スーパーフリー事件の詳細!主犯・和田真一郎の現在や関係者のその後は

2003年に起きたスーパーフリー事件をご存知でしょうか。ヤリサーとして有名だった「スーパーフリー」の代表、主犯だった和田真一郎は現在どうしているのでしょう。また、スーパーフリー事件に亀井京子や本田朋子は関わっていたのか、事件の詳細や概要について解説します。

スーパーフリー事件の詳細!主犯・和田真一郎の現在や関係者のその後はのイメージ

目次

  1. 1スーパーフリー事件の概要と詳細
  2. 2スーパーフリーってどんなサークルだった?
  3. 3スーパーフリーは昔からヤリサー?
  4. 4スーパーフリーの13代目代表者の和田真一郎とは?
  5. 5スーパーフリー事件のメンバーとは?ギャルズ?
  6. 6スーパーフリー事件のメンバーの現在とは?
  7. 7スーパーフリー事件の主犯・和田真一郎の生い立ちや現在
  8. 8和田真一郎やスーパーフリー関係者のその後は隠されている

スーパーフリー事件の概要と詳細

スーパーフリー事件は当時、有名大学の学生が多数逮捕された事件として世間を騒がせました。スーパーフリー事件は代表の和田真一郎による組織的な犯行で、卑劣で悪質極まりない事件です。ここでは、スーパーフリー事件の概要と詳細について説明します。これから大学へ入学する学生にとっては教訓となる事件かもしれません。

スーパーフリー事件の概要

スーパーフリー事件の概要は、早稲田大学のサークル、「スーパーフリー」が起こした組織的な輪姦事件です。2003年5月18に起こった事件で、被害届が出されたことで事件発覚となりました。スーパーフリー事件の主犯である和田真一郎は、六本木のクラブでイベントを開き、女性を酒に酔わせ組織的に輪姦を繰り返していたようです。

スーパーフリー事件の被害者数は400名以上とされていますが、実際に立件された事件は以下になります。

2001年12月19日に和田真一郎の自宅兼事務所で19歳の女性を3人で輪姦した事件、2003年4月27日に六本木の居酒屋で18歳の女性を1時間半にわたり13人で輪姦した事件、2003年5月18日に六本木の居酒屋で20歳の女性を、5人で強姦した事件の3件だけでした。

早稲田大学の他にも東京大学、慶應義塾大学、明治大学、法政大学、学習院大学、日本大学などの学生を合わせ14人が実刑判決を受けました。公判では、実際は輪姦に関わったことが検察に把握されているにも関わらず、検察側の証人で法廷に立つことで逮捕を逃れたメンバーもいました。

スーパーフリー事件は当時社会にも大きな影響を与え、2004年の集団強姦罪、集団強姦致死傷罪の創設のきっかけにもなりました。

スーパーフリー事件は強姦を行うための詳細な役割が決まっていたそうです。スーパーフリー事件には実際に強姦を行う約10人程の「鬼畜班」と、輪姦の幇助や被害者が被害届を出さないようなだめる約40人程の「和み班」が関わっていました。

「和み班」の役割は、輪姦終了後に食事をしたり、脅迫し無理やり笑顔の写真を撮らせるなど、和姦を主張するための事後処理を行っていました。「和み班」には塚原綾香を筆頭とするギャルズと呼ばれる女性も関わっていたそうです。

また、被害者の中には中絶したり自殺した被害者もいましたが、スーパーフリーは暴力団幹部の息子との繋がりもあったようで、ほとんどが脅されて泣き寝入りしていました。

スーパーフリー事件の詳細

スーパーフリーは六本木のクラブ「ヴェルファーレ」で1000人~3000人規模のイベントをたびたび開催していました。イベントの概要ではクラブ慣れしていない人も気軽に参加できると謳っていましたが、実際のイベントはスーパーフリーの幹部が輪姦する女性を探すためのものでした。

