巣鴨子供置き去り事件の概要!長男や母親のその後は【誰も知らない】

巣鴨子供置き去り事件は、母親が子供4人を家に置き去りにして出て行ってしまった事件です。その後、巣鴨子供置き去り事件が発覚してから妹の1人が死亡している事が分かります。子供達の実名や現在の様子などを絡めて、実話を元にした映画『誰も知らない』についても紹介します。

巣鴨子供置き去り事件の概要!長男や母親のその後は【誰も知らない】のイメージ

目次

  1. 1巣鴨子供置き去り事件とは
  2. 2巣鴨子供置き去り事件の母親の実態と状況
  3. 3巣鴨子供置き去り事件の被害者であり加害者・長男
  4. 4事件発覚のきっかけや発覚時の状況
  5. 5巣鴨子供置き去り事件・裁判の判決について
  6. 6巣鴨子供置き去り事件のその後
  7. 7子供だけの世界で起きた悲惨な事件だった

巣鴨子供置き去り事件とは

1988年、昭和の最後に発覚した「巣鴨置き去り事件」をご存知でしょうか。母親が子供達を置き去りにして家を出て行ってしまったが故に起こってしまった兄と幼い妹の痛ましい実話です。母親は子供達へ少しの金銭をたまに送るだけで、家に見に行く事は無かったそうです。こんな実話が起こるきっかけとなった出来事を紹介します。

「巣鴨子供置き去り事件」が発覚したその後、この実話を元に映画『誰も知らない』が作られました。事件の事は知らないけど映画『誰も知らない』を見て実話なのかと興味を持ったという世代の人もいる事でしょう。

巣鴨子供置き去り事件の概要

1988年7月18日、東京の豊島区西巣鴨のマンションの大家から「母親がおらず、子供だけで生活しているようだ」と通報が入りました。警察はマンション一室で生活していた14歳の長男・7歳の長女・3歳の次女の3人を保護します。

この時に死亡した乳児が押入れから発見され「巣鴨子供置き去り事件」として調査が開始されます。たまに金銭を送るだけで家に帰らない母親の消息を「巣鴨子供置き去り事件」の概要と共にマスコミが報道しました。母親の事や子供達の事情についても、近隣住民は誰も知らない状態でした。

その後、母親はテレビでの報道を見て出頭してきます。この時、子供達の実名が報道されていなかったので出頭するのに数日かかりました。出頭してきた母親が、保護されていた子供が1人足りないと告げた事で事件はさらなる展開を見せる事になります。

置き去りにされ、小さい子供達の面倒を見ていた長男と家を出入りしていた不良仲間が当時2歳だった三女を死亡させ、遺体を遺棄していたと判明したのです。この実話を元に、映画『誰も知らない』が作製されましたが、映像化した事によりリアリティある生活の様子に胸を痛めた人が続出しました。

きっかけは結婚しているという勘違い

母親が子供を家に置き去りにするという驚きの実話が起こってしまった最初のきっかけは、事件発覚の約15年前にさかのぼります。母親はある男性と駆け落ち同然に家を飛び出し、同棲を始めました。この男性が後の長男の父親となる人物です。

同棲し始めてしばらくして、2人は結婚するために婚姻届を書きます。長男の父親である男性は、「自分が役所に提出してくる」と言って婚姻届を持っていきましたが、提出する事はありませんでした。その後、長男が誕生した時も男性が「出生届を出す」と言っておきながら提出していませんでした。

母親が男性に出生届を提出したのか聞いた所「出した」と答えていたので、どのような意図で出さなかったのかは不明です。

届けが出ていないことに気付かずに生活していたある日、男性は他に女を作って蒸発してしまいました。しかも会社の金を横領した上、消えてしまった事で生活が苦しいものへと一変する事になります。

男性が蒸発したのと同じ時期に、長男は小学校への入学が近づいていました。なかなか長男の就学通知が届かない事に母親は疑問を感じていたと言います。「おかしいな」と思いつつ通知を待っていましたが入学の時期が過ぎてしまい、ようやく重い腰を上げて役所に尋ねに行きました。すると長男の出生届が提出されていない事が判明します。

出生届が提出されておらず「幽霊児」になっている上に、婚姻届も未提出で母親も未婚のままだと言うことも分かります。この時に母親は役所に相談せず、長男は戸籍のない「誰も知らない」存在として放置されました。

母親に新しい男ができたことで一変した

その後母親は、長男とは年の離れた子供を5人続けて産みましたが、その5人全員に出生届を出すことはありませんでした。母親はデパートの売り子として生活費を稼いでおり、母親が働いている間は長男がずっと小さい兄妹の面倒を見ていました。

