沖雅也の死因や遺書の内容は?マネージャーの日景忠男との関係や恋人は

『太陽にほえろ』で人気があった沖雅也は、1983年に京王プラザホテルで遺書を残して自殺をしました。死因は飛び降り自殺です。沖雅也の経歴や生前の出演作、死因、マネージャーであった日景忠男や葬儀で泣き崩れた坂口良子との恋人説などを掘り下げていきます。

沖雅也の死因や遺書の内容は?マネージャーの日景忠男との関係や恋人はのイメージ

目次

  1. 1沖雅也のプロフィール
  2. 2沖雅也の主な出演作品
  3. 3沖雅也の死因は?
  4. 4沖雅也とマネージャーとの関係
  5. 5その後日景忠男はどうなった?
  6. 6沖雅也の恋人は?
  7. 7沖雅也の死には驚くべき背景があった!

沖雅也のプロフィール

・本名:日景 城児(日景忠雄と養子縁組後の名前。出生時は楠 城児)
・生年月日:1952年6月12日
・没年齢:1983年6月28日、31歳没。
・出身地:大分県別府市
・血液型:B型
・身長:183cm
・体重:72kg
・活動内容:俳優・歌手
・所属グループ:なし
・事務所:JKプランニング
・家族構成:父(実父)、日景忠男(養父兼沖雅也のマネージャー)

沖雅也の経歴

沖雅也は1952年6月12日、大分県の別府市で誕生しました。裕福な家庭で育ったようですが、波乱万丈な人生を歩んでいたようです。そのせいか雑誌のインタビューでは自分自身のことや生い立ちを少々脚色しながら話していました。脚色していたのは高校へは行っていないこと、中学校を卒業していないことなどです。

沖雅也は中学校3年生、卒業間近で家出をして上京、高校へは通わずに働き続けていました。俳優として芽が出た後は芸能活動をしながら、通信課程で高校を卒業しています。学歴が中卒だったため、通っていた中学校の校長が沖雅也に卒業証書を手渡ししました。また高校に進学していないことを伏せていたときも「大分舞鶴高校中退」にしていたそうです。

沖雅也が家出をした原因は家庭の不和、両親の離婚です。心に痛手を負ったまま上京した沖雅也は、16歳という年齢を偽りながらカステラの配達や中華そば屋の店員などの職業を転々とする日々でした。薄給で満足に食べられない生活がしばらく続いていたようです。日雇いから住み込みまで、なんでもチャレンジしていたと雑誌の対談で話していました。

転機が訪れたのはバーテンとして働いていたときです。バーの客からファッション雑誌のモデルとしてスカウトされ、芸能活動を開始しました。しかし継続的な仕事はなく、単発の仕事が多かったため、生活苦からなかなか抜け出せなかったようです。チャンスを掴んだのは16歳の頃で、日活関係者に紹介されたことで沖雅也は銀幕デビューを果たしました。

銀幕デビュー後は順風満帆かと言うと、そうではありませんでした。当たり役に恵まれない、交通事故に遭い主役を降板するといった不運にも見舞われていたようです。『ある少女の告白・純潔』でデビューしたり、エランドール新人賞を受賞したりと、俳優としてのキャリアは積み上げていたのですが、苦労が続いていました。

しかし沖雅也は徐々に注目を浴びるようになります。きっかけは吉沢京子と主演を務めた『さぼてんとマシュマロ』です。青年カメラマンと女子高生のラブコメディで沖雅也は伊藤仁を演じました。この役が当たり役となって一躍脚光を浴びるようになりました。この後、『キイハンター』や『金メダルへのターン』などの番組に出演が決まります。

活動初期の沖雅也はアイドルのような売り方をしていました。ですが、ドラマのヒット後は実力派の役者、大人の役者として成長するため、俳優としての活動に本格的に打ち込むようになります。演技力の向上はもちろんのこと、殺陣やアクションの練習にも取り組んでいました。時代劇や刑事ドラマといった肉体を酷使するドラマにも抜擢されていたからです。

沖雅也自身も役作りのためのトレーニングを真剣にこなしていたそうです。また沖雅也は自分のスタイルや美貌を保つため、健康への気遣いが人一倍強かったと言います。見た目のよさだけではなく、硬派な役もコミカルな役もこなせる演技力があったので、人気テレビドラマの『必殺シリーズ』や『太陽にほえろ』などから依頼が来るようになりました。

