メアリー・ベル事件の概要!メアリー・ベルの現在や生い立ち【サイコパス殺人鬼】

メアリー・ベル事件とはイギリスで起きた殺人事件です。11歳の少女が3歳と4歳の子供を殺害した驚愕の事件であり、本人が執筆した自伝本も出版されています。サイコパスの代名詞とも言われた殺人鬼、メアリー・ベルの生い立ちや、その後と現在を辿ってみます。

メアリー・ベル事件の概要!メアリー・ベルの現在や生い立ち【サイコパス殺人鬼】のイメージ

目次

  1. 1悪魔の少女メアリー・ベルとは
  2. 2メアリー・ベル事件の概要
  3. 3メアリー・ベルの生い立ち
  4. 41人目の殺害(1968年5月25日)
  5. 52人目の殺害(1968年7月31日)
  6. 6刑務所での生活からその後
  7. 7メアリー・ベルの現在
  8. 8メアリー・ベル事件を振り返る本を出版
  9. 9母親の愛情不足が生んだ悲しい事件だった

悪魔の少女メアリー・ベルとは

メアリー・ベルは写真を見る限り、とても愛らしく普通の子供となんら変わらない少女です。しかしその本性は共感性のない怪物そのものであり、殺人鬼メアリー・ベルの起こした事件は、犯人が11歳の少女であった事から当時のイギリスを震撼させました。

ここでは、3歳と4歳の幼児を殺害したメアリー・ベルの殺人動機や、人を殺す事にどういう感情を抱いていたのかを探っていきます。

殺人鬼と化した少女

殺人鬼メアリー・ベルは最初の殺人を犯した際、小さな紙片に子供らしい字でメモを残していました。内容は「わたしが、ころした。だから、また、やってくる」というものです。このメッセージは一体どのような意味をもっていたのでしょう。

殺人をすればその事実隠したくなるものですが、10歳で殺人鬼と言われたメアリー・ベルにとってはほんの遊びにしか過ぎなかったのでしょう。人間の死について無関心だったメアリー・ベルの心は、すでに殺人鬼となっていたのかもしれません。感情を殺されてしまったメアリー・ベルの生い立ちについても後にご紹介します。

サイコパスの代名詞として有名に

殺人鬼メアリー・ベルは典型的なサイコパスだという事でも有名ですが、サイコパスとはどのような存在なのでしょうか。サイコパスとは、精神病理学の分野では、「精神病質者」を意味します。良心の欠如、冷酷で共感性がない、平気で嘘をつく、責任感と罪悪感の欠如、自己中心的で口が達者などの要素を持った特殊な人格だと言われています。

メアリー・ベルの行動にはサイコパスのすべての要素が当てはまったと言われています。しかしこの異常とも言える心理は、メアリー・ベルの場合、先天性のものではなく生い立ちからきたものであるとされています。

メアリー・ベル事件の概要

サイコパスとされる殺人鬼メアリー・ベルの事件は、イングランド北部の都市、ニューカッスルで起きました。鳩小屋を作る材料を探していた少年ら3人が、空家の2階で子供の遺体を見つけました。

その時空家の外に2人の少女がいました。それが犯人のメアリー・ベル(当時11歳)と友達のノーマ・ベル(当時13歳)でした。その2か月後にまた幼い子供が殺されるという事件が起きています。

2人の子供を殺害

殺人鬼メアリー・ベルは1968年5月25日に4歳の子供を、続いてその2か月後に3歳の子供を相次いで殺害しました。またその犯行現場には、メアリー・ベルの友人であるノーマ・ベルも一緒にいたそうです。メアリーは一人目の子供の殺害後、保育所へ行って異常な行動をとっています。また子供の遺族にも異様な質問を投げかけたと言われています。

警察の対応から挑発的な行動に

最初に殺された4歳の子供の犯行時、警察での捜査で子供に絞殺した後が残らなかったため、突然死として処理されてしまいました。メアリー・ベルはこれに怒りを覚え、保育所を荒らした後、警察に対して挑発的なメモを残しました。

