2019年11月13日更新
原田貴和子の今現在!結婚・離婚歴や子供は?原田知世との関係や出演作も調査
原田貴和子は1986年のデビュー以降、30年以上もの間、芸能界で活躍していました。そんな原田貴和子は今現在どうしているのでしょうか。原田貴和子の出演した代表作から結婚や離婚について、子供はいるのかどうか、さらに原田知世との関係や共演作についてもご紹介します。

原田貴和子のプロフィール
・本名:原田貴和子
・生年月日:1965年5月21日
・現在年齢:53歳
・出身地:長崎県長崎市
・血液型:A型
・身長:163センチ
・活動内容:女優
・事務所:ショーン・ハラダ
・家族構成:妹
原田貴和子の経歴
原田貴和子は1986年、21歳の時に『アフガニスタン地獄の日々』(スペイン・イタリア・日本合作、日本国内では未公開)でデビューしました。この作品は東宝からビデオで発売され、現在は既に廃盤となっています。
また日本国内で公開された映画作品では大林宣彦監督の角川映画『彼のオートバイ、彼女の島』でデビューしています。さらに1997年には自身のプライベートエッセイ『原石』が発売されました。
芸能プロダクション「ショーン・ハラダ」を設立、在籍していますが、どちらかというとショーン・ハラダと提携しているプロダクション「パシフィック・ボイス」での活動の方が目立つようです。映画だけでなくテレビドラマやCMへの出演、エッセイの出版と幅広い活躍を見せています。
原田貴和子の若い頃は
国内デビュー作である『彼のオートバイ、彼女の島』では、主人公を魅了するオートバイ乗りを演じます。このオートバイを乗りこなす原田貴和子の姿は、当時のバイク乗りたちの間で「理想の姿」として大きなインパクトを与えました。
またこのデビュー作にて、原田貴和子は「第12回大阪映画祭」主演女優賞、「第8回ヨコハマ映画祭」最優秀新人賞を受賞し、華々しいデビューを飾りました。その後も人気女優として活動しています。
原田貴和子の出演作品
海外で公開された映画でデビューし、日本国内でのデビューはその後という珍しい経歴の持ち主である原田貴和子ですが、その後は国内で活躍しました。ここからは、国内でのデビュー作にあたる映画で数々の賞を受賞し、その後も数多くの作品に出演している原田貴和子の代表作についてご紹介します。
映画「アフガニスタン地獄の日々」でデビュー
デビュー作である『アフガニスタン地獄の日々』は1986年にイタリアで公開され、日本では東宝よりVHSが出ました。映画自体は国内では未公開に終わります。
本作はアフガニスタンを舞台にした、毒ガス兵器の生き証人である博士とその娘の命を狙うソ連軍、ふたりを守ろうとする特殊チームの戦闘を描いたアクション映画です。国内未公開とあって、今では国内で入手することが難しい幻の映画となっています。
映画「彼のオートバイ、彼女の島」
原田貴和子の日本国内でのデビュー作が、この映画『彼のオートバイ、彼女の島』です。華麗にオートバイを乗りこなす原田貴和子の姿に、多くのバイク乗りは魅了されてしまいました。またこの作品で原田貴和子は大胆なヌードに挑戦するなど、デビュー作とは思えない姿勢を示します。その結果、主演女優賞や最優秀新人賞といった栄光を手にしました。
今現在の原田貴和子とこの頃の姿を比べると、昔から変わらず容姿端麗だということがよくわかります。そして原田貴和子がこの作品への出演で人気を博し、受賞にまで至ったというのも頷けます。
ドラマにも多数出演していた!
原田貴和子は映画だけではなく、数々のテレビドラマにも出演をしています。1986年に『二十歳の祭り』でドラマデビューを果たした後には、1988年に『ハッピーバースデイ殺人事件』、1990年に『すてきな片思い』、1993年に『徹底的に愛は…』など、数々のドラマで様々な役を演じては、視聴者をテレビに釘付けにしてきました。
原田貴和子の出演CM
上の動画は、原田貴和子が出演をした代表的なCMです。今となってはスマホが完全に普及していますが、当時は携帯電話が初めて登場した時代でした。この当時の携帯電話は非常に大きかったため、携帯電話を使ったことのある世代であっても、その大きさに驚くのではないでしょうか。
そんな時代から現在に至るまで、その活躍ぶりは変わっていません。今現在も若々しく美しいままの原田貴和子には驚く人も多いことでしょう。ここまで来ると「美魔女」と表現しても差し支えないのではないでしょうか。
現在の原田貴和子は?結婚している?