沖雅也は京王プラザホテルで飛び降り自殺を行う前にも、ドラマの撮影を終えていました。仕事が順調になるにつれて、沖雅也の精神状態はダウンしていったようです。沖雅也は躁うつ病の診断が下されていたため、精神のバランスが不安定だったと言います。心と体の不調にも悩まされていたようで、仕事に影響するようにもなってしまったそうです。

その結果、遺書を残して京王プラザからの飛び降り自殺に繋がったと言われています。死因が強烈なだけに、周囲は強いショックを受けました。死後直後は密葬で葬儀を執り行いましたが、沖雅也が所属していた事務所は大々的な葬儀と告別式を行いました。かつての仕事仲間たちが続々と集まったそうです。

沖雅也の主な出演作品

沖雅也はブレイクしてから、さまざまな映画やドラマに引っ張りだこの俳優でした。ここで紹介する出演作はほんの一部ですが、中身の濃い作品ばかりです。沖雅也と言えば『太陽にほえろ』や『さぼてんとマシュマロ』が思い浮かぶ人が多いのではないでしょうか。この他にも多数のドラマや映画に出演していました。

ドラマ「太陽にほえろ」

沖雅也は『太陽にほえろ』に、滝隆一(スコッチ刑事)役で出演していました。自分と捜査していた先輩刑事を死なせてしまった過去を持つスコッチ刑事を演じました。陰のある役どころと沖雅也の雰囲気がマッチしています。『太陽にほえろ』と言えば、刑事たちが殉職して卒業していくのが恒例でしたが、スコッチ刑事の死因は肺の病気でした。

沖雅也が出演していたのは『太陽にほえろ』の第1期と第2期です。リアルタイムで番組を見ていた人もいるのではないでしょうか。沖雅也は第1期で出演を終わらせるつもりだったようですが、監督に頼み込まれて第2期にも出演を決意しました。当初は出演を渋っており、承諾を得るのに大変だったそうです。

しかし『太陽にほえろ』へ復帰をすると決意した後は、スコッチ刑事の役作りのために走り込みをしていたと言います。滝隆一は「キザでクールだけど内面は熱い男」という設定です。スコッチ刑事の役柄上、スタイルや顔のラインをシャープにしようと思ったのでしょう。滝隆一という役と真摯に向き合っていたと言えます。

努力の成果もあってか『太陽にほえろ』を監督していた高瀬昌弘は、沖雅也の演技をとても高く評価していたそうです。見た目にもセリフの暗記にも演技力にも定評があったため、高瀬昌弘はどうしても沖雅也に出演してほしかったのでしょう。実は沖雅也と高瀬昌弘の出会いは『太陽にほえろ』が初めてではありません。

高瀬昌弘は『太陽にほえろ』だけではなく、『江戸の激斗』という作品も監督していました。この作品の18話目である『復讐の狼』に沖雅也がゲスト参加をしたときの芝居を見て気に入ったそうです。沖雅也が大ブレイクするきっかけになったのは『太陽にほえろ』です。この作品を足がかりにさまざまな映画やドラマに出演するようになったのでした。

しかし、不運なことに『太陽にほえろ』の第2期頃から、沖雅也の体調が崩れていってしまったのです。大島渚監督『戦場のメリークリスマス』でヨノイ役の有力候補だったのですが、スケジュールが合わないことと精神状態の不調から大役を逃しました。精神の病が仕事に影響し始めた時期と言えます。

ドラマ「必殺」シリーズ

『太陽にほえろ』に次ぐ人気ドラマ『必殺シリーズ』にも、沖雅也は出演していました。必殺仕置人では「棺桶の錠」を演じていましたが、この他にも複数の役柄を演じていたのです。『必殺仕置屋稼業』では冷酷な殺し屋の市松、『必殺からくり人・富嶽百景殺し旅』では唐十郎の役を演じ、話の中心人物として活躍をしていました。

必殺シリーズは悪人や腐敗した役人を成敗するという内容で、こちらも沖雅也の当たり役になったと言えます。

ドラマ「俺たちは天使だ!」

沖雅也が主演した『俺たちは天使だ!』は、アクション・コメディドラマです。沖雅也は主人公である麻生雅人を演じました。元刑事の探偵事務所所長という役柄で戦闘シーンもあります。『太陽にほえろ』とは打って変わり、コミカルで人間臭い麻生雅人を演じ切りました。この麻生雅人は沖雅也本来の性格に近いそうです。

