪を重ねる生い立ちでした。しかし22歳の時に、所属していた暴力団が解散します。後藤良次は暴力団の組員ではなくなりますが、23歳の時、再び今度は恐喝で逮捕されています。後藤良次は暴力団に所属していなくても、罪を犯す人間であったことがわかります。

しかし、後藤良次は23歳の時に違う暴力団に入り、組の水戸支部の支部長になるなどの活躍をみせます。そして、31歳の時に対立する暴力団の組長を射殺し、ついに殺人を犯します。この事件では、逮捕されるも不起訴処分になっています。

その後、後藤良次は暴力団を抜け、自分の組を構えて組長になりました。このように、後藤良次は常に暴力団との関わりを持ち、犯罪を犯し続けています。懲りずに罪を重ね続けた後藤良次は、35歳の時に4年間、福島刑務所に服役していました。39歳で仮出所し、茨城県に移り住んだ後に、40歳の時に先生こと三上静男に出会いました。

そして41歳、42歳の時に上申書殺人事件の3つの事件の手伝いをし、同じく42歳の時に宇都宮監禁殺人事件を犯し、逮捕の後に死刑判決を受けています。

先生こと三上静男との出会い

後藤良次が先生こと三上静男と出会ったのは後藤良次が40歳の時です。後藤良次は三上静男の指導のもと、不動産ブローカーとしてかなりの金額を稼いだことをきっかけに、三上静男の事を先生と呼び慕うようになりました。このことから、2人の間には深い信頼関係があったと考えられます。

そんな後藤良次が三上静男を告発したのであれば、後藤良次は三上静男のことをどうしても許せなったのでしょう。

「新潮45」の記者に三上静男を告発する内容の取材を依頼

三上静男の犯行の手伝いをした後、後藤良次は宇都宮監禁殺人事件によって死刑判決を受けます。その後、三上静男の告発を考えた後藤良次は、雑誌『新潮45』の記者、宮本太一に手紙を出すことにしました。三上静男が犯した犯罪の全てを手紙に記すことにしたのです。正義感が強かった宮本太一は、上申書殺人事件の真偽を確かめるため取材を開始しました。

取材期間は8ヶ月と、かなり念入りな取材が行われました。通常なら死刑囚が自ら事件について語ることはあり得ず、普通の記者であればきっとすぐに報道してしまうことでしょう。

しかし、正義感が強かった宮本太一は決して中途半端な状態で報道はせず、しっかりと真相を明らかにすることに全力を注ぎました。最初は動かなかった警察も、最終的には宮本太一と連携し、事件の解決に励みました。上申書殺人事件はこの宮本太一の強い正義感があったからこそ解決した事件であると言えます。

上申書殺人事件の犯人・三上静男(先生)の生い立ち

後藤良次の生い立ちの次は、先生こと三上静男の生い立ちを見ていきます。三上静男は本当に上申書殺人事件のような凶悪な犯罪を犯すような人物だったのでしょうか。地元での評判はどうだったのか、生い立ちだけでなく仕事や人格についても見ていきます。

三上静男の生い立ちについては幼少期からの情報はなかったため、大人になってからの生い立ちについてご説明していきます。

不動産ブローカーを生業としていた

先生こと三上静男は不動産ブローカーを生業としていました。不動産ブローカーとは、宅地建物取引業者の免許を持っていないにも関わらず、不動産取引を行っている存在のことを言います。駅前などにある不動産屋の仕事を、無免許の個人が行っているというイメージで問題ありません。

もちろん無免許のままでは犯罪になるので、不動産取引の話があったときには間に不動産業者を介入させ、代わりに取引をしてもらい、その業者からお金をもらうということが多いようです。そして、三上静男はこの不動産ブローカーを生業としていました。

三上静男は窃盗や殺人など、一般的イメージされるような大きな犯罪は犯していません。そのような情報もありませんでした。しかし、不動産ブローカーという、一歩間違えれば逮捕されてしまうような危険な仕事をしていたということは、あまり犯罪に対しても抵抗がないのかもしれません。

そして、この不動産ブローカーのノウハウを後藤良次に与えることで、先生と呼ばれるほどの信頼関係を手にしたのです。意図せずそうなったのか、自分が計画した犯行を手伝わせるために信頼関係を構築したのかははっきりしていません。

人格者として認知されていた

上申書殺人事件のことや不動産ブローカーを生業にしているなど、これだけ見ると三上静男は極悪人のように思えますが、周りからの評判はそうではありませんでした。三上静男は顧客に対して仕事の話だけでなく、個人的な相談に乗ったり、失業者に対して格安で住める物件を紹介したりと、周囲からは人格者として知られていました。

