宮崎勤の生い立ちや家族の現在!埼玉連続幼女誘拐殺人事件のその後は

東京・埼玉を恐怖させた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件をご存知でしょうか。少女達が犠牲になったこの事件から、現在30年ほどが経過しました。当時話題となった、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件・加害者の生い立ちや家族、また事件のその後についてご紹介致します。

宮崎勤の生い立ちや家族の現在!埼玉連続幼女誘拐殺人事件のその後はのイメージ

目次

  1. 1東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件とは
  2. 2東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の概要
  3. 3東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の加害者・宮崎勤とは
  4. 4東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の裁判について
  5. 5加害者・宮崎勤の自宅や家族の現在
  6. 6東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件報道が世間に与えた影響は?
  7. 7現在刑は執行済・多くの被害者を生む悲しい事件だった

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件とは

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件をご存知の方は多いことでしょう。また、名前を聞いてもピンとこないという人も、事件の概要を聞けば覚えている人もいるかもしれません。その内容は、対象はすべて10歳以下の少女のみ、という子供を持つ親がゾッとするようなものでした。こちらの記事ではそんな東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件についてご紹介致します。

少女4人が被害者となった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件は1988年8月から1989年7月の短い期間に少女が誘拐・殺害されるという恐ろしいものでした。たった1年弱という短い期間に行われ、最後は現行犯逮捕となったこの事件では、4人の少女が被害に遭っています。

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の被害者は10歳以下の少女のみ

この事件をよく覚えている方の多くは、当時子育て中の方だったのではないでしょうか。この東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件は、被害者がすべて10歳以下の少女のみということが特徴的でした。犯人が逮捕されるまでの1年弱、不安に思いながら過ごした保護者は多かったことでしょう。

短期間に多くの少女の命を奪った埼玉連続幼女誘拐殺人事件は、裁判の際にも多くのメディアから注目され、その判決は「死刑」から覆ることはありませんでした。

動機はいまだにはっきりしていない

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件では誘拐・殺害など、被害者に多くの苦しみを与えていながらその動機は未だにはっきりとはしていません。また現場ごとに殺害後の状態が異なることなどを見ても、シリアルキラーの多くがそうであるように、殺すこと自体を楽しんでいたのかもしれません。

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の裁判中や鑑定人の質問に対する言葉には不可解なものや身勝手な言葉数多く残されています。

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の概要

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の被害者達は、一体どのような被害に遭ったのでしょう。事件の始まりから順番に、各事件ごとの概要をご紹介致します。

1988年8月に4歳の幼女を誘拐・殺害

加害者・宮崎勤の起こした東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の始まりは、1988年8月の埼玉県入間市でした。この最初の事件では、当時4歳だった少女が誘拐された後、殺害、わいせつ行為が行われています。

その内容や順番は更に異常であり、誘拐→殺害→わいせつ行為という順に行われたそうで、わいせつ行為を行っている時、すでに4歳の少女の命は無かったのだそうです。

また宮崎勤の異常な行動はそれだけに留まらず、わいせつ行為の様子をビデオで録画したそうで、逮捕後の宮崎勤の自宅から行為のビデオが押収されています。この殺人の動機について鑑定人が訪ねた際の返答は第一審では「よくわかんない」、最後の被告人質問では「急に子供の頃が懐かしくなった」と動機とは言い難い言葉を残しています。

1988年10月に7歳の女児を誘拐・殺害

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件、2つ目の事件は1988年10月に埼玉県飯能市内で起きました。2つ目の事件でも、当時7歳だった少女が誘拐・わいせつ行為の後、殺害されています。また、2つ目の事件も1つ目と同様に異常なものであり、傷を負わせ瀕死の状態にある少女に対し、わいせつ行為を行っています。

宮崎勤は行為中について「足がピクピクとわずかに動いていた」という証言もしており、この言葉からも異常性が伺えます。また、2つ目の事件の動機については「何とも言えないスリルがあった」と供述したそうで、鑑定でも「よく覚えていない」、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の中では「一番印象が無い」といった信じられない言葉を残しています。

1988年12月に4歳の女児を誘拐・殺害

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件、3つ目の事件は1988年12月に埼玉県川越市内で起きています。3つ目の事件では当時4歳だった少女を誘拐・殺害しており、やはり殺害後、わいせつ行為に及ぼうとしたようです。

