宮野裕史(横山裕史)の現在!住所や顔画像に再犯とは【コンクリ事件】

足立区で起きた「綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件」の主犯の少年A・宮野裕史について迫ります。宮野裕史は事件後に改名して横山裕史になり、2013年には再犯の振込詐欺で再逮捕されるなど、現在に至るまで注目され続けています。住所や家族、顔写真等も紹介します。

宮野裕史(横山裕史)の現在!住所や顔画像に再犯とは【コンクリ事件】のイメージ

目次

  1. 1宮野裕史とは(コンクリ事件の主犯格)
  2. 2女子高生コンクリート殺人事件の概要
  3. 3宮野裕史の生い立ち
  4. 4宮野裕史が2013年に再犯
  5. 5宮野裕史の現在は
  6. 6宮野裕史を除くコンクリ事件犯人の現在は【顔写真】
  7. 7宮野裕史は裏稼業で稼いでおり現在も反省せず

宮野裕史とは(コンクリ事件の主犯格)

宮野裕史とは、1989年に発覚した「綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件」の主犯格の元少年Aです。この事件は当時18歳だった宮野裕史が、埼玉県の路上を歩いていた17歳の女子高生に対して、猥褻誘拐、未成年略取、監禁、強姦、暴行致死、死体遺棄という卑劣な犯行の数々を行いました。

この時、検察側は宮野裕史に無期懲役を求刑しましたが、判決は懲役20年でした。そこから刑期を経て40代になった宮野裕史は、改名して出所を果たします。しかし出所後には2013年に振込詐欺という再犯をして逮捕され、現在までもネットや紙面に登場しています。再犯時の振込詐欺の際には、黙秘を貫くなどして反省の様子も見られませんでした。

現在の横山裕史はというと、2018年の9月に発売された週刊誌の中で「100均の縄で女を縛るのが好き」と語っています。

1989年に起きた綾瀬女子高生コンクリート殺人事件の主犯

1989年の綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件で主犯であった宮野裕史は、同じ中学校出身の後輩らと共謀して犯行を行いました。また宮野裕史の先輩に、足立区を縄張りにする「極東会」の暴力団組員がおり、宮野裕史たちはその先輩がいる組の青年部なる「極青会」を名乗っていました。

宮野裕史と後輩の元少年B・小倉譲、元少年C・湊伸治、元少年D・渡邊泰史は、湊伸治の自宅を主にたまり場にして行動を共にしていました。綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件を起こすまでも、4人で共謀して引ったくりをしたり、車を使用して女性を狙っては強姦を繰り返していました。

事件当時に公開されていた宮野裕史の顔写真は無表情に近く、冷酷さを感じさせます。

元少年Aの宮野裕史

事件当時の宮野裕史は無職だったとされています。根っから働かない人間であったかというと、高校を中退後にはタイル工として1年半務めました。柔道をしていた事で体力もあり、きびきび動く人間でした。また当時は元少年Dの姉である渡邊かおりと同棲もしており、彼女との結婚を目指して頑張ったそうです。しかしその目標は果たされませんでした。

さらに被害者の女子高生を監禁している間にも、自動車学校の合宿所で知り合った暴力団関係者が営む、銀座の生花商を手伝ったりもしていました。年末には暴力団幹部の忘年会への参加や、事務所の当番などもしていたそうです。その仕事も徐々に抜けられない雰囲気になっており、同時にシンナーも始めていました。

一方で宮野裕史と刑務所内で同房だった男が取材に応じた中で、宮野裕史は刑務所内では極めて大人しいという証言があります。宮野裕史は『シャーロック・ホームズ』の原書を読もうとしたり、英語の勉強にも興味を持っていたようです。暴力的な面以外にも、冷静さや探求心のある性格を窺わせます。

女子高生コンクリート殺人事件の概要

女子高生コンクリート殺人事件とは、1988年に16歳から18歳の少年たちが、通りすがりの女子高校生を拉致して監禁し、輪姦とリンチを加えて最終的に殺害した事件です。また殺害された女子高生はコンクリート詰めにされた末に、東京湾に遺棄されていました。被害者の女性は埼玉県立八潮南高校に通う3年生でした。

この事件の主犯格の宮野裕史、小倉譲、湊伸治、渡邊泰は、この件以外にも女性2人への暴行、後輩への集団リンチ、店舗荒し、ひったくりなどで起訴されていました。裁判の際、弁護側はこれら事件を起こした少年らの心理的な要因には、集団的なヒステリー状態による異常な心理状態であったと主張しました。