不動産ブローカーをしている時点で人格者とは言えないかもしれませんが、後藤良次だけでなく、周囲からも先生と呼ばれていてもおかしくはありません。三上静男は表は仕事だけでなくプライベートでも頼られる人格者、裏はお金のために人を平気で殺害する冷酷な犯罪者の顔の二面性を持っている人物でした。

後藤良次の死刑判決後・現在は

ここまで、上申書殺人事件の概要や後藤良次の生い立ち、三上静男の生い立ちについてご説明してきました。ここからは、現在とその後に注目します。

宇都宮監禁殺人事件で死刑判決を受けた後藤良次ですが、上申書殺人事件で三上静男を告発してもその死刑判決が覆ることはありませんでした。後藤良次は現在どうしているのでしょうか。

現在は東京拘置所に収監されている

宇都宮監禁殺人事件で逮捕され死刑判決を受け、上申書殺人事件でも死刑判決が覆ることはなかった後藤良次ですが、現在は東京拘置所に収監されているそうです。死刑判決を受けたので、すでに死刑になっているかと思いきや、現在でも服役中のようです。上申書殺人事件で唯一、告訴となった日立ウォッカ事件で後藤良次は懲役20年を言い渡されました。

その20年の服役を終えてから死刑を受けることになったのかもしれません。

取材前に内縁の妻と完全に縁を切っていた

後藤良次の生い立ちから数々の犯罪歴を見てみると、極悪非道の犯罪者のように見えますが、実は意外な一面もあります。実は後藤良次には内縁の妻がいたのです。内縁の妻とは、本人たちは婚姻の意志を持って共同生活を送っていますが、法的な手続き(婚姻届け)をとっていない場合の女性のことです。

後藤良次は宇都宮監禁殺人事件で逮捕され、上申書を提出する際、「自分のどうしようもない人生に巻き込みたくなかった」という理由で、内縁の妻との縁を完全に切りました。内縁の妻は、後藤良次が死刑囚となってからも何度も面会にきましたが、後藤良次は巻き込まないためにすべて断っていたようです。

後藤良次は内縁の妻と縁を切ることで身元引受人がいなくなりましたが、そんなことなど気にしないほど固い決意と内縁の妻に対する愛情があったのでしょう。

三上静男(先生)のその後・現在は

ここまで、上申書殺人事件の片棒を担いだ後藤良次のその後と現在をお伝えしてきました。現在でも刑務所に服役しており、いずれは死刑が待っています。それでは次に、上申書殺人事件の黒幕とも言える、先生こと三上静男の現在とその後をお伝えします。

現在も無期懲役を受けている

上申書殺人事件で三上静男は無期懲役の判決を受けました。どこの刑務所に服役しているかは不明ですが、現在でも刑務所で罪を償っているようです。なお、無期懲役とは期限がない懲役刑のことで、日本では死刑の次に重い判決とされています。

無期懲役と聞くと「一生刑務所から出られない」というイメージを持たれることが多いですが、そんなことはありません。「一生刑務所から出られない」のは終身刑であり、無期懲役は服役の期限がないです。つまり無期懲役であれば刑務所での態度が良ければ、刑務所から出られる可能性はあります。

しかし、無期懲役は「期限がない」ため、刑務所から出ることができても、それは仮釈放となります。仮釈放となれば、保護観察所に月に2回ほど行かなくてはなりません。常に警察に監視されているわけではありませんが、生活はある程度制限されてしまいます。

三上静男が逮捕された具体的な日にちや、いつ無期懲役の判決が言い渡されたかはわかりませんでしたが、出所したという情報もなかったため、現在でも刑務所にいることでしょう。刑務所に入ってからその後の情報は入手できませんでした。しかし、無期懲役の判決なので、刑務所での態度次第では刑務所から出所することも十分あり得ることでしょう。

三上静男は典型的なサイコパス?

