アルバート・フィッシュの事件とは!生い立ちや異常性癖を解説【猟奇的連続殺人犯】

このページは、アメリカきっての殺人鬼として、映画や小説にも影響を与えたアルバート・フィッシュについてのまとめです。アルバート・フィッシュの生い立ちから起こしてきた事件、人肉を食べたというエピソード、名言、そして裁判を経て死刑になるまでを解説していきます。

アルバート・フィッシュの事件とは!生い立ちや異常性癖を解説【猟奇的連続殺人犯】のイメージ

目次

  1. 1アルバート・フィッシュとは
  2. 2アルバート・フィッシュの悲惨な生い立ち
  3. 3アルバート・フィッシュの異常性癖
  4. 4アルバート・フィッシュが起こした事件
  5. 5アルバート・フィッシュの裁判とその後
  6. 6アルバート・フィッシュは異常性癖のある連続殺人鬼

アルバート・フィッシュとは

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アルバート・フィッシュとは、アメリカ犯罪史上最悪と言われる殺人犯であり、食人者の名前です。その手にかけてきた犠牲者の数は、彼自身の自供によれば400人にも上ると言われており、疑いようのない凶悪犯罪者として恐れられています。ここでは、アルバート・フィッシュの生い立ちや事件、その最期について解説していきます。

アメリカ史上最悪の猟奇的連続殺人鬼

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アルバート・フィッシュの名前は、今でも「アメリカ史上最悪の猟奇的連続殺人鬼」として挙げられます。本名「アルバート・ハミルトン・フィッシュ」は、1870年にアメリカ合衆国、ワシントンDCに生まれました。

アルバート・フィッシュは成人後、1898年に年下の女性と結婚。6人の子供をもうけます。しかし、フィッシュは結婚後19年目に離婚、全米を放浪しながら恐るべき殺人事件を繰り返していくのです。最終的にアルバート・フィッシュは逮捕され、1935年に死刑判決を受けました。翌年に死刑が執行され、アルバート・フィッシュは65歳で死去しています。

数々の異名を持つ

アルバート・フィッシュは死刑が執行され65歳で死去するまで、身の毛もよだつような殺人事件を繰り返してきました。彼が起こしてきた事件はどれも悲惨なもので、アルバート・フィッシュはアメリカ犯罪史上まれに見る凶悪犯罪者として、様々な異名で呼ばれるようになったのです。

彼の異名の一つに「満月の狂人」というものがあります。これは、満月の日に事件を起こすことが多かったことから着いた異名です。また、彼は恐るべきことに、しばしば殺害した犠牲者の肉を食べていたことがわかっています。このことから、彼は「グレイマン」、「ブルックリンの吸血鬼」と呼ばれることもあります。

映画・小説に多大な影響を与える

アルバート・フィッシュが引き起こしてきた数々の現実離れした凶悪犯罪、そして人間離れした凶悪犯罪を冒してきたアルバート・フィッシュという人物は、映画や小説といった媒体にも多大な影響を与えてきました。

「凶悪殺人犯にして食人者」と聞けば『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターを思い出す人は少なくないでしょう。このレクターのモデルがアルバート・フィッシュであると言われています。また、2003年のホラー映画『マーダー・ライド・ショー』には、アルバート・フィッシュが人形として登場しています。

また、小説家ケイレブ・カーの著作『エイリアニスト』に登場する殺人鬼が書いた手紙の内容に、アルバート・フィッシュが実際に書いた手紙との類似点があるのです。

アルバート・フィッシュの悲惨な生い立ち

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常識では考えられないような凶悪犯罪を繰り返した殺人犯、アルバート・フィッシュは、その生い立ちもまた異常なものでした。ここでは、アルバート・フィッシュの生い立ちがどのようなものであったかを解説していきます。

生い立ち①精神疾患が多い家系に生まれる

異常な事件を起こす人物は、得てしてその人物だけでなく、家系全体に何らかの異常な点があるものです。アルバート・フィッシュもその例にもれず、その家系は、そもそも精神疾患の多い家系であったことが知られています。

アルバート・フィッシュは75歳という高齢の父と、32歳の母という43歳差の二人の間に生まれました。父は躁うつ病で宗教にのめり込んでおり、母は幻覚症状を患っていたといいます。さらに、アルバート・フィッシュの叔父は躁病、兄弟たちは精神薄弱者だったとされているのです。