また裁判の中で、宮野裕史は被害者である古田順子に売春させて、金銭を得たことがあったとも発言していました。

1988年に女子高生の古田順子を騙し監禁

1988年の11月25日に埼玉県の三郷市内で自転車に乗っていた古田順子は、元少年Cの湊伸治にいきなり蹴り倒されました。夕方過ぎで薄暗く、古田順子はアルバイトの帰り道だったそうです。湊伸治はすぐにその場を去り、古田順子のそばへ元少年Aの宮野裕史が駆け寄りました。その際に宮野裕史は古田順子を助けるふりをして、近くの倉庫内へ誘導しました。

倉庫へ入ると宮野裕史は態度を一変させ、ヤクザを名乗ります。そして脅迫された古田順子と宮野裕史は21時50分頃、タクシーでホテルへ行き古田順子を強姦しました。その後、23時頃にはホテルを出ますが、宮野裕史は古田順子を連れたまま仲間3人と合流します。宮野裕史と仲間3人とは、この時に話し合って、古田順子を拉致監禁する事に決めていました。

そして宮野裕史は古田順子にまたしても「ヤクザが狙っているから匿ってやる」と言い、古田順子を湊伸治の自宅へ連れて行きました。

約40日間にわたる性的暴行や乱暴を繰り返した

1988年11月25日から1989年1月5日までの間、古田順子は元少年らによって監禁されていました。拉致から2日後には古田順子の家族が捜索願も出しています。複数の少年らが古田順子に馬乗りになり暴行を加え、剃刀で陰毛を剃ったり、陰部にマッチを入れて火をつけるなどしました。古田順子は逃げようと試みましたが失敗に終わったようです。

12月に入った頃にも古田順子は脱出して警察に通報しようとしますが、少年らに見つかり激しい暴行に加えてライターで足首に火傷を負わされました。またこの頃に宮野裕史がシンナーを始めており、古田順子も強要されています。焼酎やウイスキーを一気飲みさせられる事もありました。

真冬の寒空の下で古田順子はベランダに出され、裸踊りをさせられるなどもしたそうです。古田順子はあまりの苦痛に耐え兼ね「もう殺して」と言う事もありました。

古田順子が監禁されていたのは、JR常盤線綾瀬駅から北へ徒歩15分ほどの場所にある、湊伸治の自宅でした。間取りは3DKで、100㎡ほどの敷地内に建っていました。また湊伸治は2人兄弟の弟で、湊恒治という1つ年上の兄がいます。また兄も監禁中の古田順子を監視し、食事を運ぶ事などがあったようです。湊恒治と小倉譲は、同じ中学の同級生でした。

また自宅周辺は住宅街になっているため、事件後には近所の住民による目撃情報も寄せられました。中には宮野裕史や小倉譲らが湊伸治の自宅の塀をよじ登り、湊伸治の両親らに会わずに監禁部屋に入っていたというものもありました。しかし事態に気づく者はおらず、通報される事は無かったようです。

12月の後半頃には古田順子は顔面が腫れて変形し、極度に衰弱した状態になっていました。手足の火傷はただれて異臭を放ち、起きてトイレへ行く事も出来なくなっていたようです。

宮野裕史(横山裕史)がギャンブルに負けた腹いせに殴り殺した

1989年1月4日早朝、宮野裕史は前日の深夜に開催した賭け麻雀に大負けしていました。そして渡邊泰史の家へ行くと、小倉譲と湊伸治も合流し、久しぶりに古田順子を虐めてやろうという話になりました。4人は午前8時頃に湊伸治の自宅に集合し、横たわる古田順子に羊羹を持って話しかけました。「これは何だ」と問うと、古田順子は「羊羹」と答えました。

その後、古田順子は少年らによって殴る蹴るの暴行を受け、顔面に蝋燭のロウをかけられました。また飲料パックの中に排泄させた自分の尿を飲まされもしたそうです。さらに少年らは回し蹴りなどをくらわせ、鼻血などで出血した古田順子に対し手が汚れないようにとビニール袋で覆い攻撃を続けたといいます。