しかし殺害時もしくは恐怖からか4歳の少女は失禁しており、それに焦った加害者・宮崎勤は遺体を山奥に投げ捨ててその場を離れたと供述しています。そのため事件の発生した12月9日の6日後である、15日には少女の遺体が発見され、その後12月20日には被害者宅に葉書が届いています。

また東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の中で唯一遺体を発見できたことから、3つ目の事件被害者の両親が「死んでいても見つかってよかった」とコメントしており、後に宮崎勤はこの言葉に影響を受けた行動も起こしています。

「死んでいても見つかってよかった」という両親の言葉に何を思ったのか、宮崎勤は東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件のこれまでの遺体も探そうと思ったそうです。2つ目の事件の遺体は見つからなかったようですが、1つ目の遺体は発見して骨の一部を段ボールに詰め、被害者の両親の自宅前に「今田勇子」という偽名を使って置き去っています。

これと同時に新聞社には犯行声明も郵送しています。このことからも宮崎勤の異常性が伺えます。またこのとき新聞社に送られた書簡には、前年1988年に起きた群馬小2女児殺害事件について触れられていました。

遺体の両肘より下が無かったことや両足の膝が無かったことなど、宮崎勤の起こした事件と共通する点も多いため、群馬小2女児殺害事件との関連を疑うメディアも多数ありましたが、証拠が見つからなかったことから立件されずに未解決となっています。

1989年6月に5歳の女児を誘拐・殺害

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件は、4つ目の事件で東京へと舞台を移します。1989年6月に東京都江東区で5歳の少女が東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件4人目の被害者となりました。

この事件についてわいせつ行為に当たる行為が行われたという記録はありませんが、前後を考えると実際のところは分かりません。しかし遺体は過去の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の中でもひどく、バラバラの状態で発見されています。

犯行は6月6日に行われ、その5日後の11日に遺体が発見されています。またこの事件に関し、宮崎勤は女児の手を焼いて食べたという証言をしていました。しかしこれについては、自身の異常性をアピールするような虚言であり、実際に食人行為を行ったという事実はないと結論・記録されています。

1989年7月幼い姉妹に猥褻行為・現行犯逮捕

埼玉と東京を恐怖に陥れた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の最後は、1989年7月です。幼い姉妹にわいせつ行為を行っているところを、姉妹の父親に現行犯逮捕されることで終わります。

1989年7月23日の東京八王子市、その日も今までの東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件同様、幼い姉妹をターゲットにわいせつ行為や誘拐を行おうとしたようです。しかし妹の全裸を撮影されている間に姉が逃走、父親に知らせたことで姉妹の父親によって取り押さえられました。

犯人を取り押さえた当初、父親は東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人であるとは思っておらず、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件もまだ捕まってないのに」と取り押さえた宮崎勤を責めたそうです。後日取り押さえた相手が東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人だったと知り、姉妹の父親は愕然としたとメディアで語っています。

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の加害者・宮崎勤とは

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を引き起こした犯人・宮崎勤とはどのような生い立ちや経歴を持つ人間だったのでしょう。生い立ちや経歴などから宮崎勤の性格や背景をご紹介致します。

宮崎勤の生い立ちや経歴とは

全ての事件に異常さを感じさせた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の加害者である宮崎勤は、東京都西多摩郡に生まれ、地方の新聞社を経営する父の息子として育ちました。自宅に住み込みのお手伝いさんがいるほど裕福な家庭の長男として生まれた宮崎勤は、どのような生活を送っていたのでしょう。

また、生い立ちと東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件に関わりはあるのでしょうか。幼少期から高校・大学、社会人になるまでの宮崎勤の生い立ちと経歴についてご紹介致します。

生い立ち①幼少期

宮崎勤の生い立ちについて、まずは幼少期からご紹介致します。先ほども少し触れた通り、宮崎勤の育った家庭は、自宅に住み込みのお手伝いさんがいるほど裕福な家庭でした。母親は仕事で多忙であったため、母親代わりにお手伝いさんと祖父が一緒に遊んでくれたそうです。

また、宮崎勤は手首に日常生活に支障がない程度の軽い障害があり、幼少期のお遊戯の時間には上手くポーズが取れず、友人にからかわれていたとも語っています。自宅から出ればからかわれ、自宅にいればお手伝いさんや祖父が可愛がってくれることから、宮崎勤の幼少期はとても内向的で自宅から出たがらない子供だったようです。