芸能界で華々しい活動をしていた原田貴和子ですが、今現在はどうしているのでしょうか。前述の通り、結婚を機に芸能界から一時離れた原田貴和子のプライベートに迫ります。
一般男性と結婚
原田貴和子は2001年、36歳の時に結婚をしています。お相手は某大手企業に勤めているサラリーマンでした。結婚と同時に、原田貴和子は芸能界を引退しています。やはりお相手が一般の方ということもあり、名前やどのような人なのか、といったところは全て伏せられています。
原田貴和子の子供
原田貴和子は結婚をした一般男性との間に、ふたりの子供をもうけています。それぞれ男の子と女の子であることは分かっていますが、年齢や在学学校などは一切明かされていません。原田貴和子の年齢から、大きければ2018年現在は高校生になっているのではないかと推測できます。
母親似の子供だとすれば、眉目秀麗な子供であることが予想されます。また子供の方も、恐らくこんなに綺麗な母親を持てば、授業参観の度に鼻高々であることでしょう。
今は既に離婚している
原田貴和子は離婚してからも、しばらくの間はそれを発表することなく芸能活動を続けていました。しかし2014年、およそ3年前に既に離婚をしていたことを世間に明かしています。その際、離婚の原因等は一切公表されませんでした。
所属事務所によれば円満離婚に至ったようであり、ふたりの子供の親権は母親である原田貴和子が保持、慰謝料などの問題も今では解決済だとのことです。また、今現在でも再婚についての報道はされていません。
芸能界に復帰しているという情報も!
2003年、原田貴和子は芸能界へと復帰を果たしました。その後しばらくの間は結婚生活も送っていたようですので、もしかすると芸能界への復帰が離婚の原因になっているのではないかとも噂されています。
まだ子供が小さいうちは度々の出演は難しかったのかもしれませんが、復帰してから今現在に至るまでの間には賞を受賞するなどの輝かしい功績も残しています。
また、復帰した後の2006年にはNHK教育『テレビ絵本~パパとぼく』でナレーションを担当し、更に活躍の幅を広げています。もしかしたらこの出演にも、ふたりの子供の影響があったのかもしれません。
こちらは原田貴和子が復帰した後の作品、『長い散歩』です。原田貴和子は作中で母親を亡くした一人娘を演じており、「人殺し」と罵る原田貴和子からは今までの作品にはない迫力が感じられます。
原田貴和子と原田知世の関係
人気女優であり、歌手としても活動している原田知世は原田貴和子と切っても切れない関係です。ここからは原田貴和子と原田知世の関係や、共演した作品についてご紹介します。
原田知世は妹!
・本名:原田知世
・生年月日:1967年11月28日
・現在年齢:50歳
・出身地:長崎県長崎市
・血液型:A型
・身長:160センチ
・活動内容:女優・歌手
・事務所:ショーン・ハラダ
・家族構成:エドツワキ(元配偶者)、原田貴和子(姉)
近年の原田知世はブレンディのCMでもお馴染みです。美味しそうにコーヒーを飲む原田知世の姿に、思わずブレンディのコーヒーを買ったという人も少なくないのではないでしょうか。
映画「ペコロスの母に会いに行く」で共演
1982年にテレビドラマ『セーラー服と機関銃』にてデビューした原田知世は、妹ではありますが姉の原田貴和子の先輩という立ち位置になります。ぎくしゃくしそうな関係かと思いきや、姉妹はそれほど仲が悪い様子もなく、むしろお互いの結婚や恋愛相談に乗ったりと仲のいい姉妹だそうです。
そんな二人は何度か共演もしています。初めての共演は1987年、映画『私をスキーに連れてって』でした。この時、妹の原田知世は主人公の交際相手、姉の原田貴和子は主人公のスキー仲間として出演しており、作品は1980年代のスキーブームに拍車をかけるきっかけとなったといいます。
姉・原田貴和子の結婚と引退、そして復帰の後、ふたりは再度共演を果たすことになります。それが映画『ペコロスの母に会いに行く』です。当時は姉妹で20年ぶりの共演ということもあり、多大なる注目を集めていました。
この映画では、原田貴和子は認知症を患った母親の若い頃として出演し、見事第28回高崎映画祭の最優秀助演女優賞を受賞するに至りました。認知症という社会問題にもなっている大病と真剣に向き合った名作です。原田貴和子は認知症を発症する前の母親として、息子のペコロスへの愛情深さを演じました。
原田貴和子は現在芸能界復帰していた!
一時期は結婚に伴い引退をしていた原田貴和子でしたが、現在はすでに芸能界へ復帰していました。ご紹介した通り、復帰後には映画『長い散歩』や、妹・原田知世と共演でも話題となった『ペコロスの母に会いに行く』に出演しており、輝かしい経歴を残しています。
テレビドラマでは『父に奏でるメロディ』や『わたしが子供だったころ』等にも出演し、現在では完全復帰したと言えるでしょう。2016年公開の『はなちゃんのみそ汁』への出演はまだ記憶に新しいはずです。そんな原田貴和子の、今後の活躍にも注目です。
関連する記事はこちら

