川俣軍司の生い立ちから現在【ドラマ化された深川通り魔殺人事件の犯人】

1981年に江東区でおきた深川通り魔殺人事件を覚えているでしょうか。乳児も被害者となった無差別殺人事件です。その後、ドラマにもなった深川通り魔殺人事件の犯人は覚醒剤を常用し、7度の逮捕歴がある川俣軍司です。現在も服役中の川俣軍司の今や生い立ちを探っていきます。

川俣軍司の生い立ちから現在【ドラマ化された深川通り魔殺人事件の犯人】のイメージ

目次

  1. 1川俣軍司とは
  2. 2川俣軍司の生い立ち【深川通り魔殺人事件】
  3. 3川俣軍司が起こした事件の概要【深川通り魔殺人事件】
  4. 4深川通り魔殺人事件のその後
  5. 5川俣軍司は今現在も服役中とみられる

川俣軍司とは

川俣軍司は児童や幼児を巻き込み、6人の死傷者を出した無差別殺人事件の犯人です。商店街を歩いていた人達を見境なく柳刃包丁で刺していった川俣軍司とはどのような人物なのでしょうか。まずは事件についてまとめてみました。

深川通り魔殺人事件の犯人

茨城県鹿島郡出身の川俣軍司は、すし職人をを目指すために中学卒業後、東京へ出てきました。最初のすし店を3年半で辞めてしまった川俣軍司はその後、ほかの店に行っても長続きすることはありませんでした。

傷害事件や暴行事件での逮捕歴があり、おかしな言動から川俣軍司は覚醒剤中毒ではないかと噂されることもありました。そのために、すし職人として就職しても「薄気味悪い」と言われ解雇されるようになってしまいました。最後に面接をしたすし店で就職を断られた後、川俣軍司は柳刃包丁を持ち歩き商店街で無差別殺人の犯行に及んだのです。

被害者6人を殺傷した凶悪事件

深川通り魔殺人事件は、ベビーカーに乗った当時1歳の男児、3歳の女児、母親、さらに通行中の女性を含む4人が死亡、2人が重症となった無差別殺人事件です。犯人と顔見知りだった、何か関係があったということではなく、買い物途中の親子や通行人を無差別に殺傷していった凶悪事件でした。

川俣軍司の生い立ち【深川通り魔殺人事件】

無差別殺人事件を起こした川俣軍司とは、どのような人物なのでしょうか。幼少期からすし職人になるまで、またその後の生活や逮捕歴など川俣軍司の生い立ちをまとめてみました。

劣悪な環境で育つ

川俣軍司は1952年2月、茨城県鹿島郡波崎町で生まれました。兄と姉2人、弟の5人兄弟でしたが、長姉は幼児期に亡くなっています。当時の波崎町は半漁半農で生計を立てている人が殆どでした。しかし、川俣家は自分の土地を広く持っていなかったため、農業を営むことができませんでした。

父親はシジミ専門の漁師でしたが、漁をする時期は決められているため家計は楽ではありませんでした。食べる物もままならなかった為、栄養不足から母乳が足りず川俣軍司は重湯で育てられました。

進学せずに板前の道へ

犯人の川俣軍司は小、中学校とおとなしく特に目立つ生徒ではありませんでした。成績もそれほど良いわけではなく、5段階評価ではほとんどが2でした。それでもなんとか高校へ進学できる範囲内だったので、父親は進学をすすめました。しかし、父親の苦労する姿を見ていた川俣軍司は、進学せずに板前の道へと進むことを選んだのです。

すし店を転々とする

中学を卒業した川俣軍司は、東京の築地にあるすし店に住み込みで働くことになりました。一人前のすし職人になるには洗いものから出前、ご飯炊きと修行期間が必要です。休日以外はまじめに働いた川俣軍司は、就職後3年半でのり巻きを任される「下板」になりました。

しかしその半年後、板前見習いで入ってきた後輩と折り合いがあわず店を辞めています。その後も東京周辺のすし店に就職しては解雇されるという生活を繰り返していました。

傷害などの逮捕歴あり

客商売に向いていないと悟った川俣軍司は、実家に戻り働きながら自動車免許を取得しました。その後、運送会社でトラック運転手として働きましたが長続きはしませんでした。再び東京へと戻り土建会社で働き始めましたが、この頃から酒に酔って事件を起こすようになっていきました。

1971年6月には台東区での恐喝事件、1972年3月には足立区での暴行傷害事件、同年9月に富坂での暴行事件など、酒によっての犯行が何度も繰り返され逮捕されました。

覚醒剤の常習歴あり

川俣軍司は1977年4月に出所した後、父親の跡を継ぎシジミ採漁を始めます。まじめに仕事をこなしていたので、1年後には金回りがよくなりました。派手に飲み歩いているうちに、暴力団との繋がりができ覚醒剤に手を出すようになっていったようです。

川俣軍司が覚醒剤を常習しているのではないかと噂されたのは、1980年8月に子宮がんで亡くなった母親の葬儀での出来事でした。葬儀の最中に大声で喚いたり、おかしな言動で弟と掴み合いの喧嘩となりました。飲酒していたわけでもないのに、おかしな態度をとる川俣軍司を見て覚醒剤中毒ではないかと噂されたようです。