このように、アルバート・フィッシュの親族の多くは重篤な精神疾患を抱えており、そのうち少なくとも2人は精神病院で死亡していると言われています。

生い立ち②いじめ・虐待の標的になる

アルバート・フィッシュはかつて、いじめや虐待の標的とされていました。前述の通り、アルバート・フィッシュが生まれた時にはすでに高齢だった彼の父は、フィッシュが5歳の時に死亡したのです。そしてアルバート・フィッシュは、セント・ジョン孤児院に預けられ、数年間を家族と離れて暮らすことになります。

孤児院では、日常的に教師たちによる虐待が行われており、アルバート・フィッシュもそこで、他の生徒が見ている前で服を脱がされ、鞭で打たれるという虐待を受けてきました。

しかし、アルバート・フィッシュはこの虐待に、恐怖ではなく快感を覚えるようになっていたのです。後に彼自身の口から、「鞭打ちを楽しみにしていた」という衝撃的な発言もありました。そしてアルバート・フィッシュは、この性癖を気味悪がった他の生徒たちによっていじめを受けるようになるのです。

生い立ち③サウナでの強姦生活

アルバート・フィッシュは、孤児院での虐待の経験により、極度のマゾヒズムとサディズムという異常な性癖を持つようになりました。彼は、この自分の性癖を満足させてくれる相手を探してアメリカ中をさまよい歩きますが、当然そんな相手は簡単には見つかりません。

孤児院を出たアルバート・フィッシュは、19歳の時に家族と一緒にニューヨークに移住します。そこで彼は、男性の裸を覗き見ることを目的としてサウナに入り浸るようになります。さらに、それだけでは飽き足らず、アルバート・フィッシュはサウナに来た少年たちを言葉巧みに誘い強姦するようになったのです。

生い立ち④離婚で犯罪行為が加速

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異常な性癖を抱えていたアルバート・フィッシュですが、実は28歳の時に結婚しています。9歳年下の女性と結婚したアルバート・フィッシュは、6人の子供を設けていました。しかし、やはり平和な家庭を築くことはできず、最終的には離婚してしまいました。

離婚後、アルバート・フィッシュの異常行動はさらに加速していきます。旅行中に「自分はキリストだ」と叫んだり、実子や友人たちに自分を叩くように頼んだりといった正気とは思えない行動が増えていくのです。彼にとっては、こうした被虐行為は、贖罪のためのものだったとも考えられます。

そうした状態で家庭を維持することなどできるはずもなく、最終的にアルバート・フィッシュは長男から家を追い出されてしまうのです。

アルバート・フィッシュの異常性癖

これまで述べてきたように、アルバート・フィッシュはその人生の中で、様々な異常性癖を抱えるようになっていきました。ここでは、彼の常識では考えられないような異常性癖について解説していきます。

きっかけは食糞と飲尿

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アルバート・フィッシュの最初の異常性癖は、食糞と飲尿でした。アルバート・フィッシュは虐待を受けてきた孤児院を出て家族のもとに帰ってきましたが、母親が忙しく、彼は常に孤独を抱えていました。

そんなアルバート・フィッシュが12歳の時、彼は電報配達をしていた少年と知り合い、親密になります。実は、その少年は食糞と飲尿という異常行動に性的興奮を覚えるという性癖の持ち主だったのです。アルバート・フィッシュもこの少年の影響から、排泄物を口にするという行為に快感を覚えるようになっていきました。

レントゲンで発見された陰嚢の釘

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アルバート・フィッシュは、自身の肉体を痛めつけることにも快感を覚えていました。それを端的に表すのが、自分の陰嚢に釘を打ち込んでいたという恐るべきエピソードです。

最初こそ釘を刺してはすぐに抜いていたようですが、その行為はどんどんエスカレートしていきます。より大きな快感を得るために、引き抜くのが難しくなるほど深く釘を刺すようになっていくのです。

アルバート・フィッシュは、こうした自傷行為を逮捕されるまで継続していたと言われています。そして、逮捕時に証拠として提出されたレントゲン写真によれば、彼の陰嚢には大量の釘が刺さったままになっていたのです。その数は、12本とも29本とも言われています。

殺害の目的は人肉を食べること?

