ジョン・ゲイシーの事件や絵・名言とは【映画ITモデルの殺人ピエロ】

ジョン・ゲイシーは殺人ピエロ(キラークラウン)ともいわれ、映画『IT』のモデルであったともいわれます。どのような事件だったのでしょうか。ジョン・ゲイシーの生い立ちや被害者との関係、残された絵や名言、逮捕時や死刑執行時の様子などについて調べてみました。

ジョン・ゲイシーの事件や絵・名言とは【映画ITモデルの殺人ピエロ】のイメージ

目次

  1. 1ジョン・ゲイシーとは
  2. 2ジョン・ゲイシーの生い立ち
  3. 3ジョン・ゲイシーが起こした事件
  4. 4ジョン・ゲイシーの犯行動機と犯行内容
  5. 5ジョン・ゲイシーの犯行判明から判決まで
  6. 6ジョン・ゲイシーへの判決から処刑まで
  7. 7アメリカ史における最大級の犯罪として後世へ受け継がれる

ジョン・ゲイシーとは

・愛称:道化師ポゴ、殺人ピエロ(キラークラウン)
・本名:ジョン・ウェイン・ゲイシー・ジュニア
・⽣年⽉⽇:1942年3月17日
・現在年齢:1994年5月10日没・享年52歳
・出⾝地:アメリカ合衆国・イリノイ州シカゴ
・⾎液型:不明
・⾝⻑:175cm
・体重:104kg
・活動内容:靴販売のセールスマン、KFCマネージャー、青年会議所会員、軽建築業会社社長、民主党員、ボランティア道化師、連続殺人犯、少年愛者、同性愛者
・所属グループ:なし
・事務所:なし
・家族構成:元妻マリリン、元妻キャロル、息子マイケル(キャロルの連れ子)、娘クリスティン(キャロルの連れ子)、父ジョン・スタンレー・ゲイシー、母マリオン・エレーン・ロビンソン

アメリカ合衆国出身の連続殺人者

ジョン・ゲイシーはアメリカ合衆国シカゴ出身の連続殺人事件を起こした犯人です。ジョン・ゲイシーはジキルとハイドのような表の顔と裏の顔を持つ人間で、被害者を34人も出した恐ろしい事件の犯人なのです。

異名「殺人ピエロ(キラークラウン)」

ジョン・ゲイシーは殺人ピエロ(キラークラウン)とも呼ばれます。サーカスなどで笑わせてくれるはずのピエロが殺人者であるというホラー映画の定番は、この事件がきっかけであるともいわれます。実際に、ジョン・ゲイシーは休日に「道化師のポゴくん」に扮して福祉施設などを慰問しており、そこで知り合った少年が被害者になっています。

ピエロの絵や映画『IT』のモデルとして有名に

正式に絵画を習ったことが無い人が趣味で書いた絵が芸術性を持っていると評価されて世の中に出たものを、ナイーブアートといいます。もともとジョン・ゲイシーは趣味で絵を描いていました。刑務所に収監されていたときにも描いており、その絵はマニアに人気があります。その中の1枚は俳優のジョニー・デップが所持しています。

またジョン・ゲイシーは、1990年11月に公開されたスティーブン・キングの映画『IT』のモデルとしても有名です。『IT』は、殺人ピエロ(キラークラウン)の出で立ちをした悪魔のペニーワイズが子供を捕食するというホラー映画です。子供たちを楽しませるはずの道化師が子供たちに襲い掛かるというモチーフになっています。

名言「ピエロになれば、人殺しなんて簡単なことさ」の意味

ジョン・ゲイシーはいくつかの名言を残しています。その中でも有名なのが「ピエロになれば、人殺しなんて簡単なことさ」という名言です。ジョン・ゲイシーは多重人格による犯行を主張しました。殺人ピエロ(キラークラウン)のような凶暴な別人格になってしまえば、殺人など簡単であると主張しました。

また、道化師ポゴくんに扮しているときが唯一安らぎを感じたときだったとジョン・ゲイシーは語っていました。ジョン・ゲイシーによると殺人ピエロ(キラークラウン)になっているときは全てを忘れることができるというのです。良識も常識もなくなった殺人ピエロ(キラークラウン)の状態だからこそ、殺人などは簡単にできるという意味の名言なのです。