そんな宮崎勤を可愛がり、外へ連れて行ったのが祖父だったそうです。祖父に対しては特別な感情があったのか、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が起きたのは祖父の死後数か月後からだったと言います。

生い立ち②小・中学校時代

宮崎勤の生い立ちの中で、比較的明るく話すことができるのは小中学校時代までと言えます。小学校時代はクラスでのあだ名が怪獣博士になるほど、とにかく怪獣が好きな子供だったようです。特に目立つ子供というわけではありませんでしたが、勉強に関してはとても優秀であり、成績はいつも上位をキープする子供でした。

宮崎勤も幼い頃は算数がとても得意だったと語っており、母親が周りに自慢してしまうほどだったそうです。この頃の自分はできる人間だという宮崎勤の気持ちが、負けず嫌いな性格を作り出したのかもしれません。

生い立ちの中でも中学校時代から、その負けず嫌いな性格がはっきりと顔を出し始めます。中学生の時は、1~2年は陸上部、3年は将棋部と、運動系・文科系の部活を共に経験しています。

そのどちらでも負けず嫌いが顕著に表れており、一度負けた相手には必ず勝利するまで努力するといった様子が見られたそうです。その努力は固執ともとれる執念を感じるものだったと言います。

生い立ち③高校・大学時代

宮崎勤の生い立ちの中で明らかに陰りが見えるのは高校時代からです。宮崎勤は高校は家から片道2時間も掛かる、明治大学付属中野高等学校を選びました。両親は2人が昔から得意としていた英語について学び、宮崎勤が英語教師を目指すものだと思っていたのだそうです。

しかし宮崎勤は手首の障害について誰も知らない場所へ行き、隠し通すためだと語っており、幼い頃に手首についてからかわれたことを引きずっていることが分かります。高校進学時は優秀だった宮崎勤ですが、次第に優秀だった成績は下がり始めます。

大学進学に関しては付属大学である明治大学へそのまま内部進学するつもりだったそうですが、進学はできず、短大の画像技術科へと進路を変更しています。そして大学時代は勉強の合間にパズルに熱中していました。何度もパズル雑誌に購入・投稿し、パズル雑誌に解答を送ることで名前が雑誌に載ることもあったそうです。

生い立ち④社会人時代

生い立ちの中でも、宮崎勤の鬱屈とした気持ちが顕著に表れたのが社会人時代です。短大を卒業後、宮崎勤は印刷会社に就職し、オペレーターとして勤務しています。しかしその勤務態度は非常に悪く、言動や態度には問題があったのだそうです。当然周りの評価も低く、東京から神奈川への転勤を命じられましたがそれを拒否して退職しています。

その後は自宅で数か月引きこもり、実家の新聞社を手伝うようになりました。そしてその頃から、自宅でアニメの同人製作や、サークルに参加して録画したアニメビデオの交換をするなどを始めます。逮捕の際、自宅を捜索したところ大量のアニメビデオが見つかっていますが、実際にはほとんど鑑賞していなかったようです。

性格が東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の原因?

ここまで宮崎勤の生い立ちについて紹介しましたが、その生い立ちの中で重要なのが負けず嫌いな性格です。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の裁判や鑑定時の発言には一貫性が無く、どれも支離滅裂かつ異常なものでした。そんな宮崎勤は幼少期は突出したものに対して優秀であり、その後も負けず嫌いな一面が残り続けています。

中学時代にあった勝利への固執と実力が伴わなかった自分との間で鬱屈とした感情が芽生え、態度の悪さに繋がっていったのではないでしょうか。その気持ちは年齢を重ねるごとに大きく、重くなり、それが祖父の死きっかけに東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件として爆発したのかもしれません。

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の裁判について

最初にもご紹介した通り、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の裁判の判決は「死刑」であり、すでにこの事件の刑は2008年6月17日執行されています。しかし「死刑」という結果に至るまでの裁判の様子や、宮崎勤の態度はどのようなものだったのでしょう。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の裁判に関しても詳しくご紹介致します。

裁判中に謝罪することは一度も無かった

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の裁判中の宮崎勤の態度からは、反省と言った態度は全く見られなかったそうです。前の机で何かを書き続けたり、裁判中に笑みを浮かべたりと、その行動はどこか異常なものであり、不可解な行動が記録されています。異常な行動の数々は精神的な障害あってのものであり、精神に異常があるからこその行動だったのでしょうか。

