女子高生コンクリート詰め殺人事件の詳細!犯人や被害者のその後・現在は

1988年の冬、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」が発生しました。女子高生コンクリート詰め殺人事件の詳細から、加害者や被害者のその後、犯人の家族についても紹介します。また、この事件を題材にした映画や、犯人たちの出所後の再犯の噂に関しても調査します。

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目次

  1. 1女子高生コンクリート詰め殺人事件の詳細
  2. 2女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者
  3. 3女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人たち
  4. 4女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者の親
  5. 5女子高生コンクリート詰め殺人事件をめぐる裁判とその後
  6. 6事件を題材にした映画や漫画
  7. 7女子高生コンクリート詰め殺人事件の風評被害に遭った芸能人たち
  8. 8女子高生コンクリート詰め殺人事件が示す凶悪化する少年犯罪

女子高生コンクリート詰め殺人事件の詳細

女子高生コンクリート詰め殺人事件は、少年が起こした戦後最悪の犯罪と言われています。事件が毎日のように報道されていた当時、世間からは事件の内容があまりにも凄惨なため、犯人たちに対して極刑を望む声が多く上がっていました。現在でも酷すぎる事件として語り継がれ、人々を恐怖させていることを考えると、どれほどの大事件だったのかが伺えます。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の凄惨な犯行内容や犯人たちの行動を、事件の発端から結末まで、詳しく見ていきましょう。

拉致して監禁

1988年11月25日の夕方、加害者の宮野祐史と湊伸治は金銭を目的としたひったくりをしようと、埼玉県三郷市内を原付バイクで走行していました。しばらく徘徊して見つけたのが、自転車に乗ってアルバイト先から帰宅しようとしていた女子高生、後に被害者となってしまう古田順子さんでした。

宮野は湊に少女を蹴飛ばすように指示し、湊はそれに従い自転車もろとも古田順子さんを転倒させました。湊が去った後、宮野は少女に近づき「危ない奴にからまれないように保護してやるから一緒に帰ろう」と湊とは他人であることを装い、古田順子さんを騙して近くの倉庫に連れ込みます。

そして「自分はヤクザだから言うことを聞かないと殺すぞ」と脅し、仲間の車に乗せてホテルに連れ込んで強姦しました。その後、宮野祐史は少女を連れて、小倉譲、湊伸治、渡邊恭史らと合流し、話し合いの末に女性をある場所に拉致、監禁することにしたのでした。ここから女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯行は一気に加速していきます。

強姦や暴行

監禁が始まってから3日後の11月28日深夜、少女を拉致・監禁したメンバーに加えて、不良グループのメンバー2人が合流しました。

そこで加害者らは少女を輪姦したり、殴る蹴るの暴行を加えたりして被害者をもてあそびました。少女はこの悪夢のような場所から脱出するために逃げようとしたり、家族に電話をかけようとしましたが、激しい暴行や脅迫を受け断念します。最初のうちは抵抗を示していた被害者でしたが、監禁の日数が経つにつれて段々と抵抗を示さなくなっていきました。

その後も暴行は延々と続きました。耐えかねた被害者は、全員が寝ている隙を見計らって警察に電話をかけようとしましたが、犯人のリーダーである宮野祐史にみつかってしまいます。それがきっかけとなり、さらに暴力がエスカレートしていきました。

12月に入っても悪夢は続き、犯人たちは被害者に対しての暴行や凌辱を止めませんでした。何度も何度も繰り返される鬼畜の所業に、生きる気力を失った被害者は「殺してほしい」と懇願したこともあるようです。

12月中旬から下旬にかけて与えられる食べ物も少なくなっていき、ついには1日に牛乳1杯だけとなりました。

殺害そして死体遺棄

1989年1月4日早朝、宮野祐史は賭け麻雀で10万円を失ってイライラとしていました。そこで、その腹いせとして監禁している少女をリンチしてスッキリしようという考えに至りました。宮野は小倉譲、湊伸治、渡邊恭史と共に少女の監禁場所へ行き、被害者である少女への暴行を開始します。