お金儲けを企み、違法スレスレの手段で捜査をする麻生雅人は、クールでキザで二枚目キャラだった『太陽にほえろ』とは真逆とも言える役でしょう。沖雅也は『俺たちは天使だ!』の自分自身を気に入っており、生前は「この写真を遺影に使いたい」と話していたそうです。もしかしたら、この頃から少しずつ自殺を考え始めていたのかもしれません。

『太陽にほえろ』のスコッチ刑事とは違い、麻生雅人はよく笑い、失敗もどこ吹く風の性格です。スコッチ刑事よりも麻生雅人の方が、沖雅也本来の性格に似ているということなので、演じるのも楽しかったのかもしれません。沖雅也の自然な笑顔が多く見られるところが、この作品の特徴であり魅力と言えます。

映画「女王蜂」

横溝正史原作の『女王蜂』は、金田一耕助シリーズの1作品です。犬神家の一族、悪魔の手毬唄、獄門島に続いて女王蜂が制作されました。沖雅也は中井貴恵演じる大道寺智子のボディガード兼婚約者で出演。絶世の美女である大道寺智子に近づく役です。沖雅也以外の俳優・女優も豪華キャストが揃っています。

映画「ブルークリスマス」

北の国からで有名な脚本家の倉本聰が執筆したブルークリスマス。UFOを題材にした映画なのですが、SFXを一切使っていない意欲作と言われています。沖雅也は国防帳特殊部隊員の原田という役で出演していました。ブルークリスマスはUFO映画のジャンルではありますが、日本政府の欺瞞を描いている硬派な映画と言えます。

沖雅也の死因は?

俳優としてのキャリアと人気を順調に積み上げていた沖雅也ですが、ある日突然自殺という形で人生に幕を下ろしました。なぜ自殺をしたのか、詳しいことは謎に包まれています。1つの原因だけではなく、いろいろな原因が重なった結果だと考えられているからです。沖雅也は繊細で意識の高い性格だったので、自分自身を追い詰めていた面があります。

沖雅也の死因は転落死でした。人気俳優が死亡したというだけでも衝撃的ですが、自殺という死因がさらにショックを与えました。関係者やファンだけではなく世間にも動揺は広がっていったようです。自殺した場所は新宿京王プラザで、最上階から投身自殺をしました。沖雅也の死因、自殺の原因はいまだに謎が多く、気になっている人も多いはずです。

新宿京王プラザホテルから飛び降り自殺

1983年6月28日、沖雅也は新宿京王プラザホテルで飛び降り自殺をしました。沖雅也はチェックイン時に自分の名前ではなく『蒲田行進曲』で演技指導を受けた『つかこうへい』の名前を使ったようで、遺書で謝罪をしています。部屋ではタバコを吸ったり、デリバリーヘルスを呼んだりしていたそうです。日景忠男宛の遺書もこのときに書いたのでしょう。

ひとしきり遊んだ後は、京王プラザの最上階である47階までエレベーターで上っていきました。このとき沖雅也は非常用、もしくはスタッフ専用のエレベーターで最上階に向かったと言われています。人目を避けるために、一般用のエレベーターを使わなかったのかもしれません。誰かに止められることもなく最上階にたどり着いたようです。

最上階に着いた沖雅也は警備員の制止を降りきって非常階段から身を投げました。最上階から150メートル下、プールサイドのある7階まで転落、沖雅也は即死だったそうです。落下の衝撃で沖雅也の体は無残な状態でしたが、顔はかすり傷もなくキレイなままの状態を保っていました。飛び降りるときに背中から落ちたのでしょう。

生前、沖雅也の体重は精神安定剤の副作用で10kg増加していたのですが、自殺直前にはベスト体重に戻っていたそうです。美しい状態で死を迎えるためにダイエットをしたのかもしれません。

沖雅也の自殺の理由は?

