北村有紀恵の生い立ちから現在!日野OL不倫放火殺人事件のその後とは

日野OL不倫放火殺人事件は、映画『八日目の蝉』の元ネタともいわれています。不倫相手・原田幸広の自宅に侵入、子供二人を焼殺した事件にも関わらず、事件当時、北村有紀恵への同情が集まりました。その後手記も発表した、北村有紀恵の生い立ちから現在までを追います。

北村有紀恵の生い立ちから現在!日野OL不倫放火殺人事件のその後とはのイメージ

目次

  1. 1北村有紀恵とは
  2. 2北村有紀恵の生い立ち
  3. 3【日野OL不倫放火殺人事件】北村有紀恵の事件概要
  4. 4【日野OL不倫放火殺人事件】北村有紀恵の事件のその後
  5. 5北村有紀恵の現在
  6. 6北村有紀恵は罪のない子供を犠牲にしたことを反省するべき

北村有紀恵とは

北村有紀恵とはどのような人物なのでしょうか。日野OL不倫放火殺人事件を起こした当時、不倫相手の子供二人を焼殺したにも関わらず、北村有紀恵は同情を集めました。そんな北村有紀恵の境遇と被害者遺族との関係、その後を追います。

北村有紀恵は日本電気の社員

北村有紀恵は優秀な成績で大学に進学、理学部を卒業し、1989(平成元)年、日本電気に入社しました。技術系総合職での採用だった北村有紀恵は数ヶ月研修の後、ソフトウェア事業部のネットワーク開発部員に配属されたのです。そこで北村有紀恵の人生を狂わせてしまうきっかけともなった原田幸広が上司となり、二人は出会ってしまったのでした。

日野OL不倫放火殺人事件の犯人

北村有紀恵は上司である原田幸広と不倫関係になり、互いのことを「師匠」「キャッシー」と呼び合う深い関係になっていきました。原田幸広からは「妻と別れるから」と言われ続け、男性とつきあった経験のない北村有紀恵はその言葉を鵜呑みにしてしまうのです。

不倫関係が始まって2年近く経った頃、原田幸広の妻・京子に不倫が発覚します。そこで原田幸広が北村有紀恵に言っていた「妻と離婚する」という言葉は嘘だったということが判明したのです。その後、毎晩のように妻から電話で罵声を浴びせられた北村有紀恵は、それでも自分が悪いと一人耐えていたようです。

しかし北村有紀恵は、原田幸広の妻から発せられたある言葉に「許せない」と憎しみを抱いてしまいます。そして1993年12月14日の早朝、原田夫妻の留守宅に侵入、放火し二人の罪のない子供達を焼殺するという凶行へと踏み出してしまいました。

北村有紀恵の生い立ち

不倫相手の6歳と1歳の乳幼児2人を、焼殺してしまった北村有紀恵とはどのような人物だったのでしょうか。北村有紀恵はかなりの才女だったといわれています。まずは彼女の生い立ちからみてみましょう。

東京の下町に生まれる

北村有紀恵は、1966(昭和41)年8月7日東京の下町で製版所を営む両親の元に生まれ育ちました。北村有紀恵は幼い頃から何でもこなす才女だったといいます。そのため頭が良くていい子、という近所でも評判の子どもでした。

幼い頃から成績優秀

北村有紀恵は、小さな頃からピアノや踊り、習字やお茶といった多くの習いごとに通っていました。成績も小学校の頃から優秀で同級生からも一目置かれるような存在だったのかもしれません。中学から山脇学園へ入学し、高校卒業までの6年間を過ごします。

東京都立大学に入学

山脇学園に入学後も成績は優秀でした。北村有紀恵が生まれた時代は、第二次ベビーブームに加え、受験戦争真っ只中の世代です。そんな競争率の激しい時代にあって、東京都立大学(現・首都大学東京)の理学部数学科に現役で合格しています。今でいうリケジョだったのでしょう。当時としてはかなり珍しい存在だったかもしれません。