イベントの二次会には100人ほど参加し、二次会でターゲットになる女性を決めていました。ターゲットとなる女性は地方出身で遊びなれていない新入生が多かったそうで、「スペシャルサワー」というアルコール度数96度のスピリタスを混ぜた酒を無理やり飲ませたり、睡眠薬や薬物を混ぜたジュースなどを飲ませて潰していました。

スーパーフリーでは睡眠薬は「つぶつぶオレンジ」、輪姦することを「撃つ」と隠語で表現するなど、輪姦が常習的に行われていたことが伺い知れます。

輪姦場所の概要は和田真一郎の自宅兼事務所や人気のない居酒屋の踊り場、雑居ビルのエレベーターホール、カラオケなどで行われていました。また途中で逃げられることのないように、女性の靴、財布、携帯電話を取り上げたりもしていたようです。スペシャルサワーを飲んで女性が嘔吐したり、失神したり、昏睡状態であっても輪姦が行われたそうです。

また、和姦を主張できるよう、輪姦の最中に「笑え」と言われ無理やり笑顔の写真を撮られたり、その後に食事をして笑顔の写真を撮ったりもしていました。更に暴力団幹部の息子とスーパーフリーのつながりを引き合いに出し、脅迫なども行っていました。

スーパーフリーには輪姦を隠すための詳細なシステムがあり、輪姦の証拠をできるだけ残さないようにしていました。事件として立件できる証拠を集められなかったため、スーパーフリー事件として立件されたのは3件だけだったようです。

スーパーフリーってどんなサークルだった?

スーパーフリー事件を起こした「スーパーフリー」とは、一体どんなサークルだったのでしょうか。ヤリサーとして事件を起こすほどのスーパーフリーは普通の大学のサークルと何が違ったのでしょうか。ここではスーパーフリーの歴史や、スーパーフリーの活動の概要を解説します。

歴代代表者は一流企業への就職多数?

スーパーフリーは宣伝広告活動に力を入れており、スーパーフリーの会報誌「すーふりの歴史」というものを発行していました。その会報誌にはスーパーフリーの卒業した代表者の就職先の詳細が記載されており、博報堂、東京三菱銀行、リクルート、三井不動産、エールフランス、富士通、山一證券などの一流企業ばかりだったそうです。

スーパーフリー事件にはOBも関わっていました。当時OBがいた広告代理店では輪姦に関わっていなかったか、また自分の担当企業をスーパーフリーの協賛にし、学生側から報酬を受け取っていたのではないかと詳細な追及が行われました。

OBの中にはスーパーフリーのナンバー2である岸本英之の会社設立に深くかかわったとされる社員もいたようです。スーパーフリーの卒業者が一流企業ばかりに就職するのにはスーパーフリー事件の恩恵があったのかもしれません。

スーパーフリーは早稲田大学の公認サークルだった

スーパーフリーの生い立ちは、もともとイベント系のサークルでした。2000年、2001年は同好会として早稲田大学の公認サークルとして登録されていました。スーパーフリーは集客に力を入れており、大学前で一人当たり約3000枚ほどのチラシ配りなども行っていたそうです。

配布するチラシの概要には「慶応医学部」などブランド大学の名前が記載されており、有名六大学は避け、早大ブランド効果がある非有名大学を対象にしていました。しかし、そのチラシ配りに対して他大学からクレームが入り2002年以降は非公認となってしまいました。

1982年に発足したとされている

スーパーフリーの生い立ちは1982年と歴史が長く、その生い立ちから5年で六本木のヴェルファーレなどのクラブでイベントを開催するようになります。

ヴェルファーレは小室哲哉やavexが所有していたクラブで、当時「アジア最大のクラブ」と言われていました。現在はすでに閉店していますが、当時は知らない人はいないほど有名なクラブでスーパーフリーがどれだけ勢いがあったかが計り知れます。

早稲田大学だけでなく他校の生徒も参加

スーパーフリーは、他大学の学生も加入できるインターカレッジサークルでした。スーパーフリーは宣伝広告活動に非常に力を入れており、YouTubeなども浸透していない時代に、宣伝動画なども作成していました。

また、スーパーフリーのイベントはクラブ慣れしていない普通の学生をターゲットにしており、参加もしやすいサークルだったため他大学の学生も多数参加していました。インターカレッジサークルの幹部に他大学の学生がいるのは珍しいのですが、スーパーフリーの幹部には他大学の生徒も多数いました。

スーパーフリーのメンバーは1軍、2軍、3軍と分けられ、チケットの売り上げなどやで昇給がある成果主義の組織だったため、他大学の学生でも幹部になることができたようです。

スーパーフリーは昔からヤリサー?