沖雅也の自殺は精神的な病が原因と言われています。必殺シリーズで共演していた藤田まことは「彼は精神的に不安定なところがあり、会話をしているときに話が飛んでしまう」と話していたそうです。沖雅也はレギュラー番組を何本も抱える売れっ子で、過密なスケジュールをこなしていました。仕事のストレスと疲労が限界を超えていたのでしょう。

そして1981年4月11日、沖雅也は東名高速道路で交通事故を起こしてしまいます。ケガは足首の軽い捻挫だけで済んだのですが、同時に躁うつ病の診断も下されてしまったのです。躁うつ病の治療をするために約2週間の入院を余儀なくされましたが、沖雅也の精神状態が回復に向かうことはなかったようです。

退院後も精神安定剤を手放すことができず、躁うつ病と戦いながら仕事に復帰をしました。しかし過密スケジュールをこなしながらの闘病だったため、思うように回復はできなかったのです。同時に肝臓炎の発症、精神安定剤の副作用によるむくみや肥満で、さらに追い詰められていってしまいました。

芸能界は容姿が商売道具で、若さが最優先されがちです。沖雅也の場合は若くして芸能界で活動していたので、このことを敏感に感じていたのでしょう。副作用で変化していく自分の姿や歳を重ねていくことに絶望してしまったのかもしれません。将来への絶望や老いることへの恐怖が自殺の原因の1つであると考えられています。

それから「恋人との愛憎のもつれ」という原因も囁かれています。沖雅也はマネージャーの日景忠男と、恋人として交際していたのではないかと言われているのです。精神的にダウンしているとき、沖雅也と日景忠男の間でなんらかのトラブルがあり、疲労しきった沖雅也が京王プラザホテルでの自殺に踏み切ったのではないかという説です。

沖雅也の自殺にはさまざまな憶測が飛び交っているため、こちらの説が真実だとは言えません。しかし沖雅也の精神状態に影響していた可能性は十分にあるでしょう。

遺書はあった?

沖雅也は飛び降り自殺をする前に、遺書を残していました。31歳の若さで自殺を決行してしまうほど追い詰められていた沖雅也ですが、その苦悩は遺書にも書き綴られています。若さ、健康を失いつつあると強く感じていたようです。沖雅也の遺書からは生きることの虚しさと疲労、若さや健康にすがることの苦しさがにじみ出ています。

沖雅也の遺書はどこか鬼気迫るものがあると言えるでしょう。飛び降り自殺という死因もですが、遺書の内容も衝撃的なものでした。31歳の男性とは思えないほど達観した内容だったため、遺書全文が公開されたときもさまざまな憶測や噂が飛び交いました。以下の文章が沖雅也が書いた遺書です。

今……
プラザホテル様へ大変申し分けなくおゆるし下さいませ。
つかこうへい様 あなたの名、つかを使いし僕をゆるせるものならおゆるし下さい。
人は病む。いつかは老いる。
死を免れることはできない。若さも、健康も、生きていることも、どんな意味があるというのか。
人間が生きていることは、結局何かを求めていることにほかならない。
老いと病と死とを超えた、人間の苦悩のすべてを離れた境地を求めることが、正しいものを求めることと思うが、今の私は誤ったものの方を求めている者。
(便箋の裏) おやじ 涅槃で まってる 沖雅也

『おやじ、涅槃で待つ』は沖雅也が書いた言葉で、京王プラザのメモに書かれていました。当時は「涅槃で待つ」が流行語になり、世間に強いインパクトを与えたと言えるでしょう。人気俳優の突然の死、死因は飛び降り自殺、日景忠男を含む周囲の人達は一体何が起きたのか理解ができなかったはずです。

涅槃とは仏教用語の1つで、「悟りの境地」を意味します。芸能界は若さや地位、お金といった俗物的な要素が優先されている世界です。沖雅也は生や若さへの執着、美を保つことに疲れてしまったのかもしれません。この遺書に書いてあった『おやじ』はマネージャー兼義理の父であった日景忠男のことを指しています。

京王プラザホテルで見つかった遺書の他にも、自宅で見つかった遺書もあったそうです。京王プラザでの自殺をする前に書いていたのでしょう。自宅で見つかった沖雅也の遺書は、生きていく気力が失せたこと、父親兼マネージャーとしてずっと面倒を見続けてくれた日景忠男への感謝、日景家の名を汚すことへの謝罪などが綴られていたそうです。

また自殺という方法で逃げることを許してほしい旨も書いてありました。この遺書は父親としての日景忠男に向けたものなのか、マネージャーとしてなのか、どの立場の日景忠男に向けたものなのかは現在も不明です。

実は遺書では無かった?真相は?

