【brahman事件】ボーカル・トシロウ達の著作権を巡った裁判の行方は?

brahmanはボーカルのトシロウが率いる日本のバンドです。音楽著作権を巡る彼らの裁判は「brahman事件」とも呼ばれています。裁判の概要やその後の行方を追いました。また、旧メンバーnabeの死因の真相も含め、brahmanの現在の活動状況を紹介します。

【brahman事件】ボーカル・トシロウ達の著作権を巡った裁判の行方は?のイメージ

目次

  1. 1brahman事件とは
  2. 2brahmanのメンバー紹介
  3. 3brahman事件の裁判
  4. 4brahman事件のその後
  5. 5brahmanの現在の活動内容
  6. 6brahman事件は日本の著作権侵害の意識を劇的に変えた

brahman事件とは

brahmanは日本のバンドで、2001年に発売した2ndアルバム「A HOLORN HOPE」はオリコン初登場2位になり、累計枚数50万枚以上を売り上げています。そんな彼らに多大な影響を与えたbrahman事件についてご存知でしょうか。

brahman事件とは2008年に日本のバンドとそのCD制作会社の間で起きた争いです。事件のその後、日本の音楽シーン全体の著作権侵害に対する考え方が変わりつつあります。この記事ではかつて起きたbrahman事件について振り返ります。

著作権違反で販売中止を求めた事件

brahman事件の概要はbrahmanが自身のCDを制作している会社「有限会社イレブン・サーティエイト」に著作権違反で販売中止を求めた事件です。元々、brahmanは自身の楽曲の著作権を音楽出版社である「ヴァージン・ミュージック・ジャパン」に渡していました。

そのヴァージン・ミュージック・ジャパンは共同制作者として別の会社、有限会社イレブン・サーティエイトと契約します。この共同契約者からされた依頼でbrahmanがした演奏の内容が収録され、CD販売がされてしまいます。これに対しbrahman側が著作権の侵害に当たると主張し、有限会社イレブン・サーティエイトに対し、裁判を起こしています。

原告のbrahmanとは

原告のbrahmanについて説明します。brahmanは1995年に結成された日本のバンドです。brahmanのサウンドはメロディックなハードコアと民族楽器が元となっており、繰り返されるリフやリズムが印象的で聴く人の心を捕らえます。

brahmanの鬱屈とした思いを吐き出したような暗く重たい曲に魅かれる人もいます。その反面、力強いリズムから成る曲に希望を見出しているbrahmanのファンもいるでしょう。brahmanの活動の場はライブが主たるもので、FUJI ROCK FESTIVAL などの夏のフェスにも度々出演しています。

夏のフェスで圧巻のライブパフォーマンスを見せるbrahmanですが、テレビ出演はあまりしていません。そのためコアな音楽ファンから根強く愛されて来たバンドと言えるでしょう。

brahmanのメンバー紹介

brahmanは現在ボーカルのトシロウを筆頭として4人のメンバーで構成されています。1995年の結成以来、メンバーチェンジをして現在の4人のメンバーに落ち着いています。実は結成時の初期メンバーにはベースを担当していたnabeがいましたが、2012年に亡くなっています。その死因についても見ていきます。

ボーカルのトシロウとは

ボーカルを務めるトシロウは1974年11月9日生まれで茨城県出身です。brahman開始当時からのメンバーでbrahmanの音楽性に多大なる影響をもたらしている人物です。ボーカルのトシロウの妻は女優のりょうで、2003年4月1日に結婚しています。

格闘技をこよなく愛し、自身もキックボクサーとして活躍しているトシロウは、鬼のような形相でライブをすることから鬼と呼ばれることもあります。ところが2019年の5月に、息子へ作り続けインスタに投稿したお弁当をまとめ「鬼弁」という本を発売しました。その強面な姿からは想像ができないような愛情に溢れたお弁当に、心動かされる人も多くいました。