宮野裕史はさらにここで、総重量が1.74㎏にもおよぶ、キックボクシング用の鉄製器具を持ち出します。そして古田順子の太ももなどを鉄製の器具で、ゴルフスイングをするように殴りつけました。その後小倉譲と湊伸治も交代で同じ暴行をくらわせています。また渡邊泰史が、肩の高さから古田順子の腹部へ2、3度その鉄の器具を落としました。

その際に少年らが古田順子の脚にライターをあてるとかすかに手を動かしたといいます。しかし、そのまま反応はなくなり、午前10時を過ぎる頃にはすでに息絶えていました。

ドラム缶にコンクリート詰めにされ江東区で発見された

出典: https://pixabay.com/photo-978394/

1989年1月5日、宮野裕史と小倉譲、渡邊泰史の3人は暴力団関係者の営む花屋の手伝いをしていました。そこへ湊恒治から「女の様子がおかしい」と電話が入ります。湊伸治の部屋へ行くと古田順子は死亡していました。発覚を恐れた3人は、湊恒治とも共謀して遺体を遺棄する事に決めます。少年らは遺体を毛布で包み、大型旅行バッグへ入れました。

その後、宮野裕史は以前働いていた職場からトラックを借りて来て、付近にあったドラム缶も運んできました。ドラム缶に遺体の入ったカバンを入れ、さらに上から少年らで作製したコンクリートを流し込みます。午後6時頃に開始した作業は、午後8時頃には遺棄まで完了していました。この際のドラム缶の重さは305kgあったようです。

遺棄後、宮野裕史と小倉譲は別件で逮捕されました。少年鑑別所内の取り調べで出た供述により、1989年3月29日に若洲の埋め立て地にて、行方不明だった遺体が発見されます。

犯人の4人は逮捕され懲役刑の判決が下った

綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者の少年らはまだ未成年でした。しかし世間からは死刑や無期懲役を求める声が相次ぐ事態となります。また「少年法」で加害者少年らの情報は伏せられ、被害者の名前や家族、顔写真、住所などは全て晒される事態にもなっていました。

さまざまな背景の中、1989年7月31日に注目されていた少年らの裁判が始まります。逮捕後に主犯格とされていた宮野裕史には無期懲役が求刑されました。しかし宮野裕史の両親が自宅を売却して遺族へ慰謝料の5000万を支払い、謝罪も述べた事で、最終的には懲役17年となっています。

小倉譲は懲役5年以上10年以下の不定期刑に決まりました。湊伸治は懲役4年以上6年以下の不定期刑、渡邊泰史は懲役3年以上4年以下の不定期刑が下っています。

宮野裕史の生い立ち

宮野裕史は1970年4月30日に葛飾区で生まれました。幼い頃から両親は共働きで忙しく、宮野裕史はやや放置されるところがあったようです。また父は家庭を顧みないところがあり、母が一人で生計を立てて子育ても行いました。宮野裕史は母が植えた花を引き抜き、母から靴ベラで殴られた事があるそうです。

小学生になる頃には宮野裕史に素行不良が目立つようになります。集団万引きや校内暴力等の問題を起こしています。5年生の頃にはヌンチャクや木刀を持ち、パンチパーマをあてた風貌でした。気さくで面白い事を言ったりと、一部で人気者でもあったようです。小学校の卒業文集には「少年院の院長になりたい」と堂々と綴りました。

理由として、自身が今までに散々不良行為をしてきたので、非行少年たちの気持ちがよくわかるからという事を記載したようです。

足立区立東綾瀬中学校に入学後は、周囲の薦めで柔道部に入部します。中学3年間は部活に入れ込んでいました。その努力が実り、高校は推薦で東海大附属高輪台高校に進学します。しかし高校へ入学し柔道部に入ると、先輩や顧問らによる体罰が待ち受けていました。殺虫剤をライターで炙るなど、宮野裕史の父が裁判所へ訴えるほど残忍なものだったようです。

そこで宮野裕史は挫折し、街中で喧嘩をしたり家庭内で母親に暴力をふるうなどし、高校も中退しました。また中学生の頃から元少年D渡邊泰史の姉・かおりと付き合っており、同棲を始めます。そしてタイル工として懸命に働きました。1年半ほど経った頃に、自動車学校合宿場で暴力団関係者と知り合い、関係者の経営する店の手伝いなどを始めます。