また犯行現場を絵にして見せたりと、とても普通では考えられない行動をとったそうです。しかし殺人鬼メアリー・ベルには虚言癖があると有名であり、その言動は誰にも相手にされなかったと言われています。

複数の犯行文を送っている

保育所で書いた犯行分は上記の他に3通あります。「くそったれ、わたしたち、ころす、きをつけろ、みっともないうじむし」「わたしたちがマーティン・ブラウンをころした、くそったれ、げすやろう」「きをつけろよ、ころしがあるぞ、みっともないうじむしばあさんより、まぬけ」、この文章を見た警察はどう思ったのでしょうか。

とても子供らしい稚拙な言葉で書かれていますが、その中には殺人を予告するような言葉も含まれています。常人には理解することのできない、サイコパスとしての一面を窺い知ることができます。

メアリー・ベルの生い立ち

不遇な生い立ちのメアリー・ベルがサイコパスの人格を育み、殺人鬼となってしまった背景には、生い立ちが深く関わってきます。自伝中で明かされた10歳の殺人鬼の生い立ちとは、一体どのようなものだったのでしょうか。

メアリー・ベルの母親は売春婦

殺人鬼メアリー・ベルの母親ベティ・ベルは売春婦をしており、未婚のままメアリー・ベルを産んでいます。ベティはメアリー・ベルを産んだ時、「この娘をどこかにやって!」と叫んだという事です。さらに母親は薬物依存症だったと言われています。出産後も幾度にも渡り、自分が服用していたピルをメアリー・ベルに飲ませ、殺害しようとしています。

自伝にも書かれていますが、母親は4歳になったメアリーに娼婦のまねを強要していたとメアリーは語っています。不遇な生い立ちであるメアリー・ベルは、生まれた時からサイコパスだったのではなく、生育過程で母親から受けた異常な悪意によってサイコパスにされてしまったと言われています。

メアリー・ベルの父親は不明

メアリー・ベルの本当の父親は不明ですが、母親ベティのヒモ的な存在の「ビリー」という義父がいました。ビリーもまたメアリーには関心がなく、自堕落な生活を送っていたそうです。母親のベティは、メアリーにビリーの事を「叔父さん」と呼ばせていました。

生活保護を受けていたベティとビリーは、父親の存在がある事を知られてしまうと生活保護が減額させられると思ったことから、「叔父」という呼び方を強要したようです。唯一、このビリーだけがメアリーを人間扱いしていたと言われています。

一緒に出かけて話し相手になる等、不遇な生い立ちであるメアリーが持っている数少ない人間性は、ビリーが培ってくれたといっても良いでしょう。

貧しい生活を送っていた

上記でも説明していますが、メアリー・ベルはベティの売春婦としての稼ぎと生活保護を受けて暮らしていました。養父であるビリーは、母親ベティの稼ぎをあてにしながら退廃した生活を送っていたため、とても貧しかったそうです。貧しさと愛情のなさは、メアリー・ベルのサイコパスとしての人格を築くのに格好の環境であったことでしょう。

母親にドラッグを飲まされ生死を彷徨うことに

メアリー・ベルの母親であるベティは、メアリーに対し生まれてから一度も愛情を抱かなかったと言われています。それは出産した時の吐き捨てるような言葉や、4歳のメアリーにベティがアフター・ピルを飲ませて殺害しようとしたことからも窺い知ることができます。

メアリー・ベルはアフター・ピルを飲まされた際、生死の境を彷徨う事になったそうです。実の子供に対して愛情をかけられないベティ・ベルはもしかすると自身の生い立ちにも何かを抱えていたのかもしれません。

1人目の殺害(1968年5月25日)