ジョン・ゲイシーの生い立ち

33人もの被害者を出した殺人ピエロ(キラークラウン)こと、ジョン・ゲイシーですが、いったいどんな生い立ちだったのでしょうか。映画『IT』に出てくる悪魔のペニーワイズのような、人の心の弱いところに付け込む悪魔のような人物だったのでしょうか。殺人ピエロ(キラークラウン)の異名を持つジョン・ゲイシーの生い立ちを調べてみました。

幼少期に受けた父親からの虐待

ジョン・ゲイシーは、1942年3月17日にアメリカ合衆国イリノイ州シカゴ市の貧しい家庭に生まれます。たたき上げの熟練機械工であった父親は厳しい人でした。父は脳内に腫瘍があって、発作的な癇癪を起こす人でした。父は息子に期待して、強さの象徴である名優ジョン・ウェインからジョン・ウェイン・ゲイシー・ジュニアと名づけます。

生まれたばかりのジョン・ゲイシーには心臓疾患がありました。これを聞いた父親はひどく落胆し、ジョン・ゲイシーに対して虐待を始めます。身体の弱いジョン・ゲイシーに対して「クズ」「間抜け」「オカマ」「ホモ」とののしり、革砥で叩いていました。これを原因として、ジョン・ゲイシーはパニック障害や心臓発作を起こします。

ジョン・ゲイシーはストレスを溜め込むと失神するようになります。そのたびに父親はなじります。母親が父親を諭すと、逆に父親は余計ひどくあたるようになりました。

青年時代の父との関係

ジョン・ゲイシーの発作や失神はひどくなり、14歳から18歳の間に入退院を繰り返しました。高校は4回も転校して、結局は高校卒業資格をとれず中退となります。このため、職業訓練校に通うことになります。ところが訓練校でのジョン・ゲイシーは非常に優秀な生徒で、学校の先生から助手として雇われます。

また父に気に入られようと、父が応援していた民主党議員を応援するボランティア活動をします。少しずつ父子の関係が改善されようとした矢先、再び不幸が訪れます。当時のアメリカにはまだ兵役義務がありました。ジョン・ゲイシーは、心臓疾患や失神のために兵役を免除されます。強い息子を欲していた父は、再びジョン・ゲイシーをオカマ呼ばわりします。

20歳のジョン・ゲイシーが父に車を借りようとしたときに口論となり、腹を立てたまま家を飛び出します。そのまま3ケ月間、ラスベガスの葬儀社で住み込みアルバイトをします。

大学卒業後の出世街道

葬儀屋で遺体に対しての抵抗感がなくなり、逆に少年の遺体に対しては興奮をしていました。母親に居場所を見つけられシカゴに戻ったジョン・ゲイシーはノースウエスタンビジネス大学に入学します。1963年に卒業し、大手靴販売店にセールスマンとして入社します。ここで、優秀な成績を上げます。そして若くしてエリアマネージャーに昇格します。

同時に青年会議所でも優秀さを示し、州内3位の活動実績を記録します。ビジネスでも成功すると同時に地域活動にも参加し、この頃のジョン・ゲイシーは働き者として近所では人望も厚かったといわれます。

結婚と性犯罪の狭間

ジョン・ゲイシーが22歳のとき、マリリンと結婚します。結婚の数ヶ月前、一緒に酒を飲んでいた男性とオーラルセックスに耽ってしまいます。このことに恐怖と嫌悪を感じたとジョン・ゲイシーは後日告白していますが、少年愛・同性愛が目覚めたきっかけとなったのは明白です。この時代の同性愛はタブーであり、周囲に知られないように十分に注意しました。

ジョン・ゲイシーは女性を受け付けないということではありませんでした。18歳のときにガールフレンドと関係を持とうとしたときに発作を起こし失神してしまったことがあります。ここから同性愛の方に安心感を求め、世間体を保つためだけに女性と付き合うようになっていきます。

シカゴに戻ったジョン・ゲイシーは29歳のときに高校の同級生であるキャロルと再婚し、キャロルの連れ子も引き取ります。ビジネスの成功と比例して犯罪の数も増えます。

ジョン・ゲイシーが起こした事件

現在でもアメリカでは、未成年に対する性犯罪は重罪です。また宗教的な理由からか、ポルノ規制は日本とは比べ物にならないほど厳しく、疑わしきは罰せられます。そのような社会の中で、ジョン・ゲイシーが起こした事件とは、どのような事件だったのでしょうか。ビジネスの成功と幸せな結婚の裏に隠された数々の事件を調べてみました。