そこから宮野裕史は日の目の見ない道を、ひたすら突き進む事になっていったようです。

父親・母親・妹との4人家族

宮野裕史の家族は、父親・宮野良規、母親・宮野静江、妹・宮野しょう子の4人家族でした。父親は証券会社の外務員で、母親はピアノ講師をしていました。両親が共働きで忙しくしていた事もあり、幼い宮野裕史に対して関心が薄かったり、異変を見過ごすこともあったのかもしれません。

綾瀬女子高生コンクリート殺人事件が起きた後、両親はともに仕事を辞めました。被害者遺族へ慰謝料を支払うために、自宅も売却しています。母親は事件後も綾瀬の地に残って、長い間新興宗教に明け暮れていたそうです。宮野裕史が出所する頃には消息不明になっていますが、息子を待っているつもりだったのかもしれません。

宮野裕史の家族が支え合うことが出来ていれば、卑劣な事件が起こることも無かったのでしょうか。動画には事件後の葬儀の様子と、宮野裕史の母親が登場します。

当時から父親には愛人がいた

宮野裕史が物心をつく頃には既に父親に愛人がおり、事件当時も父は愛人宅にいたようです。綾瀬女子高生コンクリート殺人事件が起きた後、当時47歳であった両親たちが離婚をしたのかどうかは公開されていません。その後の父親の行方や消息も不明ですが、当時の愛人と一緒になった可能性もゼロではないようです。

中学時代は柔道軽量級選手だった

中学校で始めた柔道では、宮野裕史は軽量級の選手でした。身長が160cmほどで小柄でしたが、がっしりと良い体格だったようです。3年間しっかりと練習に打ち込み、中学3年生の頃にはベスト5に選ばれるほどになっていました。大会に優勝するなど功績を残し、高校の推薦入学という道が拓けました。家族も安心できたひとときでした。

中学生・高校生と更に不良の道に

宮野裕史は小学生の時に度重なる不良行為から「学校へ来るな」と教員に言われたことがありました。その際に母親にその事を打ち明けますが、母親がすぐに学校に抗議した事で、さらに教員に詰め寄られることになります。

その一方で、宮野裕史は小学生の時から非行ぶりが目立つ少年でしたが、小学校6年生では勉強好きの友達と仲良くする事もあったそうです。中学校でも優秀な仲間と仲良くなる機会が増え、柔道という部活とも出会うことが出来ました。

しかし高校で待ち受けていたのは、柔道部の先輩と部活顧問による厳しい体罰でした。高校生になった宮野裕史は街中で喧嘩をしたり、帰宅後に家の物を壊し、母親に骨折するようなケガを負わせることもありました。高校の体罰については父が抗議しましたが、その甲斐なく、宮野裕史は退学しました。

宮野裕史が2013年に再犯

綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件の主犯格であった宮野裕史は、懲役20年の刑期を終えて出所しました。出所時に改名し、横山裕史として社会復帰して職に就いた事もあったようです。しかし間もなく振込詐欺の容疑者となり、逮捕されるのでした。横山裕史の振込詐欺という再犯と、逮捕時の状況についてなどを確認してみましょう。

2008年には出所していたが5年後には逮捕される

宮野裕史は2008年の夏に千葉刑務所を出所しました。また2007年の仮釈放であったとされる期間中には、5月頃に埼玉県川口市にて、解体業の仕事をしていたようです。川口市は荒川北岸に位置し、埼玉県内でも人口の多さが2位の活気ある場所です。宮野裕史は体力があり、賑やかな場所を好むのかもしれません。

素人グループの振込詐欺で逮捕された犯人の一人

宮野裕史が再び犯した犯罪とは、パチンコ必勝法の情報を現金化するという振込詐欺でした。振込詐欺は集団で行われており、振込先の口座所有者が宮野裕史でした。この振込詐欺による再犯で、宮野裕史は2013年の1月10日に、池袋にて逮捕されました。顔写真などの公開はありませんでしたが、髪は薄くやせ細った風貌であったようです。

当時42歳の宮野裕史は末端の役回りだった

宮野裕史が振込詐欺で逮捕されたのは、42歳の時でした。週刊文春などにも注目記事として掲載されました。若い頃の体力を使うような仕事から、ラクをして金儲けをする意向への変化も見られます。素人に近いような振込詐欺グループの、さらに末端の役回りだったそうです。宮野裕史自身も詐欺初心者であったことが推測されます。