周囲からは非常に評判の良かった三上静男ですが、一連の犯罪歴を見ると「サイコパスではないか」と疑わざるを得ません。サイコパスとは、「反社会的パーソナリティー障害」という精神病者のことで、一般の人と比べると大きく偏った考え方をしていたり、偏った行動をとる精神病です。

サイコパスの主な症状として、他人への愛情や思いやりが大きく欠落していたり、自己中心的だったり、道徳観念や倫理感、恐怖を全く感じないなどがあります。サイコパスというと凶悪殺人犯などをイメージしますが、決して悪い意味だけではなく、仕事で優れた成果を出す人や、医者にもサイコパスと言われる人は多くいます。

サイコパスの特徴としては、主に「表面上の口は達者」「良心が欠落している」「平気で嘘をつく」「罪悪感を感じない」「自己中心的」「刺激を求める」などがあり、この他にも多くあります。三上静男はサイコパスではないかと言われていますが、後藤良次はどうなのでしょうか。

後藤良次も数々の犯罪を犯した凶悪な犯罪者ではありますが、サイコパスの特徴に当てはまるかと言われると、そうではありません。すでに紹介した通り、後藤良次が三上静男を告発したきっかけにはいくつかのポイントがありました。

まず、後藤良次が宇都宮監禁殺人事件で死刑判決を受けたことにより、三上静男が報酬の支払いを一方的に破棄したことです。また、三上静男に面倒を頼んでいた舎弟が自殺した際、その舎弟の遺産が三上静男によって処理されたこともありました。これらに怒りを感じた後藤良次は、三上静男を告発することにしたのです。

後藤良次は舎弟を大事に思っていたからこそ、三上静男が許せなかったのです。また、後藤良次は三上静男を告発する際、内縁の妻を巻き込まないために、身寄りがなくなることもいとわず縁を切るなどのこともしています。こちらも、内縁の妻を大事に思っていたからこそできた行動です。

それでは、上申書殺人事件の首謀者である三上静男は本当にサイコパスなのでしょうか。実は、後藤良次の証言の中に、三上静男の虚言癖について証言がありました。サイコパスには「平気で嘘をつく」という特徴があるので、これは当てはまります。

また、上申書殺人事件の3つの事件は全てはお金絡みです。中には、借金をしているにも関わらず、それをチャラにしたいがために殺人を犯した事件もあります。

自分にお金を貸してくれた相手を簡単に殺してしまうような心理状況は、「罪悪感を感じない」というサイコパスの特徴に十分すぎるほど当てはまります。また、自分さえ良ければ他人はどうでも良いという「自己中心的」というサイコパスの特徴にも当てはまります。

日立市ウォッカ事件では、被害者の家族からの保険金目当てによる動機、三上静男は借金がチャラになるというメリットがありました。しかし、それだけでは満足できず、被害者の家族からもお金を巻き上げています。これは自己中心的に当てはまるでしょう。

さらに、上申書殺人事件の「石岡市焼却事件」「北茨城市生き埋め事件」「日立市ウォッカ事件」の3つの事件は、全てお金が絡んでいることがわかります。三上静男は、お金のためなら平気で人を殺してしまうような心理状況であったのではないでしょうか。

また、北茨城市生き埋め事件では生きたまま地面に埋め、唯一告訴となった日立市ウォッカ事件ではまるで拷問するかのようにアルコールを与え続けていました。この拷問のような行いをすることで、刺激を求めていたのでしょう。こちらの「刺激を求める」もサイコパスの特徴に当てはまります。

拷問に刺激や快感を感じるのは、凶悪な心理状況であり、典型的なサイコパスではないかと言えます。さらに、三上静男は周囲の評判はとても良いとお伝えしました。しかし、後藤良次の証言の中には虚言癖があるという証言もあります。つまり、表向きには近所の人々に言葉巧みに寄り添うも、それは本心ではなく嘘であることがわかります。

これはサイコパスの「平気で嘘をつく」という特徴に加え、「表面上の口は達者」という特徴にも当てはまります。このように、三上静男は多くのサイコパスの特徴に当てはまります。典型的なサイコパスと言われるのも納得です。

上申書殺人事件は記者により暴かれた

本記事では上申書殺人事件という凶悪な事件の概要や経緯、上申書殺人事件に関連する宇都宮監禁殺人事件や後藤良次と三上静男の生い立ちや現在、その後まで、上申書殺人事件に関する全てのことをご説明してきました。一見すると、事件を明るみにしたのは「後藤良次の裏切り」がきっかけだと思われがちですが、それだけではありません。

後藤良次が手紙を送った『新潮45』の記者、宮本太一による功績も大きいと言われています。宮本太一が自分の出世欲により、すぐに事件を公表していたら、まったく違った結末になっていたはずです。しかし、宮本太一はそのようなことはせず、上申書殺人事件の凶悪性にいち早く気づき、時間をかけて丁寧に取材をしていきました。

それにより、三上静男の悪行を暴くことができたのです。この上申書殺人事件は映画『凶悪』のモデルになっています。現在はDVDもあるので、興味がある方はぜひ見てみてはいかがでしょうか。

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