湊伸治の現在!殺人未遂で再逮捕?顔画像や家族は【コンクリ事件】

1989年の女子高生コンクリート詰め事件で逮捕された犯人たちの1人である、湊伸治の現在に迫ります。刑期を終えた後、湊伸治はムエタイ選手としてデビューしているという噂や、殺人未遂事件をおこしたという噂もあります。現在の職業、自宅や両親に噂の真相も紹介します。

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目次

  1. 1綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件とは
  2. 2湊伸治(元少年C)とは
  3. 3湊伸治の両親と兄弟
  4. 4湊伸治ら4人は事件後に更生していない?
  5. 5湊伸治は出所後ムエタイ選手に
  6. 6湊伸治が2018年に殺人未遂で逮捕【再犯】
  7. 7湊伸治の現在とは
  8. 8湊伸治は現在も再犯で逮捕されていた

綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件とは

綾瀬女子高生コンクリート詰め事件は、1988年に埼玉県三郷市内の路上で発生した事件です。11月25日の夕方、当時17歳の女子高生だった古田順子は、アルバイト先から自転車で帰宅しているところでした。その際にいきなり男に車体を蹴り倒され、その後拉致されます。古田順子を拉致した犯人は複数の不良少年たちでした。

古田順子は東京都足立区の一軒家の2階に監禁され、約40日間に渡り少年たちによる暴行、輪姦を受け続けました。1989年1月4日の午前中にも激しい集団リンチを受けた古田順子は、その後死亡します。監禁部屋に放置されていた古田順子の遺体は、翌日に加害者少年らが遺棄する事になりました。

主犯格の少年が以前の職場からトラックを手配し、側にあったドラム缶に遺体を入れてコンクリート詰めにしたといいます。調べではこのドラム缶の総量は305kgでした。

遺体の入ったドラム缶は、別件で逮捕された犯人らの鑑別所での供述により、1989年の3月29日に東京都江東区若洲の埋め立て地から発見されました。

犯行グループは4人組!

この綾瀬女子高生コンクリート詰め事件の犯人は、4人組の少年でした。当時18歳だった元少年Aこと宮野裕史、当時17歳の元少年Bこと小倉譲、当時16歳の元少年ことC湊伸治、当時17歳の元少年Dこと渡邊泰史です。

湊伸治と渡邊泰史は監禁中に誕生日を迎えていたため、事件の発生当時は15歳~16歳の時の出来事でした。犯人が未成年ばかりというところも世間に衝撃を与えました。

宮野裕史は中学時代に柔道をしており、小柄でがっしりした体格をしています。またこの事件の主犯格でした。中学時代から渡邊泰史の姉のかおりと交際していたようです。小倉譲は180cmを超える長身で、3つ年上の姉が1人います。湊伸治は小柄な格闘技好きの少年で、兄弟は兄が1人います。渡邊泰史は内気で大人しい少年でした。

犯人である4人は宮野裕史を中心にして、日頃から女性を狙って引ったくりをしたり、車を使ったレイプなどの卑劣な行為を繰り返していました。高校を中退して職業も無く、暴力団関係者が経営する銀座の花屋を手伝うなどしていたそうです。

湊伸治は以前から被害者の古田順子を知っており、仲間内に対して被害女性の話をする事があったといいます。古田順子が湊伸治の事を知っていたかは不明です。

また宮野裕史は裁判の中で、古田順子を拉致して売春行為をさせて金儲けをした事なども語った為、それらが動機に繋がったとも見られます。4人は足立区界隈を取り仕切る暴力団組事務所の「極東会」を真似て、「極青会」を名乗っていました。

湊伸治の自宅2階で犯行

拉致された古田順子は元少年C・湊伸治の自宅の部屋へ無理やり連れて行かれ、監禁されました。この自宅の詳しい住所は、東京都足立区の綾瀬7丁目でした。最寄り駅であるJR常盤線綾瀬駅から、徒歩15分ほどの場所にある家です。また周辺にはマンションやハイツなど住宅が沢山並んでいました。