スーパーフリーは初めからヤリサーだったのでしょうか。もしその生い立ちがヤリサーと違うのであれば、一度は大学から公認を受けたサークルがなぜヤリサーとなりスーパーフリー事件のような輪姦事件を起こしてしまったのでしょうか。ここではスーパーフリーがヤリサーになった生い立ちや関わりのあったサークルの詳細について説明します。

スーパーフリーがヤリサーとなったきっかけ

スーパーフリーが強姦をするヤリサーとなった生い立ちは、1999年秋にまで遡ります。明治大学で輪姦をしていたイベントサークルと掛け持ちしていたメンバーから「スーパーフリーでもマワしをやりましょうよ」と提案されたことがきっかけのようです。その掛け持ちしていたサークルが、ヤリサーとして有名だったクライスといわれています。

明治大学クライスとの繋がり

クライスの生い立ちは明治大学と日本女子大のインターカレッジサークルで、明治大学では1979年に公認、日本女子大でも創設から40年以上経っており歴史のあるサークルでした。クライスはテニスサークルとして活動していましたが、実際は飲みサーやヤリサーとして有名でした。

クライスはスーパーフリーよりも前に輪姦を行っていたヤリサーで、スピリタスや睡眠薬を使用し、女性を潰すのが常套手段になっていたようです。スーパーフリー事件で使われた女性を潰す方法などは、ヤリサークライスより持ち込まれた可能性があり、スーパーフリーがヤリサーとなるきっかけを作ったサークルでもあります。

明治大学クライスとは?

明治大学クライスの名をヤリサーとして一躍有名にしたのが、2014年新宿コマ劇場前で女子大生のみが集団で昏倒した事件です。事件の概要について、明治大学側は睡眠薬や薬物の混入などはなく、強姦などの被害にあった女性はいないとしています。

実際の事件の詳細は輪姦目的で女子大生のグラスに睡眠薬を盛っていたようで、その結果、昏睡、失神する女子大生が多数出てしまいました。店内にそのまま放置できず、外まで運んだものの対処もできず集団昏倒事件になってしまったようです。救急搬送されたのは2名だったようですが、倒れていたのは女性ばかりで10数人いたようです。

クライスの事件が起きたのは2014年で4年前の出来事ですが、スーパーフリー事件は2003年で15年前に起きています。クライスはスーパーフリー事件が大々的に騒がれたおかげで、ヤリサーとして影に隠れ活動を続けていたのかもしれません。

スーパーフリーの13代目代表者の和田真一郎とは?

ヤリサーとして知られていたスーパーフリーの代表、和田真一郎はどのようにしてスーパーフリーという組織を大きくしたのでしょうか。ここではスーパーフリーがどのように成長し、スーパーフリー事件という強姦事件を起こすまでのヤリサーになったのかの詳細を解説します。

13代目にして最後の代表者

和田真一郎はスーパーフリーの13代目の代表でした。スーパーフリー事件の後サークルは解散したため、結果として最後の代表者となります。和田真一郎が代表を務めた期間は1995年〜2003年の8年間で、学生という立場を隠れ蓑に、スーパーフリーを大きな組織へと変貌させました。

和田真一郎は友達と呼べる人は少なく、社交的ではなかったようですが、人を集める力や組織を運営する力が長けていたそうです。和田真一郎は絶対的権力者だったようで、大学のサークルの代表とメンバーというより、社長と部下のような関係だったようです。