メアリー・ベルがサイコパスな殺人鬼の顔を現したのは、1968年5月25日です。この日に最初の殺人が起こりました。その全貌とその後のメアリー・ベルの異常とも思える行動には、子供らしい好奇心に満ちた異常性が垣間見えます。そして殺人への罪の意識の無さや、恐ろしい心理状態が明らかになりました。

4歳男児を絞殺

1968年5月25日、当時4歳だったマーティン・ブラウンが空き家で死体となって発見されました。先程も説明していますが、鳩小屋を作るために木材を探していた少年ら3人は、空き家で子供が倒れているのを発見しました。

床に仰向けになって、口からは血が流れていたそうです。その後、少年の1人が人工呼吸をしましたが、息を吹き返す事はありませんでした。

少年が吐き気を覚え窓から顔を出して深呼吸していたところ、外にメアリー・ベルと友人のノーマ・ベルを見つけました。メアリーとノーマは空き家に入ると、マーティン・ブラウンが死んでいる2階に上がろうとしたため、少年らは制止しています。

その後警察によって調べられた結果、マーティン・ブラウンの死は事故であるという事で片づけられました。脳に出血があったことは確認されたものの、他に殺人である証拠が見つからなかったためです。マーティンを最後に見たのが叔母のリタでした。遺体の状態から、その10分後にはマーティンは死亡していた事が判明しています。

そのため警察は事件性が薄いと判断し、薬を大量に誤飲してしまったための事故死だと断定されて、捜査が打ち切りになりました。

事件後のメアリー・ベルの行動

メアリーとノーマは、犯行後マーティン・ブラウンの母親の姉のリタに事件を知らせに行っています。メアリーは「おばさんちの子供が事故にあったよ」と言っています。その後外に出たリタにメアリーは「場所を教えてあげるわ」とも言っています。

犯行翌日メアリーとノーマはマーティンの家に行き、リタに「マーティンがいなくなってさびしい?」「マーティンがいなくなって泣いたの?」と質問しています。その際の表情は薄笑いを浮かべていたという事です。

またメアリーは、マーティンの葬儀の日にもマーティンの家を訪ねています。その際にマーティンの母親と交わした会話は驚くべきものでした。

その内容は、「マーティンはいますか?」と尋ねられた母親が「マーティンは死んだのよ」と答えると、「死んだのは知ってるわ。あの子が棺に入っているところが見たいのよ」とニヤニヤと笑って、棺を探すようにあたりを見回していたというものでした。

捜査結果から異常な行動に

事故死と断定した警察に対し、メアリーは憤慨して「私がマーティンを殺したの」と吹聴して歩いたと言われています。しかし殺人鬼メアリー・ベルには虚言癖があったため、誰も信じませんでした。それでも諦めきれないメアリーは、保育園に侵入し上記で説明したようなメモを4通書いて保育園に残しています。

メアリーの怒りはその他でも爆発しています。マーティンを殺害した犯行の翌日は、メアリー・ベルの11歳の誕生日でした。その時ノーマ・ベルの妹スーザンに対し、誕生日カードをくれなかったと怒り、首を絞めようとしました。

悲鳴を聞いたスーザンの父親がすぐに駆けつけ、メアリー・ベルの手を跳ね除けたことで難を逃れました。その後、スーザンはメアリーと遊ばなくなったそうです。

メアリー・ベルの虚言癖が捜査を混乱させた

5月31日、保育園の警報装置が作動し、警察が駆けつけるとそこにはメアリーとノーマがいました。2人は取り調べを受けていますが、前回の不法侵入については否定しています。それから1週間ぐらいして、ある少年がメアリーとノーマの騒ぎを目撃します。

メアリーが「わたしは人殺しよ」と叫びながらノーマに飛びかかって髪の毛を掴み、顔を殴りながらマーティンが殺された方向を指さして「わたしがあの家でマーティンを殺したの」と叫んでいたという事です。しかし殺人鬼メアリー・ベルの虚言癖は有名だったので、誰も信じませんでした。