湊伸治の自宅はごく普通の戸建て住宅で、間取りは3DKのベランダ付きです。広さ100㎡ほどの敷地に収まり建っていました。外観は南欧風で、一般家庭の優しい雰囲気がありました。辺りのよくある風景と人通りなどからも、古田順子はそこで想像を絶するような残酷な仕打ちが待ち受けているとは想像しなかったかもしれません。

最初に古田順子の自転車を蹴り倒した犯人は、宮野裕史に指示された湊伸治だったということです。

古田順子は宮野裕史にホテルで強姦された後、「ヤクザから匿ってやる」と言いくるめられていました。その後、小倉譲や湊伸治らも加わり、監禁場所である湊伸治の自宅へ強引に連れて行かれます。

古田順子を自宅へ監禁している間、1階には湊伸治の両親がいました。約40日もの間、激しい暴行を受け続けた古田順子を助けられなかったのでしょうか。湊伸治の両親の証言によると、被害女性に直接自宅へ帰るように促したことがあったそうです。しかし、少年らが妨害し逃がす事すら出来ませんでした。

事件後に集まった自宅周辺の住人による目撃証言では、不良たちが塀をよじ登って2階の部屋へ入っていたというものもありました。いつしか湊伸治の両親にも把握しきれないほどの事態になっていたようです。綾瀬女子高生コンクリート詰め事件に関わり、監禁の様子を知っていた者は100人以上いると言われています。

古田順子が監禁された2日後には捜索願も出されていましたが、警察が捜査をしに来たことは1度もなかったそうです。

湊伸治の両親が共産党だったために捜査が困難だった

綾瀬女子高生コンクリート詰め事件が発覚した後、監禁現場の自宅へは捜査員が逮捕状を持って訪れています。それに対して湊伸治の両親は、弁護士を用意して立ち塞がり協力を拒否しました。両親はともに日本共産党の党員であった為、警察側もマスコミを恐れ慎重になり中々踏み込めなかったのです。

両親らは公的な手続きをしない限りは自宅を調べさせないと言い張りました。その後の家宅捜査の際にも、随時弁護士立ち合いの下で作業が行われました。両親は自宅内で犯人たちが行っていた事を把握しながらも、息子をかばいたかったのでしょうか。この時の心境については何も語られていませんでした。

少年らそれぞれに短い懲役のみの判決が下った

犯人の少年らは全員が学業も職業も無い未成年でした。犯行内容も極めて卑劣で悪質なものです。警察は1989年の4月20日「刑事処分相当」という意見書を添付して、犯人の少年らを裁判所へ送致しました。東京家裁で行われた少年審判でも「刑事処分が相当」であるとし、犯人の少年らを東京地検へ逆送致しています。

1989年5月25日、東京地検は殺人、猥褻目的略取誘拐、逮捕監禁、強姦などで東京地裁へ起訴しました。最終的な判決結果は元少年A・宮野裕史は懲役20年、元少年B・小倉譲は懲役5年以上9年以下の不定期刑、元少年C・湊伸治は懲役4年以上6年以下の不定期刑、元少年D・渡邊泰史は懲役5年以上7年以下の不定期刑となりました。

宮野裕史以外の少年は懲役5年前後となり、全体的にみて非常に軽い判決内容です。被害者のあまりにも惨い殺害のされ方から、判決結果にも非難の声が相次いでいました。

湊伸治(元少年C)とは

綾瀬女子高生コンクリート詰め事件までの湊伸治の前科については、バイクの無免許運転となっていました。その際には補導されて、1年間の保護観察処分を受けています。

未成年者の犯罪とは親の責任が重いとも言われています。犯人の元少年C・湊伸治とは、一体どんな少年だったのでしょうか。元少年C・湊伸治と両親との関係や、生い立ちを辿ってその人物像にも迫ってみましょう。