和田真一郎には彼女がいたこともあるようですが、数カ月で別れたようで「彼女がほしいと思わない、セックスは好きだけど女は嫌い」とも話していたようです。中学、高校では目立つタイプではなかったため、大学に入って大学デビューを果たし、スーパーフリー事件を起こすまでになってしまったようです。

スーパーフリーを有限会社として法人化していた

和田真一郎は有限会社スーパーフリーの代表取締役でもあり、スーパーフリーを法人化していました。もともとはナンバー2の岸本英之が1998年に設立したイベント企画会社でしたが、岸本英之の卒業後、2001年に有限会社スーパーフリーへ名称を変更し和田真一郎が代表となりました。

和田真一郎は組織としてスーパーフリーを管理しており、1000人規模のパーティー1回につき80万円から100万円の収益を挙げていました。和田真一郎は22歳の時に仕送りを打ち切られていたため、その収益を学費や生活費にあてていました。

スーパーフリーは1軍、2軍、3軍と階級が分かれており、3軍はボーイズと呼ばれていて、業務の概要は主にイベントのチケット販売でした。3軍のボーイズは1軍、2軍の部下であり、3軍から2軍に昇格するにはイベントのチケット50枚、2軍から1軍に昇格するには100枚の売り上げが必要でした。

各軍は上下関係があり、礼儀作法や言葉遣いは非常に厳しく、違反した者には暴力が振るわれたり、厳格に統制されていました。

和田真一郎がイベサーとしてスーパーフリーを復活させた

スーパーフリーは和田真一郎が代表になる前は目立ったクラブイベントなどは行われておらず、どこにでもある普通のサークルでした。和田真一郎の就任後は外部のイベント運営経験者やイベサーのメンバーを招き入れ、スーパーフリーをイベサーとして復活させています。

またスーパーフリーがサークルとして成功したのは、和田真一郎の右腕でありOBだった岸本英之の力が大きかったようです。岸本英之はテレビ局のプロデューサーと繋がりがあり、そのプロデューサーから仕事の紹介を受けて慶応義塾大学在学中にイベント企画会社を設立しました。

岸本英之は 交友関係も広く社交的で、和田真一郎が絶対的信頼を置いていた人物だったようです。代表は和田真一郎ですが、その和田真一郎を影で操っていたのは岸本英之だったのかもしれません。

スーパーフリー事件のメンバーとは?ギャルズ?

スーパーフリー事件での逮捕者は14人ですが、実際にはサークル全体が輪姦に関与していたようです。スーパーフリーは芸能界とも繋がりを持っていましたが、本田朋子や亀井京子は塚原綾香とともにギャルズに関わっていたのでしょうか。ここでは実際の逮捕者や芸能界とのつながりについて詳細を解説します。

スーパーフリー事件の幹部は逮捕された

サークルのメンバー全員がスーパーフリー事件に関わっていたにもかかわらず、逮捕者はスーパーフリー幹部を中心とした14人にとどまりました。

2003年5月18日の事件で和田真一郎(早稲田大学、28歳)、小林潤一郎(早稲田大学、21歳)、沼崎敏行(早稲田大学、21歳)、藤村翔(日本大学、21歳)、小林大輔(駒澤大学、20歳)の5人が逮捕されました。さらに2001年12月19日の事件で、岸本英之(慶應義塾大学、27歳)が逮捕されます。

2003年4月27日の事件では、若松直樹(早稲田大学、27歳)、関本雄貴(フリーター、23歳)、吉野豪洋(法政大学、20歳)、高山知幸(東京大学、20歳)、小泉創一郎(産能大学、20歳)、宇田篤史(明治大学、20歳)、吉村直(慶應義塾大学、20歳) 、関本隆浩(東京電機大学、20歳) が逮捕されました。

ギャルズと言われる女性メンバー

スーパフリーにはキャンペーンガールとギャルズと呼ばれる女性がいました。キャンペーンガールはスーパーフリーの広告塔であり、スーパーフリーのメンバー以外にモデル事務所から派遣された外部の人間もいました。そのギャルズの代表と言われているのが学習院大学の塚原綾香です。