共犯者ノーマ・ベル

メアリー・ベルと行動を共にしていたノーマ・ベルは、同姓ですがたまたま同じ性の他人です。犯行当時はメアリー・ベルの2歳年上の13歳でした。ノーマは年齢は上ですが、その2人の関係性は理知的でかしこいメアリーがノーマを従属させているといった関係でした。

ノーマ・ベルはメアリーのような不遇な生い立ちという訳ではなく、軽度の知的障害がありました。ノーマはメアリーにとって唯一の友達で、メアリーの考え方や犯罪にも共感していたという事です。しかしメアリーにとってノーマは、友人というよりも自分の言う事を聞く都合の良い関係であったようです。

2人目の殺害(1968年7月31日)

メアリー・ベルの一度目の殺人は殺害に成功したものの、自分へ注目を向せさせるという本来の目的自体は失敗に終わりました。しかし、諦めることのできなかったメアリー・ベルは、その後2度目の殺人を犯す事となります。

サイコパスの特徴には、自分の事だけしか考えられないというものがあります。2度目の殺人は、どのようにメアリー・ベルの優越感を満たしていったのでしょう。

3歳男児を絞殺

マーティン・ブラウンの犯行から2か月後の7月31日、3歳のブライアン・ハウが行方不明になるという事件が起こりました。ブライアンの姉が弟の行方を捜していた時に、メアリー・ベルと友達であるノーマ・ベルが近づき「ブライアンは、あそこのコンクリートブロックの間で遊んでいるかも知れないわ」と言いました。

しかしその際、ノーマはその事を強く否定し、その場から離れていったといいます。結局ブライアンが見つかったのは夜中の11時10分でした。コンクリートブロックの間で冷たくなっていたという事です。遺体の上には草や紫の花がばら撒かれていたそうです。口からは血の混じった唾液の泡が垂れており、首には絞められたような圧痕が残っていました。

そして付近には壊れたハサミが落ちていました。この事件でも注目を得られないのではないかと感じたメアリーは、その後犯行現場に戻ってブライアンの腹部に「M」の文字を刻みました。これはメアリーの名の頭文字からとった「M」でした。その後ハサミでブライアンの髪を切り、男性器を切断するという凌辱が加えられていました。

警察による検死の結果、子供による絞殺と断定されました。大人による犯行にしては、強い力が加えられていない事から断定されたようです。この時事件を担当した刑事は、マーティンの時と犯行が似ている事から、マーティンもまた子供によって殺されたのではないだろうかと、疑念を抱き始めていました。

メアリー・ベルの証言から見えたもの

警察は1000件ほどの家の子供を訪ね、3歳から15歳までの子供約1200人にアンケートをとりました。そのアンケートの回答で特に気になったのが、メアリー・ベルとノーマ・ベルでした。尋問した2人の態度は極めて異常で、殺人についての質問になると終始ニヤニヤと笑っていたのです。

8月2日、メアリーの尋問中にメアリーの方から思い出した事があると語り始めたと言います。その内容はブライアンが殺された日についてでした。メアリーの証言は「体中に草や紫の花をつけたある少年が、落ちていた壊れたハサミで猫の尻尾を切ろうとしていたが、突然ブライアンに暴力をふるい始めた」というものでした。

ハサミについて情報を公表していなかった警察は、メアリー・ベルの証言を重く受け止め、その少年を尋問しました。しかしその少年には確固たるアリバイがありました。そのため「ハサミ」について知っていたメアリー・ベルが走査線に浮上しました。

メアリーが捕まる8月7日の午前、ブライアン・ハウの葬儀が行われていました。葬儀中のメアリーはブライアンの家の正面にいたと言われ、ブライアンの棺が運ばれていくのを大喜びで観ていたそうです。