殴る蹴るなど、犯人たちによるリンチは2時間に及びました。あまりにもひどい仕打ちでしたが、少女には抵抗する余力もなくされるがままでした。さすがにこのままでは死ぬのではないかと思っていた犯人たちでしたが、途中で手を止めることはありませんでした。

リンチ終了後、加害者の4人は何事もなかったかのようにサウナへ出かけました。拉致・監禁され、1ヶ月間耐え抜いた少女もついに限界を迎え、息絶えてしまいました。

あくる日の5日、監視役だった湊伸治の兄から「少女の様子が変だ」との報せを受けた犯人たちは、警察に犯行がバレるのを恐れ、被害者の遺体をドラム缶に入れてコンクリート詰めにしてしまいました。

最初は近くの川に捨てようという話でしたが、犯人の一人である小倉に「化けて出られたら困る」と言われ、捨てる場所を海へ変更しました。しかし適当な場所がみつからず、そのドラム缶を埋め立て地の草むらに捨てて去っていったのでした。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者

女子高生コンクリート詰め殺人事件はあまりに酷く目を覆いたくなるような内容でした。では、その被害者であり犠牲者となってしまった少女はいったいどのような人物だったのでしょうか。そして、この女子高生コンクリート詰め殺人事件に対する被害者家族の対応も気になるところです。ここからは、そんな被害者関連の事柄について紹介していきます。

古田順子さん

女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者である古田順子さんは、両親に兄弟、本人を含めた五人家族でした。1971年生まれなので、もし2018年現在存命であれば47歳になります。

拉致された当時は高校生で、家電量販店への就職も決まっていたそうです。友人の話では、成績優秀で美人の才色兼備な人物だったということです。友達も多く、葬儀には多くの友人が詰めかけ彼女との別れを惜しみました。

家族が捜索願を取り下げた理由

監禁後、犯人のリーダー格である宮野祐史の提案で、古田順子さんに電話を掛けさせました。掛ける相手は家族や親友で、内容は「家出して友達の家にしばらくいるから、捜索願を出していたら取り消して」というものでした。この電話を聞いた家族や親友は安心し、捜索願を取り下げてしまったのでした。

もしこの時、家族の誰かが娘は本当にただの家出なのか、今どこにいてどういう状況なのかということをしっかりと確認していたら、結果は違うものになっていたのかもしれません。

遺体発見時の体重は35kg

女子高生コンクリート詰め殺人事件が発生する前の被害者の体重は50kg代でしたが、事件後に見つかった際には35kgになっていたそうです。約1ヶ月の監禁の間に15kgぐらい体重が落ちていたことになります。この数字から、被害者がいかに壮絶な仕打ちを受けていたかが分かります。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人たち

女子高生コンクリート詰め殺人事件で何の罪もない女子高生の人生を台無しにし、残虐非道な行為に及ぶような犯人とは、いったいどのような人物だったのでしょうか。加害者たちの生い立ちや人物像を詳しく紹介していきます。

宮野裕史

女子高生コンクリート詰め殺人事件のリーダー格だった宮野裕史は、昭和45年4月30日に葛飾区に生まれました。家族は親と妹の4人家族でした。父親は証券会社に勤務し、母親はピアノの先生をしていたそうです。一見普通でなんの問題もなさそうな家庭ですが、実は夫婦仲が悪く、母親は子どもたちにろくに食事も作ってあげなかったそうです。

宮野は小学生の頃には万引きやケンカなど問題行動をよく起こしていましたが、ある友人との出会いにより、まじめに生きようという意識が芽生えました。

その当時は少年院の院長になるのが夢だったようです。「少年院に入るような人の気持ちが自分には分かる。だから自分には少年たちを立ち直らせる仕事が向いているのではないか」というのがその理由でした。