湊伸治は1972年生まれ!当時の画像は

元少年Cの湊伸治は1972年12月16日生まれで、綾瀬女子高生コンクリート詰め事件の発生時はまだ15歳の少年でした。出身は埼玉県川口市東内野です。当時の湊伸治の顔写真は少年法で未だに非公開になっており、プライベートなものは一切公開されていません。

ただ、事件当時に週刊文春が少年らの実名と学生時代の写真などを掲載して、話題になっていました。

湊伸治は裕福な家庭で育った

湊伸治は足立区立東加平小学校を卒業し、足立区立東綾瀬中学校に入学します。この中学校は「足立区の学習院」と呼ばれるようなエリート中学校だそうです。しかし体罰が盛んにあり、問題を起こす生徒が毎日のように殴られるという状況であったそうです。湊伸治はバスケ部に入部しましたが、女性教員に殴られて退部していました。

中学を卒業後には、東京都立化学工業高等学校(現・東京都立科学技術高等学校)へ進学しています。都内で唯一の化学専門の工業高校でした。高校は1年の1学期で中退しています。湊伸治が校内暴力をふるってそのまま辞めたなどの噂があったようです。

幼い頃から父からの虐待があった

湊伸治の父親は酒癖が悪く、何でも放任主義だったそうです。2人の息子に対しては、日常的に虐待を行っていました。母親の言う事をきかなかったり約束していたお手伝いをしていなかった時には、夜中でも息子を起こして暴力をふるいました。そして夜中の公園を走らせるなどをしたそうです。

そんな父親の暴力による支配も、女性をリンチし殺害する事に繋がってしまったのかもしれません。

他にも湊伸治と兄の恒治は、父から1週間に1度は殴られていた事や、泣いても逃げても追いかけてきて暴力をふるわれたという事を弁護士へ証言しました。一方で、父親は息子を殴ったのは月に1度か年に数回程度だったと、息子の証言を全面的に否定しています。いずれにしても父親が虐待をしていたのは、息子のしつけや教育というものでもなかったようです。

その後、息子が成長して父親の暴力に支配される事がなくなると、湊伸治が家庭内暴力をふるう事も出始めました。湊伸治の暴力には格闘技が好きだった点や学校での虐待による挫折など、色々な要因が重なってしまったようです。湊伸治の父親は2016年の12月に病気でこの世を去りました。

ちなみに綾瀬女子高生コンクリート詰め事件の主犯格であった宮野裕史の父親も愛人宅に入り浸り、母親に生計や子育てを任せっきりでした。高校生の頃には湊伸治と同じく、家庭内暴力もふるう事もあったようです。宮野裕史は出所した際に関西の保護司の養子となり、現在は横山裕史という名前になっています。

さらに横山裕史は2013年の1月に振込詐欺の容疑で逮捕されています。この事件は横山裕史らがパチンコ必勝法の情報を現金化するという詐欺でした。犯人は素人に近い詐欺グループで、横山裕史は末端の役回りであったとされています。振込先の口座が横山裕史のものでした。逮捕後は黙秘を貫いており、最終的には不起訴でした。

湊伸治の両親と兄弟

湊伸治は両親と兄との4人家族でした。自宅でとんでもない事件を起こした湊伸治にとって、家族とはどのようなものだったのでしょうか。ここでは日本共産党に入っていたという両親の職業や、兄の出身校などを詳しく調べてまとめます。

湊伸治の両親の職業は?共産党?

湊伸治の父親・靖人は事件当時48歳で、職業は共産党系の診療所経営兼、薬剤師をしていました。場所は東京都中央区入舟1丁目の交差点のそばにある「鉄砲洲診療所」という診療所です。診療項目は内科、漢方、東洋医学、小児科、消化器科、循環器科、呼吸器科です。1つ年下の母親・ます子の職業は、この診療所での看護師主任でした。