事件があったマンションに引っ越してしばらくしてから母親が既婚者の男性と付き合い始め、状況は一変します。その男性と付き合うようになってから家に帰ってくる回数が減り、最終的には同棲する為に子供達を置き去りにして家を出て行ってしまいます。

巣鴨子供置き去り事件の母親の実態と状況

巣鴨子供置き去り事件はマンションの大家から通報があるまで子供だけで生活している事を誰も知らない状況でした。加害者とも言える母親は、どうして子供達の出生届を出さずに生活し続けていたのでしょうか。母親の実態や当時の状況について詳しく説明していきます。

5人の子供を生むが出生届は出さず

母親は結局5人の子供を産んでいますが、全員父親は違う男性だったようです。長男以外は全員自宅で出産し、出生届を出さなかった事もすべて驚愕の実話です。ここで、子供達について1人ずつ紹介していきます。1973年に第一子となる長男を唯一病院で出産しています。「巣鴨子供置き去り事件」の被害者でもあり加害者にもなってしまった子供です。

1981年、自宅で第二子となる長女が誕生しました。1984年、第三子の次男が産まれましたが、まもなく死亡する事になります。しかし戸籍が無いので死亡届を出す事ができず、母親は死亡した次男をビニール袋にくるみ消臭剤と一緒に詰めて押入れに隠しました。

1985年と1986年に第四子の次女、第五子の三女が誕生します。末っ子である三女は母親がマンションから出て行ってしまった後に死亡して被害者となってしまいました。

相談する相手がいなかった

長男に戸籍が無いと判明した時、母親は手続きや相談をする事はなく放置していました。実は母親は長男の父親であった男性と同棲しようと実家を飛び出した時に絶縁されていました。そのせいで頼れる親族がいなく、出産に際して相談出来る人がいませんでした。

さらに、子供の戸籍が無いと分かった時に「隠さなければ」という思考になってしまった事がその後産まれた子供達の出生届を出さなかった要因ともなっているようです。嘘をついて見栄を張っていたという噂から、母親は性格的に誰かに事情を話して助けてもらう事や相談する事が出来なかったと考えられることができるでしょう。

母親の言葉は嘘で塗り固められていた

巣鴨子供置き去り事件が起こったマンションに引っ越した時には、母親はすでにいくつもの嘘をついていました。

マンションの大家には「夫は数年前に死亡しましたが、外交官として働いていました。現在は長男と2人暮らしです。」と伝えており、転入の際に信用させる為についた嘘だと言われています。実際には引っ越した時には子供は全員産まれており、大家に見つからないように家に忍んで入れたと言います。

さらに「うちの職場で取り扱っている物ですが」と言って三越の手土産を近隣住民に配り歩いた事もありました。しかし母親はデパートの派遣店員でした。長男の事について聞かれた時も「立教中学校に通っているが、事情があって今は学校を休んでいる」と嘘をついていたようです。職場や長男について嘘をついてるという事は、誰も知らない状況でした。

死亡した次男を押し入れに隠した

1984年の9月頃、第三子となる次男が産まれました。しかし翌年の2月に母親が仕事から帰ると次男は哺乳瓶をくわえたまま死亡していました。その後、発覚を恐れた母親は死亡した次男を隠す事にしました。

火葬するには死亡届が必要ですが、出生届を出していないので死亡届が出せなかったのです。次男は消臭剤で満たされたビニール袋に入れられ、押入れの奥深くに隠されます。次男の遺体は巣鴨子供置き去り事件があったマンションに引っ越した時にもスーツケースにいれて運んでいます。

長男に全てを任せて男の元へ

1987年の秋頃、母親はマンションを出て行き、当時付き合い始めた愛人の家に同棲するようになりました。始めのうちは生活費をまとめて置いて行き、たまに電話で子供達の様子を聞いたりしていたそうです。

母親が家を出て初めて家に帰って来た時に「仕事で大阪に出張してきた」と言っていたようですが、長男は恋人が出来た事を薄々感づいていました。次第に渡してくる金額も、連絡の頻度も減っていきます。

最終的には、2~3万円のお金を現金書留でたまに送るようになりましたが、それでは生活できずに電気や水道も止められてしまいます。実話を元にした映画『誰も知らない』でもこの場面については詳細に映像化されています。段々とお金が無くなって貧窮していく姿に、事件の子供達の姿が重なります。

巣鴨子供置き去り事件の被害者であり加害者・長男

巣鴨子供置き去り事件では、末っ子だった三女が2歳で死亡しています。原因となったのは長男の不良仲間が行った行為でしたが、現場では何が起こっていたのでしょうか。長男の生い立ちと、生活環境についても一緒に紹介していきます。