塚原綾香が代表を務めるギャルズは総勢50~60人程いたようで、スーパーフリー事件にはギャルズが密接に関わっていました。ギャルズはスーパーフリーの輪姦に協力する見返りに、金銭の報酬、または芸能事務所や女性誌、テレビ局のプロデューサーに紹介してもらうなどの恩恵を受けていました。

そのギャルズの中には、テレビ東京の元アナウンサーである亀井京子と、フジテレビの元アナウンサーである本田朋子がいたと噂されています。実際に和田真一郎は女性タレントやAV女優を輩出したと発言しているようで、スーパーフリーは芸能界に強いコネクションを持っていました。

女性メンバーの役割とは?

ギャルズの役割は、「献上」と「幇助」と「アフターフォロー」でした。同性から誘われた方が安心感があるため、知人女性を勧誘し男性スタッフへ献上していました。そして、ターゲットとなる女性が友人同士で来ていた場合、友人同士を引き離し、監視し、実際に輪姦する場所まで連れていくといったことも行っていました。

また、輪姦後は被害届を出させないように、被害女性をなだめるという行為も行っていたようです。ターゲットにしていたのは地方出身の新入生や遊び慣れていない女性や、早大ブランドになびくような非有名大学の女性でした。塚原綾香を筆頭にギャルズは見た目が派手で、おとなしい女性にとっては誘われたら断れないような女性ばかりでした。

輪姦を幇助することで芸能界のみならず就職の斡旋などが行われていたため、積極的に参加していたメンバーもいました。ギャルズの中には被害を受けたのにも関わらず、ギャルズ側になる女性もおり複雑な組織体制でした。

本田朋子や亀井京子はギャルズだった?

スーパフリー事件を支えていたギャルズの中に、テレビ東京の元アナウンサーの亀井京子とフジテレビの元アナウンサーの本田朋子がいたという噂があります。塚原綾香とともに亀井京子と本田朋子もギャルズの一員だったのでしょうか。

亀井京子はギャルズ?キャンペーンガール?

亀井京子は聖心女子大学出身で、在学中に読者モデルなどをしていたそうです。亀井京子がギャルズではないかと噂された理由は、当時CanCamでスーパーフリーの特集が組まれた際にスーパーフリーの広告塔として掲載されていたためです。

スーパーフリーの女性が担う役はギャルズとキャンペーンガールの二つがありますが、大学時代に読者モデルとして有名だった亀井京子はキャンペーンガールの方だったのではないかと言われています。

勝手に画像が使用されたという説もあるようですが、イベント会場を背景にした写真も使われているので無断で使われたというわけではないでしょう。ただ、宣伝のために請け負って撮影をしたのか、もともとスーパーフリーの会場にいた亀井京子を撮影したのかは分かりません。

スーパーフリーとの関係について、テレビ東京側が亀井京子自身に確認を取ったところ本人は「関係ない」との回答だったそうです。ですが、もしギャルズだったとすれば見返りで女性誌を紹介してもらったり、テレビ局のプロデューサーを紹介してもらったという可能性もあります。

ただ、亀井京子が読者モデルになった詳細な時期などは不明なため、スーパーフリーのコネクションを使ったのかそうでないのかは不明です。たとえ関係があったとしても、関係ありましたとは絶対に言えないでしょう。

本田朋子はスーパーフリー幹部の女?