責任能力はあり精神障害ではないと証明された

証言や行動から、端々に異常さが見られる宮崎勤ですが、実際に精神障害はあったのでしょうか。精神鑑定士5人、そして心理学者1人から精神鑑定を受けた結果、拘置所や取り調べ、裁判での様子は実際の様子ではなく、精神障害を装ったものであると結論付けられました。

つまり精神には何ら異常がなく、自身を守るためだけに異常な行動を行っていたということです。すでに死刑は執行されているため、それが本当に間違いないことなのかはもう分かりませんが、それが本当であれば東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件について全く反省していなかったということになります。

一審・二審ともに判決は死刑

精神障害もなく責任能力が認められた宮崎勤には、第一審から「死刑」が宣告されました。続いて弁護側は即日控訴しましたが、控訴審(東京高等裁判所)でも第一審の判決は変わることはなく、さらに上告審(最高裁判所)も弁護側の上告を棄却、判決訂正を求めるも棄却されています。

死刑確定後の宮崎勤の言葉

一審・二審と共に覆ることのなかった裁判では、冒頭で死刑を宣告するという異例が起こるほど、宮崎勤の死刑は揺るがぬものだったようです。通常死刑の宣告をする際は、宣告される加害者の精神状態を考えて判決理由を述べた上で死刑を宣告されます。しかし東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の裁判ではその手順が踏まれることはありませんでした。

裁判中の宮崎勤の言動が理由なのかは分かりませんが、死刑宣告の中でも異例であることは間違いありません。宮崎勤の弁護人は、拘置所で宮崎勤が幻聴を訴え、投薬を続けていたことを理由に再鑑定を依頼しましたが、先ほども述べたとおり全て棄却されています。

死刑確定後も宮崎勤は反省することはなく「あほかと思う。あの裁判官は後から泣くことになる」と言った言葉も残しており、面会者にも判決は間違いであると主張し続けていたと言われています。

獄中では自身の人権を主張していた

宮崎勤は死刑の確定から刑が執行されるまでの期間、反省どころか手紙で自身の人権を主張してもいました。その主張の一つが死刑の執行方法です。日本で行われる死刑と言えば絞首刑が一般的ですが、宮崎勤はそれに対し手紙で恐怖と人権侵害を訴えていました。宮崎勤の主張は以下のようなものでした。

「どん底の恐怖に陥れられ、それは人権の侵害にあたる」

これは絞首刑で落下する瞬間のことを指しており、本人の主張はアメリカの死刑同様の薬殺刑を望むというものでした。これらは全て、宮崎勤本人が獄中で書いた手紙をまとめた著書にまとめられたものであり、自身の死刑が大きく報道されたことに対して、「自分はやはり人気者だ」といった内容の言葉ももつづられていたそうです。

また「被害者遺族に対しての言葉は?」との質問に対する山崎勤の言葉は「良いことができて良かった」という内容のものであったとも記されています。

現在は執行済み…東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件は冤罪という声も

現在すでに東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の加害者・宮崎勤への刑は執行されています。しかしそんな宮崎勤の冤罪を主張する人もいました。応用数学者にして明治大学名誉教授である木下信男は、冤罪説を唱える人を集め、「M君裁判を考える会」という市民団体を組織しています。

また、論文「裁判と論理学─幼女連続誘拐殺人事件に見る冤罪の軌跡」や書籍「宮崎勤事件 夢の中:彼はどこへいくのか」も執筆しており、冤罪を訴える声は未だに残っていると言います。

東京・埼玉連続少女誘拐殺人事件から30年ほどが経ち、現在精神障害についての研究も30年前と比べるとかなり進んでいます。もしも今現在、宮崎勤が精神鑑定を受けたのであれば、どのような結果が出たのでしょうか。「現在であれば結果は違ったのでは?」という意見もあるようです。

加害者・宮崎勤の自宅や家族の現在

被害者の少女たちとその家族は当然被害者ですが、ある意味では被害者とも言えるのが加害者の父親や母親、兄妹といった家族ではないでしょうか。このような痛ましい凶悪事件を起こしたのが自分の子供であったなら…と想像するだけで、その悲しさや絶望感が分かる父親、母親も多いのではないでしょうか。

