カスパーハウザーとは?正体・出生の謎やその生涯を紹介

19世紀前半、ドイツ南部の都市に男の野生児カスパーハウザーが突如現れました。人々はその孤児を保護しますが5年後暗殺されてしまいます。死後、彼の話は映画化され、医学ではカスパーハウザー症候群という病名にまで名を冠しました。闇につつまれたその謎に迫ります。

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目次

  1. 1カスパーハウザーとは
  2. 2カスパーハウザーの謎について
  3. 3カスパーハウザー出生の真相とは
  4. 4カスパーハウザーにまつわる用語
  5. 5カスパーハウザーを題材にした作品
  6. 6カスパーハウザーは多くの謎を残したまま

カスパーハウザーとは

カスパーハウザー(Kaspar Hauser)は2019年の現在から191年前の1828年5月26日、現在のドイツ連邦共和国バイエルン州第2の都市ニュルンベルクにて発見、保護されました。

この頃のニュルンベルクはバイエルンの中の工業都市として発展著しい状況で、街は活気にあふれていたとされています。その証拠に1835年にはドイツ初の旅客鉄道が敷かれていますが、ニュルンベルクはその路線の終点駅になっていました。カスパーハウザーが見つかった当日は、キリスト教の新約聖書における行事である聖霊降臨祭の日だったといいます。

そのお祭りが終わって間もない夕方になって、カスパーハウザーは突如現れました。まるでお祭りの人混みの中からあふれ出たかのように、ウンシュリットと呼ばれる広場で見つかったのです。それは恐らく、カスパーハウザーをその場所まで連れてきた人物が、自分は人混みを利用し、それに紛れて見つからないようにするためだったのでしょう。

ドイツの孤児で野生児といわれてる

発見時、1人きりであったカスパーハウザーは孤児として取り扱われています。また、一般的人間社会の生活習慣や常識などを全く知らなかったので、野生児とも分類されました。

しかし、他にも何人かの発見例がある通常の野生児の場合、そのほとんどは人間社会の外で狼や猿などの野生動物に育てられたものです。一方、カスパーハウザーはそれら真の野生児とは少し状況が違いました。後日、カスパーハウザー本人の口から少しだけ得られた証言から、カスパーハウザーはどこかに隔離され幽閉されていたらしいことがわかっています。

ニュルンベルクのウンシュリット広場で見つかった時も、カスパーハウザーは野良着のようないで立ちでたたずんでいました。見た目だけでは人々がすぐに野生児とはわからなかったはずです。真の野生児たちのように服も着ず、髪も伸びたまままかせではなかったのですから、当然といえば当然でした。

発見時は歩行や会話もままならなかった

発見時のカスパーハウザーは年齢15~18歳の少年に見えたそうです。見た目の年齢にブレ幅があるのは、カスパーハウザーの身長が低かったためでしょう。当時の男子の平均身長よりもだいぶ低い150センチ程度だったといわれています。そして、発見時のカスパーハウザーの特徴として、2つのことが言い伝えられてきました。

まず1つ目は、その歩く姿についてです。カスパーハウザーの歩き方は、まるで酔っ払って酩酊状態の人間が歩くようなヨタヨタ歩きでした。これは身体に障害があっての状態ではなく、歩くという行為そのものへの不馴れであったのだろうとされています。そして、もう1つのカスパーハウザーの発見時の特徴は、会話能力がほとんどなかったことです。

発見した人たちがカスパーハウザーとのコミュニケーションに窮して紙とペンを渡したところ、自分の名前だけはKaspar Hauserと書けたという記録が残っています。

カスパーハウザーの謎について

カスパーハウザーが単なる野生育ちの孤児だったなら、後世までこれだけ語られたり興味を持たれることはなかったでしょう。また、カスパーハウザーは発見後から少しずつ言語能力を習得し、最終的には一般人と遜色ないレベルの会話ができるようになりました。普通であればカスパーハウザー本人の口から発見されるまでの間の出来事について聞けたはずです。

しかし、カスパーハウザーは発見から5年後に暗殺という形でこの世から去ってしまいました。ごくわずかしか語られなかった発見までの日々のことが、かえってたくさんの謎を残す結果となったのです。ここでは、カスパーハウザーの謎として語り継がれている6つの事柄について、状況を整理しながら可能な限りの解明を試みます。

 