バンドのフロントマンとして活動しながら、妻のりょうとの子育ても全力というトシロウの姿に憧れる人も多いでしょう。トシロウには世の父親たちからたくさんの注目が集まっています。

ギターのコーキとは

ギターのコーキは1975年7月13日生まれ、和歌山県新宮市出身です。本名は掘幸起と言い、冷静なギター演奏には定評があります。職人芸のように難しいギターソロを弾きつつも、ハードな演奏でも魅せる様はさすがは耳に残るリフを紡ぎ出すbrahmanのギタリストです。

またコーキにはアパレルブランド「GIGGLY ROY」のディレクションにも携わった経験もあります。音楽だけでなくファッションの分野でも自身を表現しているコーキの演奏から目が離せません。

ベースのマコトとは

ベースのマコトとは本名を小澤誠と言い、1974年4月10日生まれ長野県出身です。ベースラインを正確に弾きながらライブで激しいパフォーマンスを魅せる様は、陰のbrahmanとしてライブを盛り上げていると言えるでしょう。brahmanの礎を支えるベースはマコトが担っています。

ドラムのロンジとは

ドラムのロンジは1974年7月4日生まれで本名を小林論史と言います。brahmanの様々なリズムを叩き出す、ロンジはbrahmanの中でも情熱的な性格だと言います。リズムを叩きながら、コーラスも担当する姿は見ている者を高揚させ、どんどん音楽に引き込んで行きます。

ドラムのロンジとベースのマコトは高校時代からの同級生でもあります。brahmanのリズム隊はいつも息が合ったリズムを繰り出します。

旧メンバーnabeの死因とは

brahmanには2人の旧メンバーがいました。brahman初期にギターを担当していたダイスケとbrahman初期にベースを担当していたnabeでした。ダイスケは1996年ミニアルバム「Grope And Wait」を発表後脱退しており、現在はパン屋を生業としています。

nabeは東京大学出身でbrahmanの名付け親であり、brahmanのコンセプトを方向付けた人物だったと言います。nabeは2012年に亡くなっていますが、その死因は自死であったというから衝撃的です。nabeはいわばbrahmanのメンバーにとっては同志のような存在でした。

その同志nabeの直接の死因となったのは、一説によると自宅の納屋で首を吊っていたことだったと言います。それは一時でも一緒に音楽を創り上げた仲間として、あまりにも悲しく、あまりにも凄惨な死因でした。

一緒にライブをし、音楽を作り上げたのはごく初期のみのわずかな時間でしたが、nabeはbrahmanの始まりに大きな影響を与えた人物でした。トシロウは東日本大震災後の2012年、nabeを衝撃の死因で亡くしたことにより様々なことを思い返したと語っています。

どうしてnabeは自死を選んでしまったのか、どうしてnabeは病気など自然な死因ではなく自らの命を絶ったのかは今となってはわからないままです。

brahman事件の裁判

brahmanのメンバーについての紹介や、かつてbrahmanのメンバー同志であったnabeの死因について見てきました。ここからは本題のbrahman事件について見ていきます。

著作権違反の真相

brahmanが裁判を起こした著作権違反について、被告となった有限会社イレブン・サーティエイトとの関係性はどのようなものでしょうか。有限会社イレブン・サーティエイトはbrahmanが楽曲を譲渡していた会社ヴァージン・ミュージック・ジャパンの共同制作者として契約していた会社でした。

しかし、brahmanと直接契約を締結していたわけではありませんでした。直接著作権を譲渡していない会社の依頼でした演奏がCDとして制作されて販売されてしまうという事態になりbrahman側は釈然としない状態だったのでしょう。特に異論を唱える人もなく、イレブン・サーティエイトからCDが販売され続けているという状況でした。

brahmanメンバーが告訴

ところが2008年にbrahmanのメンバーがイレブン・サーティエイトを相手に裁判を起こします。brahmanは自身の時間や思いを犠牲にして、著作権が守られていないことに対して異論を唱えたのでした。それは、brahmanが作り上げた楽曲や心を込めた演奏に対しての思いを守ろうという思いを優先した結果でした。

