大信田礼子の今現在!都倉俊一との離婚理由や夫・子供は?相棒・出演ドラマも紹介
大信田礼子はスラリとした身長で1960年代の女優として有名です。そんな大信田礼子の今現在や、沢田研二とのエピソード、元夫である都倉俊一との離婚騒動、映画主題歌だった『同棲時代』、テレビドラマ『相棒』の秘話などを含め大信田礼子についてご紹介していきます。

目次
大信田礼子のプロフィール
・本名:大信田 礼子
・生年月日:1948年9月15日
・現在年齢:70歳
・出身地:京都府京都市
・血液型:B型
・身長:170㎝ぐらい
・活動内容:女優、歌手
・事務所:長良グループ
・家族構成:独身
大信田礼子の経歴
大信田礼子は1966年ミス10代コンテストの世界大会で優勝し、同年NHKの『太郎』でドラマデビューをします。その後も抜群のスタイルからアクション映画など多数の映画に出演しました。また1970年には『女の学校』でCBSソニーから歌手デビューを果たします。大信田礼子の歌で有名なのが由美かおる主演映画の主題歌『同棲時代』です。
大信田礼子自身もこの映画に出演しています。テレビでは1969年から放送された『プレイガール』に出演し、お茶の間の人気番組になりました。その後2013年には水谷豊主演の『相棒』にもゲスト出演しています。そして現在では舞台公演を中心に活躍しています。
アメリカのミスコンで優勝経験有り
大信田礼子は身長が高く、プロポーションの良さとルックスの良さも相まって、京都府立鴨沂高等学校在学中の1966年にアメリカで行われた10代女王コンテスト世界大会でなんと優勝しています。それがきっかけでNHKの『太郎』というドラマで芸能界デビューを果たしました。
その後大信田礼子は、順風満帆に映画やテレビ、歌手としても活躍することになります。そんな大信田礼子ですが、実は歌手の沢田研二と同級生だったと言う事です。
沢田研二と小中高の同級生だった
大信田礼子は、小中高校と歌手の沢田研二と同級生だったそうです。有名で人気もある大信田礼子と沢田研二の2人が幼馴染みということで、デビュー後は周りの生徒たちも勉強どころではなかったのではないでしょうか。沢田研二は時々コンサートキャンセルなどで話題にもなっていますが、今でも活発な歌手活動をしています。
また、大信田礼子は当時抜群のプロポーションを誇っていて、高校の時には身長もかなり伸びたそうです。
高校生のときに身長が8㎝伸びて急成長
沢田研二と幼い頃から同学校の同級生だったということも驚きですが、もっと驚くべきは大信田礼子の身長です。なんと高校生のときに8cmも身長が伸びたと言う事が話題になりました。
女性はだいたい中学生である程度の身長の成長は終わることがほとんどの中、高校で8cmは記録的ではないでしょうか。今も大信田礼子の身長は非公開のままですが、170cm位はあると推定できます。
大信田礼子の出演作品とは?
1967年以降の大信田礼子は、数々の映画やドラマに引っぱりだこでした。最初に大信田礼子がテレビドラマで出演したのが『旅がらすくれないお仙』です。
その後1969年から始まった『プレイガール』は、ヒット番組となっています。また1970年に放映された映画『ずべ公番長』シリーズでは、「バクシャリ」(むぎめしのこと)という言葉を流行させる人気となりました。ここからは、大信田礼子の出演作品をご紹介します。
ドラマ「旅がらすくれないお仙」
『旅がらすくれないお仙』では、大信田礼子は女スリ・お銀の役で出演しており、1968年10月から1969年9月まで合計52シリーズの番組が東映チャンネルで続きました。主役はボンカレーのCMでおなじみの松山容子です。松山容子扮する鳥追女と大信田礼子扮する女スリの旅の珍道中をコミカルに描いた作品でした。
現在は撮影されたほとんどのフィルムが行方不明になっているということですが、2015年に東映より唯一残っていた第5話を収録したDVDが発売されています。
ドラマ「プレイーガール」
『プレイガール』は1970年に、東京12chで始まりました。大信田礼子は第51話で初登場し、武芸百般という役でジーンズにノーメイクと言ういでたちが当時話題となりました。
大信田礼子の母親は厳格な母であったため、衣装がミニスカートで下着が見える恐れがあると、母親が心配したというエピソードもあります。実際に母親は撮影中にホットパンツを購入してきたそうで、それを履いて撮影していたのだそうです。
映画「ずべ公番長」シリーズ
『ずべ公番長』は『プレイガール』のあとに放映された作品です。大信田礼子を筆頭に当時の若手女優が一同に揃い、ノーブラ、シースルーのいでたちが話題になりました。この時の大信田礼子の仁義を切るセリフ「生まれは横浜、育ちは孤児院。北は北海道、南は九州まで、女だてらに全国を練り歩き、付いた通り名はハマぐれおリカ」が有名になりました。
大信田礼子は歌手としても活躍していた
大信田礼子は、1970年に『女の学校』という歌でCBSソニーから歌手デビューしていました。その後1973年に放映された由美かおる主演の映画『同棲時代 今日子と次郎』でも主題歌である『同棲時代』をリリースしました。この歌で大信田礼子自身も歌手として有名になりました。
「女の学校」で歌手デビュー
大信田礼子の歌手としてのデビュー曲が『女の学校』です。なかにし礼作詞、鈴木邦彦作曲、森岡賢一郎編曲で、B面に『あなたの女』という曲が収録されていました。当時はレコード盤で販売されていましたので、A面・B面と裏表で聞けるものでした。
映画の主題歌「同棲時代」は大ヒット
1973年2月21日にリリースされた大信田礼子の大ヒット曲『同棲時代』ですが、元は上村漫画のアルバム『同棲時代 春・夏・秋・冬 〜上村一夫の世界〜』の収録曲の中の一つでした。それを『同棲時代 今日子と次郎』の映画に合わせてシングルカットして発売されています。
歌自体そんなに上手いと感じるイメージはなかったものの、大信田礼子の雰囲気が歌手として成功させた要因であることが大きかったのではないでしょうか。
歌手としての人気も高かった
そんな大ヒット曲『同棲時代』をリリースしてからは歌手としても順調に人気が出てきました。『同棲時代』をリリースした同じ年に『愛の暮らし-同棲時代-』もリリースし、これも大ヒット曲になりました。
その後アルバム『同棲時代 - LOVES SWEET ERRORS -』『愛のくらし-同棲時代 - 今日子と次郎のゆくえ-』なども発売し、この頃になると大信田礼子の歌手人生は安定していました。しかし歌手としてはここで最後になります。これをきっかけに作曲家の都倉俊一と結婚し、波乱万丈な大信田礼子の人生が始まります。
大信田礼子の夫都倉俊一との離婚理由は?