謎①見つかった一通の手紙

カスパーハウザーは発見された時に1通の手紙を所持していました。手紙の宛名はニュルンベルク駐留第6騎兵連隊第4騎兵中隊長となっていたそうです。

それでカスパーハウザーは、この宛名の役職に該当するフリードリヒ・フォン・ヴェッセニヒ大尉の家まで連れていかれました。カスパーハウザーに対し何の心当たりがなかったものの、ヴェッセニヒ大尉は手紙を読みます。手紙は、書いた人物の教養の低さを想像させる、間違った文字や文法が散見する文章だったようです。

そこに書かれていたことを要約すると、カスパーハウザーの誕生日は1812年4月30日、亡くなった父親が第6騎兵連隊に所属していたのでカスパーハウザーも入隊させてほしい、入隊できず世話してくれる人もないなら殺してしまって構わないという内容でした。手紙の送り主にも全く心当たりのないヴェッセニヒ大尉は当然ながら入隊させませんでした。

謎②パンと水しか食べられない

発見時のカスパーハウザーは飲食についても特異な記録が残っています。それは、パンと水しか食べられなかったということです。

誤解を避けるため再度、記しますが、パンと水しか食べようとしなかったのではなくて、身体がパンと水しか受けつけなかったのでした。水の代わりにミルクやコーヒー、ビールをやっても口に含んだあと、全て吐き出してしまったそうです。食べ物についても同様で、肉を渡してみたところ、飲み物同様に食べてはみるもののすぐに吐いてしまったのでした。

これは恐らく、発見までの16年の間、パンと水しか与えられておらず、身体がそれ以外のものに拒絶反応を示していたのでしょう。実際に、保護されたのち色々な食事に慣れてからは、カスパーハウザーは普通に食事できるようになっています。

謎③鏡に映った自分がわからない

カスパーハウザーは発見され保護された当初、家の中にある鏡を見て、そこに映っているのが自分だとわからなかったそうです。つまり、鏡という物自体を見たことがなかったのでした。それで、鏡に映る自分を睨んで威嚇したり、鏡の裏側に人がいると思って回り込んで探したりする行動を見せたと記録されています。

このことから連想できるのは、カスパーハウザーは水とパンだけとはいえ食事を与えられていたものの、鏡を目にするような普通の家の中では暮らしていなかったということです。人並みの歩行もできなかったことを合わせて考えると、普通の家どころか、運動不足になるほどの幽閉状態だったことも想像に難くありません。

謎④「馬」という言葉は知っていた

自分の名前を書いた以外は、他人と会話する言語力を持ち合わせていなかったカスパーハウザーですが、発見時から馬という言葉だけは知っていたようです。単に言葉を知っていたことにとどまらず、馬小屋の馬を見て非常に喜んだことが記録されています。つまり、幽閉生活にも関わらず馬だけは身近で見ていたことになり、これは少し奇妙な感じがします。

この謎については、後日、会話能力を身につけたカスパーハウザー本人の口から明らかになりました。幽閉されていた何もない個室のような場所に、唯一の遊び道具として木馬が置かれていたのです。カスパーハウザーにとって16年間を支えた、ただ1つの存在が木馬だったのでしょう。

謎⑤暗い地下牢で生活していた

カスパーハウザー本人の証言によって明らかになったのは、木馬の存在だけではありません。どのような場所に幽閉されていたかも大体つかめました。そこは窓もなく日も当たらない場所だったそうです。そうなると考えつくのは地下牢しかありません。そして、地下牢がある建物といえば城です。

19世紀前半であれば、人目につかない郊外に古城は点在していましたから、それらのうちのどこかであることは明らかでした。16年間に及ぶ地下牢生活で食事はパンと水だけ、運動は木馬で遊ぶのみとなれば、カスパーハウザーが身長150センチ程度と著しく低かったことと、満足に歩行もできなかったことの理由が判明しました。

謎⑥最後は何者かに暗殺される

カスパーハウザーは1833年12月14日、正体不明の人物に刃物で斬りつけられ、その傷がもとで3日後の17日に命を落としています。行きずりの犯行などではなく暗殺であったと断じられました。そう決めつけるのには確固たる理由があったのです。それは、襲撃されたのが命を落とした時の一度だけではなかったからでした。

カスパーハウザーが発見されてから約1年5か月後の1829年10月17日にも同じように刃物で襲われていました。この時は2日間意識不明の重体になるものの命は取りとめています。2回の襲撃共に目撃者はなく犯人はわかっていません。ただし、カスパーハウザーが暗殺されてから約2年後、当時のバイエルン王国王宮庭園で、捨てられていた短剣が見つかりました。