北村有紀恵の性格はというと、明るく真面目で几帳面だったそうです。当時は理系の学部にいる女子学生はそれほど多くありませんでした。そんな中、頭脳明晰で明るい性格だった北村有紀恵は、男子生徒の憧れの存在だったといいます。しかし北村有紀恵は学生時代に男性と付き合ったことはなく、恋愛経験はなかったようです。

大学卒業後に日本電気に入社

バブル全盛の時代1989(平成元)年に、北村有紀恵は日本電気(NEC)に就職します。まだパソコンが各家庭に普及する少し前の話ですから、理学部を卒業した学生は引く手あまただったでしょう。北村有紀恵も日本電気の技術系総合職として採用されています。

数ヶ月の研修後、ソフトウェア事業部ネットワーク開発部員となりSE(システムエンジニア)として所属しました。そこで不倫相手となる原田幸広が上司となったのです。彼はハンサムで女子社員に人気があったそうです。7歳年上の原田幸広から仕事のイロハを教えてもらううちに、いつしか尊敬の気持ちが恋心へと変わっていったのでしょう。

【日野OL不倫放火殺人事件】北村有紀恵の事件概要

不倫が原因で幼い二人の命が奪われた日野OL不倫放火殺人事件は、どういった経緯で発生してしまったのでしょうか。事件が起きるまでの経緯や、事件が起きた当日の様子を詳しく追っていきます。

北村由紀恵が犯行に至る経緯

事件概要に入る前に、事件に至るまでの間、北村有紀恵と不倫相手の原田幸広はどのように関係を続けていたのか、経緯を時系列で追ってみましょう。
 

北村由紀恵が犯行に至る経緯
1987(昭和62)年 不倫相手となる北村幸広と妻京子が職場結婚
1989(平成元)年 北村有紀恵、日本電気(NEC)に入社。原田幸広と出会い度々デートをする仲に発展
1990(平成2)年 北村有紀恵、会社のある日野市で一人暮らしを始める
1991(平成3)年8月 不倫関係に発展、以後頻繁に北村有紀恵の自宅に泊まるようになる
1992(平成4)年4月 北村有紀恵、妊娠が発覚
1992(平成4)年5月 原田幸広から「時期が悪い」と言われ泣く泣く中絶
1993(平成5)年4月 再び妊娠したが、このことを理由に離婚調停などは求めず、自分の意思で中絶
1993(平成5)年5月 家の通話履歴で不倫が発覚、その後妻は毎晩のように北村有紀恵に電話し、罵詈雑言を浴びせる
1993(平成5)年8月 北村有紀恵、両親や弁護士と訴訟の準備開始。その間原田幸広の妻は訴訟しないよう訴え続ける
1993(平成5)年11月 北村有紀恵、家事調停に踏み切る
1993(平成5)年12月 原田幸広宅に侵入、放火。原田幸広の二人の子供を焼殺

北村有紀恵と原田幸広の関係は1993年5月に妻の知るところとなり、不倫関係は終わりを遂げます。不倫発覚の際、妻に責め立てられた原田幸広は土下座させられ、平手打ちされたのだそうです。洗いざらい妻に不倫のことを打ち明け、妻の京子が見ている場で北村有紀恵に電話させられ「嘘をついていた。実は妻には何も話していない」と告げました。

原田幸広の言葉を信じきっていた北村有紀恵にとっても寝耳に水だったのでしょう。切られた電話に折り返しかけ、妻と直接話しましたが、妻にはものすごい剣幕でまくし立てられます。しかし北村有紀恵には妻子ある人と関係を持った自分が悪い、という気持ちもあったのでしょう。「すみません…」とひたすら謝るだけだったといいます。

妻・京子の怒りの矛先は、ひたすら謝る北村有紀恵へと更に向かっていきます。その後毎晩のように北村有紀恵へ電話をかけ、罵詈雑言を浴びせていました。

不倫相手・原田幸広宅に侵入

5月の不倫発覚以来、毎晩のように電話をかけ罵声を浴びせ続けた妻の態度にも、北村有紀恵は反論せず一人耐えていました。7月になっても罵詈雑言の電話は止まず、自責の念を抱えていた北村有紀恵は精神的にも疲弊していきます。