性犯罪による1度目の逮捕

ジョン・ゲイシーが25歳のとき、青年会議所関係者の息子である当時15歳のドナルド・ヴァリューズを「ポルノ映画を見ないか」と自宅に誘い関係を持ちます。その後、ドナルド・ヴァリューズは金をせびる目的として何度もジョン・ゲイシーと関係を持ちます。

半年後、これ以上は金を払おうとしないジョン・ゲイシーに腹を立てたドナルド・ヴァリューズはジョン・ゲイシーにレイプされたと訴えます。裁判ではドナルド・ヴァリューズの友達で、ジョン・ゲイシーとKFCでアルバイトをしていたエドワード・リンチ少年が嘘の証言をしました。結局、ジョン・ゲイシーには懲役10年の実刑判決が出されます。

性犯罪による2度目の逮捕

アイオワ州男子矯正院に収監されたジョン・ゲイシーでしたが、院内では勉強に励みわずか7ケ月で高校卒業資格を取得します。また大学の通信講座を利用して心理学の単位をも取得しています。その上、院内の待遇改善に関する2つの法案を州議会に通すなど、院内では抜群の模範囚でした。このためわずか16ケ月で出所となります。

出所したジョン・ゲイシーですが、服役中に父が肝硬変で死去しており、ついに父親に認められることはかないませんでした。父の訃報を聞いたとき、ジョン・ゲイシーは膝から崩れ落ちました。ジョン・ゲイシーは母親に連れられてシカゴに戻ります。

出所からわずか半年後、再び少年に対しての性暴行容疑で逮捕されます。ところが、原告が裁判に出廷しなかったため、この事件では不起訴になります。

初めての少年殺害は勘違い?

1972年1月、ジョン・ゲイシーは少年を町でナンパして自宅に連れ込み関係を持ちました。翌朝目が覚めると、少年がナイフを持って立っていました。パニックを起こしたジョン・ゲイシーは揉み合っている内に少年を刺し殺します。実はこの少年は、朝食を作っていただけであり、ナイフを持ったままジョン・ゲイシーを起こそうとしただけでした。

改めて状況を把握すると、さらに混乱したジョン・ゲイシーは少年の死体を床下に埋めます。ジョン・ゲイシーは自分に非は無いと言い聞かせます。そしてこの事件をきっかけとして、ジョン・ゲイシーの少年たちに対する性的快楽殺人がはじまります。

繰り返される34人の被害者への性的暴行

幼い頃に父から虐待を受けていたことが、ジョン・ゲイシーを犯行に向かわせた原因のひとつです。また、5歳の頃に近所の精神遅滞の少女から性的悪戯をされたこともトラウマになっていました。6歳の頃に万引き癖がついていたり、母親の下着を盗んでいたことも犯罪へ向かわせた原因の1つです。

8歳のころに父親の友人がジョン・ゲイシーと遊んでくれましたが、レスリングと称して自分の股間をジョン・ゲイシーの顔に押し当ててきた経験も、トラウマになっていました。ジョン・ゲイシーは被害者たちの自由を奪い、レイプし、苦しむところを見ながら殺害することを好みました。34人目の被害者は、刑務所内でのレイプ未遂です。

勤勉でビジネスセンスのある成功者であったり、地域への慈善活動にも精力的であったジョン・ゲイシーですが、異常な犯罪を繰り返したのもジョン・ゲイシーでした。

ジョン・ゲイシーの犯行動機と犯行内容

ビジネスでの成功や慈善活動を通しての政治活動などだけを見れば、ジョン・ゲイシーは立派な人物です。社会的にも成功したといえるジョン・ゲイシーは、なぜ33人もの少年たちを殺害したのでしょう。34人目の少年に対して、押さえ切れなかった気持ちとは何だったのでしょうか。

少年への性的興味の発端

異常性愛者が常軌を逸していくきっかけは、主に幼少期の経験によるとされています。ジョン・ゲイシーも父親から「お前はホモだ」と言葉による虐待を受け、また実際に父親の友人のプロレスごっこでの経験が発端になりました。最初の結婚の直前、酒場で知り合った男性と関係を持ったことが男性愛へのきっかけです。