その表情を見た監視役の警部は、メアリーの様子を見てゾッとしたと語っています。このままメアリー・ベルを放置すれば、また幼い子供が犠牲になると感じたようです。

メアリー・ベルの犯行内容が明確になり逮捕へ

警察では遺体の凌辱された痕跡を辿るうち、1つの事実が解明されました。遺体を切り刻んだ凶器がハサミである事がわかったのです。メアリーはマーティンの事件の時のように、「わたしが殺したのよ」と言っていました。

しかし先ほどもご紹介した通り、「犯人はあの子よ。凶器はハサミだったんでしょ。だってハサミを持っていたわ」という発言は事件時近くにいたという証拠になります。

この時点ではハサミで遺体を切り刻んだ事は極秘事項だったため、この情報を知っていること自体が、メアリーが事件に関与している証拠となりました。この言葉がメアリー・ベル逮捕のきっかけとなりました。

その後逮捕されたメアリー・ベルは黙秘を続けていましたが、ノーマ・ベルが事の重大性に気付いて警察に何もかも話したため、全てが明らかになりました。メアリーはノーマに、「わたしが殺したの、誰にも言っちゃダメだよ」と言ったそうです。

そして被害者のブライアンの死体を見て、メアリーはその紫色になった唇をなぞりながら、「面白かった」と言ったそうです。

またメアリーはカミソリでブライアンのお腹に傷をつけたとノーマに伝えており、ノーマはカミソリの隠し場所も証言しています。ノーマ・ベルの証言どおり隠されていたカミソリが見つかったことから、メアリ―とノーマは逮捕に至りました。

刑務所での生活からその後

メアリー・ベル事件は、メアリーのちょっとした発言から新展開を見せて逮捕に至りました。メアリー・ベルの証言は、無邪気に笑いながら真実とも嘘とも判断がつかない内容を話すだけで、動機もわからなかったと言われています。

またメアリーの言動は傍聴している人々を驚愕させ、母親もまた裁判の進行を妨げるような行為におよびます。そんな中、メアリー・ベルに下された判決とは、どのようなものだったのでしょう。

取り調べに対するメアリー・ベルの言葉

メアリー・ベルは逮捕後の取り調べに対し、殺人への関与は認めたもののノーマが殺したと発言しています。その言葉に感情はなく、殺した状況を語らせても無感情で飄々と語っていたという事です。

当時付き添っていた看護師は、言葉の使い方が豊富でとても頭のいい子だと感じたそうです。他にも、「自分よりも弱い、抵抗できない存在を痛めつける事が楽しい」「殺人なんて大した事ではない。人間はいつか死ぬのだから」とも供述しています。

拘置所での夜、メアリー・ベルはとても澄んだ声で歌を歌っていたといいます。その歌の内容は、まるで自分が今まで育ってきた生い立ちをそのまま歌にしているようでした。「お前は汚れてて、ゴミの蓋みたいだよ。お前のしたこと、父ちゃんが知ったら、ベルトでお前をひっぱたくよ」と言った意味合いの歌詞だったと言われています。

裁判の判決とは

当時メアリー・ベルが住んでいた地域の裁判は、イギリスの首都に本拠地を置いている裁判所からの出張裁判でした。10歳を過ぎた人間が殺人を犯した場合は陪審員裁判が行われています。不遇な生い立ちであるメアリー・ベルの裁判は、異様な光景の裁判であったと言われています。

1968年12月5日、メアリー・ベルとノーマ・ベルの裁判が始まりました。裁判が始まり裁判官が入廷するとノーマは不安げに両親を見ましたが、メアリーは裁判官のかつらに興味をもち、面白そうに笑っていたそうです。

また共犯者であるノーマ・ベルが涙を流して動揺しているのに対し、メアリー・ベルは蝋人形のような顔立ちで表情を変えず憮然とした態度でした。

しかも、10歳とは思えない語り口で事件の供述をし、傍聴人を驚かせるような話術を持ち合わせていたという事でした。またメアリーの母親ベティは厚化粧にブロンドのかつらをかぶって、度々ヒステリーを起こし、裁判の進行を妨げたといいます。これに対してもメアリーはとても冷静でした。