7月のある日、そんな北村有紀恵に吐いた妻の暴言「生きた子供を平気でお腹から掻き出すような人」が胸に突き刺さります。このことをきっかけに子供を失う悲しみを味わわせてやりたい、と思うようになってしまうのです。

1993年12月14日早朝、原田幸広が会社出勤の際、いつものように寝ている二人の子供を自宅に残し、駅へ妻が車で送って行きました。その様子をどんな気持ちで北村有紀恵は見つめていたのでしょうか。夫妻が車で出て行くところを確認し、原田幸広の自宅へ以前渡されていた合鍵を使って侵入します。

ガソリンをまき放火

公団住宅の4階にあった原田幸広宅へ侵入した時、北村有紀恵は子供達がいることを確認していたのでしょうか。裁判中も二人の子供達への殺意を認められたことを不服とし、控訴しています。

しかし、北村有紀恵が原田幸広宅へ侵入した際、手にしていたものはガソリン入りのペットボトル5本とポリタンクです。仮に子供達がいることに思い及ばずとも、集合住宅であることから犠牲者が出ることは容易に想像できるでしょう。

居間のこたつの周りにガソリンを撒き、近くにあったタバコの吸い殻にライターで着火、こたつ付近に投げ込みます。しかし着火に失敗、今度はこたつに置いてあった郵便物に火をつけようとするも、またも失敗します。ふと見るとドアノブを回す際、指紋がつかないよう持っていたハンカチに引火していることに気づき、慌ててライターと共に取り落としました。

就寝中の子供2人を焼殺

何度か着火に失敗していた北村有紀恵でしたが、この時点でも火はくすぶっていました。室内では空気不足による不完全燃焼から可燃性のガスが生じていたのです。

恐らく北村有紀恵が慌てて部屋を出ようとした際、空気不足だった部屋に一気に酸素が供給されてしまったため、バックドラフト(爆燃現象)が引き起こされたのでしょう。その爆風で吹き飛ばされた北村有紀恵は隣の玄関扉に体を打ち付けてしまいました。

一瞬気を失いつつも意識を戻し、慌てていたので片方のスニーカーを置いたまま逃走します。バックドラフトにより、原田幸広宅の室内は一気に燃え上がり、全焼します。奥の部屋で就寝中だったはずの6歳の長女は火元である居間で、1歳の長男は奥の4畳半で、それぞれ一部焼失した焼死体で見つかりました。

放火の理由は子供を失う辛さ?

北村有紀恵が放火という暴挙に出た理由のひとつに、妻から浴びせられた暴言が北村有紀恵の妻への怒りに火をつけてしまったことが挙げられます。北村有紀恵自身、不倫していた身であるため妻からの非難は仕方がないと覚悟を決めていたようです。

しかし「生きてる子供を平気でお腹から掻き出すような人」と言われた際、自分だけでなく堕ろさなければならなかった子供までも侮辱されたと感じ、原田幸広の妻にも「同じ思いを味わわせてやりたい」と思うようになりました。

実際に北村有紀恵は原田幸広と不倫関係になって2度妊娠していますが、最初の妊娠の際、原田幸広に「時期が悪いから今回は諦めてくれ」と言われ、泣く泣く中絶するに至っています。2度目は自ら中絶したとはいえ、本当は原田幸広との子供を産みたかったのでしょう。その辛さを罵られたことも放火という犯行に及んでしまった一因だったのかもしれません。

【日野OL不倫放火殺人事件】北村有紀恵の事件のその後

北村有紀恵は事件後程なく逮捕されました。不倫相手の北村有紀恵に、二人の子供を殺された原田幸広と妻・京子はその後、どうしたのでしょうか。この事件のその後を追ってみましょう。

原田幸広は日本電気を解雇

原田幸広はこの事件の後、自分の意思による退職と表向きはなっていたものの、日本電気を事実上の解雇となりました。不倫相手に放火され、子供も殺された挙句に自らの職場も失った原田幸広は、何を思ったのでしょうか。不倫の代償としてはあまりに大きな代償と言わざるを得ません。