正しくないと感じたことは、正しくないと声を上げる、という行動に出たbrahmanは裁判に踏み切りました。裁判を起こすことについて多くの人からの反対や、牽制があったかも知れません。しかし、ともかくbrahmanは一歩を踏み出します。

被告側の反論内容

こうしてbrahmanは、自身の作品の著作権が侵されているとしてイレブン・サーティエイトに対して裁判を起こしました。ところが、被告となったイレブン・サーティエイトから反論をされてしまいます。イレブン・サーティエイトは元々brahmanが契約していたヴァージン・ミュージック・ジャパンと共同出版者としての契約を結んでいます。

ヴァージン・ミュージック・ジャパンから、演奏、編曲、収録、原盤、全ての権利を受託されていると主張したのでした。また、演奏家であるbrahmanは演奏契約上、明らかな違反や人格侵害などがない限り、CD販売の差し止めはできないとします。イレブン・サーティエイトが著作隣接権という権利の侵害をされていると反論したのです。

判決により製造・販売中止へ

この裁判はお互いの主張が強くぶつかり、対立をより浮き彫りとした内容となりました。裁判は著作権の侵害を主張するbrahmanと著作隣接権を主張する「有限会社イレブン・サーティエイト」との主張が交錯します。被告は「大きな問題がない状態では、レコード販売の差し止め請求はできない」として争います。

しかし東京地裁はこの裁判に対し以下のような判決を下します。「被告らは原告brahmanに対して実演家の録音権、及び譲渡権を侵害するものとして本件レコードの製造、販売を中止することができる」。この判決をもって、brahmanは自身のレコードの製造と販売の差し止めをすることができました。

結局は、著作隣接権より著作権の侵害の方が重大なことであると判断されたのでしょう。レコードの差し止めと裁判費用を被告側に負担してもらうことで裁判は終息しました。

brahman事件のその後

brahman事件は2008年9月に判決が出ています。その後のbrahmanはどのような活動をしているのでしょうか。自身の楽曲と著作権のために戦ったbrahmanは、何を得てどう歩みを進めているのてしょうか。下記に見ていきます。

brahmanは一躍有名に

その後のbrahmanは事件以前よりも世間から注目を集め、有名になっています。ライブパフォーマンスや楽曲のセールスもさることながら、brahmanが著作権侵害を訴えたことでバンドはメディアから取り上げられることも多くなりました。

本質とは違うところで目立ってしまった感も否めませんが、音楽を作り出す者の権利を勇気を持って主張したbrahmanは、ひとまわり大きく成長したに違いないでしょう。

著作権侵害への意識向上

brahman事件のその後を見ると、音楽界における著作権への意識は向上していると言えるでしょう。レコード会社と契約しているミュージシャンは指示されるままに従い、演奏をしレコードを販売している部分もあるかも知れません。

しかし、brahman事件のその後、ミュージシャン側でレコード会社との契約上の疑問があれば一旦止まって考えてみることも必要だと考える人が増えたと言えます。brahmanはその後を歩む音楽家たちに道を示してくれたと言えるでしょう。

brahmanの現在の活動内容

こうして裁判の判決を受けたbrahmanは、現在も活動を続けています。自身の楽曲のために戦ったbrahmanは、ボーカルのトシロウ、ギターのコーキ、ベースのマコト、ドラムのロンジで、より一丸となって音楽を奏でています。

精力的な音楽活動

2013年2月20日にbrahmanはアルバム「超克」を発表、2018年2月7日には「梵唄-bonbai-」を発表しています。brahmanは精力的な音楽活動を続けています。またbrahmanは様々なライブを行い、音楽フェスにも常連として参加するなど、brahman独自の音楽を搔き鳴らし続けています。