「おやじ、涅槃で待つ」は沖雅也が遺したメモに書かれていた言葉です。京王プラザで見つかったメモと自宅で見つかった手紙は、内容からして遺書と言い切っていいでしょう。生きる気力がなくなったこと、京王プラザやつかこうへいへの謝罪、死という方法でお詫びをすることへの謝罪、沖雅也の赤裸々な気持ちが綴られていたと言えるでしょう。

しかし一方では「沖雅也は自殺ではなく、事故死である」という説もあります。京王プラザで自殺するつもりではなく、生きて帰る予定があったと言うのです。沖雅也は京王プラザの予約を半年前に取っており、遺書を3通も書いています。沖雅也の行動を見ると自殺説が濃厚ですが、真っ向から反論している人がいたのです。

反論したのはマネージャーの日景忠男です。沖雅也には馴染みのデリヘル嬢がおり、自殺直前の京王プラザにも呼んでいました。そしてデリヘル嬢に日景忠男宛の手紙を託したそうです。「京王プラザまで迎えに来てほしい」という内容で、手紙を読んだ日景忠男は「本当に自殺する気なら、こんな書き方はしないだろう」と考えたようです。

沖雅也の遺書内容と日景忠男の証言は食い違っているため、どちらが真相なのかをハッキリと言及するのは難しいと言えます。デリヘル嬢に託したと話していた沖雅也の手紙は公開されておらず、本当に実在した手紙なのかも分かっていません。

沖雅也とマネージャーとの関係

沖雅也と言えば、マネージャーの日景忠男に面倒を見てもらっていたことも有名です。沖雅也が職業を転々としていた時代に出会い、以降は常に一緒にいたと言えます。他人とは思えないほどの沖雅也と日景忠男は、一体どのような関係だったのでしょうか。

マネージャーは日景忠男

沖雅也のマネージャーは日景忠男という男性でした。日景忠男は台湾人の父親と日本人の母親を持ち、裕福な家庭で不自由なく育ってきました。両親の仕送りでゲイバーを開店し、営業していた経験があり、かなりの放蕩息子だったようです。このゲイバーでバーテンとして働いていたのが沖雅也だったという説があります。

もう1つの説はゲイバーで働く沖雅也のところへ、日景忠男が客として訪れたという説も存在しています。日景忠男は沖雅也の美しさに感動したようで、公私ともに面倒を見るようになったようです。日景忠男が経営していたJKプランニングも、沖雅也のため設立したと言えるでしょう。

沖雅也の容姿はとても端正で整っており、その美貌は「マンガの中から飛び出してきたようだ」と評されるほどでした。人を引き付けるオーラも持っていたので日景忠男の目に留まったのでしょう。さらに沖雅也は家出をして上京していたため、頼れる人が必要だったと言えます。日景忠男はマネージャーとして、父親として、沖雅也に尽くしていたそうです。

二人の関係は?

日景忠男と沖雅也は俳優とマネージャーという関係だけではなく、義理の父と息子でもありました。1975年に沖雅也の実父が他界した後、2人は養子縁組をして親子になったのです。日景忠男は沖雅也を養子に迎える前から支えており、沖雅也の夢を全面的にバックアップしていました。しかし、日景忠男と沖雅也の関係は親子だけではなかったようです。

俳優とマネージャー以外にも、恋人同士だったという話があります。沖雅也と日景忠男は親子・恋人・仕事と、すべての面で深い仲だったのかもしれません。沖雅也は京王プラザに残した遺書にも、日景忠男への感謝と謝罪を書き残していました。

日景忠男に関する噂

日景忠男は沖雅也のマネージャー兼恋人になる前から、男性と関係を持っていたという噂があります。そのうちの一人が久保新二という男性です。久保新二はピンク映画の帝王で、沖雅也と出会う前は久保新二を可愛がっていました。この話は久保新二が本で暴露しています。他にもホラー漫画の巨匠・楳津かずおとも同棲していた噂もあります。

日景忠男は、男性のタイプは違えど独特な雰囲気やセンスを持つ男性に惹かれやすいタイプだったのかもしれません。

その後日景忠男はどうなった?