女子アナの中では亀井京子以上に本田朋子の方がタブーとされる噂があります。本田朋子は立教大学出身で本田朋子も亀井京子と同様、大学時代に読者モデルとして活躍していました。本田朋子本人はスーパーフリーには加入していないため、ギャルズではありませんでした。

本田朋子はスーパーフリーに関わってはいませんでしたが、それ以上に重大なスキャンダルがあります。それは、本田朋子は大学時代にスーパーフリーの岸本英之と交際していたという噂です。

岸本英之はスーパーフリーの顧問をしており、スーパーフリー事件の黒幕でもありました。逮捕された岸本英之と本田朋子が交際していたとすれば、亀井京子以上の大変なスキャンダルです。

岸本英之は会社を経営しており、業界関係者との派手な交友もありました。そのため、スーパーフリー周辺では本田朋子と岸本英之が関係していたとたびたび話題に上っていたようです。

亀井京子はスーパーフリーと一切関係ないと公言していますが、本田朋子はスーパーフリーとの関係について発言していません。それどころか、本田朋子の前ではスーパーフリー事件の話題は一切タブーとされているようです。話題を出すことすらできないため、本田朋子自身に確認することもできず真偽のほどは不明なままです。

スーパーフリー事件に関与したと噂の他有名人

元福岡ダイエーホークスの大越基がスーパーフリーに加入していたという噂があります。大越基は早稲田大学野球部の重苦しい雰囲気に耐え切れず退部し、大学自体も1992年に中退しています。

会報誌の概要欄にはスーパーフリーに加入したことが、退部の要因になったと記載されているようです。ですが、和田真一郎の入学前の出来事ですので、スーパーフリー事件には全く関係ないでしょう。

スーパーフリー事件のメンバーの現在とは?

14人の逮捕者がでたスーパーフリー事件ですが、多数の未逮捕者が出たのも事実です。スーパーフリー事件で、実際に輪姦の幇助を行っていたギャルズは塚原綾香含め一人も逮捕されませんでした。逮捕を免れたメンバーは現在どうしているのでしょうか。

ギャルズの現在①塚原綾香

塚原綾香は当時ギャルズの代表だったと言われており、ギャルズとキャンペーンガールどちらも担っていたようです。塚原綾香は2002年のミス学習院で、塚原綾香の父親は大手銀行の専務だそうです。

塚原綾香の当時のミスキャンパスのパンフレットには、結婚したい人物像について「浮気はしなくて、家庭を大事にし、仕事はまじめにやってる人」と答えています。塚原綾香は現在は結婚し井上綾香になっているようです。大学卒業後、大手損害保険会社へ就職したようで、塚原綾香もギャルズの恩恵を受けたのでしょう。

塚原綾香の生い立ちはもともとお嬢様で裕福な家庭で育ったようです。スーパーフリー事件に深く関わったにも関わらずお咎めなしなのは塚原綾香の父親からの圧力があったのかもしれません。

塚原綾香が輪姦の幇助をしていたのは確実ですが、逮捕されることはありませんでした。塚原綾香は現在の様子をフェイスブックにアップしているようで、被害者と同性でありながら罪の意識が低いと非難が集まっているようです。

ギャルズの現在②亀井京子

亀井京子はスーパーフリーに関わっていた影がありますが、現在も一切関係ないとしてアナウンサーとして活躍しています。

亀井京子は聖心女子大学時代はCanCamやMOREで読者モデルとして活動していましたが、大学卒業後の2005年4月、テレビ東京にアナウンサーとして入社しています。その2年後2007年12月には読売ジャイアンツで活躍していた林昌範投手と結婚し、2008年3月でテレビ東京を退職しています。

2010年1月にはオーケープロダクションへ所属し、フリーアナウンサーとして再デビューを果たした後、2017年4月にはノースプロダクションへ移籍しました。また林昌範との間に一男一女もをもうけ、仕事でもプライベートでも順風満帆な人生を送っています。

男性メンバーの現在とは?