KFCマネージャー時代には、立場を利用してアルバイトの少年を次々に口説いては手を出していました。男性愛でも、自分の思うとおりにならない大人は対象外でした。ジョン・ゲイシーが父親にさげすまされたことと同じように、ジョン・ゲイシーも少年たちをぞんざいに扱いたかったのです。

誘い言葉は「ポルノ映画を観よう」

被害者は9歳から20歳の美少年ばかりでした。この年齢期の少年たちなので、性への興味は高くジョン・ゲイシーの「俺の家でポルノ映画を見ようぜ」との誘いを断る少年は少なかったといいます。それ以上の被害に合わなかった少年たちはジョン・ゲイシーから関係を迫られるのを断った後、アルバイトを辞めてジョン・ゲイシーには二度と近づきませんでした。

拘束・脅迫・絞首

勘違いで少年を殺害したあとのジョン・ゲイシーは、少年を殺害することにも快感をおぼえるようになりました。ジョン・ゲイシーの犯行は、いつも同じ手口でした。場が和んだところで手錠を使ったマジックを行います。特に殺人ピエロ(キラークラウン)の時代は手品はお手の物でした。「次は君がやってごらん」と手錠を渡すと後ろ手に手錠をはめます。

焦る少年を見て楽しみながら、ナイフで脅して強姦します。その後、少年の首にロープをかけます。ロープに棒を絡めてねじりあげます。じわじわと締め上げるときに少年が苦しみます。その姿にジョン・ゲイシーはひどく興奮したと語っています。こうして少年をなぶり殺すのが、ジョン・ゲイシーの犯行手口でした。

ジョン・ゲイシーの犯行判明から判決まで

殺人ピエロ(キラークラウン)ことジョン・ゲイシーは表の顔を使って、犯罪とは無縁のふりをしていました。それにもかかわらず、ジョン・ゲイシーはどうして逮捕されてしまったのでしょうか。多くの被害者を出した異常な事件の犯行判明から判決までを調べてみました。

麻薬捜査がきっかけで家宅捜索に

軽建設業社長として忙しい毎日を過ごしていたジョン・ゲイシーは、週末になると道化師ポゴくんに扮して福祉施設などを慰問します。ここで少年に目をつけます。少年には「うちでアルバイトをやらないか」と声をかけるのです。まさに殺人ピエロ(キラークラウン)です。

寝る間も惜しんで働き、地域活動も精力的にこなすジョン・ゲイシーは地元での名士となり、当時のカーター大統領夫人と握手する写真を残しています。多忙を極める生活で睡眠時間を削るために麻薬に手を出し始めます。最初の殺人の経験から、殺害した少年の遺体は自宅床下に埋めたり、近くの川に投棄していました。

1975年に再婚したマリリンと離婚します。その後は麻薬と酒の量が増え、少年の殺人も増えます。ジョン・ゲイシーの事件が発覚するきっかけになったのは、1978年12月11日、15歳の少年だったロバート・ビーストの行方不明事件からでした。

捜索願を受理した警察は、12月12日から捜査を始めます。すぐにジョン・ゲイシーが関係していることをつかみます。

調べるとジョン・ゲイシーが同性愛行為で服役した過去があると分かり、また暴力傾向の強い男であることも分かりました。1975年7月にジョン・ゲイシーの会社の従業員であった青年が行方不明になった事件では警察が100回以上の事情聴取をジョン・ゲイシーに対して行っていたこともわかりました。

警察はジョン・ゲイシーの自宅を訪れます。ロバート少年のことを尋ねるとはぐらかされました。いまは用事があって家を出られないというジョン・ゲイシーに対して警察は、翌日出頭するようにと約束させ家を後にします。

警察はジョン・ゲイシー自宅の捜査令状を取ります。12月13日にジョン・ゲイシーとともに家宅捜査します。遺体こそ見つかりませんでしたが家中にポルノ雑誌や手錠などが散乱し、捜査陣はジョン・ゲイシーが罪を犯していることは間違いないと確信しました。

家の中にはロバート少年の所持品が見つかり、少年がジョン・ゲイシーの自宅を訪れた証拠として押収されました。警察はロバート少年の遺体が付近に投棄されたのではないかとヘリコプターや警察犬など総動員しましたが、見つかりませんでした。