メアリーは裁判中、殺人事件に対しての犯行を認めていましたが、その後突然「すべてノーマ・ベルがやった」と供述を一転させて裁判を混迷させました。しかし最終的な判決内容は、ノーマ・ベルは無罪、メアリー・ベルは有罪判決であり、メアリー・ベルは矯正施設に送られる事となりました。ノーマ・ベルはこの日に釈放されています。

23歳の時に出所

判決後の12年間、メアリーは少年院と一般刑務所で過ごしました。1977年には仲間と刑務所を脱走し、その後3日で捕まって連れ戻されています。またメアリーの母は娘の面会に来てはメアリーの下着姿の写真を撮り、それをタブロイド紙に売っていたと言われています。

1980年、メアリー・ベルは23歳で仮釈放となりました。出所後は職を転々としながら生活し、その後大学へも通いますが、すぐに通うのをやめて母親のもとに戻っています。

今までの親子関係から見ても、メアリー・ベルが母親の元に戻るという事は普通考えられる事ではありません。このことからも、メアリー・ベルは普通とは少し異なる考え方をしていたことが伺えます。

メアリー・ベルの現在

メアリー・ベルの出所してからのその後は、とても悲惨なものでした。静かに暮らしていこうとしていたメアリーの人生は、メアリーの母親によってことごとく壊されてしまったからです。しかしそんなメアリーの人生も、悪い事ばかりではありませんでした。

殺人鬼と言われた小さな少女の、その後の人生や現在の生活とはどのようなものなのでしょう。メアリー・ベルの事件後と現在についてご紹介します。

出所後は実名を伏せて生活を送る

メアリー・ベルは出所後、名前を変えて生活していました。しかし静かな暮らしをできるはずだったメアリー・ベルの邪魔をしたのは、またしてもメアリーの母親・ベティでした。

出所後のメアリーを案じた政府は彼女に対して報道規制を掛けたと言われています。しかしメアリーの母親は、メアリーの出所をマスコミに露呈して金儲けをしていたため、メアリーの出所は世間に公表されてしまいました。

母親のベティはアルコール依存症になっており、死ぬまで実の娘であるメアリー・ベルの情報をマスコミに売り続けていました。メアリーが自ら現在について公表した自伝には「自分は被害者である、ひどい親に育てられ、愛情不足だったから殺人を犯した」という意味合いの文面も見られたそうです。

子供を出産している

出所後メアリー・ベルは男性と知り合い、1984年に女児を出産しています。仮釈放の期限は1992年で、この時は裁判所の監督下にありましたが赤ん坊に罪はないという事で、育児は許可されていたそうです。

その後メアリーはこの男性とは別れ、別の男性と結婚して小さな村に居住しています。しかしメアリー・ベルの前歴が村に知れ渡る事となり、村の住民はデモを起こすなどしてメアリー・ベルを追い出しました。

実名を公開

メアリー・ベルは、子供の成人を機に実名を名乗ります。そして自伝の本を出版する際、自分の犯行を全て一人娘に打ち明けたといいます。

娘は母の過去の犯罪を受け入れていますが、メアリー・ベルの母親・ベティはマスコミから多額の報酬を受け取っていた事で、世間から厳しく非難されたそうです。そんなメアリー・ベルは、現在どうしているのでしょうか。

メアリー・ベル事件を振り返る本を出版

サイコパスや殺人鬼と言われた不遇な生い立ちのメアリー・ベルは、現在子供を産んで静かに暮らしているようです。しかし先ほどもご紹介した通り、自分の犯した犯罪について自伝を出版しています。その自伝の本から垣間見える、メアリー・ベルの心境を紐解いていきます。

孫が誕生して祖母に

現在メアリー・ベルは60歳を超えており、孫もいてイギリスで密かに暮らしているという事です。母親(メアリー・ベル)の犯罪を受け入れた娘は、少なくともメアリー・ベルのようなサイコパスには育っておらず、現在健全な女性として健全な子供を産み育てています。