中学に入り、周囲からのすすめで柔道部に入りました。特別体が恵まれていたわけではなく身長は160cmほどでしたが、練習にしっかりと取り組み活躍を見せました。その活躍により、高校には柔道で推薦入学をしています。しかし一転して、そこからは暗い人生が待っていたのでした。

高校の柔道部は厳しく、先輩や顧問からひどい体罰を受けました。それが引き金となり、だれかれ構わずケンカを売るようになります。家に帰っても暴れまわり、母親の肋骨を折ってしまうほどでした。

その後、高校を中退し一旦は落ち着きを取り戻しました。17歳の時には結婚を考える相手がいたこともあり、自分の将来を考え、まじめにタイル工として働き始めました。

まじめに働いていたある日、ある場所で暴力団員と知り合い、暴力団が関係する花屋でアルバイトをすることになりました。宮野としてはそこで働くことが嫌でしたが辞めるに辞められず、ストレスから逃れるためにシンナーに手を出してしまいました。

だんだんとシンナーに溺れ、数少ない楽しみといえばシンナーを吸うことと強姦することという充実した暮らしとは程遠い生活になってしまったのです。

小倉譲

女子高生コンクリート詰め殺人事件にて宮野裕史を支えるサブリーダー役だった小倉譲は、昭和46年5月11日に生まれました。両親と姉の4人家族でしたが、小倉が小学校3年生だったときに両親が離婚しています。その後は母親に引き取られ、女手一つで育てられました。

その後、中学、高校と進学しましたが、高校はわずか3ヶ月で退学になりました。定時制の高校にも入学しましたがこちらもあまり続かず、ほとんど通わなかったようです。

湊伸治

女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者の一人である湊伸治は、昭和47年12月16日に生まれています。家族構成は両親と兄の4人家族でした。父親は病院で看護師をしており、子どもには厳しいしつけを名目とした体罰を行う人物だったようです。小学校、中学校と順調に進学し、高校は工業系の学校に入学しました。

この頃には父親の体罰もなくなり、代わりに湊伸治が家族に暴力をふるうようになっていきます。

入学した高校は自分に合わなかったのか、2学期途中で中退してしまいました。その頃の湊はかなり荒れており、親に日常的に暴力を振るうような人物になっていました。この暴力により親もなかなか近づけず、湊伸治の部屋はだんだんと荒くれ者のたまり場になっていったそうです。

渡邊恭史

女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者の1人である渡邊恭史は、昭和46年12月18日に生まれました。姉と両親の4人家族でしたが、渡邊が小学生の時に両親は離婚しました。その後は母と姉の3人で暮らしています。工業高校に進学しましたが、すぐに中退となりました。

少年Eと少年F

少年EとFは宮野裕史がリーダーの不良グループの一員でした。EとFは女子高生コンクリート詰め殺人事件の途中から加わり、被害者を暴行、強姦しています。少年Eは宮野祐史、小倉譲、湊伸治の3人にリンチされ、病院送りになったこともあります。Fは事件後、特別少年院に送られました。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者の親

ここまでは、女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者本人たちの生い立ちや人物像を見てきました。複雑な家庭環境やうまくいかない学校生活により、かなり荒くれた者たちの集団ができあがり、その集団によって戦後最大の少年犯罪と言われた事件が引き起こされました。

女子高生コンクリート詰め殺人事件発生当時、加害者の親や家族はどうしていたのでしょうか。自分の家族がニュースで取り上げられているのを見て、初めて事件のことを知ったのでしょうか。知っていたとしたらどうして加害者たちの犯行を止められなかったのでしょうか。ここでは加害者の家族などにについて詳しくご紹介していきます。

監禁場所は湊伸治の家

女子高生コンクリート詰め殺人事件で被害者の監禁場所として使われていたのは、不良グループのたまり場となっていた湊伸治の部屋でした。近くには公園があり、歩いて15分の場所には駅もある閑静な住宅街の一軒家でした。