その後、江東区のすし店で働き始めた時にもおかしな行動があったそうです。全員で賄いを食べていた時に川俣軍司は突然うめき声をあげ始め、脂汗を流しながら青ざめた顔になりました。当時、覚醒剤は社会問題となっていたため、禁断症状などがよくテレビで流れていました。その時の川俣軍司の状態がよく似ていたため、店主は疑問に思ったようです。

川俣軍司が起こした事件の概要【深川通り魔殺人事件】

6人の死傷者を出した深川通り魔殺人事件とはどのような事件だったのでしょうか。逮捕時の姿は衝撃的で、テレビドラマにもなるほど話題の凶悪事件でした。川俣軍司が犯した事件の概要へと迫っていきます。

江東区の路上で発生した殺人事件

深川通り魔殺人事件が発生したのは、1981年6月17日午前11時35分頃です。すし職人だった川俣軍司は前日に面接をした結果を聞くために、新大橋通りにあった電話ボックスから電話をかけました。結果は不採用でした。それまでも面接する度に不採用という結果が続いたことから、川俣軍司は落胆しながら江東区森下二丁目方向へ歩いていきました。

持っていたカバンの中から柳刃包丁を取り出すと、偶然にも前から歩いてきた親子に刃を向けました。その後も、次々と周りの通行人を柳刃包丁で刺すという残忍な犯行に及んだのです。被害者の中には幼児や児童も含まれていました。

道行く人を次々に刺す

最初に刺されたのはベビーカーに乗っていた1歳の長男です。次に母親、3歳の長女と刺殺していきました。その後、居酒屋前を通行中だった女性の腹部を刺して殺害し、さらに診療所前を歩いていた71歳の女性の腹部を刺して重傷を負わせています。

化粧品店から出てきた女性と鉢合わせになりました。刺されると思った女性はとっさに包丁を手で払いましたが、手首に2週間の怪我を負いました。誰かを殺すという目的があったというのではなく、その場で目についた人を次々と襲うという残虐な行為でした。

中華料理店に立てこもる

通行人を次々と襲った犯人の川俣軍司は、近くの中華料理店前を歩いていた女性を人質に中華料理店へ立てこもりました。当時、中華料理店は準備中だったため客はいませんでしたが、店の中にいた家族は裏口から逃げることができ無時でした。

人質となった女性は体中を数十か所も傷つけられながら、犯人の言葉を口述筆記させられました。そこには「それまで自分を解雇したすし店や水産会社の社長らを連れて来い。みんな電波でひっついてるから悪い。」という内容が書かれていました。

捜査員突入で逮捕

立てこもった川俣軍司に刑事が説得を試みましたが、「何人殺してもおなじだ」など怒鳴り全く応じることはありませんでした。立てこもりから7時間が過ぎた午後6時54分頃、人質だった女性が犯人の隙をついて調理場へ逃げたところで刑事が突入しました。

犯人は柳刃包丁を振り回して抵抗していましたが、刑事に取り押さえられ逮捕されました。中華料理店から連れ出された犯人の姿は、白いブリーフと白のハイソックスに自殺防止用の布を口にくわえていました。その姿はテレビ中継され、深川通り魔殺人事件は当時大きな話題となりました。

深川通り魔殺人事件のその後

幼い子供も被害者となった深川通り魔殺人事件ですが、犯人の川俣軍司にはどのような判決が言い渡されたのでしょうか。事件のその後について探っていきます。

川俣軍司に無期懲役の判決

6人を殺傷した川俣軍司には1982年2月、東京地裁で無期懲役の判決が言い渡されました。逮捕後から数回、川俣軍司は尿検査を受けていますが、いずれも覚醒剤の反応が検出されています。さらに裁判中も「電波がひどい」「殺せという声が聞こえる」などと証言していました。

凶悪な無差別殺人事件でしたが、犯行当時の犯人は「心神耗弱状態だった」といことから死刑ではなく無期懲役となりました。

深川通り魔殺人事件がドラマ化される

逮捕時の姿が衝撃的だった深川通り魔殺人事件ですが、事件からわずか2年後にはテレビドラマとして放送されています。1983年7月、テレビ朝日の月曜ワイド劇場で大地康雄が犯人役として演じた『深川通り魔殺人事件』です。あまりのリアルな演技に「本当に人なのか?」という問い合わせがテレビ局にきたほどです。

実際の事件をリアルに再現したドラマは話題となり、視聴率は26%もありました。その他にも、風祭ゆき、松山英太郎、小林稔侍など豪華キャストが出演しています。

川俣軍司は今現在も服役中とみられる

深川通り魔殺人事件の犯人、川俣軍司は幼少期からの劣悪な家庭環境のせいなのか、念願のすし職人になっても長続きせず、傷害や暴行事件を繰り返す生活を繰り返していました。最後には覚醒剤にも手を出し、就職を断られた怒りを罪もない人たちにぶつけた犯行は許されるものではないのではないでしょうか。

罪のない人々を6人も殺傷した犯人の川俣軍司は、今現在も刑務所に服役しています。

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