沖雅也の葬儀を済ませてから一人になってしまった日景忠男ですが、順風満帆とは言えない生活を送っていたようです。さまざまなトラブルに見舞われており、精神的に荒んだ日々を過ごしていたと言えます。マネージャーを辞めてタレントの道に入ったり、沖雅也との関係を暴露本として出版したりと、最初のうちは試行錯誤をしていたようです。

新宿二丁目でゲイ喫茶を始めたはいいものの、不況の波に煽られて閉店に追い込まれてしまいます。また日景忠男のキャラクターはクセが強く、タレントとしても万人受けしなかったのです。沖雅也が亡くなった直後は日景忠男にも注目が集まりましたが、時が経つにつれてメディアへの露出も減っていきました。

日景忠男は沖雅也の保険金を受け取った

沖雅也には3憶円という高額な保険金が掛けられていました。当初は1憶円で保険をかけていたのですが、保険会社の担当者が知らない間に3憶円にしていたのだそうです。この高額な保険金を巡って、沖雅也の実母と日景忠男は揉めてしまいます。最終的には数千万円を実母に支払って和解、日景忠男の手元には約2憶円が残ったのだそうです。

恋人の保険金を受け取った後は、新しく始めたゲイ喫茶の運転資金にしたそうです。しかし日景忠男のお金遣いは荒かったと言います。高額な調度品を買ったり、海外旅行へ頻繁に行ったりと散財していたそうです。そして2憶円あったお金も減っていきました。

男色家であることを世間に公表

日景忠男はゲイであることを公表し、世間に衝撃を与えました。日景忠男は売り専バー(男性の売春専用バー)を経営していたそうです。また美少年評論家という肩書きも名乗っており、沖雅也の死後はゲイキャラクターとして活動していました。バラエティ番組やニュースのコメンテーターとして活動を続けていたようです。

2人は義理の親子だけではなく恋人同士でもあったという報道もありますが、沖雅也はヘテロセクシャル(異性愛者)でした。ヘテロセクシュアルとホモセクシュアルでの恋人関係になりますが、順風満帆な付き合いとは言えなかったようです。沖雅也は女性好き、日景忠男は男性好きという複雑な関係なので、気持ちがすれ違うときもあったでしょう。

沖雅也には女優や外国人女性と熱愛や「あの女優と恋人同士なのではないか」という噂が出たときもありました。日景忠男も沖雅也の婚約者に『さぼてんとマシュマロ』で共演した吉沢京子をと考えていたようです。日景忠男は自分の元に縛り付けておく気はなかったようで、沖雅也の将来を心配していたのかもしれません。

沖雅也の死後、ゲイであることを公表した日景忠男はマスコミの格好のネタになってしまいました。当時は同性愛に対する偏見が現在以上に強く、連日報道に晒されていたそうです。バラエティ番組では沖雅也の死を自虐ネタとして披露したり、「妖怪・ねはん」とイジられたり、ゲイと公表したことが返って日景忠男を追い詰めてしまったとも言えます。

2005年に逮捕された!?現在は…

日景忠男は2005年12月に覚せい剤取締法で逮捕されています。3年後の2008年9月にも逮捕されていました。知人の女性経営者を暴力団組員と脅迫して逮捕されたのです。日景忠男は沖雅也の遺産を受け取った後、散財を繰り返していました。見るに見かねた知人が無料風俗案内所の仕事に誘ったのですが、そちらも上手くいかなかったようです。

現在の日景忠男ですが、すでにこの世を去っています。死因は病気によるものです。日景忠男の葬儀は行われず、静かにこの世を去りました。主な死因はC型肝炎で肝硬変も併発していました。腹水も溜まっており、拘留中は自力では歩けないほど衰弱していたそうです。自力歩行も困難で車椅子での生活を送っていたと言います。

刑務所の中でも起き上がることすらできず、寝たきりの状態で日々を過ごしていたと日景忠男の知人が語っていました。お酒の飲みすぎ、不規則な生活、強いストレスが重なってしまったのでしょう。日景忠男は78歳で死亡、沖雅也と同じく涅槃に旅立つことになったのでした。前述の通り葬儀を執り行うこともなく、孤独な晩年を送ったと言えます。

沖雅也の恋人は?