そして両親ともに日本共産党の党員でした。母親にとって23年間務めた職業でしたが、息子たちが起こした綾瀬女子高生コンクリート詰め事件により両親揃って辞職しました。

兄の恒治は容疑者の1人と同級生

湊伸治の兄・恒治は事件当時17歳で、都立青井高校に通う高校3年生でした。出身中学は足立区立東綾瀬中学校です。そこでは元少年・Bの小倉譲と同級生でした。その繋がりもあったからか、湊伸治の自宅は日頃から小倉譲たちの溜まり場になっていたようです。

また湊兄弟は兄の恒治は優秀で、弟の伸治はできが悪いなどとしばしば比べられる事があったようです。父親は弟が非行で手が付けられないとも話しており、兄を大切に考えていたのかもしれません。あまり兄弟揃ってのエピソードは無く、湊伸治との仲も良いというほどではなかった事が窺えます。

しかしながら、綾瀬女子高生コンクリート詰め事件では確実に兄も事件に加わっていたようです。日頃から古田順子を監視し、最終的に遺棄する事も手伝っていました。兄の現在の職業や居場所は不明です。

事件後両親は退職・共産党からも除名された

湊伸治の両親は、事件後はともに仕事を辞職しています。両親が所属していた共産党からも、すぐさま除名されました。共産党は正式に「事件とは一切関係がありません」と発表もしています。またその後、日本共産党の発行する新聞である『しんぶん赤旗』には、母・ます子による記事と、バックアップコラムも掲載されていました。

しんぶん赤旗に事件の記事が連日掲載

1989年5月20日から5月27日まで共産党のしんぶん赤旗には、前述の通り湊伸治の母親・ます子による記事が掲載されていました。また記事の中には、監禁中に被害女性の自宅の電話番号を見つけて、電話した事があったというものがあります。

被害女性の母親に娘が喫煙するのかを聞いたところ、日頃の喫煙を認めたなど、被害女性にも不良行為があったと主張しました。ニュアンス的に被害女性の落ち度を指摘する事で、自分たちを正当化しようという意思が見えるものでした。

コラムは世間からのバッシングに抵抗するかのように連日掲載されていました。また湊伸治の母親は、事件の裁判も1度も欠かさずに傍聴していました。

湊伸治ら4人は事件後に更生していない?

綾瀬女子高生コンクリート詰め事件についての罪は、主犯格の少年の懲役刑を含めても世間では軽過ぎると言われていました。また元少年らは公開された裁判の中でも頭を下げて涙し、自分たちの犯した罪について償っていきたいと言っていました。

それぞれ4人の少年らは自身の犯した罪について深く反省し、更生する事が出来たのでしょうか。元少年たちの出所後の様子についてを見ていきましょう。

現在は犯人グループの4人が全員出所している

現在、綾瀬女子高生コンクリート詰め事件の犯人である少年たちは、最長刑の宮野裕史を含めた全員が出所しています。更生に向けての日々を送り、被害者への償いと懺悔の日々を過ごしていたのか気になるところです。湊伸治と渡邊泰史以外の少年らは保護司との養子縁組を行って戸籍も変更しており、全員が自由の身となりました。

その後更生とは程遠い生活を送っている

裁判では罪を償うと涙ながらに述べた元少年らですが、1999年8月に奈良少年刑務所を出所した元少年B・小倉譲は、遺族への慰謝料とする費用を使って高級住宅とセルシオを購入したそうです。

そういった生活態度はかつての不良仲間から、「あいつ、刑務所行っても全然懲りてねえ」と言われるほどであったといいます。こういった行動からもわかるように、過去の罪を悔いて反省する様子が無い事が窺えます。

また職業はというと、JapanMediaSystemというコンピューター会社に就職したものの、勤務態度は非常に悪かったそうです。小倉譲も横山裕史と同様に出所した際に保護司の神作久子と養子縁組を行い、神作譲になっています。2002年には暴力団事務所を出入りし始め、中国人女性と結婚しています。

懲役20年を経て出所した横山裕史もその後はマルチ商法で稼ぎ、BMWに乗ったり、ブランド物を沢山身に着けるといった派手な生活を送っているようです。職業不詳ながらも横山裕史の派手な日常が、実話ナックルズの投稿記事で取り上げられた事もありました。

このように元少年らは出所してから現在まで、更生した姿というものは見せる事がありません。むしろ、派手な生き様を見せつけるかのような生活を送っていました。

再犯を繰り返している?

