くしゃおじさんの現在!平成のくしゃおじさんについても解説【画像】

昭和に活躍した成田幸雄という元祖くしゃおじさんをご存知ですか。平成にも『水曜日のダウンタウン』で有名になった二代目くしゃおじさんがいました。しゃくれ顔が一瞬でくしゃっと変わる二人共通の原因は入れ歯のようです。くしゃおじさんの現在と驚愕の画像をご紹介します。

くしゃおじさんの現在!平成のくしゃおじさんについても解説【画像】のイメージ

目次

  1. 1一世を風靡したくしゃおじさんの実態
  2. 2元祖くしゃおじさん(成田幸雄)とは【画像】
  3. 3平成のくしゃおじさん(滝口光夫)とは【画像】
  4. 4くしゃおじさんがくしゃおじさんたる原因
  5. 5元祖くしゃおじさんの現在
  6. 6くしゃおじさんは人々の心に衝撃を与えた

一世を風靡したくしゃおじさんの実態

くしゃおじさんという名前を聞いたことがありますか。聞いたことはあっても実際に見たことがある人は少ないかもしれません。一度見たら忘れることの出来ない、くしゃおじさんについて詳しくご紹介致します。

元祖くしゃおじさんとは

元祖くしゃおじさんは、バラエティ番組『東芝ファミリーホール特ダネ登場?!』に出演することで有名になりました。成田幸雄(なりたこうゆう)という名前のこの男性は、番組内で芸をしたことによって、くしゃおじさんと呼ばれるようになります。その芸とは一瞬で顔を3分の1くらいに縮めることが出来る、今まで見たことがない一発芸です。

この独特で衝撃的な特技によって成田幸雄はくしゃおじさんと呼ばれ、一躍有名になりました。番組ではピコピコハンマーで頭を叩かれると、顔がくしゃっと縮まるところを披露したそうです。番組の出演者も視聴者もこの芸にかなりビックリしたことでしょう。

この一発芸がなぜ出来るようになったのかも、くしゃおじさんは語っています。1つ目のきっかけは小学2年生の時に川へ飛び込んで頭を打ったこと、2つ目のきっかけは軍隊時代に馬から落ちて顔をぶつけた時の衝撃で、偶然にもくしゃ顔を習得したそうです。

平成のくしゃおじさんもいた!

元祖くしゃおじさんは昭和に活躍していました。時を経て平成にも2代目くしゃおじさんとして活躍した人がいます。本名は瀧口光夫といい、元祖くしゃおじさんと同じくバラエティ番組に出演することで有名になりました。番組名は『水曜日のダウンタウン』で、お笑い芸人コンビであるダウンタウンの冠番組です。

2代目くしゃおじさんは地元では前から有名でしたが、『水曜日のダウンタウン』の出演をきっかけに、全国的に有名になり『日曜ビッグバラエティ全日本撮れちゃいました大賞!衝撃映像&爆笑動画47連発』にも出演しました。

くしゃおじさんを見た視聴者達の反応は、どうしてあのように顔をくしゃっと出来るのかを不思議に思うものがほとんどだったようです。普通はどんなに頑張っても、あんなにくしゃくしゃ顔にはなりません。

元祖くしゃおじさん(成田幸雄)とは【画像】

バラエティ番組に出演することで有名になった元祖くしゃおじさんは、何の仕事をしていたのでしょうか。くしゃおじさんの本業と、活躍していたテレビ番組を画像と共にご紹介します。

しゃくれた顔と驚愕のくしゃぶりが話題に…

元祖くしゃおじさんは一見普通の人です。話していても普通ですし、何も変わったところはありません。しかし、この芸を披露する時は一変して顔が変わるので一躍有名になりました。しゃくれた顔と驚愕のくしゃぶりが話題になったのは、日本テレビ系列のバラエティ番組『東芝ファミリーホール特ダネ登場!?』がきっかけです。

一瞬で顔を3分の1に縮める芸は、真似したくても誰もが出来る技ではない個性的な特技でした。そして実際に見ても、なぜそんなことが出来るのか理解出来ないほどすごい芸なのです。この衝撃的で独特な顔芸は世間でもとても話題になり、くしゃおじさんはその後、様々なテレビ番組に出演することになりました。

くしゃおじさんの職業は浪曲師

くしゃおじさんこと成田幸雄の本業は浪曲師です。民謡大会で入賞したこともあるくしゃおじさんは、大人になってから浪曲師に弟子入りしました。浪曲師とは明治時代の初期頃から始まった演芸で、三味線で伴奏し七語調の節をつけた独特な語りで、泣きと笑いの感情を揺さぶりながら物語を読む芸のことです。