この部屋で少女を約1ヶ月間にわたって監禁し、犯人たちや犯人たちとつながりのある人物たちによって、暴行や凌辱、強姦が繰り返されていたということです。

ちなみに、湊伸治には自分の他に3人の家族がいて、この家で一緒に暮らしていました。兄は少女の監視役として、少女が逃げないように監視するという役割を与えられていました。ではその他の2人、父親と母親はどうしていたのでしょうか。なぜ息子の部屋で信じられないことが行われていることに気付けなかったのでしょう。

彼女を連れ込んだと勘違いした湊伸治の親

被害者である少女の監禁が始まった12月初め、湊伸治の部屋から悲鳴が聞こえてきました。それに気付いた父親は湊伸治の部屋のドアの前に行き、何をしているのかと問いただしましたが、「うるせぇ」と言われ中には入れてもらえませんでした。このとき父親は、彼女でも連れ込んでいるのだろう程度に思っていたと言います。

その後も湊の両親は家の中で少女に何度か会う機会があったそうです。その都度早く家に帰るように言っていましたが、少女は犯人たちに「勝手に帰ったら家族もろとも殺す」と脅されていたため帰ることはなく、最悪の結末になるまで湊家を出ることはありませんでした。

女子高生コンクリート詰め殺人事件をめぐる裁判とその後

女子高生コンクリート詰め殺人事件で少女の命をもてあそび、残酷な扱いをした加害者たちに対して、国民は怒り、激しく非難しました。

厳罰に処するよう求める声も多く、1989年から1992年にかけて行われた加害者たちの裁判には日本中から注目の目が注がれました。ここからは少年たちにどのような判決が出たのか、そして犯人たちのその後について取り上げます。

軽すぎる判決

1989年から始まった第一審から1992年の渡邊恭史の上告棄却決定まで4年間、加害者4人に対する裁判が開かれました。

1990年5月21日、検察側はリーダー格であった宮野祐史に対して無期懲役を、サブリーダー的存在だった小倉譲に対しては懲役13年、湊伸治と渡邊恭史に対しては、宮野祐史に従って行動していたとして懲役5年以上10年以下の不定期刑を求刑しました。その後、1990年7月20日、第一審判決が出されます。

宮野祐史には「犯行の発端を作り、主導したその罪は大きく、刑事責任は重い」として懲役17年を言い渡しました。小倉譲への判決は「サブリーダー的存在で宮野に従って行動することもあったが、自らの意思で被害者に暴行を加えたこともあった」として、懲役5年以上10年以下の不定期刑を言い渡しました。

監禁場所を提供し、自らも暴行や凌辱を行った湊伸治に対しては懲役4年以上6年以下の不定期刑が言い渡されました。そして宮野らに付き従い、いわれるがまま被害者に暴行を加えていた渡邊恭史に言い渡された判決は、懲役3年以上4年以下の不定期刑でした。

しかしこの判決の量刑に納得できなかった検察は1990年8月1日、4人の被告に対して、東京高裁に控訴することにしました。

控訴した具体的な理由として、少年保護に重点を置きすぎている点、被害者遺族の被害感情の情状より被告人側に有利な情状を過度に重視しており量刑が軽すぎる点、加害者たちが抱いていた殺意の度合いの解釈が軽すぎる点、世間一般の意見として量刑に納得がいかないという意見があり社会が納得する量刑を上級審で考えるのが妥当という点を挙げました。

そして1991年7月12日、東京高裁は被告人らに対して次のような判決を言い渡しました。宮野祐史に対しては罪の責任は重大として懲役20年、小倉譲への判決は第一審判決と変わらず懲役5年以上10年以下の不定期刑となりました。

湊伸治に対して出された判決は、懲役5年以上9年以下の不定期刑になりました。渡邊恭史に対しては懲役5年以上7年以下の不定期刑が言い渡されました。これらが最終判決となり、それぞれの被告の刑が確定しました。