2004年6月に神作譲が三郷市逮捕監禁致傷事件を起こして逮捕されました。20代の男性に因縁を付け、車で母親が営むスナックへ連れ込み朝まで暴行を加えたという容疑での逮捕です。その際の被害者には「綾瀬女子高生コンクリート詰め事件」について自慢げに話したと言います。ここでも元少年の更生した姿はありません。被害者は殺人未遂を訴えました。

神作譲はこの時に「1人殺すのも2人殺すのも同じだ」と脅したそうです。本人曰く、また殺す事があっても罪は同じだと考えているようです。2013年には職業不詳の横山裕史が、振込詐欺の犯人として逮捕されています。詐欺は強姦と同じく再犯率の高い犯罪である為、今後もまた再犯を繰り返す可能性もあります。

そして2018年には、湊伸治も殺人未遂事件の犯人となり逮捕されています。次々と続く元少年らの再犯に、大きな不安が残ります。

湊伸治は出所後ムエタイ選手に

出所後の湊伸治は、ずっと好きだった格闘技のプロになる事にしました。好きな事を職業にするために、決意した事なのかもしれません。綾瀬の監禁部屋にした自宅にも、沢山のトレーニング器具を置くほどでした。しかし実績無しでプロになれるほどの実力があったのでしょうか。湊伸治がムエタイ選手として、デビューした時の様子についてを紹介します。

湊伸治は2008年にムエタイ選手としてデビュー

格闘技が好きだった湊伸治は、出所後は週3日ウィラサレックというジムに通い、ムエタイのトレーニングをしていました。このウィラサレックは日本初のムエタイジムで、本場のタイへ行くよりも手軽に鍛えられるというジムでした。トレーニングの甲斐もあって、ムエタイの実績はゼロでしたがムエタイ選手としてプロデビューという目標は達成しました。

このムエタイ選手のデビュー時の写真は、現在もネット上に多く出回っています。ムエタイ時代の湊伸治を知る人物の証言の中には、湊伸治が地味で無口だったというものがあります。ムエタイ選手デビュー時の写真は生き生きとした表情をしていますが、他のジム内の生徒と話しているところなど見たことが無いほどだったようです。

黙々とトレーニングをしつつ、好きな格闘技の世界で新たな人生を築いていきたかったのかもしれません。

「コンクリ」とブーイングを受けた

湊伸治は当時、トラック運転手という職業をしながらのムエタイ選手デビューだったようです。しかし地元からデビューをした為に、用意された会場に入る観客のほとんどが湊伸治の事件の事を知っていました。試合中も「コンクリ」のコールと、ブーイングやバッシングが巻き起こりました。実際に試合に出場したのは2回ほどで、2回とも湊伸治の負けでした。

湊伸治はその後ムエタイを辞めている

湊伸治の試合中に巻き起こったコンクリブーイングの様子などが広まり、綾瀬女子高生コンクリート詰め事件の犯人であることがジム内に知れ渡っていきました。そしてジムにも「あんな奴を所属させるな」など野次やクレームが付けられ始めており、湊伸治本人も察したようです。結局、湊伸治はムエタイを引退しました。

それに伴い、2年通ったムエタイジムからもフェードアウトしていったそうです。

湊伸治が2018年に殺人未遂で逮捕【再犯】

2018年9月6日号の週刊新潮に綾瀬女子高生コンクリート詰め事件の元少年が、殺人未遂で逮捕という記事が出ました。電車の中づり用広告には29年前の被害者である古田順子の写真も掲載され、一目であの事件を思い起こさせていました。テレビでも2局ほど殺人未遂事件の報道がありました。

テレビでは事件のニュースは3分程度で報じられ、綾瀬女子高生コンクリート詰め事件には一切触れませんでした。とはいえ、ニュースは日本のみならず台湾でも報道されていたようで、現在も湊伸治の名前にピンと来た人は多かったようです。ここからは45歳の湊伸治が犯した「殺人未遂」の詳細について紹介します。

男性をナイフで刺した!?