また「そんな子供を育てた」と責任を問われる父親と母親はもちろん、ただ血がつながって生まれたというだけの兄弟姉妹さえ後ろ指を指され、心無い言葉を浴びせられるという現実もあります。今回の加害者・宮崎勤には父親・母親の他に、妹が2人いたと言われています。

東京・埼玉連続少女誘拐殺人事件の加害者・宮崎勤の父親と母親、妹2人は現在どうしているのでしょう。その後の状況と共にご紹介致します。

東京・埼玉連続少女誘拐殺人事件当時の宮崎勤の自宅

加害者・宮崎勤が東京・埼玉連続少女誘拐殺人事件を起こした当時の自宅は東京都あきる野市小和田周辺だと言われています。また宮崎勤は自宅の離れに住んでおり、約6000本のビデオテープが押収されています。

後にも紹介致しますが、当時宮崎勤が住んでいたこの自宅は父親によって売却されており、現在は家も取り壊されて砂利を敷き詰めた空き地になっているようです。

事件の加害者が住んでいた土地ということもあってか、買い手はつかなかったのかもしれません。現在は自治会関係者が地元で行うイベント時に、駐車場として開放されているとのことです。

東京・埼玉連続少女誘拐殺人事件は家族にも影響を与えていた

どんな凶悪事件でも、加害者家族のその後は悲惨である場合が多いです。家庭に問題があったことが原因で起きる事件であれば当然とも言えますが、家庭に特に問題が無かった場合の家族は、ある意味事件の被害者とも言えるのではないでしょうか。過去の凶悪事件と同様、この東京・埼玉連続少女誘拐殺人事件の加害者家族にも大きな影響がありました。

宮崎勤の父親の現在

宮崎勤の父親は現在どうしているのでしょうか。ご存知の方もいるかもしれませんが、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件発覚後、家族のその後として最も話題になったのは宮崎勤の父親でしょう。事件発覚から4年ほどたった頃、宮崎勤の父親は、自宅などの自分の持てる財産全てを売却・換金し、被害者遺族に慰謝料として支払っています。

そして被害者遺族に支払いの手続きなどを済ませた宮崎勤の父親は、自殺の名所として有名な東京都・多摩川にある神代橋で飛び込み自殺をしています。父親の自殺について、当時のメディアは大きく報道しており、記憶に残っている人も少なくないことでしょう。この父親の自殺についても、ネット上では賛否入り混じる様々な意見が交わされました。

宮崎勤の母親の現在

では宮崎勤の母親は現在どうしているのでしょうか。宮崎勤の母親に関しては、現在の情報はまったくありません。事件発覚当時、自宅の映像がメディアによって報道されてしまったため周りからの非難の声は母親の耳にも痛いほど届いていたことでしょう。また、自身の息子が起こした悲惨な事件にショックを受けない母親はほとんどいません。

加えて父親の飛び込み自殺が加わり、母親の精神はいっぱいいっぱいであったことは容易に想像がつきます。宮崎勤の母親が公的機関と最後にやりとりした内容は、死刑囚の遺体の引き取りについてでした。母親は「そちらにお任せします」という一言のみを伝え、そのまま行方をくらませたといいます。

どんなに愛情をもって接してきた子供であっても、母親としての様々な感情から引き取るという気持ちにはなれなかったのでしょう。

宮崎勤の2人の妹のその後

先ほどもご紹介した通り、宮崎勤には二人の妹もいました。加害者の妹となってしまった二人の妹はその後どうしたのでしょう。一人目の妹(長女)は東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が起きたとき、会社に勤務していましたが事件を理由にクビにされています。

また婚約している男性もいましたが、相手を加害者の家族にしてしまうことを恐れたのか、妹自ら婚約も破棄しているそうです。兄の犯行によって人生を狂わされたと言っても過言ではない状況と言えるでしょう。

そしてもう一人の妹(次女)は当時通っていた看護学校を退学させられています。二人の妹の現状については母親同様何もわからず、当時は加害者家族までもが犯罪者扱いされていた風潮が分かります。また当時ほどではありませんが、現在も同じ風潮が残っていることは確かでしょう。

宮崎勤の叔父のその後

宮崎勤の起こした事件は当時とても有名になり、加害者一家のみでなく、父親の弟、つまり叔父の家族にまで影響を与えたようです。長男であった宮崎勤の父親には、弟が2人いました。弟の1人は事件当時、5つの会社の役員として働いていました。しかし事件をきっかけに全て辞職し、自分の会社を妻の名義にして退職までしています。