アルバート・フィッシュは、自傷行為だけでなく大量殺人も行ってきました。しかも、その目的はただ単に殺害することではなく、犠牲者の肉を食することだったという点が、アルバート・フィッシュの猟奇性を端的に表しています。

こうした彼の食人癖は、実は彼の兄からもたらされたものでした。アルバート・フィッシュが孤児院から帰ってきた時に、彼の兄も軍隊を除隊し家に帰ってきました。そこで兄は、アルバート・フィッシュに戦場で食人を目撃した話をしたり、男女の性行為の写真を見せたりしていたそうです。

これがきっかけとなり、アルバート・フィッシュは食人に強い興味を持つようになりました。そして、ついには自分自身で数多くの子供を殺した上に調理し、食人に及ぶようになったのです。

息子たちに自身へのイジメを懇願

アルバート・フィッシュには、猟奇殺人鬼という加虐的な側面と同時に、自身を痛めつけたいという被虐的な性癖もありました。しかも彼は、それを自分の子どもたちに要求していたのです。アルバート・フィッシュは、自分の子どもたちに暴力を振るうことはありませんでした。

その代わりに、彼は逆に子どもたちに、釘を打った板を用いて自分の尻を叩くように要求していたと言います。アルバート・フィッシュはこうした行為に大きな快感を覚え、子どもたちの眼前で絶頂していました。アルバート・フィッシュはこの行為を「キリストの受難である」と子どもたちに説明していたようです。

その他の異常な性的倒錯

アルバート・フィッシュの異常性癖は、これらにとどまりません。被虐的な側面でも加虐的な側面でも、異常というほかない性癖を持っていたのです。

被虐的な性癖としては、前述した陰嚢に釘を打つという行為では飽き足らず、オイルを染み込ませた綿球を肛門に挿入し、それに火を着けるという異常な行為を行っていたことがわかっています。これによってアルバート・フィッシュは、直腸が文字通り焼けるような感覚に酔いしれていたのです。

加虐的な性癖としては、子供を残虐な行為で苦しめ、泣きわめく姿に異常な興奮を覚えていたと言います。こうした拷問じみた行為については、彼自身が「犠牲者の悲鳴やその姿は忘れられません」と発言しているのです。

アルバート・フィッシュが起こした事件

アルバート・フィッシュは、単独で行ったとは思えないほどたくさんの殺人事件を引き起こしてきました。ここでは、彼が引き起こした代表的な殺人事件を紹介していきましょう。

事件①トーマス・ケッデン殺害

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1910年、アルバート・フィッシュがまだ結婚生活を続けていた時に起こした事件です。アルバート・フィッシュは、当時19歳だったトーマス・ケッデンという少年を殺害しました。ケッデンは知能に障害があり、アルバート・フィッシュはそこにつけ込んだようです。

アルバート・フィッシュはケッデンを農家の小屋に連れ込むと、そこで2週間に渡って拷問を加え続けます。最終的にアルバート・フィッシュは、ケッデンを拘束した上で性器を切り落とすという凶行に及びました。

殺害後、アルバート・フィッシュは腐敗臭を防ぐために傷口に過酸化物を塗布すると、切断した性器と10ドル札だけを持ってその場を後にしました。

事件②フランシス・マクドネル殺害

1924年に起こした事件です。当時8歳だったフランシス・マクドネルの両親が、息子が行方不明になり警察に連絡したことから、事件が発覚しました。

マクドネルの最後の目撃情報は、スタテンアイランドで友達とキャッチボールをしている姿でした。その友達の証言によれば、マクドネルはグレーのヒゲをはやした男と一緒にどこかに行ったと言います。その男がアルバート・フィッシュであることを、マクドネルの母親は知っていました。

マクドネルは最終的に、暴行を受けてサスペンダーで絞殺された上に樹の枝から吊り下げられた姿で発見されました。後のアルバート・フィッシュの証言によれば、彼はこの時も性器を切り取ろうとしていたものの、人が来たのでその場を離れたと言っています。

事件③ビリー・ガフニー殺害

1927年に起こった事件です。犠牲者となったビリー・ガフニーは当時4歳で、ブルックリンのアパートで友達2人と遊んでいた時に、伝説上の怪人である「ブギーマン」にさらわれたと言われていました。

この事件の犯人として最初に挙げられたのは、同じく連続殺人鬼であったペーテル・クジアノフスキでした。しかし、後に事件の日にガフニーと思われる子供を引きずっていくアルバート・フィッシュが目撃されていたことから、逮捕に至りました。

アルバート・フィッシュはこの事件にて、自身の弁護士に対し、ガフニーを拘束してから手製の鞭で暴行を加えたことを記した手紙を送っています。なお、事件後もガフニーの遺体は見つかっていません。