1974年に『同棲時代』を作ったのをきっかけに都倉俊一と結婚し、芸能界から引退した大信田礼子ですが、1978年に離婚して芸能界に復帰することとなります。プレイボーイだった都倉俊一は大信田礼子にプロポーズするも、手帳に女の子の連絡先がたくさん書かれていたことからプロポーズを拒否されたのでした。
その後都倉俊一は大信田礼子の目の前でその手帳を燃やした事で、結婚に至ったと言われています。しかしこんな二人がなぜ離婚の道を選んだのでしょうか。
1974年に結婚するも4年後に離婚
わずか4年足らずの結婚生活に幕を閉じてしまった大信田礼子と都倉俊一ですが、どういう理由で離婚したのかは公式には発表されていません。売れっ子女優兼歌手の大信田礼子と売れっ子作曲家の二人の事なので、離婚理由は様々考えられます。一説では、都倉俊一の「マザコン」説がありますが、果たして本当なのでしょうか。
離婚理由は都倉俊一のマザコン?
大信田礼子と都倉俊一の離婚理由は未だに謎ですが、巷のうわさでは都倉俊一の「マザコン」ではないかという理由が有力視されています。男性が生まれもってマザコンであることはしょうがないのかもしれませんが、程度があります。どこまで過剰なマザコンだったのかは知る由もありません。
現代にはもっとたくさんのマザコン男性が出現しているかもしれませんが、果たしてそれだけが理由なのでしょうか。大信田礼子にも何かしらの理由があることは否めません。
2人の間に子供はいない
大信田礼子と元夫の都倉俊一には子供がいません。どうして子どもを作らなかったのかわかりませんが、結婚して3~4年は相性が悪いと子供が出来ない場合もありますので作らなかったというわけではなかったのかもしれません。子供を授かる前から、既に大信田礼子と元夫・都倉俊一の関係は冷めてしまっていた可能性もあります。
また子供ができない病気である可能性も考えられます。いずれにせよ離婚した現実があるので、子供は出来なくて良かったのかもしれません。
大信田礼子の今現在は?
今現在、大信田礼子は69歳になり、一人で暮らしているようです。フクロウが大好きということで、フクロウのお店に通ったり趣味に勤しむなど、一人の生活を満喫している様子です。
大信田礼子はきれいな方なので再婚もありかなと考えてしまいますが、元夫の都倉俊一との結婚生活でよほどの事があり二度と結婚しないと誓ったのでしょうか。
現在は女優として舞台を中心に活躍中
今現在の大信田礼子は、舞台を中心に活動しているということです。写真を見ると、とても落ち着いた雰囲気のあるやさしい女性になっていました。
若い頃のスタミナ溢れる活発なイメージとは程遠い印象になっていますが、年齢に見合った素敵な女性になっています。生活が安定している証拠なのでしょう。
女優復帰作はなんとあの「相棒」!
2013年の『相棒12』の第9話、「かもめが死んだ日」に大信田礼子が唯井紀代美という役で出演していたのをご存知でしょうか。『相棒』に出演後はドラマ出演はなく、この『相棒』が最後になっています。
現在は独身で再婚はしていない
先ほどもお話しましたが、大信田礼子は再婚をしていないようです。若いころはスタイル抜群の憧れの女性、そして今現在は穏やかな顔立ちの壮年の女性、どちらをとってもとても素敵な女性です。大信田礼子の今後の活躍を期待しましょう。
大信田礼子は現在も女優活動を続けていた
若い頃のミスコン優勝から大信田礼子の人生は幕を切って落とされました。女優の素質たっぷりの大信田礼子は、沢田研二と小中高と同級生でした。ミスコンを期に様々な映画やドラマに出演し、歌手としても名を馳せましたが、元夫の都倉俊一との結婚で一時は芸能界から引退し、4年後の離婚で復帰しました。
子供は儲けず今現在も独身生活を送りながら舞台を中心に活動しているバイタリティ溢れる大信田礼子です。今後はドラマなどで活躍してほしいと願っているファンの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
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