メアリー・ベルが本当の意味でのサイコパスであれば、このような健全な子供を産み育てる事は出来なかったでしょう。自分の犯した罪に真正面から向き合い、世間に自分の生い立ちを知ってもらう事で、このような事件を少しでも減らそうという信念があったのではないでしょうか。

その後本の執筆なども行っており、「ギッタ・セレニー」という名で自伝以外の本も出版しています。現在でもネットや古本屋などで入手することができるようですので、気になった方は手に取ってみても良いかもしれません。

自伝「魂の叫び」

先ほどもご紹介したとおり、メアリー・ベルは1999年に自伝小説『魂の叫び』という本を出版しています。虚言癖があるとされていたメアリーの自伝ですので、どこまでが本当かはわかりません。

またどんな生い立ちであろうと、メアリー・ベルが起こした事件が犯罪であることに変わりはありません。自伝本を出版した事で、「罪を犯した過去をお金儲けに利用するなんて!」といった意見も一定数あったと言われています。被害者の立場としては、許し難いことであるのは間違いないでしょう。

自伝本の出版は、被害者「マーティン・ブラウン」、「ブライアン・ハウ」の死から29年が経った頃でした。ようやく安息に向かっていたかもしれない被害者家族の心は、自伝本の出版によって再び踏みにじられたということも十分に考えられるでしょう。

自身が犯した罪への回顧

自伝本を執筆したメアリー・ベルは、今現在もイギリスで暮らし、執筆活動をしているという事です。しかし小さい時に母親から受けた虐待により、解離性離脱障害や夜尿症なども患っています。幼少期に受けた母親からの虐待は、精神を病んだとしてもなんの不思議も無いほどのものであり、大人になった現在でもトラウマとなっているようです。

また2人の男児の殺害については、常識や罪悪感を取り戻すごとに重く、苦しいものになっていったことでしょう。それを打ち消すには、勝手だと分かっていながらも自伝本として綴る事が一番であると、メアリーは思ったのかもしれません。

事件から30年経った現在、長年言葉に出来なかった思いを実名を出した自伝書に綴る事で、被害者へ謝罪したいと思ったのかもしれません。

その自伝書の中でメアリーはこう語っています。「子供を生んで初めて、自分がした事の重大さを知り、罪悪感に苛まれるようになりました」これが虚言癖によるものでなければ、被害者家族にとっては唯一の救いとなるのではないでしょうか。

伝えたいメッセージとは

我が子を虐待・殺害してしまう事件は、現在増加の傾向にあります。虐待された生い立ちの子供は、自分が大人になってもそれを繰り返してしまうという事例が沢山あります。また、そういう生い立ちに育った者は、どこかに精神的な歪みを持ってしまうことも少なくありません。

メアリー・ベルは現在も、自伝本の中で世の大人たちに虐待について警鐘を鳴らしているのではないでしょうか。先ほどもご紹介した通り、不遇な生い立ちのメアリー・ベルは子供を持って初めて「愛」というものを感じたと語っています。

メアリー・ベルの半生を振り返った自伝本『魂の叫び』には、第二・第三のメアリー・ベルが生まれないよう、子供に深い愛情を注いで育ててほしいという願いも込められているかもしれません。

母親の愛情不足が生んだ悲しい事件だった

生まれた時から親の愛情を知らずに育ったメアリー・ベルにとって、「殺人」と言う言葉は拭い去る事の出来ない過去となりました。当然殺された被害者家族は、今現在でも心に傷を抱えていることでしょう。

現在までに起きたサイコパス犯罪において、両親の愛情不足や虐待によって殺人鬼にされてしまったというケースは少なくありません。メアリー・ベル事件は、親の愛情不足が招いた悲しい事件だったと言えるでしょう。

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Mrsjunko

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