またもう一人の弟は事件をきっかけに離婚しています。この弟には2人の娘がいたそうですので、夫として、また父親として自分の娘や妻を犯罪者の家族にしないための離婚だったのではないでしょうか。

また母親が自分の娘を犯罪者の家族にしたくないと言い出し、離婚に至った可能性もあります。どちらも宮崎勤の一家同様、やはり事件をきっかけに人生が大きく変わってしまっています。

宮崎勤の従兄弟のその後

宮崎勤には母親の兄の息子である二人の従兄弟もいました。当時は今以上に加害者家族を犯罪者扱いする風潮はとても強かったようで、母親の兄だけでなくその子供にまで影響が及んでいました。従兄弟2人は共に警察官、高校教師として勤務しており、どちらも退職しています。

自主的に退職したのか迫られての退職だったのか分かりませんが、どちらにしても事件の影響による退職に間違いありません。

どちらも公務員だったことが大きいのかもしれませんが、職を失うということは生活に大きな影響を与えたことでしょう。被害者家族は当然被害者であると言えますが、加害者家族もこうした側面を考えると被害者であると言わざるを得ません。

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件報道が世間に与えた影響は?

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件だけでなく、様々な事件において報道による影響が生まれています。今回の事件でも、メディアによって植え付けられてしまったと言える影響がありました。次はこの事件によってメディアが与えた影響についてご紹介致します。

オタクに対する強い偏見が生まれた

先にもご紹介致しましたが、宮崎勤は一時同人活動も行っており、逮捕後の家宅捜索時には大量のアニメ作品やホラー作品のビデオテープが見つかりました。そのことから、メディアではアニメを好むアニメオタクに対する偏見とも言える報道が多数ありました。

当時今ほど受け入れられていなかったアニメ好きの大人が犯人という事実に、アニメ好きの大人は全て現実とフィクションの世界の区別がついていないという偏見が生まれました。

また一緒にホラー作品が含まれていたこともあり、ホラー作品にも同様の偏見が生まれていたようです。そのことから、ホラー作品を放送する予定だった番組が、一時放送を自粛していたそうです。

幼女趣味への恐怖心と偏見が増した

押収されたビデオテープの中には、少女にわいせつ行為を行う内容のものも含まれていました。そのため、宮崎勤はロリコンではないか、という報道もされました。そのことから世間ではロリコンは犯罪者、という偏見が広がり、ロリコンは恐怖の対象というイメージが強く根付きました。

幼い頃に両親が忙しく、構ってもらえなかった孤独感から精神自体が幼少期のまま止まってしまい、性的嗜好や性格が子供のようになってしまったと語る研究家もいます。その裏付けとして、宮崎勤は少女たちの体に触れはしたものの、強姦などの性行為は行っておらず、少年のような性的嗜好かつペドフィリアの特徴と合致すると語っています。

しかしイメージの元となった事件の加害者・宮崎勤自身は小児性愛者(ロリコン)では無いと意見しています。ただ単に成人女性よりも扱いやすいという理由から代替として少女たちを誘拐・殺害していたようだと、鑑定した医師たちは判断したようでした。

また実際にはご紹介したとおり、ビデオに関してはただ収集していただけであったため、ビデオを鑑賞をした形跡はほとんどありませんでした。ただ集めていたというだけの情報が変化し、イメージが植え付けられてしまうという難点もメディアには少なからずあります。

現在刑は執行済・多くの被害者を生む悲しい事件だった

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件は被害者少女4人の命を奪う悲惨なものでした。被害者家族、また加害者家族の心境は同じ状況にならなければわからない辛いものであることでしょう。事件を起こした宮崎勤に関しては異常な言動が多かったものの、当時の鑑定結果により精神障害は無いとされ死刑が執行されました。

しかし今でも冤罪だったと主張する意見は少なからずあり、「現代であれば…」という人もいます。実際に精神障害があったのかは、今となっては分かりません。しかし精神障害があったからと言って簡単に許されるべき事件ではないことは確かです。多くの人の心身を傷つける、悲しい事件だったと言えるでしょう。

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この記事のライター
三橋
オシャレやいろんな気になる噂が大好きです。楽しいことや知っていて便利なこと、たくさんの人と共有できれば嬉しいです。

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