再犯者となった犯人たち

女子高生コンクリート詰め殺人事件の判決が下され、刑罰を受けることになった加害者たちも刑期を終え、再び社会に出てきました。最長で20年の服役を終え十分に反省しているはずの犯人たちでしたが、まったく反省した様子はなく再犯を犯してしまいます。

2013年1月、宮野裕史は反省の色もなく再犯をしてしまいました。振り込め詐欺の受け子をしていた容疑で警察に逮捕されたのです。しかし容疑については黙秘し続け、2013年1月31日付で釈放されました。

小倉譲は2004年5月19日、路上で男性に因縁をつけ、殴ったり蹴ったりしたあげく金属バットで脅迫し、母親が経営していたスナックに拉致・監禁するという事件を起こして再犯者となってしまいました。この再犯により再び4年間の刑務所生活を送ることになります。

判決の際に裁判長は、「再犯をしてしまったことは社会に大きな影響を与えた」「今度こそ更生し、きちんとした再出発を期待する」という言葉を小倉にかけたそうです。

小倉譲の事件から14年3か月後、監禁場所を提供していた湊伸治も再犯してしまいました。2018年8月19日の夕方、車の駐車方法で口論となった相手を警棒で殴り、倒れた相手の首にナイフを刺して逃走します。

その後逃走した湊は発見され、殺人未遂容疑で逮捕され再犯者となりました。刺された男性は一命をとりとめましたが、ナイフがあと5mmずれていたら死んでいたかもしれないそうです。

加害者4人組の最後の1人、渡邊恭史は1996年に刑務所を出た後、再犯をしたという記録は残っていません。

犯人たちの現在

女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者たちは現在どのように暮らしているのでしょうか。普通の市民として平凡に生活しているのか、それとも再犯をして再び刑務所の中で過ごしているのでしょうか。加害者たちの現在の暮らしぶりに迫ります。

主犯格だった宮野祐史は現在、養子縁組をして横山裕史という名前に改名しています。キックボクシングのジムに通っていた横山裕史は羽振りがよく、高級車に乗ったりキャバクラに行ったりして過ごしていたそうです。そのお金はねずみ講に近いマルチ商法で儲けたものでした。その後再犯で逮捕されます。

黙秘を続け釈放されましたが、その後の消息は不明です。噂では現在は関西のどこかにいるとのことですが詳細は分かりません。週刊誌では現在の宮野祐史だとする写真が載せらていますが、それを見る限り現在もどこかで元気に暮らしているようです。

小倉譲は1999年に刑期を終え出所しました。小倉譲も宮野と同じく養子縁組をして、現在は神作譲という名前で生活しています。受刑中に簿記2級と情報処理関連の資格を取得し、パソコンオペレーターの派遣会社に勤めたり、プログラマーをしながら生活していました。

しかし、前科が周りに知られ人間関係に行き詰まった結果、退職を余儀なくされます。その後定職に就くことはなく、暴力団の構成員になりました。また、退職後は母親が経営する飲食店を手伝いながら生活しています。そんな時、前述の通り再犯をしてしまい逮捕されたのです。その再犯では、4年の実刑判決を受けました。

4年の服役を終え2009年に再び出所し、現在に至ります。神作譲は過去に中国人と結婚していたことがありました。日本で働くのは難しいので中国に行こうとしていたのではないかと言われています。しかしその目的は果たせず、現在は離婚しています。

湊伸治はキックボクサーとなったのですが、コンクリート事件の事を非難され続けあまり活躍できずに引退しています。結婚して娘も1人生まれ、しばらくは幸せに暮らしていたようです。しかし、2018年に再犯を犯してしまいました。再犯時は無職で一人暮らしだったそうです。

近所に住んでいた住民たちの話では湊伸治は定職に就いている様子ではなく、悪い目つきをしていて服装もだらしなく、奇声を発しながら歩いているのをよく見かけていたそうです。そのため、あまり近づかないようにしていたということです。