実家を勘当されてしまったくしゃおじさんは、昭和11年の21歳の時に浪曲師として活動を始めます。くしゃおじさんは桃中軒雲右衛門の直弟子で、桃中軒白雲(とうちゅうけんくもえもん)という名前で活動していました。浪曲師として独立してから実家に戻ると、村中から歓迎されたようです。

浪曲師は戦後から急速に衰えを見せていましたが、まだテレビなどが普及してない全盛期は、芸能の王様と言われるほどの職業でした。くしゃおじさんは戦争中、慰問芸人として満州を訪れています。軍の召集は免れましたが、教育召集をしていた頃、馬に乗る練習で落馬しその時に顎を強打してしまったそうです。

その後、敗戦した後も浪曲師として慰問を続けていましたが、浪曲の人気はどんどん落ちていきました。そして師匠が逝去した後、くしゃおじさんはしばらく巡業を続けましたが、2年後に一座は解散してしまいました。

温泉宿で漫才を披露したことも…?

元祖くしゃおじさんは妻のイヨと「東ひょっとこ・おかめ」という名前で漫才コンビを組んでいました。そして、群馬県の水上温泉にある蒼海ホテルで専属契約を結び、漫才を披露していました。本職は浪曲師ですが、夫婦漫才も頼まれればやっていたようです。

漫才師として浪花節や浪曲を使ったコントを披露したりもしていましたが、実際には何でもする宴会芸担当でした。しかし、バブル崩壊後による客数の減少と、水上温泉の一部の宿が温泉を偽装して水道水を使っていた問題でさらに客数が減り、元祖くしゃおじさんが夫婦漫才を披露していた蒼海ホテルも2005年に廃業しました。

バラエティ番組でひっぱりだこに!

元祖くしゃおじさんが出演した最初の番組は『東芝ファミリーホール特ダネ登場!?』です。浪曲師として水上温泉の舞台で芸をしている成田幸雄を番組プロデューサーがスカウトし、バラエティ番組に出演させました。

それをきっかけに有名となったくしゃおじさんは、その後、日本テレビの『マチャアキのガンバレ9時まで!!』にも、ブリッジ役のレギュラーとして出演していました。

ドラマや広告にも出演していた

バラエティ番組に引っ張りだこのくしゃおじさんは、ドラマにも出演しています。1973年にTBS系列で放送された必殺仕置人第1話『いのちを売ってさらし首』というドラマで、孫八という悪役として出演しました。声がかかった時は悪役に難色を示していましたが、重要な役柄だからと説得されて承諾したそうです。

骨外しという仕置きの技をかけられる役ですが、くしゃおじさんにしか出来ない役だったのでしょう。その後、くしゃおじさんは広告にも出演しています。ハイライトという名前のタバコの広告で、カートゥーン作品のポパイに似た格好をして、おなじみのくしゃっとした顔で写っていました。電車の中吊り広告に写ったくしゃおじさんはさらに有名になりました。

しかしこの作品に対してはタバコは健康を害することからイメージが良くなく、広告に出ているくしゃおじさんに対しても好印象を持っていない人が多かったようです。

平成のくしゃおじさん(滝口光夫)とは【画像】

元祖くしゃおじさんは昭和の時代に活躍していましたが、平成になってからもくしゃおじさんは現れました。2代目のくしゃおじさんです。名前を滝口光夫という平成の2代目くしゃおじさんについて詳しくご紹介します。

『水曜日のダウンタウン』で有名に

平成になってから現れた2代目くしゃおじさんは『水曜日のダウンタウン』というバラエティ番組のにらめっこ企画に出演したことで有名になりました。にらめっこ最強決定トーナメントでは、にらめっこ最強と言われているものまね芸人のコロッケと対決して検証するという企画でした。

素人代表として出場した2代目くしゃおじさんは第1試合で格闘家でタレントのボブ・サップに勝利しました。そして、自分の顔を変幻自在に操りながら、ものまねで面白い顔ができるコロッケに対しても、くしゃおじさんは一発芸の特技で笑わせ勝利しました。

このダウンタウンの番組に出演したことで、『日曜ビッグバラエティ全日本撮れちゃいました大賞!衝撃映像&爆笑動画47連発』にも、くしゃおじさんは出演しました。顔をくしゃっとする一発芸が特技なので、地元ではもともと有名人でした。そして、テレビに出演することで全国的な有名人になったのです。

初代くしゃおじさんは1970年代にテレビ出演していたので、平成では初代くしゃおじさんを知らない若い人も多いです。くしゃおじさんを知らない世代にとって、くしゃおじさんの新鮮で衝撃的な姿はとても印象的で、瞬く間に平成の2代目くしゃおじさんは知られていきました。

また、昭和のくしゃおじさんを知っている人にとっては、久しぶりに同じ芸をする人が現れて懐かしさもあったことでしょう。

平成のくしゃおじさんは大阪にいる?