黙秘を続け不起訴処分になった

振込詐欺で逮捕された際に、宮野裕史は黙秘を貫きました。この振込詐欺での逮捕については不起訴処分となります。綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件での刑期を終え出所して、わずか5年で振込詐欺という再犯を犯しました。振込詐欺のような犯罪は性犯罪に並んで再犯率が高い犯罪と言われています。

宮野裕史の現在は

2013年に振込詐欺で逮捕された池袋には、宮野裕史が10代の時に出入りしていた暴力団の本部もあります。また逮捕時の住所は、東京都の多摩市のアパートに住んでいたようです。ネットでは、元少年らの住所を公開するよう求める声も多数見られています。宮野裕史は現在も埼玉周辺に住んでいるのでしょうか。

出所後は横山裕史に改名していた!

宮野裕史は刑務所を出所した際に、関西の保護司の家族と養子縁組を行って、元の家族とは全く別の戸籍に変更しました。宮野裕史の家族の事も配慮した為のようです。また前述にもあるとおり改名もし、宮野裕史は「横山裕史」として今後の人生を送ることになりました。元少年の中では、小倉譲も同様にして「神作譲」という新たな名前になっています。

現在はどんな容姿?顔写真はある?

現在もネット上には高校生の頃の顔写真が出回っています。また主犯格であった横山裕史については、出所は不明ですが偽の顔写真も多く出回っているようです。今現在の顔写真は公開されていません。しかし『実話ナックルズ』などの一部週刊誌には、時々元少年の記事を特集したものが出されました。

顔部分は隠されているものの、体格などは事件当時を思い起こすような雰囲気があります。横山裕史は格闘ジムに通い、連日鍛えていたようです。格闘ジムでは試合をしたり、兄貴肌を見せて他の会員たちとつるむといった日々を過ごしていたといいます。しかし雑誌の取材などが近づき始めると、逃げるように姿を消しました。

横山裕史は再犯時の逮捕からもわかるとおり行動範囲が東京に戻っているため、住所や顔写真などの情報が今後出てくる可能性はありそうです。

裏稼業で大きな利益を上げている

横山裕史はマルチ商法などの裏稼業で、大きな利益を上げたようです。雑誌などで派手な生活ぶりを見せつけるようなスクープが掲載されることもありました。再犯の際などにも暴力団との関係は否定しているようですが、裏社会との繋がりは深そうです。

BMWに乗りブランド品に身を包む

現在の横山裕史はBMWやベンツなどの高級車に乗って、ブランド品をたくさん身に着けているようです。また連日賑やかにパーティーなどをして、裏の仲間たちと盛り上がることもあるといいます。

現在の住所は不明

横山裕史の現在の住所は非公開になっています。定かではありませんが、出所後に東大阪市の西石切町7丁目付近に、輸入住宅を購入した事があると囁かれています。関西の戸籍上の家族から、新たな住所として薦めがあったのでしょうか。さらにその後は栃木県の小山市にも住んでいた時期があると言われています。

栃木へ大幅に住所を変更した所から、さらに埼玉県新座市に移り、その後2018年には埼玉県川口市で解体業をしているという情報もあるようです。やはり1989年の事件現場付近が、横山裕史には居心地がよく、しっくりくるのでしょうか。

宮野裕史を除くコンクリ事件犯人の現在は【顔写真】

コンクリ事件を起こした時の、主犯格・横山裕史以外の3人は現在どうしているのでしょうか。雑誌の投稿写真やネット上で公開されている、犯人たちの現在の顔写真についてもまとめました。

元少年B小倉譲は出所後に三郷市逮捕監禁致傷事件で再逮捕

元少年Bの小倉譲は1999年8月に奈良少年刑務所を出所しました。しかし2004年の5月19日に、三郷市逮捕監禁致傷事件という再犯を起こして逮捕されました。東京の足立区内で当時33歳だった小倉譲が、27歳の男性に対して因縁を付け、母親の経営する埼玉県三郷市のスナックへ連れ込んだというものでした。5・6発殴って、金属バットで脅したそうです。

その際に、小倉譲は自ら綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人であることを名乗っていたため、被害者は身の危険を感じたようです。また被害者は恐怖のあまり、法廷での証言もついたてを用意して行ったようです。東京地裁より懲役4年の実刑を受け、小倉譲は2005年5月に再び受刑者になりました。