異常とも言える母親を見て育った

長男は嘘を平気でつく母親を見て育ちました。子供を放っておいて家に帰らなくても平気な顔をしている母親と生活していて、長男が善悪の行動を理解できていたのでしょうか。

死亡した次男の遺体を母親が押入れに隠した所も目撃していた長男は、異常な常識しか知らずに育ったと言えるでしょう。「今は事情があって学校に行けないけど、いつかは行けるように手続きする」と母親からの言葉を信じて、健気に家で妹達の面倒を見ながら母親の帰りを待っていたのです。

外出時に少年2人と出会う

母親が家を出て行った後は、長男が母親の代わりに妹達に食事を与えておむつを替えていました。マンションの1階にコンビニが入っていたので、毎日のようにコンビニで買い物をしている姿を目撃されています。

母親が居なくなって数か月経った11月のある日、長男は近所の菓子屋で中学1年生の不良少年Aと少年Bの2人に出会います。少年2人は次第にマンションに入り浸るようになりました。少年Aは家庭環境が複雑で、ほとんど学校に通っていませんでした。少年Aは巣鴨子供置き去り事件の現場となった部屋に居候同然に住みついてたようです。

もう1人の少年Bは一般的な家庭で育ち学校にも通っていましたが、攻撃性が高いため学校で上手くいっていませんでした。学校帰りにはマンションの部屋に寄って遊んでから帰る事がほとんどだったと言います。

次第に兄妹の世話が面倒になっていった

長男は母親が家に帰ってこなくなった当初はマメに妹達の面倒を見ていました。頻繁にオムツを換えて、食事を与えていたようです。その後、お金が底を着き始めるとオムツが買えなくなり、1日1回換えれば良い方という状態になっていきました。

食べる物もお菓子かカップラーメンだけで、妹達は栄養が足りず動きも緩慢になっていきます。送られてくるお金が足りなくなるとガスや電気が止められ、お風呂に入ることができずに臭いも酷くなっていきました。

長男は精一杯子供達の面倒を見ていましたが、どうにもならない毎日が続くうちに「面倒を見たくない」といった感情が沸きあがるようになりました。そんな中で出来た初めての同年代の友達とも言える少年Aと少年Bを妹達よりも優先していくようになりました。

三女を少年A・Bと殺害・死体を遺棄

巣鴨子供置き去り事件の決定的な出来事と言える事件が起こったのは、1988年4月21日です。Bが部屋に買い置きしていたカップラーメンが無くなっており、空腹に耐えられなかった妹が食べたのでは無いかと騒ぎ始めました。

Bが問い詰めた所、口の周りにのりがついていた当時2歳の三女が食べたのだと言う事が分かりました。Bは激高し、三女を殴りつけました。これを見ていたAと長男も最終的には一緒になって折檻に加わりました。

一通り感情が収まったのか折檻は終わりましたが、今度は三女がお漏らしをしてしまい、再びBが折檻し始めます。この時の長男とAは「勝手にやれば」と言い捨て隣の部屋でテレビを見始めたと言います。

Bは三女を押入れの上の段から落とし、泣きわめく姿を見ていました。何度もやっているうちに楽しくなったのか、落ちている最中にわざと足を出して腹などを蹴りつけ始めました。三女はまるでボールのように蹴られ、足に弾かれ、その様子が面白くてさらにまた蹴る、という行為を執拗に行っていました。

その後しばらくして長男が気付いた時には、隣の部屋は静かになっていたようです。部屋を覗くとAの足元には三女が倒れて動かなくなっていました。

「死んでしまうかもしれない」と思った長男は、救急車か母親に連絡を取ろうとしました。しかし怒られる事が怖くてどこにも連絡する事が出来ません。そこで長男は見様見まねで人工呼吸をやってみたり、毛布を掛けて体を温めたりして三女の回復を待ちました。

犯行に及んだBは「7時になったから帰る」と言い、さっさと家から出て行ってしまいました。長男とAはそのまま家で様子を見ていましたが、翌日には三女は死亡して冷たくなっていました。長男は「死んでしまったら隠すしかない」と三女を押入れに隠そうとしました。

母親が次男を隠したように、三女をビニール袋に入れ消臭剤を詰めて押入れの奥に押し込みました。しかし、消臭剤が少なかったためか数日経つころには臭いが酷くなり、どこかに埋めに行こうと思い立ちました。三女が死亡した4日後の4月26日に、長男とAは三女の死体をボストンバックに詰めて秩父に向かうために電車に乗りました。

長男とAは秩父市の駐車場脇の雑木林に三女を置き、その上から枝や枯れ葉で覆い隠しました。この時実行犯であるBは電車で一緒に着いて行きましたが「夜遅くなると叱られるから」と言って途中で電車を降りて帰ってしまいました。

本来は兄妹の面倒を見る優しい兄だった?