渡邊恭史は出所後、引きこもり状態となりました。再犯をするでも働くでもなく引きこもってしまった原因は、刑務所の中で受けたいじめだったそうです。渡邊恭史の現在の詳しい暮らしぶりは分かっていません。

事件を題材にした映画や漫画

女子高生コンクリート詰め殺人事件は事件発覚当時、ニュースやテレビのワイドショー、週刊誌などで大々的に取り上げられ、世間を大きくざわつかせました。少年たちが起こした信じられないような犯行が社会に与えた衝撃は大きく、少年法のあり方や未成年の実名報道の是非についても波紋を投げかけるものでした。

女子高生コンクリート詰め殺人事件は、時を経ても風化することなく人々の心の中に残り続け、それを題材とした映画や漫画が作られています。

映画「女子高生コンクリート詰め殺人事件ー壊れたセブンティーンたち」(1995)

『女子高生コンクリート詰め殺人事件ー壊れたセブンティーンたち』は、映画館では上映されないビデオ販売のみの映画作品です。制作・発売元はビデオ安売り王、監督はドキュメンタリーや人間の内面に焦点を当てた映画を撮っている、松村克弥が担当しています。別商品の購入特典として頒布されていたこともあるそうですが、現在は入手困難になっています。

現在は「ゆず」で活躍している無名時代の北川悠仁が加害者役を演じていたことでも有名です。加害者たちの役名はほぼ実名で、事件の経緯や犯人たちの残忍な行動、心の動きなどを詳細に描写し、実際の犯行現場や週刊誌の記事を織り交ぜながら丁寧に作られた作品になっています。

映画「コンクリート」(2004)

2004年に公開された映画『コンクリート』は、渥美饒兒作のノンフィクション小説『十七歳、悪の履歴書』を原作とした、監督・中村拓、主演・高岡奏輔によるフィクションの映画です。公開を巡っては事件の特性上、それを題材とした映画を公開して欲しくないという意見がネットで多く書き込まれ、劇場にも公開に反対する意見が殺到したそうです。

その結果、上映を予定していた劇場では公開が中止になり、代わりに別の映画館で一週間だけ上映されました。その後、ビデオが発売された際にはR15指定となっています。映画のレビューには不評なものが目立ちますが、それは映画としての評価によるものと、あまりに凄惨な事件である映画の題材自体への批判が混ざっているためのようです。

漫画「彼らの犯罪」

『彼らの犯罪』は漫画家・樹村みのりによって描かれた複数の作品を集めた作品集です。作品自体は1992年から1993年にかけて漫画雑誌や教育誌に掲載されたものですが、『彼らの犯罪』は2009年に朝日新聞出版から単行本として発売されました。表題作である『彼らの犯罪』は、女子高生コンクリート詰め殺人事件について描かれたものです。

主に犯罪者側に焦点を当て、登場人物の「わたし」が取材、裁判の傍聴を通して事件の真相に迫る姿を描いています。なぜこのような事件が起こったのか、なぜ少年たちは非道な行動に走ってしまったのか、裁くことの難しさや一筋縄では語れない事件であることについて、冷静な視点で客観的に描かれた作品です。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の風評被害に遭った芸能人たち

前例のない少年たちによる凶悪犯罪は社会を震撼させました。女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者となってしまった少女はモノのように扱われ、最悪の結末を迎えてしまいました。そしてこの事件はさらなる被害者を生んでしまうことになるのです。

スマイリーキクチさん

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人らについては、当時少年ということもあり名前が伏せられて報道されていましたが、ネットに実名を書き込み犯人たちを糾弾するという動きが活発な時期がありました。1999年頃、あるネットの掲示板に芸能人のスマイリーキクチさんが事件に関わっているという嘘の書き込みが行われ、誹謗中傷が始まりました。

関わっている根拠として、当時事件のことを書いた雑誌に「きくち」の名がつく人物がリストアップされていたこと、スマイリーキクチさんが少年時代に住んでいた地域が事件の起きた場所であり、さらにグレた人物だったこと、犯人たちと同世代であったことが挙げられています。