復興支援への関わり

また、2011年3月11日の東日本大震災以降、brahmanは復興支援にも貢献しています。ボーカルのトシロウの出身が茨城県で被災地の東北と近いことから、継続的に被災地の支援を行なっていました。

ボーカルのトシロウは今までMCを行わないライブを行なってきましたが、震災後のライブではMCを行い、様々な思いを発信しています。またスポーツブランドinspritとbrahmanの共同で復興支援プロジェクトを立ち上げ、被災地の体育会系の人にジャージを送るという活動も続けています。

被災地である岩手県大船渡市でのライブや福島県猪苗代市でのライブを行なったこともありました。また2018年に起きた西日本豪雨の支援などを現在も行なっています。

政治的な発言も…

brahman事件のその後として、ボーカルのトシロウは政治的な発言をしたことがありました。原発反対や、現在の政権についての反論などをライブで語るボーカルのトシロウの姿にパンクバンドとしての強さや勢いを感じてきたファンもいたことでしょう。

東日本大震災以降、brahmanは日本の政治について言及することも多くなりました。ただのパフォーマンスとしてのライブや、言わずとも感じ取って欲しいという演奏より、トシロウは一期一会で出会った人たちに直接語りかける方法をとっています。

それは、brahmanが震災以降、表現方法を変えたと言えます。せっかくライブに足を運ぶ人たちに考える機会を、問題提起したいという思いから来ている行動と言えます。

中国でのイベント暴動事件

時を遡り、2003年にbrahmanが中国広東省でライブをした時、暴動事件が起きました。それは、日本人観光客が買春をしたことにより、中国全土で反日感情が高まっていたため起きた事件でした。brahmanがライブをしているステージにレンガやビール瓶、石が投げ込まれ、罵倒や怒号が鳴り響きました。

しかしbrahmanは暴動に屈することなく、予定していたパフォーマンスを最後まで行いました。その姿は観る人を勇気付けたに違いありません。事実、その後の2016年6月にbrahmanは再度、中国でのライブに招かれています。

現在も地元でライブ活動

その後brahmanはボーカルトシロウの地元、茨城でライブ活動を精力的に行なっています。brahmanは東日本大震災だけではなく、様々な災害のチャリティーライブという名目でも茨城県でライブを行なってきました。

被災地でライブハウスを建設するという目標や、さらなる被災地の復興支援のため、brahmanは現在だけでなく今後も音楽を鳴らしていくのでしょう。

プライベート映画も

2016年、brahmanの自伝的映画「brahman」が制作されました。この映画を監督したのはCMディレクターや東京藝術大学で教授として活躍する箭内道彦でした。普段のbrahmanの4人の姿や、歴史が余すことなく感じられる内容です。

更に、衝撃の死因で亡くなった初期メンバーであるギターのnabeについて、brahmanの4人はやり切れない思いを抱えてきました。その4人のnabeに対する思いが昇華された内容の映画になっているようです。nabeの死因は自死でしたが、死に向かわせた原因はどんなものだったか、もう誰も知ることはできません。

しかし、この映画には在りし日のnabeの思いが確かに表れています。ボーカルトシロウの妻である女優のりょうや、トシロウの旧知の友、井浦新も出演しています。

brahman事件は日本の著作権侵害の意識を劇的に変えた

brahman事件について、またその後のbrahmanの活動について見てきました。brahman事件は結果的に日本の音楽シーンの著作権侵害についての意識を変えることになりました。それは自ら感じる不協和音を声に出して訴えたbrahmanの功績と言えるでしょう。

また、自死という死因で亡くなったnabeを現在も忘れていないbrahmanメンバーですが、結成時のnabeの思いは自伝的映画で表されていました。brahmanは現在も様々な音楽活動を行ない、日々進化を遂げています。またbrahmanは様々な被災地の支援活動も続けています。

今後のbrahmanの活動を応援し、彼らの音楽を聴き続けましょう。

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この記事のライター
sleepsheep428
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