ジョン・ゲイシーは会社の共同経営者に「麻薬不法時所持を疑われている」とこぼし、イライラを募らせていました。

12月21日、警察は尾行中のジョン・ゲイシーが駐車場係にマリファナを渡すところを目撃し、麻薬所持容疑で身柄を拘束します。自宅の床下が怪しいとふんでいた警察は「そんなことをする必要は無い」と叫ぶジョン・ゲイシーを横目に、床下を捜索します。そして床下から遺体が発見されます。

ジョン・ゲイシー宅に漂う異臭と死体の山

遺体から発生する有毒ガスと地下水とシカゴの冬の寒さのために、作業は困難を極めました。有毒ガスのためにガスマスクが使われましたが、それでも気分が悪くなる作業員が後を絶ちませんでした。

その日のうちに10の遺体が発見され、翌日には6つの遺体が発見されました。ジョン・ゲイシーは自宅に被害者たちの身分証明書などを捨てずに放置してあったため、遺体の身元照合はすぐにできました。11月に近くのデス・プレーンズ川で見つかった遺体の身分証明書も、ジョン・ゲイシーの自宅から見つかりました。

ロバート少年を含む4人の遺体は近くの川で発見され、ジョン・ゲイシーの自宅床下・ガレージ・庭から合計29の遺体が見つかりました。あわせて33遺体という恐ろしい事件になりました。

12回の死刑判決と21回の終身刑判決

1980年2月6日からジョン・ゲイシーの裁判が始まりました。ジョン・ゲイシーは多重人格による犯行であり、いまの自分は無罪だと主張します。弁護側も多重人格症による心神耗弱であるものと弁護します。精神鑑定を行った結果、ジョン・ゲイシーのIQは非常に高く、脳障害の疑いも無かったことが分かりました。

検察側は多重人格は数ヶ月前に新聞に掲載されたビリー・ミリガン事件を真似しただけだと非難します。最終的に陪審員たちはわずか2時間で協議を終えます。「精神の異常さは認めるが、そのことが33人の被害者を生む理由にはならない」として、1980年3月12日に33人の被害者に対してそれぞれの判決が出ます。それは12回の死刑と21回の終身刑でした。

ジョン・ゲイシーへの判決から処刑まで

33人の被害者それぞれに対して出された判決を受け、ジョン・ゲイシーはどのように対応したのでしょうか。最初の逮捕時のように、刑務所内でうまく立ち回って刑期を短くすることができたのでしょうか。それともまた事件を起こしたのでしょうか。判決を言い渡されたあとのジョン・ゲイシーを調べてみました。

冤罪主張と上告

ジョン・ゲイシーの立ち上げた軽建設業会社は利益を上げていたので、莫大な費用がかかる上告も20回以上も繰り返します。地元の名士であることを自認していたジョン・ゲイシーは「誰かの妬みだ」「はめられたんだ」と無実を主張します。

さらには「死刑は違憲だ」とまでいうようになります。弁護士も離れ、自分自身で弁護をするようになります。さらには少年殺害がいかに面白いかとまでTVインタビューで話すようになります。

多重人格症の主張は詐病判断

ジョン・ゲイシーは多重人格であることを主張しました。自分の中には4人の人格がいて、殺害は4人目の人格が行ったことで、今の自分には記憶が無いと主張します。

1人目の人格は麻薬と酒を好み、少年を漁っては関係を持つだけのものだといいました。2人目の人格は、少年との行為が終わると車の外に放り出してからかう人格で、3人目の人格は関係を持った少年を自宅まで送っていくやさしい人格だと説明しています。

これらの説明に陪審員は詐病であると一蹴しました。心理学的に鑑定した臨床医の結論は、精神分裂か妄想症の可能性が強いとされ、幼少期の父親からの虐待が犯罪の土壌になったと証言をしています。

ジェイソン・モスとの出会い

ジョン・ゲイシーはTVインタビューなどにも積極的に出演しています。このため精神学者や各分野の研究者の研究対象となり、多くの論文が発表されています。当時18歳のジェイソン・モスは犯罪心理学を勉強する全米レベルの成績優秀者でした。ジェイソン・モスの将来の夢はFBIの精神鑑定士でした。