沖雅也は女性との熱愛報道、恋人の噂が多くありました。そのうちの一人が坂口良子で、葬儀の席では報道陣に詰め寄られていました。坂口良子は「沖雅也とは恋人ではない」と話していましたが、実際のところはどうだったのでしょう。沖雅也の通夜、葬儀、告別式で取り乱していたようで、この様子だけを見れば恋人同士でも不思議ではありません。

沖雅也と坂口良子はドラマで共演する機会が多く、兄と妹のように仲が良かったようです。週刊誌もワイドショーも坂口良子と沖雅也に関するさまざまな報道をしていたようですが、実際のところはどうだったのでしょうか。まずは坂口良子のプロフィールや噂を掘り下げていきます。

坂口良子は女優で1971年にデビューし、さまざまなドラマや映画に出演していました。クリクリとした大きな目が魅力的で、老若男女から人気があったと言えます。1986年から1994年までは一般人男性と、2012年から死去するまではプロゴルファーの尾崎健太と結婚していました。娘はタレントの坂口杏里です。

1971年にミス・セブンティーンコンテストで優勝したことをきっかけに芸能界入り、翌年にはフジテレビの『アイちゃんが行く!』で主演を果たしました。沖雅也にはデビュー当時から面倒を見てもらっていたそうです。坂口良子は2013年3月27日に57歳という若さで亡くなりました。死因は大腸がんと肺炎で、葬儀は近親者のみで執り行われたそうです。

坂口良子との噂

結論から言うと、沖雅也と坂口良子は恋人としては付き合っていませんでした。共演していたドラマが多く、自然と関わる機会が増えたのでしょう。一緒にいる時間も多かったため、恋人に見えたのかもしれません。沖雅也の人気作品『さぼてんとマシュマロ』にも坂口良子は出演しており、『太陽にほえろ』にも2回出演しています。

他にも『GO!GOスカイヤー』や『細腕一代記』、沖雅也が最後に出演した『大奥』でも坂口良子は妻の役で共演していました。人間的な相性だけではなく、演技の相性も良かったのかもしれません。仕事の合間に2人で食事をしている間も、沖雅也は健康のことやドラマのことを話していたそうです。

沖雅也と坂口良子は熱愛が噂されるほど仲が良かったようですが、実際のところは前述したとおり、2人は恋人同士ではありません。「恋人に見えるほど仲がいい」と言った方が正確と言えます。マスコミは当時、坂口良子を「沖雅也の本命だ!」とマークしていたため、沖雅也の葬儀後に執拗な取材をかけたそうです。

葬儀場でのマスコミ取材に対して坂口良子は「事実ではない報道をされて、沖さんがかわいそうだ」と述べ、沖雅也との恋人関係を否定しました。

葬儀では坂口良子が弔辞を読んだ!

沖雅也の葬儀には坂口良子を含む共演者や関係者が多く集ったそうです。葬儀での弔辞は坂口良子と『俺たちは天使だ!』で共演した柴田恭兵が行いました。坂口良子は弔辞を読み上げながら涙を流し続け、沖雅也が目の前にいるかのように語りかけていたそうです。若すぎる年齢での自殺だったので、ショックも人一倍大きかったでしょう。

お通夜の席で人目をはばからずに泣き崩れていた坂口良子を、マスコミが「本命の恋人だ」と決めつけてしまったのも無理はないのかもしれません。マスコミに取り囲まれ質問攻めにされることが分かっていながらも、坂口良子は葬儀に参列しました。沖雅也と信頼関係ができあがっていた証と言えるでしょう。

坂口良子が取り乱してしまうほど沖雅也の死因は衝撃的なものでした。人気絶頂の最中に自殺をしたとなれば、周囲の動揺も大きかったと予測できます。まして坂口良子はデビュー直後から沖雅也にさまざまなことを教わったと語っている人物です。自殺をした事実だけでも衝撃的であったでしょうし、転落死という死因がさらに追い打ちをかけたはずです。

実の兄が自殺をしてしまったような喪失感があったのかもしれません。兄のように慕っていた人の葬儀に参列するとは、夢にも思わなかったはずです。葬儀での坂口良子はきちんと受け答えをしていましたが、内心どのような感情を持っていたのかは分かりません。

沖雅也の死には驚くべき背景があった!

沖雅也は人気絶頂ともいえる時期に突如として飛び降り自殺をしました。死因と遺書の強烈なインパクトはファンだけではなく、藤田まことや坂口良子、柴田恭兵など、葬儀に参列した仕事仲間にも動揺を与えました。そしてマネージャーであり義父、恋人でもあった日景忠男にもショックを与えたことでしょう。

飛び降り自殺という死因もさらに心の傷を深めたのではないでしょうか。沖雅也は美意識がとても強く、繊細な人でもありました。そのため、加齢や病気で自分自身の姿が変化していってしまうことに恐怖を覚えていたようです。俳優としての意識の高さが自分自身を追い詰めていたと考えることもできるのではないでしょうか。

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