長男は母親が居た時も、居なくなった後も妹達の世話をとても見ていました。少年Bが三女に最初の暴行を始めた時も長男だけはやめるように言ったと、少年AとBの証言がありました。

また、死亡した三女を遺棄した場所は秩父市の雑木林でした。この場所は昔Aが遠足に行った事があり知っていたという事と、「妹に山を見せてやりたい」という兄心から選んだとの事です。これらを含めて考えると長男は、実話とは信じられない酷い状況下でも妹達の面倒を見る、優しくて面倒見のいい兄だったのではないでしょうか。

事件発覚のきっかけや発覚時の状況

狭い部屋で周囲に気付かれないように隠れて細々と暮らしていた兄妹が「巣鴨子供置き去り事件」として世間に発覚したのはなぜだったのでしょうか。発覚した理由と、発覚した当時の状況について紹介します。

大家が子供だけで暮らしているようだと通報

1988年7月18日、巣鴨子供置き去り事件の現場である東京の豊島区西巣鴨にあるマンションの大家から1本の通報が入りました。「一室の居住者の母親がいないらしく、子供が3人で生活をしている様子がある。不良も出入りしていて困っている。」との内容でした。

その後、警察と福祉事務所の相談員が通報にあった部屋を訪ねると、14歳・7歳・3歳の子供だけで部屋で生活しているような様子でした。部屋はカーテンが閉め切られており、異臭が立ち込め大人がいるようには見えませんでした。14歳の長男の話を聞くと、母親は随分前に家を出て行ったとの事で3人を保護します。

さらに家宅捜索すると次男の死体が押入れから発見され、「巣鴨子供置き去り事件」として母親の居場所を巡って連日マスコミが報道しました。しかし、この時の子供達は未成年だった為に実名報道はされず、母親が気付くのに数日かかりました。

巣鴨子供置き去り事件の報道を見て母親が出頭

「巣鴨子供置き去り事件」としてマンション付近の報道が連日されると、愛人宅で生活していた母親が「自分の事かもしれない」と警察署に出頭してきました。子供達の実名が報道されていなかったので母親は確信を持てていませんでした。

しかし驚く事に、母親の話から置いて行った子供が1人足りない事が発覚します。足りない1人はどこに行ったのか、報道が過熱していきました。

長女と次女は栄養失調状態だった

子供達を警察が保護した時、長女と次女は重度の栄養失調の状態でした。発見当時3歳だった次女は特に症状が重く、ガリガリに痩せていたようです。

母親から送られてくるお金が足りなくなってからは、コンビニの廃棄をもらったりお菓子やジャンクフードしか食べていませんでした。子供の成長に必要な栄養が足りていなかったのが原因で、長女も次女も成長が阻害されていました。

巣鴨子供置き去り事件・裁判の判決について

母親、長男、少年A、少年Bは罪に問われる事となります。巣鴨子供置き去り事件の裁判は東京地裁で行われましたが、一体どのような判決が下ったのでしょうか。判決が下ったその後の様子と共に紹介していきます。

母親には執行猶予付きの懲役3年

「わが子を養育するわずらわしさから逃れようとした無責任、身勝手きわまりない犯行。三女の死の遠因となったといっても過言ではない」

1988年10月26日、母親には懲役3年執行猶予4年の有罪判決が下りました。裁判官は判決と共に上記のように告げました。母親に執行猶予がついている理由ですが、「同棲相手と結婚してやり直す」と誓っている事を考慮して、この事件に限っては更生の余地があると判断したそうです。

長男は傷害致死と死体遺棄

母親が出頭してきた2日後、長男は「三女を折檻死させてしまった」事を供述しました。これを受け、傷害致死と死体遺棄で逮捕されます。

長男は児童相談所で保護されていたのですが、三女の死を供述してからは目でも分かるように顔が穏やかになったと言われています。児童相談所の所長は、長男が三女の遺棄現場で検証を行ったあと「重荷を下ろしたような表情」をしていたと語っていました。

判決は少年院へは行かず養護施設へ

1988年8月10日、長男は三女に対する傷害致死・死体遺棄が適応され、東京家裁に送致されました。しかし「母親さえ家にいれば起こり得なかった事件である。長男は教育的措置が必要」として、少年院ではなく養護施設に送られる異例の処遇となりました。