また2008年に出所した宮野裕史も2009年で満期であった為、小倉譲の再犯による2009年の2度目の出所は、偶然にも時期が重なっています。

三郷市逮捕監禁致傷事件の現場であった小倉譲の母親のスナックは、住所が埼玉県三郷市1丁目にあるスナックABCでした。また小倉譲本人の住所は綾瀬の事件当時は埼玉県八潮市中央4丁目でしたが、出所後は埼玉県の浦和で身を隠していたようです。小倉譲の顔写真も10代のものが公開されているのみで、出所後や現在の顔写真は非公開です。

また小倉譲は再犯時、髪を金髪に染めていたそうです。元少年らの中でも180cmを超える高身長というのもひとつの特徴でしょう。また1度結婚もしていますが離婚した為、家族は実の母親と姉1人のようです。小倉譲は行動範囲もほぼ変わっていないため、顔写真が出てくる可能性はありそうです。

元少年C湊伸治は出所後2018年に再犯を犯す

元少年Cの湊伸治は出所後、ムエタイの選手として試合に出たり、結婚もしていたようです。また、引っ越しも頻繁にしていたという話もあります。そして2018年の8月19日には殺人未遂という再犯も犯しました。夕方5時過ぎに埼玉県の川口市路上にて、トラックを停めていた32歳の男性とトラブルになったことが原因でした。

目撃者らは、湊伸治が一方的に因縁を付けて、駐車場に入ってくるトラックを仁王立ちして待ち構えたと証言しています。そして41cmの警棒を持ち出して相手を殴りつけ、さらに刃渡り8cmのナイフで首を刺しました。被害者は幸いにもケガをしただけで済んでいます。事情聴取で犯行を認めるも、殺意は否認しました。

2018年現在、綾瀬の事件から29年ほど経過していますが、周辺の住人からは更生している様子が無いという声が上がりました。

湊伸治は綾瀬の事件当時の住所は足立区綾瀬7丁目でした。犯行後しばらく家族と共に居たようです。その後さいたま市南区南浦和3丁目から、家族と離れて千葉県市川市福栄2丁目のサニーハイツに移り住みます。その後、京都の伏見区二ノ丸町へと住所を移し、大阪で外国籍の女性と結婚しました。定かではありませんが湊伸治には娘がいると言われています。

新しい家族を手にした時には、過去の事件を振り返ることはあったのでしょうか。再犯時は川口市のアパートに1人で住んでいました。時々大きな物音や奇声を上げて駆け出てくるなど、周辺住人も奇妙な人物であったと証言しています。身元はほぼ割れているものの、現在の顔写真など詳しい情報は公開されていません。

出所後にムエタイでプロデビューした時期があるため、元少年らの中では顔写真の公開は多めです。10代の頃から格闘技好きであり、現在も衰えない鍛えっぷりなのかもしれません。

元少年D渡邊泰史は出所後ひきこもりに

元少年Dの渡邊泰史は、逮捕された4人の中で一番刑の軽かった少年でした。大人しく気の弱い性格だった渡邊泰史は、初公判の際には閉廷後に失神した事もありました。また出所後は神奈川県の横浜市にあるアパートに、母親と2人で暮らしているそうです。渡邊泰史は終始和室のふすまに鍵をかけて引きこもり、部屋からほとんど出て来ないようです。

渡邊泰史は犯行当時から詳しい顔写真なども無いままです。2000年には渡邊泰史の母親がニュース番組に登場し、現在の息子の引きこもりに関する様子を話したことがありました。家族は母親と姉のみなので、高齢な自分がいつまでも息子の面倒は見られない、という事が気がかりなようです。

犯行時の住所は神奈川県のニューウェルテラス金沢八景という場所でしたが、現在は神奈川県横浜市金沢区六浦東の1丁目に住んでいるとの事です。

宮野裕史は裏稼業で稼いでおり現在も反省せず

綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件で逮捕された元少年たちは、主犯格の横山裕史を始め3人が、出所後に再犯を起こす事態となりました。元少年らの両親など、元家族も事件後には相当滅入っていたようです。しかし出所後の行動を鑑みるに、彼らは暴力をふるったり殺人未遂を犯すなど、古田順子を殺害した過去を反省する様子がありません。

横山裕史は裏稼業で裕福な生活をしているようですが、その実態は全く不明です。出所しても再び犯罪に手を染めてしまう彼らは、今後どのような生き方をするのでしょうか。人々が安心して暮らせるような明るい社会を築くためにも、彼らのその後の情報公開が望まれます。

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