事件④グレース・バッド殺害

1928年の事件です。アルバート・フィッシュは犠牲者となった当時10歳のグレース・バッドを自宅から連れ出します。しかし、実際にはアルバート・フィッシュの最初のターゲットはグレースではなく、その兄であるエドワードでした。

アルバート・フィッシュはエドワードが新聞に掲載した求人広告をたどってバッド家を訪れます。そして、2回目にバッド家を訪れた際にグレースに会ったことで、アルバート・フィッシュは標的を妹のグレースに変更したのです。グレースを家からうまく連れ出したアルバート・フィッシュは彼女を殺害し、食人に及びます。

この事件は犯行から実に2年もの間解決されませんでした。そのため、バッド家の住人すら容疑者と考えられたこともあったのです。犠牲者であるグレースの頭蓋骨が見つかったのは、1934年になってからでした。

アルバート・フィッシュの裁判とその後

数々の凶悪な殺人事件を繰り返してきたアルバート・フィッシュも、最終的には逮捕され、1935年に裁判を受けることになります。ここでは、アルバート・フィッシュの逮捕から裁判、そして死刑判決までの出来事を解説していきます。

逮捕のきっかけは一通の手紙

数々のおぞましい事件を繰り返してきたアルバート・フィッシュも、ついに逮捕されてしまいます。そのきっかけとなったのは、アルバート・フィッシュ自身がグレース・バッドの母親に宛てて書いた、グレースの殺害方法を事細かに記した手紙でした。

この常軌を逸した内容の手紙には、ニューヨーク個人運転手慈善協会の頭文字である「N.Y.P.C.B.A.」の文字が入っていました。このことからアルバート・フィッシュが使っていた下宿先が明らかになり、ついにアルバート・フィッシュは逮捕されるに至ったのです。

アルバート・フィッシュの主張と死刑宣告

逮捕されたアルバート・フィッシュの裁判は、1935年に行われました。その際、アルバート・フィッシュ側についた精神科医は、彼の犯行は幼少期から受けてきた虐待によるもの、異常な性癖は家庭環境によって後天的に植え付けられたものであるという主張が行われます。

当然、凶悪殺人犯として死刑を求める声も大きかったのですが、その反面、こうした主張によってアルバート・フィッシュがただの愉快犯でないこともわかってきたのです。アルバート・フィッシュの裁判は10日間続き、最終的にフィッシュには死刑が求刑されました。

この求刑に、アルバート・フィッシュは不満を示していましたが、同時に激しく興奮していたと言われています。死刑執行の当日、電気椅子にかけられる際には「最高のスリルだ」とも言っていたことから、彼の異常性が分かるというものでしょう。

アルバート・フィッシュが残した名言

アメリカ犯罪史上に残る猟奇殺人樹であるアルバート・フィッシュは、その凶悪な事件だけでなく、数々の名言も残しています。ここでは、アルバート・フィッシュの残した名言を紹介していきましょう。

加虐願望と被虐願望を併せ持っていたアルバート・フィッシュは、「いつも他者を苦しめたい欲求があり、自分も苦しめられたいと思っていた。苦痛を与えたいという願望は、なによりも一番大事なことだった」という言葉を残しています。これだけでも、彼の異常性が十分伝わって来るでしょう。

また、アルバート・フィッシュは犠牲者の肉を食していました。自身が作った人肉のスープについて、彼は「うまかったよ」と発言しています。彼は基本的に、自身が調理した人肉の味については褒めるコメントを残しています。

アルバート・フィッシュは異常性癖のある連続殺人鬼

アルバート・フィッシュは、アメリカ犯罪史上に残る凶悪殺人鬼として知られています。彼の自供によれば、殺害した人数は400人にものぼり、多くの犠牲者の肉を調理して食していました。

彼は様々な異常性癖を持っており、幼少期の虐待の経験からマゾヒズムに倒錯していた反面、犠牲者となった子どもたちの悲鳴を楽しむというサディズムも持ち合わせていました。さらには、食糞や飲尿、そして人肉食といった異常性癖のもとに、凶悪事件を繰り返してきたのです。

最終的にアルバート・フィッシュは逮捕され、1935年に裁判が行われます。弁護側はアルバート・フィッシュの犯行は幼少期の虐待や家庭環境に原因があると主張しましたが、最終的には死刑が求刑されました。アルバート・フィッシュは死刑の瞬間まで、電気椅子にかけられることにすら興奮を覚えていたと言われています。

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この記事のライター
コウロギ

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