湊伸治が犯した殺人未遂とは、路上でトラブルになった37歳の男性の肩を警棒で殴りつけ、さらに背後からナイフで首を斬りつけたというものでした。警棒は3段伸縮タイプで長さは41cmあったそうです。湊伸治が護身用にと車に積んでいたアイテムでした。ナイフは折り畳み式で刃は8cmあり、広げると19cmになるものでした。

相手を追いかけて車から引っ張り出し、何度も殴りつけるなどをしたそうです。被害者の命に別状はありませんでした。

湊伸治が殺人未遂で緊急逮捕!現在の画像はある?

2018年8月15日18時5分に通報を受け、警察官が現場に駆け付けました。しかし湊伸治はすでに自宅へと逃げ帰った後でした。警察はその場に停めたままになっていた車のナンバーから自宅を割り出し、部屋へと向かいます。自宅にいた湊伸治に犯行内容を尋ねると認めた為、19時50分湊伸治は殺人未遂の容疑で緊急逮捕されました。

このように更生の見られない綾瀬女子高生コンクリート詰め事件の元少年らですが、再犯時の顔写真は一切公開されていません。ネットなどでは40歳を過ぎてもいまだに少年法で守られているようなものだという意見が多く見られます。ただし、ネット上には実話ナックルズに寄せられたいくつかの元少年の写真が流出しています。

湊伸治は殺人未遂を犯した際、「身長160cmほどで体型ががっしりとして、坊主頭だった」という話があるようです。

駐車場トラブルが原因?因縁をつけていた?

被害者と湊伸治は全く面識がありませんでした。湊伸治が車を停めていた駐車場へ被害者男性が軽トラに乗って入ったところ、被害者男性の停め方に対して湊伸治が因縁を付けたようです。周囲で目撃していた人の証言などによれば、湊伸治が仁王立ちをして停車しようとする車をにらみつけたというものがありました。

軽トラには被害者の後輩も乗っており、3人でもみ合うような状況だったようです。被害者男性は、刺された箇所が5mmズレていたら死んでいたとも言われたそうです。この川口市の現場とは、綾瀬女子高生コンクリート詰め事件の現場から車で約30分ほどの距離です。過去を悔やみ、殺人未遂を思いとどまるという事が出来なかったようです。

湊伸治はもともと埼玉県川口市東内野の出身なので、現在は生まれ育った場所へと帰ってきていたという事になります。

公判で裁判官に猛抗議

湊伸治は2019年3月5日に開かれた第二回公判で、被害者を刺したことを否認し始め、自分の主張を事前に手紙にしたため裁判官に直接送付したことなどを興奮気味に伝えました。

また公判では被害者による犯行時の供述や尋問が行われましたが、その後も湊伸治は「自分が刺したのではない」という主張を変えず「ナイフによる攻撃は首には当たってない」ことや「傷があるとすればそれは医師や警察の捏造だ」という旨の主張を続けました。これによって被害者の処置を行った医師の証人尋問などが行われる見通しです。

湊伸治の現在とは

出所した後の湊伸治は自分に合った職業を見つけるべく、ムエタイ選手になったりしました。それも諦めた後には福祉や運送業などの職業に就いて生活していました。両親の暮らす京都の伏見区に居た時期もあるようです。しばらくの足取りも途絶えつつあった矢先の逮捕から、再び明らかとなった現在の湊伸治についてを解説します。

2010年に外国人と結婚していた

出所後の2010年に、湊伸治は外国人の女性と結婚していました。相手の女性の国や職業などについては一切情報公開されていません。中欧や東欧など相手女性の出身国についても、いろいろな説があるようです。足立区綾瀬の監禁部屋が南欧風のデザインだった事から、好みを推測されるのかもしれません。どこで知り合ったのかなども一切不明です。

現在の自宅では外国人女性は一緒に住んでおらず、すでに離婚していると推測されます。

現在は無職!自宅は埼玉県川口市?