原田夫妻は事件後に子供を出産

夫である原田幸広の不倫がきっかけで二人の子供を失ったことを考えると、離婚という選択肢もあったでしょう。しかし妻はあえてなのか、それでも夫と夫婦でいたかったのか、離婚せず現在も原田幸広と夫婦として過ごしているそうです。一男一女をもうけて、現在は東北地方に移り住んでいます。

映画『八日目の蝉』の元ネタとの声も

映画だけでなくNHKドラマにもなった『八日目の蝉』は角田光代の同名小説が原作です。不倫関係にあった女性が中絶を余儀なくされた挙句、妻子ある男に捨てられてしまいます。その後不倫相手の子供を誘拐し、育てながら逃亡を続けるという話なので、設定の大枠は日野OL放火殺人事件と似通っています。

そのことから考えると、不倫相手の子供を殺すのではなく誘拐する点は明らかに違っていますが、原作を創作する際に参考にした事件の一つだったのでしょう。原作者である角田光代はこの作品で「母性とは何かを描きたかった」と言っています。

実際に北村有紀恵は誘拐を考えていたこともありました。獄中の北村有紀恵と手紙のやり取りをしている記者によると、北村有紀恵は原作も読み、ドラマも見たそうです。しかしドラマを見た後、自身の犯行を思い出したのか、数日間体調を崩した、と手紙で伝えています。

北村有紀恵の現在

北村有紀恵はその後、裁判で自分の罪は認めていました。しかし「女房みたいなタイプと結婚するつもりはなかった」「女房が交通事故などで死なないかな、と思うんだ」といった言葉を言われ続け、心も体も弄ばれ心神耗弱の状態だった、と情状酌量を訴えていました。

しかし、その訴えはなんの罪もない乳幼児2人の焼殺という罪の前では退けられ、最高裁まで争いましたが無期懲役が確定したのでした。

無期懲役の判決で服役中

2001年、無期懲役が確定した北村有紀恵は、現在刑務所で服役中です。事件を犯した後、北村有紀恵はキリスト教に入信し、毎日自身が殺してしまった2人の子供の供養のため祈りを捧げているといいます。娘の犯行により家族の人生も一変します。

北村有紀恵の両親は、その後原田夫妻が二人の子供を殺されたことを訴えた損害賠償のため営んでいた製版所も売り払い、毎日近くの寺院を巡っては二人の子供の供養をしているのだそうです。子供達を焼殺してしまった命日には法要も行ない、冥福を祈る日々を送っています。

手記『日野OL不倫放火殺人事件と呼ばれて』が掲載

2002年月刊『創』3月号から数回にわたり、北村有紀恵本人による手記が掲載されます。その手記の中で北村有紀恵は、控訴したことについて「刑を受けることになんの不満もない。中絶した時点で私は死刑に値するという罪悪感を持っていたから。しかし審理内容については全く納得していない」と言っています。

北村有紀恵からすると元はといえば、原田幸広が自分を弄んだことが原因で、子供達への殺意を認定されたことも納得いかない部分だったのでしょう。

裁判の判決では北村有紀恵を不倫相手として性欲対象としか考えず、彼女の尊厳を傷つけたことに言及し、「離婚する」と嘘をつき続けて不倫関係を続けた結果、北村有紀恵の心と体を弄んだことは倫理的に認められない行為である、と非難はしました。しかし原田幸広が法的な責任を負うことはありませんでした。

北村有紀恵は罪のない子供を犠牲にしたことを反省するべき

この事件が未だに注目を集めるのは、ごく身近にあり得る人間関係がこじれた先の末路を示しているからでしょう。北村有紀恵は無期懲役となり、毎日殺してしまった二人の子供達の冥福を祈っているといいます。またその家族も亡くなった子供の供養を毎日しているのです。

実際に子供達を殺めてしまったのは北村有紀恵です。しかしその裏には「自分さえ良ければいい」「今が楽しいから」といった自分本位の関係が何の罪もない子供達を殺してしまった、ともいえるのではないでしょうか。少しでも家族やパートナーを思いやることができれば、こういった事件が起きることも少なくなるのかもしれません。

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