平成の2代目くしゃおじさんは、東大阪の野崎にいるという情報がありました。ある人のブログで、野崎で墓参りに行った際にくしゃおじさんらしき人が草むしりをしていて、声を掛けてみたところやっぱりくしゃおじさんだったそうです。

ブログを投稿した人は、くしゃおじさんに写真撮影を申し出たところ快く応じてもらえ、ブログに掲載することも了承してくれたということです。2代目くしゃおじさんはいつでもここにいると発言していたので、野崎かその付近に住んでいる可能性が高いということでしょう。

twitterで平成のくしゃおじさんが話題に…

昭和のくしゃおじさんはテレビ番組に出演することで有名になりましたが、平成のくしゃおじさんはtwitterでも話題になりました。どうしたら、あの顔ができるのか疑問に思っている声が多く、努力だけでは真似できない特技ということで気になっている人が多かったようです。

そして番組のにらめっこ企画に対しても、くしゃおじさんは強すぎるという声が多くあり、あの顔を目の前でされたら驚きと面白さで誰でも笑ってしまうだろうという意見も多々ありました。

くしゃおじさんがくしゃおじさんたる原因

くしゃおじさんのような特技を身に付ければ素人でも一躍有名になることが出来ます。くしゃおじさんがくしゃおじさんたる原因は何なのでしょう。どうすれば、くしゃおじさんのような特技を身に付けることができるのでしょうか。

原因①総入れ歯

とても不思議なくしゃおじさんの特技ですが、くしゃ顔の秘訣は総入れ歯にあるようです。昭和のくしゃおじさんは、岩にぶつかったり落馬したことで顎関節を脱臼し、そのことでくしゃ顔ができるようになったそうですが、顎関節を脱臼することは普通真似することができません。

総入れ歯の場合、歯が無くなるのでくしゃ顔がしやすくなり、練習次第ではこの芸を習得できる可能性があるでしょう。

原因②骨格の変化

くしゃおじさんのように顔を変えるためには、意図的に顎関節を脱臼させる必要があるようです。普通のままでは下顎があれほど小さくできないと言われています。筋肉を鍛えていればいつかできるという顔ではなく、骨格に特異性がある人だけができる技なので、普通の人が訓練しても特技として披露することは出来ないでしょう。

元祖くしゃおじさんは落馬の事故により顎を外せるようになりました。そして、顎を自分で外したり戻したりする訓練をしていた時に、手加減を間違えて上と下の顎がくっついてしまい、くしゃ顔ができると自分で気が付くきっかけになりました。初めてくしゃ顔をした時は自分でも驚いたそうです。

元祖くしゃおじさんの現在

元祖くしゃおじさんは1970年代に有名になり、いつのまにかテレビで見かけることが無くなりました。元祖くしゃおじさんは現在何をしているのでしょうか。

1993年に亡くなっている

元祖くしゃおじさんは1916年、大正5年12月に生まれました。生きていれば100歳を超えていることになりますが、残念ながら1993年に73歳で亡くなりました。くしゃおじさんの死因はどこにも掲載されておらず不明です。

子供や孫の存在とは

元祖くしゃおじさんの妻はイヨという名前で、夫婦には子供がいました。そして、孫娘もいたようです。孫はくしゃおじさんが有名になり始めた頃、3~4歳でした。現在もご健在であれば推定40代後半でしょう。しかし、彼女は一般人のため現在の詳細はわかっておりません。

くしゃおじさんは人々の心に衝撃を与えた

くしゃおじさんと同じように顔をくしゃくしゃにする特技ができる人は中国にもいました。そして中国人のくしゃおじさんは「最も顔をくしゃくしゃに出来る男」としてギネス記録に認定されています。中国のくしゃおじさんは7年もかけてこの技を習得したそうです。そして、自分よりも顔をくしゃくしゃに出来る挑戦者も賞金付きで募集しています。

日本のくしゃおじさんも申請していれば、ギネス認定されていたかもしれませんし、中国のくしゃおじさんのことを知っていれば挑戦できた可能性もあったでしょう。

昭和の元祖くしゃおじさんは小学2年生と21歳の時の怪我により、くしゃくしゃ顔に変える特技を習得しました。それを世間に披露するまでには時間がかかりましたが、バラエティ番組や広告、そしてドラマでも重要な役をすることによって、多くの人の心に残っています。

そして、平成にも同じ特技を持つ2代目くしゃおじさんが現れ、元祖くしゃおじさんと同じようにバラエティ番組で活躍しました。今後も令和のくしゃおじさんが出現するかもしれません。その時は、昭和や平成の時代にも人々の心に衝撃を与えたくしゃおじさんがいたという思い出話に、花を咲かせることが出来るでしょう。

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この記事のライター
栗比 美奈子
3人の子育て中です。よろしくお願いします。

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