スーパーフリー事件では14人の逮捕者がでましたが、あくまでも氷山の一角にすぎず他の起訴されず逮捕されなかったメンバーは多数います。逮捕されていないメンバーは何事もなかったかのうように普通に就職しているのが現実です。事実、職場にスーパーフリーの元メンバーがいるとか、結婚相手がスーパーフリーのギャルズだったなどの話があるようです。

スーパーフリー事件の主犯・和田真一郎の生い立ちや現在

凶悪犯罪を犯す犯罪者にはその生い立ちが影響していることもあります。スーパーフリー事件を起こした和田真一郎の生い立ちは、事件に影響していたのでしょうか。ここでは和田真一郎の生い立ちや現在について説明します。

和田真一郎の生い立ち

スーパーフリー事件の主犯和田真一郎は新潟県新潟市で1974年7月30日に生まれます。建設下請けの会社を経営していた父親のもと、子供にとってはつらい生い立ちであるといえるほど厳格に育てられていました。

和田真一郎は小学校6年生の時に東京の三鷹市に家族で転居し、三鷹高校に進学します。ヤリサーの代表になる人物の生い立ちからは想像できませんが、少年時代の和田真一郎は大人しく、中学高校時代の同級生からも「感情を表に出ささず、何を考えているのかわからない」「暗くオタクっぽい感じ」と言われていたようです。

1993年に厳格な生い立ちからと父親への反発で文系大学を志し中央大学に入学、その翌年には早稲田大学へ編入しました。和田真一郎の父親は4年間を超える在学は自己責任と考え、大学4年までで仕送りを打ち切りました。

その際、和田真一郎は「親父のように汗水流して働くような人生は送りたくない、気楽に生きていくから関わらないでくれ」と父親に話したそうです。

その後2000年には授業料未納で早稲田大学を除籍になりますが、2001年には早稲田大学に再入学し2002年にスーパーフリー事件を起こしました。厳格すぎる生い立ちでなければ、スーパーフリー事件など起こっていなかったかもしれません。

スーパーフリー事件後の和田真一郎の発言

厳しい父親に育てられた生い立ちを持つ和田真一郎ですが、スーパーフリー事件後、東京拘置所に収監中に和田真一郎は事件を全く反省していない発言をしています。

「ちょっと派手にやり過ぎました」「ほんの数回なら問題になりませんが、長年まわし続けてアフターフォローを怠りがちになり、地雷を踏んでしまいました」「刑務所で公認会計士の勉強をするつもりです」「沖縄が大好きで、いつかは住みたいと思っていました。あの美しい海を毎日眺められたら最高ですよ」

スーパーフリー事件で400人以上の被害者を出したにも関わらず、罪の意識がないようです。

現在の和田信一郎は釈放されている

2003年6月に和田真一郎は逮捕され、立件された3件の事件すべてに関わったとして2004年11月に懲役14年の実刑判決を受けます。逮捕から15年経過した現在では既に出所し、和田耀平と改名し大阪に住んでいると言われています。ですが、出所後何をしているのかはっきりとはわからず、現在も和田耀平と名乗っているかは不明です。

和田信一郎が出所後にインタビューに答える

和田真一郎は出所後にインタビューに答え、現在は週6で朝から夜まで働いていることや刑務所の中での生活のことなどについて語っています。

そのインタビューの中で以下のように後悔、反省しているようです。

犯した罪への償いは、単に刑期を終えただけでは不十分なのではないか。そうも考え、なぜあんな卑劣な行為に及んだのかをお話しすることで、ご迷惑をかけた世間からの「問い」に少しでもお答えできればと思い、今回、取材に応じることにしました。

上記のように後悔の念を述べると共に、世間に正体がばれた場合、仕事にも就けずホームレスになるのではないかという不安も口にしています。

和田真一郎やスーパーフリー関係者のその後は隠されている

スーパーフリー事件は平成の重大事件の一つに数えられていますが、時代がかわっても語り継がれるべき事件です。

中学校や高校と違い、大学生はある程度自由になり、大学生活を楽しく過ごせるかはサークルに入るか入らないかでも変わってきます。サークルに入ることで、その後の人生でずっと付き合っていく友人と出会うかもしれません。ですが、自分が選んだサークルが実はスーパーフリーのようなヤリサーかもしれません。

スーパーフリー事件のような強姦事件は加害者であっても、被害者であっても、大学生活どころか人生をも台無しにしていしまいます。楽しい大学生活、楽しい人生を送れるよう、節度を持った大学生活を送りましょう。

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