湊伸治は現在、決まった職業にはついていないようです。時々、現在住んでいるアパートのベランダにテキ屋の幕が干されていたようです。入居時期は2018年の夏頃だったということですので、縁日などで露天商をしていたのかもしれません。この埼玉県川口市のアパートも住み始めたばかりでした。

それまでの湊伸治は東京都の南蒲田に住んでおり、トーカイ21で福祉関係の職業に就いていました。湊伸治が35歳の頃から10年近く住んでいた南蒲田のアパートでは、夜中の騒音、男女の激しい口論、火災報知機が相次いで押される、窓ガラスが割られるといった謎のトラブルが相次いでいたようです。

2018年の5月に管理会社が防犯カメラを設置したとたん、湊伸治はそのアパートから引っ越したそうです。

コンフォートマンション東内野

現在の湊伸治が住んでいる川口市のアパートは、間取りが2DKで家賃が3万9千円です。湊伸治は2階の部屋を借りています。アパートは2階建てですが、家賃は全室一律になっています。JR東浦和駅から徒歩23分で、築39年の木造アパートです。

また湊伸治が入居時に不動産契約をする際には同年代の女性が付き添っており、湊伸治と結婚予定だと言っていたそうです。湊伸治は車も所有しているようですが、このマンションは駐車場も月3千円と格安でした。そして湊伸治の入居してきた夏頃には、アパートの近くで行われる花火大会もよく見えたそうです。

騒音も多く近隣住民からの評判は良くない

「身長は160センチちょっとかな。小柄だけどガッシリしてる。坊主頭で、いつも短パンにダブダブでボーダーのTシャツだったね。突然話しかけてくることがあるんだけど、なぜかトランプ政権の話だったり、やけに社会派なことを言いたがるんだよ。だけど、働きもせずに何をやっているか分からないような奴に、そんな話を振られてもね……相手にしないようにしていた。だって、人が車の外からドアを半開きにして中のものを探しているときに、いきなりドアをバーンと閉めようとするんだ。ドアに挟まっちゃうじゃない。そんなところも見たしね。そうそう、それが下の階に住んでいる人で、事件のあった朝、ちょっと揉めていたみたいだよ」

同じアパートに住む人の証言によると、湊伸治は夜中の3時でも奇声を上げたり床を踏み鳴らしたり、とにかくうるさいそうです。酒を飲んだり部屋で格闘技でもしているのかもしれません。下の部屋の照明器具が揺れるほどだったといいます。騒音に耐え兼ねた住人が部屋へ行っても出てこず、住人が戻るとまた大きな音を立てるそうです。

大声をあげて階段を駆け下りてきたり、周囲を警戒する様子も見られたようです。何かに怯えながら暮らしていたのか、精神状態もかなり不安定だったのかもしれません。殺人未遂事件の被害者も、湊伸治がクスリでもやっているのかと思ったと証言していました。今回の殺人未遂事件の後も、周辺住民は困惑していました。

警察官は殺人未遂を起こした犯人の男が一体何者だったのかと訊かれると、「大物です」と言ったそうです。

湊伸治は現在も再犯で逮捕されていた

昭和から平成の移り変わりを少年刑務所で過ごした湊伸治でしたが、現在の心境もその頃と何ら変化が無さそうです。4人は共通して、あの綾瀬女子高生コンクリート詰め事件の監禁現場近くに戻っているのです。そして元少年たちは、4人中3人が再犯を犯しました。1人は引きこもりになり部屋から出てこない状況です。

世間では元少年らの更生は完全に失敗しているという声も聞かれます。また逮捕の度に、元少年たちと暴力団や裏社会との繋がりも垣間見えてきます。平成の終わりにも刑務所にいる湊伸治は、今後をどう生きていくのでしょうか。社会全体の在り方や更生について、もう1度考え直さなければならないのかもしれません。

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