三女殺害・遺棄に関与した少年A・Bについて

犯行に加わっていた少年Aと少年Bについては、年齢的に刑事責任を問えなかったため巣鴨警察署で補導しました。そして2人共教護院に送致されています。現在の少年Aと少年Bについての情報も調べましたが、どこにいるのか、実名や現在は何をしているのか何も情報が出てきませんでした。

巣鴨子供置き去り事件のその後

巣鴨子供置き去り事件の子供達や母親は現在何をしているのでしょうか。また、彼らの実名についても調べてみました。さらに実話を元にした映画『誰も知らない』についても一緒に紹介していきます。

事件の被害者・加害者共に実名は公開されていない

事件の被害者である子供達の実名を探してみましたが、どこにも公開されていませんでした。さらに加害者の母親の実名と長男の実名も共に見つかりませんでした。巣鴨子供置き去り事件が起こった当時に報道されていた時も、母親は実名表記はされずに仮名での報道でした。現在も公表はされていないようです。

少年AとBについては、事件当時に未成年だった事もあり特に実名報道は厳しく規制されていたようです。彼らが事件のその後に犯罪を犯す事があったら、実名と共に巣鴨子供置き去り事件についても併せて紹介される事になるでしょう。

長女と次女は母親に引き取られる

母親は判決が下ったその後、恋人(事件前は既婚者だったので愛人だったが、事件後に離婚して母親の婚約者になった)と変わらず共に暮らしていたようです。その時に長女と次女は母親に引き取られて行きました。

その後どこで暮らしているのか、何をしているのかなどはどこにも見つからず詳細は不明です。2018年現在、長女は37歳・次女は33歳になっていると言われています。

現在長男の消息は不明

長男が養護施設に移ったあとの消息は不明とされています。母親に引き取られた様子はなく、まさしく「誰も知らない」状態だと言えます。事件発覚当時も、長男の実名は分かっておらず、事件のその後の様子を掴むことができませんでした。現在は45歳になっているはずで、年齢的には結婚等していてもおかしくはありません。

インターネット上では、長男は実名こそ分かっていませんが教育を受けてからメキメキと成長して、養護施設を卒院したと噂になっています。現在では結婚し、子供もいて幸せに暮らしているようだとささやかれていますが実話かどうかは判断できません。

この実話を元に「誰も知らない」が制作された

これまで紹介してきた実話を元に、2004年には『誰も知らない』という映画が作られました。実話がベースであるため、かなりリアリティ溢れる内容で主演の柳楽優弥の演技力も素晴らしいと話題になりました。映画『誰も知らない』で柳楽優弥は第57回カンヌ国際映画祭を受賞しました。

柳楽優弥はこの作品で、行政も学校も、近所の目も届かない、戸籍のない幽霊児「明」を演じています。実話と同じように本当は子供が4人いるにも関わらず、明と母親の2人暮らしだと嘘をついてアパートに引っ越してくる所から始まります。

そんなある日、母親が家を出て新しい男の元へ行ってしまいます。それから子供4人だけの生活を過ごしていくのですが、お金が無くなると電気や水道が止められてしまい生活が貧窮していく様子が見られます。しばらくして、不慮の事故で子供の1人が亡くなってしまい、埋めに行くまでが映画の一連の流れとなっています。

2018年現在、映像化されてから15年近く経ちましたが、今見ても考えさせられる内容になっているでしょう。現在も日本のどこかで、同じような状況に陥っている子供がいるのかもしれません。

子供だけの世界で起きた悲惨な事件だった

巣鴨子供置き去り事件は子供達の事を誰も知らない狭い部屋で起こった信じられないような悲惨な実話でした。この事件が報道されたことで現在「ネグレクト」という言葉が周知されていると言っても過言ではありません。

生き残った子供達の現在の様子や実名は分かりませんでしたが、事件のその後には平穏に暮らせている事を祈ります。もしかしたら長男は現在、結婚して子供を授かって幸せに暮らしているかもしれません。

現在でも子供の出生届を出さず、幽霊児にさせてしまう親は存在しています。幽霊児として育つ子が少しでも減るように祈るしかないでしょう。

関連する記事はこちら

Thumbフリッツル事件の概要・その後!娘を地下室に監禁/映画「ルーム」の基となった事件
父ヨーゼフ・フリッツルが娘エリーザベト・フリッツルを24年間にも渡って地下室で監禁していたと...
Thumb田野岡大和の現在!北海道置き去り事件の真相と家族のその後とは
北海道置き去り事件を覚えているでしょうか。2016年の5月、北海道の山中で田野岡大和が父親に...

関連するまとめ

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