しかしスマイリーキクチさん本人は「事件の起きた場所は自分の住んでいた場所と離れており、土地勘がない」「当時その地域には同世代の人物なら他にもたくさんいた」と関わりについて完全に否定しました。これで誹謗中傷も収束するのかと思われましたが、その後も事実無根の言いがかりをつけられ、攻撃の的となってしまいました。

その後何度か警察に相談しましたが、当時ネットでの誹謗中傷が事件になるようなことはない時代だったこともあり取り合ってもらえず、ただ年月だけが経っていきました。そしてついに2008年、警察による中傷犯の一斉摘発が行われました。犯人の数は19人に及び、北は北海道から南は大分まで広範囲に住む人々による犯行でした。

犯人たちの動機は「楽しかったから」「スマイリーキクチさんの殺人事件関与説を鵜呑みにしていた」などでした。その後は一斉摘発と、スマイリーキクチさんは無実であるという報道などがされるようになったことから、ネットでの嫌がらせも現在は徐々に沈静化しています。

ネットでの誹謗中傷が始まってから一斉摘発まで、実に9年間も大規模な嫌がらせが続いたのでした。この事件は、日本でネットでの名誉棄損や誹謗中傷に注目が集まった初めての出来事でした。

飯島愛さん

飯島愛さんもスマイリーキクチさん同様にネットで「事件が起こった地域近くの出身である」「加害者たちと同世代」「少女時代はグレていた」と書き込まれ、事件に関わっていたという根拠のない噂をされていました。

また、女子高生コンクリート詰め殺人事件の主犯格、宮野祐史(現在は改名して横山裕史)と付き合っていたという根も葉もない噂がネットに拡散した時には、とても悲しんでいたといいます。飯島愛さんはこれらの誹謗中傷を受けて、公式ブログにて女子高生コンクリート詰め殺人事件への関与を否定しました。

女子高生コンクリート詰め殺人事件が示す凶悪化する少年犯罪

女子高生コンクリート詰め殺人事件は戦後最悪の少年犯罪と言われ、社会に対してまだ10代の少年が起こした残酷極まりない事件として深く印象付けるものでした。この事件以降に起きた少年犯罪も数々あり、それらが報道されるたびに少年犯罪は凶悪化しているというイメージが社会に広がっていきました。

実際の事件の例としては、1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件、2000年の豊川主婦殺害事件や大分一家6人殺傷事件、2003年の長崎男児誘拐殺人事件などがあります。どの事件も加害者は10代で特別荒れた人物でもなく、いたって普通の中学生や高校生でした。

警察や法務省が出している統計によると、少年犯罪は近年、減少傾向にあるそうです。今の方が増えているように感じるかもしれませんが、実は昔の方が少年犯罪の件数は多かったのです。しかし犯行内容を見てみると、凶悪性が高いものの割合が増えているようなのです。

少年犯罪の凶悪化の一因として、「キレやすい性格の持ち主の増加」「コミュニケーション能力の低下」「子どもが触れる暴力的なメディア(ゲームや漫画、映画)の増加」などが考えられるようです。

凶悪犯罪が増えているにせよ減っているにせよ、犯罪が起これば必ず被害者が生まれてしまいます。

「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の加害者たちの中には再犯者となってしまった人物もいるようですが、果たして人の命を奪い、被害者遺族に一生癒えることのない傷を負わせるという取り返しのつかないことをしてしまったことについて、真剣に後悔し反省していたのでしょうか。

人生はゲームのようにリセットは出来ません。自分のひとつひとつの行いが他人に影響を与え、その人の履歴として残っていきます。凶悪な犯罪をしてしまわないためには、自分のことだけを考えて動くことは厳禁です。他人も自分と同じように傷つき、傷つけられたくないと思っていることを理解しておくことが重要なのではないでしょうか。

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