ジェイソン・モスは当時の凶悪犯人たちと文通する趣味を持っていました。ジェイソン・モスはジョン・ゲイシーに手紙を送り始めました。ジョン・ゲイシーは、ジェイソン・モスがどんな少年かを探るために返信します。ジェイソン・モスは犯罪者の心理が分かり始めたと勘違いします。

ジョン・ゲイシーはジェイソン・モスの電話番号を聞き出し、二人は電話で話すような関係になります。ジョン・ゲイシーは言葉巧みにジェイソン・モスを刑務所に呼び出します。

模範囚だったジョン・ゲイシーは看守に賄賂をつかませ、仕切り板も看守もなしに二人きりで面会するように算段しました。ジョン・ゲイシーはジェイソン・モスを防犯カメラの死角へ誘い込んでレイプしようとします。ところが偶然通りがかった別の看守に発見され、34人目の被害者を出さずにすみます。

この事件で、多重人格や冤罪を訴えて刑罰をのばしていたジョン・ゲイシーは、殺意や責任能力についてが認められてこれまでの再審請求も全て却下されました。1994年5月10日、ジョン・ゲイシーの死刑が執行されます。最後の食事はKFC、フライドポテト、エビフライ、いちご、コカコーラでした。

処刑は致死量の薬物を注射するものでした。通常の薬殺では5分程度で死に至りますが、死刑囚が極度に興奮すると窒息状態で苦しみながら死にます。ジョン・ゲイシーの場合は30分近くも苦しんだ挙句、「Yeah! Kiss my ass!」と最後の言葉を残して絶命します。

ジョン・ゲイシーが苦しみながら死んだことに対して検事側は、被害者が受けた苦痛に比べればたいしたことではないといいました。

アメリカ史における最大級の犯罪として後世へ受け継がれる

映画『IT』の殺人ピエロ(キラークラウン)のモデルであるといわれるジョン・ゲイシーは、それまでのサーカスの人気者であった道化師を不気味な存在にしてしまいました。素顔が見えないピエロが怖い存在になってしまったのは子供だけではなく、子供を持つ親も恐怖を感じるようになりました。

道化恐怖症という病気も認定され、俳優ジョニー・デップも罹患しているといわれています。このためジョニー・デップは克服のためにあえてピエロの人形を家の中においたり、ジョン・ゲイシーのピエロの絵を購入したといわれています。

ジョン・ゲイシーの生い立ちを見ると、同情はできます。父親からの虐待は、想像を絶するものであったはずです。それでも父親に愛されたい気持ちが強かったからこそ、殺人ピエロ(キラークラウン)になってしまったといえます。とはいえ、生い立ちが不幸だからといって殺人が許されるわけではありません。

ジョン・ゲイシーが自らを弁護し刑罰を引き伸ばしていたのは、心理学者の鑑定では責任転嫁が非常に強いためとされています。幼少期のトラウマが起こした事件とはいえ、殺人ピエロ(キラークラウン)であったことは事実です。慈善事業とみせかけて少年たちを品定めしていたことにアメリカの親たちは恐怖を感じました。

非のない少年たちが被害者になるということは、親からすれば言葉にできないほどの悲しみです。裁判所で死刑が言い渡されたときに拍手喝采が起きたのは、親の気持ちからすれば自然なことです。また上告を繰り返すジョン・ゲイシーに対して即時死刑執行を求めるデモが起こったのも、被害者の関係者だけではなく子供を持つ親たちが中心となっていました。

子供を笑わせるはずの道化師が、殺人ピエロ(キラークラウン)であった事実はアメリカに衝撃を与えました。アメリカの誕生日会には道化師を呼んで、風船で動物を作ってもらったり、手品を見せてもらって楽しませてもらう習慣がいまでもあります。

殺人ピエロ(キラークラウン)事件は子供を持つ親には、たとえ名士であったとしても簡単に信用してはいけないと後世に伝えるほどの重大な事件だったのです。

関連する記事はこちら

Thumbゾディアック事件の真相とは!解読された暗号の内容や真犯人は?
ゾディアック事件は、アメリカで起きた連続殺人事件です。ゾディアック・キラーと呼ばれ、暗号文を...
Thumbアルカポネとは!映画のモデルに?死因は?【アメリカ伝説のマフィア】
アルカポネをご存知でしょうか。禁酒法時代に組織を拡大し、アメリカの伝説のマフィアと呼ばれまし...

関連するまとめ

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