この短剣は両刃タイプで、刃型が波刃になっていましたが、その形がカスパーハウザーの傷とぴったり一致するものだったと言い伝えられています。

カスパーハウザー出生の真相とは

カスパーハウザーの存在が当時の人々、及び後世の人間にとって、これほどの興味を引くのは、ひとえに暗殺という形で死を遂げたからに他なりません。本人の口から何かの秘密が明らかになってしまう前に、その秘密を抹殺する必要に駆られた人物がいたということです。カスパーハウザーの存在、つまりその出生には一体、どんな秘密があったのでしょうか。

噂①王族や貴族の隠し子

カスパーハウザーが発見保護された後、環境に慣れて人々の前に姿を見せるようになった時、1つの噂がはびこります。それは、当時のその地方を治めていた王族に顔が似ているというものでした。また、当時は王侯貴族のみが可能だった天然痘の予防接種痕がカスパーハウザーの身体にもあり、そこに出生の秘密があると考える人もいたようです。

噂②詐欺師

少し飛躍にとんだ説として、カスパーハウザーは稀代の詐欺師だったという伝承も残っています。それはカスパーハウザーが最初に発見された時、普通に会話を交わしたと主張する市民がいたことが根拠になっています。つまり、高貴な出自であるという秘密のために幽閉されていた野生児を、カスパーハウザーが演じていたというものです。

この説を唱える人たちは、襲撃事件ですら、話の信ぴょう性を高めるためにカスパーハウザー本人が行った自作自演であると結論づけていました。

カスパーハウザーにまつわる用語

カスパーハウザーの名は、謎の伝承や暗殺事件としての記録だけではなく、意外なところでも現在使用されています。それは医学や科学の分野の中で、カスパーハウザーの名を冠したものを目の当たりにすることができるのです。

カスパーハウザー症候群

医学、及び心理学用語にカスパーハウザー症候群というものがあります。これは、謎の生い立ちから発見されるまでのカスパーハウザーの生活環境になぞらえて名づけられました。具体的には、乳児期以後から長期間に渡って人からの愛情を受けず、また、他人や社会からも隔離され、ある種歪んで成長してしまった人物を総称する言葉となっています。

カスパーハウザー実験

行動科学の分野では、カスパーハウザー実験と呼ばれる動物実験の方法が確立されています。

この実験内容は、生まれてすぐの動物を親から引き離すなど、通常の自然な生育環境とは隔絶した状態におくものです。そうするとその動物たちは、本来なら本能的に携えていたはずの行動パターンを取らなくなるようになっていきます。その過程を観察するのがこの実験の主旨だそうです。

カスパーハウザーを題材にした作品

カスパーハウザーが残した謎について、多くの人々はミステリー性やロマン性を覚えました。その結果、カスパーハウザーを主人公とした文学作品や映像ドラマは、19世紀の段階から多々作られ残されています。ここでは、そんな中からカスパーハウザーを題材にした作品で代表的な小説と映画を紹介します。

小説『カスパー・ハウザー 心の悲劇』

ドイツのユダヤ系作家であるヤーコプ・ヴァッサーマン(1873年3月10日生まれ、1934年1月1日没)は小説『カスパー・ハウザー 心の悲劇』を執筆、出版しています。残念ながら小説が出版された正確な月日はわかっていません。しかし、ヤーコプ・ヴァッサーマンは20歳前後の頃、兵役でニュルンベルクに滞在していたそうです。

当時であればまだカスパー・ハウザーの生き証人もいたでしょうから、そういった生の伝承を聞いて書かれた小説だといえます。

映画『カスパー・ハウザーの謎』

ドイツの映画監督ヴェルナー・ヘルツォーク (1942年9月5日生まれ)は、1974年に映画『カスパー・ハウザーの謎』を制作、発表しています。孤児という生い立ちを持つブルーノ・Sという俳優を主演に起用しました。この映画ではカスパー・ハウザーの発見後から暗殺までが描かれています。

カンヌ映画祭など各種の国際映画祭でのいくつもの受賞が示すとおり、作品内容に高評価を得ています。

カスパーハウザーは多くの謎を残したまま

カスパーハウザーの生きた時代は、日本では江戸時代末期にあたります。有名なペリーの黒船来航が1853年ですから、カスパーハウザーはその20年前に暗殺されました。時代的に現代のような真実解明は難しい環境だったといえるでしょう。したがって、カスパーハウザーの残した謎は、何か歴史的発見でもない限りこのまま闇の中かもしれません。

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この記事のライター
kohadayone

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